国立大学教授｢動画を倍速で見ると幸福度はみるみる下がる｣…効率を重視する人がおちいる｢タイパの落とし穴｣ (2025年10月29日)

充実した毎日を送るにはどうすればいいのか。千葉大学大学院人文科学研究院教授の一川誠さんは「効率を高めようと“タイパ”を意識しても、人生の満足度はむしろ下がる。予定を詰め込みすぎると、思い出に残りづらくなるからだ」という――。（第1回）※本稿は、一川誠『ぼくら大切なことに使える時間はもう、あまりないから』（SBクリエイティブ）の一部を再編集したものです。■タイパを意識すればするほど時間は虚しく過ぎる最近は、若者を中心にタイパを追求する傾向が見られます（※1）。やることがたくさんある中で、できる限り充実した生活をしたい、時間を無駄に使いたくないと考えるのは自然なことです。たとえば、食材を工夫して、食事を作る時間を短縮したり、研修のための動画を1.5倍速などで視聴することで時間を短縮するようなことは多くの人が実施していることでしょう。また、そうしてできた時間を、趣味の時間にあてたり、睡眠時間を増やすことに使ったりしている人も多くいるようです（※1）。しかし記憶の仕組みという観点から見ると、タイパを重視するあまり、多くのことを短い期間に「詰め込みすぎ」てしまうことについては注意が必要なのです。それは、「詰め込みすぎ」ると記憶に残りづらくなるからです。たとえば、1日のスケジュールをぎっしり埋めてしまうと、一つひとつの出来事が分節化（「区切り」を挟んだ出来事として認識すること）されず、体験がすべてひとまとめのものとして認識されてしまいます。その結果、具体的なエピソードが記憶に残らなくなり、「いろいろなことがあったけれど、思い出せるのは2つくらいだった」「忙しく過ごしたけれど、思い出せることのない、虚しく過ぎた時間だった」という振り返りになってしまいます。■予定の詰め込みが「幸福度」を下げる理由逆に、体験した出来事それぞれの間にはっきりとした区切りがついていれば、「今はこれをやった」とか「さっきは少し雑になってしまったかな」と、具体的エピソードの反省や振り返り、つまり反すうが可能になります。繰り返し思い出すことで、記憶に残りやすくなるわけです。つまり、短い時間に多くのことを詰め込むと、体験が分節化されない→体験がひとつにまとめられてしまう→具体的なエピソードが思い出せない→長期記憶に残らない→幸福感・充実感を得づらいという流れになり、「忙しく過ごしたけれど、何をやったのか覚えていない、あっという間に過ぎた1日だった」という感想が残されるというわけです。タイパを追求していろいろなことをやり終えたけれど、何をやったか思い出せない。ただ忙しかったという印象だけ残っている。しかも人生の充実感や幸福感を失っているかもしれない。タイパとは、費やした時間に対して得られた効果や満足度の対比であるのならば、こうした時間の過ごし方を本当に「パフォーマンスがいい」といえるのでしょうか。タイパやコスパなどが一般的になってきたのは、私たちの生活の中にさまざまな情報が入ってきて、行動の選択肢が膨大になってきたことがひとつの要因だと思います。■便利さの裏に潜む「時間を失う生活」特に影響が大きいのは、インターネットの普及でしょう。いろいろな情報をすぐ調べることができ、得られる情報の範囲も大きく広がりました。また、ネットを介してショッピングができたり、株式投資などの経済活動をすることも可能になりました。新型コロナウイルス感染症の蔓延で在宅を余儀なくされたときも、オンラインを通じて友人とつながったり、ライブ配信を見たりして過ごした人もいるでしょう。選択肢については、特にエンタメ系の種類が大変豊富になりました。私が学生の頃には、読書をしたり音楽を聴いたり、映画や演劇を観に行くことくらいでした。ゲームは存在していましたが、今のようにオンラインで交流したり、オフ会に参加したりすることは、ほぼありませんでした。その頃、家での娯楽の大部分を握っていたのはテレビです。特に土曜日には一家団欒の中で人気番組を観ることが習慣でした。それはきっと、私の家に限らず、日本の多くの家庭がそうだったのではないでしょうか。情報の入手経路も増え、魅力的な選択肢が提供されると、それに応じて新たな欲望も生まれてきます。しかし、1日24時間、1年365日という時間の枠組みは変わりません。すべての選択肢をやろうとすると、時間はいくらあっても足りません。■「何をするか」「何を捨てるか」を決める時代へそれでも予定を詰め込むことで、できる限りをやろうとする流れがあったことからタイパやコスパが普及したのだと思います。しかし、それでは人生の充実感や幸福感から遠ざかってしまうのです。したがって、自分が何をするかを「選ぶ」ことが、現代人にとって必須の技術になっているのです。「選ぶ」ということは、「何をするか」を決めると同時に、「何をしないか」を決めることでもあります。そのためにいくつかの選択肢を捨てることには、未練や後悔が伴うかもしれません。しかし、捨てないでいると、自分にとって重要ではない選択肢にも、限りある時間を使い続けることになります。それは、時間をどんどん捨てていることと同じではないでしょうか。何を捨てるか、どれを選ぶかは誰かが決めてくれるわけではありません。自分で決めることが大切です。今までなんとなく過ごしてきた無駄な時間を手放すことで、タイパを高めずとも自分のやりたいことに使うための大事な時間を手に入れることができます。「時間をどう使うか」は、「どう生きるか」ということとほとんど同じ意味をもっているのです。何をするか「選ぶ」ことが必要である、そんな当たり前のこと、と思うかもしれません。しかし、人は「大切なこと」「やりたいこと」を選ぶことが苦手なのです。■タイパしているのに「時間が足りない」と嘆く人々私が監修者として関わった『セイコー時間白書2019』（※2）で、両親や仲のいい友だちなど、大切な人との時間について調べたことがあります。この調査には、全国の10代～60代の男女1200人（男女各600人 各年代別に男女各100人ずつ）が参加しました。その結果、大切に思う相手と過ごす時間が「足りない」と感じている人は、相手別にそれぞれ父親77.5％、母親76.9％、一番仲の良い旧友88.7％であることが示されました。この結果から、多くの人が大切な人と過ごす時間が足りないと感じていることがわかりました。「足りない」と答えた人にその理由を聞いたところ、トップの「遠くに住んでいてなかなか会えないから」に次いで多かったのが「なんとなく・特に理由はない」というものでした。この調査結果から、一緒に過ごす時間が足りないと感じてはいるものの、なんとなく会わないままというケースが少なくないことがわかりました。忙しい社会人の多くは「大事だ、やりたい、やらなくては」とわかっていることでも、仕事や家庭のことに追われて、なかなかそこまでたどり着けません。「忙しいからなんとなく」「理由はないけどなんだか忙しくて」大事なことが実行できないのだと思います。さらに、大事なことが実行できないのは、忙しさの他に、人の特性も関わっています。■人は時間に余裕がないと優先順位を見誤るそれは、人は、時間に余裕があると物事の優先順位を大局的に判断できるのですが「今、これをこなさないといけない」という事柄が目の前に迫ってくると、まずは目についた事柄が重要だと判断してしまう傾向があるからです。つまり、課題となる事柄までの間に時間的な余裕があるかないかによって優先順位の判断を誤ってしまうのです。そのため、目の前のことをとりあえず片付けるのに追われて、大事なことがどんどん後回しになり、その結果、大事なことに使う時間がなくなることが起こりやすいのだと思います。このように、目先の事柄が大事だと思い込んでしまうことを「現在志向バイアス」または「現在バイアス」（※3）といいます。目の前の課題をテキパキと効率よく片付けるのは大事なことですが、それにばかり心を向けていると、自分にとって本当に大事なことが置いてきぼりになってしまう。いっぽう、自分のやりたいことばかりを考えて、その結果何もできずに時間が経ってしまうのも、社会人としては良くない状態です。大切なのは、「効率よくこなすこと」と「本当にやりたいこと」のバランスをとることです。「タイパ」という言葉に象徴されるように、近年私たちの生活は、どうしても効率重視に偏りがちだったように思われます。日々の忙しさに追われながらも、自分にとって何が大切なのか、立ち止まって見直す時間をもつことが必要でしょう。〈出典〉（※1）セイコー時間白書 2023 https://www.seiko.co.jp/csr/stda/archive/2023/detail.html（※2）セイコー時間白書 2019 https://www.seiko.co.jp/csr/stda/archive/2019/detail.html（※3）Laibson, D. （1997）. Golden eggs and hyperbolic discounting. Quarterly Journal of Economics, 112, 443-477.----------一川 誠（いちかわ・まこと）千葉大学大学院人文科学研究院教授 博士（文学）1965年宮崎県生まれ。大阪市立大学文学研究科後期博士課程修了後、カナダYork大学研究員、山口大学工学部感性デザイン工学科講師・助教授、千葉大学文学部助教授・准教授を経て、2013年より現職。専門は実験心理学。2000年、「時間学」に興味を持ち山口大学時間学研究所の活動に関わる。実験的手法により人間が体験する時間や空間の特性、知覚、認知、感性における規則性の研究に従事。現在は特に、視覚や聴覚に対して与えられた時空間情報の知覚認知処理の特性の検討を行なっている。著書に『「時間の使い方」を科学する』（PHP新書）、『時計の時間、心の時間―退屈な時間はナゼ長くなるのか？』（教育評論社）、『大人の時間はなぜ短いのか』（集英社新書）など多数。----------（千葉大学大学院人文科学研究院教授 博士（文学） 一川 誠）