顧客が急にご機嫌ナナメになったら、どうリカバーすればいいのか。サントリーのトップセールスで営業一筋17年の若村由樹さんは「そういう困ったシーンに何度も遭遇したことがある。機嫌の悪さのタイプによって、話す内容、繰り出す質問がある」という――。■「今日は電車で?」と聞く理由今は支店長としてスーパー6チェーンをチームで担当する若村由樹さんだが、現場営業だったころは、取引先に数々の提案をしてきた。新商品が出たときには、得意先のスーパーのバイヤーに提案をしに出向く。しかし席についた瞬間に、いきなり「弊社の新商品は~」と始めるのは重い。必ずアイスブレイクをはさむという。「商談ルームにパッと入ってバイヤーにお会いしたときの見た目と第一声で、その方は今、温まっているのかな、冷たいのかな、テンションが高いのかな、低いのかな、とその場の温度を測ります。初対面の方は人となりがわからないので、何か会話をすることで、この方はこういう状態なのかなと想像しながら、商談に入る前に温度を調整していきます」初めての相手には「今日は電車でいらっしゃいました?」と切り出すことが多い。「最初は当たり障りない質問で、会話の糸口を探るというイメージです。そこから『私もその近くに住んでいます』『こないだ電車で通りました』など共通点を探っていきます」■まったく共通点のない相手とどう距離を縮めるかしかし、人によっては全く共通点のない人もいる。「支店長になってからは、お得意先の社長や部長など、いわゆる上職者の方々と商談会で初めてお目にかかることが増えました。そんなときは、こちらから『どんなふうに休日を過ごされているんですか』と聞くことが多いですね。休日の過ごし方から趣味の話につないで、深掘りしていくのです。そこで共通点があれば、話が発展していきますが、そうでなければ、もうこちらは学ぶモードになるしかありません。先日、お会いした社長は、あるモノのコレクターでした。内容を言うと個人が特定されるくらいコアなご趣味で、私を含め多くの方にとっては、未知の話題です(笑)。休日は、それらのコレクションを眺めているとおっしゃいますので、そこから「どういうものですか?」「初めて知りました」と周りの方たちと質問攻めにしました。そうしたら社長もリラックスして話してくださり、場の温度が一気に上がりましたね。別の社長の話ですが、商談ルームのインテリアから、その社長が車好きであるとわかったこともあります。たまたま部屋をキョロキョロして、壁の色が珍しい色味だったので、それを話題にしたら、実は社長の好きな車のテーマカラーだったのです」商談会では事前に、決算書などで先方の取り組みや情報は把握して行くが、現場では9割5分、趣味の話になるという。「だからこそ雑談でお互いの人となりを知る、先方からサントリーと取り組みたいと思ってもらえるかどうかというのは、この瞬間にかかっているように思います」■相手の顔色によって資料を急遽変えるバイヤーには月に一度は会いにいくため、よく知る相手であることが多い。いろいろな質問を投げかけて、相手のリアクションを見ながら、その場の温度を測っていく。このときに投げる質問にも、ちょっとしたコツがある。「いつも会うバイヤーだからこそ、その日のコンディションをつかむために、一定の粒度を保った質問にするのです。例えば、家族の時間を大切にされている方なら『先週末はどこに行かれたのですか?』。仕事熱心な方なら『私はあそこのチェーンに行きましたが、こんな売り場でしたね』。そこで、いつも三言答えてくれるところが、一言、二言だったりすると、今日はテンションが低いな、何かいやなことがあったのかなと、こちらも温度を測りやすくなるのです」そしてバイヤーの調子がよさそうなら予定通り商談に入るが、イライラしているときは、商談の内容をアレンジしていく。「いきなり本題から入ってしまうと多分ノーをもらってしまいそうなときは、小さいイエスをもらえるやり方に変えていきます。例えば、紙資料はすでに提案順に印刷してあり、商談の順番は変えられないので、とりあえず紙資料はわきに置いて、画面でスライドを見てもらう。スライドでは順番を入れ替えて、『この取り組み、うまくいきましたよね、今回もどうですか』など、相手にとってイエスと言いやすいことを提案し、イエスを積み上げていきます。それで最終的に、当初の提案内容についても、イエスがもらえるようにもっていきます」雑談で温度調整を丁寧に行うほど、商談がうまくいく確率は高まるのだ。■出産で営業スタイルがガラッと変わった今でこそ洗練された営業スタイルを身に付けた若村さんだが、若い頃は押しの一手だったという。それでは通用しないと痛感したのが、今から14年前、育児休業から復帰したときのことだった。「当時、群馬エリアを担当していましたが、育児休業前とお得意先は変わらないのに、私だけが何もかも変わり、とにかく時間がないという状況でした。時間がないので、どうしても性急に商談を進めようとしてしまう。そんな焦りが先方に伝わっていることを、周りの人から聞かされて初めて知り、根本的に営業スタイルを見直していく必要を感じました。お客様の求める営業とは何か。こちらが一方通行になっていないか、相手が本音を話してくれているのか、そういったことを突き詰めていったときに、ただ押すだけでなく、まず雑談で相手の状況、状態を把握し、そして場を温めてから商談に入るという方法につながったのです」■社長賞を受賞こうした積み重ねによって「若村さんには、いろいろ話しているし、御社も頑張ってくれそうだから、サントリーに任せるよ」と2023年春、得意先の一つから任せられたのが“カテゴリーリーダー”だ。カテゴリーリーダーとは、スーパーのお酒売り場で、該当カテゴリーの棚割りを担当する仕事。ベンダー(卸売業者)が行うこともあるが、このチェーンではメーカーが担う。当初、そのスーパーでは他社がカテゴリーリーダーを担当していたが、若村さん率いるチームの提案力が買われて、サントリーが担当することになった。カテゴリーリーダーが変更になることは珍しいことだという。「カテゴリーリーダーになった企業は、そのスーパーに対して“売り上げが伸びる棚”を提案し、実際に作業し、実現させる役割があります。棚の売り上げを伸ばすことが第一目的ですから当然、当社だけでなく、他社の商品も並べます。それを任せていただくことは、非常に身の引き締まる思いです」その役割を任せてもらえるまで、お得意先様と信頼関係を構築できたことが評価されて、2023年には社長賞を受賞した。■機嫌の悪い相手に投げる最初の質問もちろん、若村さんもうまくいくことばかりではない。「十何年も前のことですが、一回だけ急に怒られたことがあります。商談資料が全くできていないと目の前で資料をビリビリ破られて、お得意先は席を蹴って去る……、雑談どころか猛ダッシュで追いかけて、平謝り。もう手の施しようのない究極の場面ですが、そこまでいかなくても、来た瞬間に機嫌が悪い、あるいは来たときはふつうだったのに、だんだん機嫌が悪くなるという2パターンがあります」そういうときは、どうするか。まず前者の来た瞬間に機嫌が悪いときは?「これは明らかにこちらが原因ではないので、どこに原因があるか、キャッチボールしながら探っていきます。例えば最初の質問はこんな感じです。『最近、お仕事忙しいですか?』『今、メールがたまっていらっしゃいます?』」よくあるのが「商談が面倒くさい。急ぎで返さないといけないメールがあるのに、サントリーに10時と言われているから、10時から商談をしないといけない」と内心で思っているケース。「こちらは何が原因なんだろうと、何となく当たりをつけて、解決できそうなことがあれば提案します。例えば『大丈夫ですか? メールとか対応しないといけない件があります? 商談は、10時からでなくて、メールが落ち着いてからでいいので、それまで我々は向こうに行っていますね』と言うと、相手は『いいの? ちょっとこれだけメールするから。あの部署の○○が面倒くさいんだよ』なんて言いながら、ちょっとホッとされます」こちらが時間をつくることで、相手はすっきりして商談の席についてくれる。それだけでなく、「このバイヤーはあの部署のことを面倒くさがっている」という情報まで得ることができるのだ。■だんだん機嫌が悪くなったときにはもう一方、最初はふつうだったのに、だんだん機嫌が悪くなっていったとき。「これはさらに2パターンあります。一つは、こちらの伝え方が至らなかったとき。例えば『ここのカテゴリーが不調ですね』と、こちらが批評的なことを言うと、バイヤーの中には否定されたように感じる方もいます。そうなると言葉数が減り、うんうんとしか言わなくなる。明らかに気分を害されているのがわかります。そのときは、すぐに『申し訳ありません、こちらの提案不足ですね。勉強になりました』と謝ります。もう一つは、原因が外部要因であるパターン。例えば、途中でメールを見て、口数が減った、あるいは時間が長引いてタバコを吸いたくてイライラしているなど。そういうときはワンブレイク入れて、空気を戻すといったことをします」相手にいろいろ話をしてもらえるように、こちらが場づくりをしていく。そのためには、相手の好きなことや喜ぶことに興味を持つ。「結局のところ、営業は恋愛みたいなものです(笑)」と若村さんは笑う。■部下が話しやすい空気をつくる関東甲信越支社の支店長になって約8カ月。5人のメンバーのうち、3人は新潟、2人は東京にいるが、部下とのコミュニケーションにおいても雑談は欠かせない。「私がメンバーに対して気をつけているのは、まず“心理的安全性を担保する”ことです。特に新潟のメンバーは、電話で私に悪い報告をしなければいけないとき、私の状況が見えない分、余計に神経を使うと思うのです。忙しいかな、予定が詰まっているみたいだけど、これは相談しないといけないし、と多分、考えている。ですから、こちらとしては、いつ電話がかかってきてもいいように、常に気持ちをフラットにして、かつ電話の第一声のトーンは一定にするように心がけています」メンバーが「今、話しても大丈夫」という空気になるように、若村さんが雑談から始めることも多い。「ときにはメンバーから、『1分1秒を争うから、そんな雑談はいいです』と言われることもあります(笑)。そんなふうに新潟のメンバーは顔が見えない分、安心して何でも話してもらえる本音のコミュニケーションがとれるように心がけていますし、東京でいつも会っているメンバーも、声をかけられたら手を止めて聞く、目を見て話す、というのは当たり前として、第一声はやわらかく答えて何でも言ってもらえるように、と思っています」メンバーは新入社員からベテランまでと年代は幅広い。恋愛話だったり、推し活の話だったり、プライベートの話もよくするというが、若村さんの心配りによるところが大きいのだろう。社外の取引先にしろ、社内の部下にしろ、雑談とは「相手の大切にしている価値観を引き出せるチャンス」と言い切る若村さん。「機嫌が悪い相手でも、一歩踏み出してみると、思いがけず相手が心を開いてくれるかもしれません」----------池田 純子(いけだ・じゅんこ)フリーライターライター・編集者として、暮らしや生き方、教育、ビジネスなどにまつわる雑誌記事の執筆や書籍制作に携わる。新しい生き方のヒントが見つかるインタビューサイト「いま&ひと」主宰。----------(フリーライター 池田 純子)