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・ ロールス・ロイス、ファントムと音楽界とのゆるぎないつながりを祝福
・ ジャズからロック、ラップ、R&Bに至るまで、現代音楽のすべての時代を彩る存在
・ マレーネ・ディートリヒ、サー・エルトン・ジョン、ジョン・レノン、50セントといった時代を代表するアーティストに愛されたファントム
・ 「個性を映すキャンバス」、そして「アイコンの中のアイコン」としてのファントムを探求
「ハリウッド黄金期からヒップホップの隆盛に至るまで、過去100年にわたり音楽界のアーティストたちは、ファントムを通じて自らのアイデンティティを表現し、既成概念に挑んできました。彼らのファントムはしばしばそれ自体がアイコンとなり、現代音楽史において不朽の地位を築いてきました。
ロールス・ロイス・モーター・カーズ 最高経営責任者 クリス・ブラウンリッジ
ロールス・ロイスとポピュラー音楽の世界とのつながりは、レコード産業の歩みと同じくらい長い歴史を持っています。ジョン・レノン、エルヴィス・プレスリー、ファレル・ウィリアムスといったアイコンがファントムの物語に名を刻む以前から、デューク・エリントン、フレッド・アステア、カウント・ベイシー、ラヴィ・シャンカール、エディット・ピアフ、サム・クックなどのアーティストたちは、成功と芸術性の究極の象徴としてロールス・ロイスを認識し、ロールス・ロイスを愛用してきました。ブライアン・エプスタイン、ベリー・ゴーディ、アーメット・アーティガンといった、「音楽業界の重鎮」と呼ばれる人物たちも、ロールス・ロイスの名だたるオーナーとして名を連ねています。ジャンルや地域、世代を超えて、ロールス・ロイスは今なお、創造的才能をもつ人々にとっての究極の報賞であり、個性を映し出すキャンバスであり続けています。
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数あるロールス・ロイスのモデルの中でもブランドの頂点に立つファントムは、音楽界との結びつきが最も深い存在です。2025年に記念すべき100周年を迎えるこの特別な自動車は、8世代にわたり、音楽史に名を残す創造力と影響力に富む人物たちに選ばれ続けてきました。ファントムの魅力は今なお色褪せることなく、卓越したエンジニアリング、最高級の素材、精緻を極めたクラフツマンシップを結集した、世界最高峰のラグジュアリー・プロダクトとしての地位を保っています。さらに、オーナーが自らのアイデンティティを自由に定義できるという特質が、多くの音楽界の巨匠たちのファントムを、それ自体が伝説と呼ばれる存在へと押し上げてきました。
マレーネ・ディートリヒ:『フォーリング・イン・ラヴ・アゲイン(FALLING IN LOVE AGAIN)』
多くの俳優は名声を求めてハリウッドを目指しますが、マレーネ・ディートリヒは、すでにスターとしてその地に降り立ちました。映画『嘆きの天使(The Blue Angel)』でのブレイクを経て、彼女の代表曲となる『フォーリング・イン・ラヴ・アゲイン(Falling in Love Again)』を世界に広めた直後、1930年に映画『モロッコ(Morocco)』の撮影のためにカリフォルニアへと渡りました。パラマウント・スタジオでの歓迎は、彼女のスクリーンでの存在感さながらにドラマチックなものでした。彼女を出迎えたのは花束だけではなく、グリーンのロールス・ロイス・ファントムIが贈られたのです。
エルヴィス・プレスリー:『恋にしびれて(ALL SHOOK UP)』
1956年、有望な若き歌手エルヴィス・プレスリーのセルフタイトル・アルバムが、ロックンロール史上初めてビルボード・チャートの首位を獲得し、10週間にわたりその座を守りました。1963年、人気絶頂の「キング」は、数々のビスポーク仕様を施したミッドナイト・ブルーのファントムVを購入します。室内には、車内カラオケの初期形ともいえる装備として、マイクや、ひらめきを書き留めるための後部座席アームレスト内のメモ帳、さらには常に完璧な姿で現れるための鏡や衣類ブラシまで備えられていました。心和む家庭的な逸話として、このファントムのオリジナルの鏡面仕上げの塗装が、エルヴィスの母親が飼っていた鶏たちの注意を引き、車体に映った自らの姿をついばませたことでも知られています。後にこの自動車は、傷が目立ちにくい淡いシルバーブルーに塗り替えられました。
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ジョン・レノン:『ラブ・ミー・ドゥ(LOVE ME DO)』
1964年12月、ジョン・レノンはビートルズの『ハード・デイズ・ナイト(A Hard Day’s Night)』の成功を祝してファントムVをオーダーしました。ウインドウ、バンパー、ハブキャップに至るまですべてブラックで仕上げられたこの車には、カクテル・キャビネットやテレビ、さらにはトランク内に冷蔵庫まで備え付けられていました。しかし、エルヴィスのファントムVと同様に、レノンのファントムも後に大胆な変貌を遂げることになります。1967年5月、『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band)』のリリース直前に車体はスプレーでイエローに塗り替えられ、その上からレッド、オレンジ、グリーン、ブルーの渦巻き模様が手描きされ、花柄のサイドパネルと、レノンの星座である天秤座のシンボルが手描きで描き加えられ、新たな個性を完成させました。
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若者たちにとって、レノンのファントムは、その年に起こったムーブメント「サマー・オブ・ラブ」の自由奔放なムードを見事に映し出す存在でした。一方、年長者たちには大きな衝撃として受け止められます。
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このファントムがレノンゆかりのロールス・ロイスとして最も有名な一台とされますが、彼はもう一台ファントムを所有していました。1968年、レノンは『ホワイト・アルバム』の発表、また、ヨーコ・オノとの新たな人生の幕開けに合わせて、ホワイトのロールス・ロイス・ファントムVを購入しています。白い服をまとい、バークシャーの自宅を内外ともに眩い白で統一し、徹底したミニマリスト美学を追求する当時のレノンの姿を映し出す一台でした。
このファントムはもともと、第二次大戦中にスピットファイアのパイロットを務め、のちに専属運転手へと転身したウィング・コマンダーのパディ・バースロップが、ブラックとグリーンのツートーンカラーで注文したものでした。レノンはこれを当時の自身のスタイルに合わせ、当時としては大邸宅一軒に匹敵する1万2,000ポンドを投じて内外装をホワイトに刷新し、さらに、サンルーフやフィリップス社製ターンテーブル、8トラック・プレーヤー、電話、テレビを備え付けました。このファントムはその後、ビートルズの映画『レット・イット・ビー(Let It Be)』や、ローリング・ストーンズのフロントマン、ミック・ジャガーが主演する『パフォーマンス(Performance)』にも登場しています。1969年9月、レノンはこの車をABKCOレコード創設者で当時ビートルズのマネージャーを務めていたアレン・クラインに、5万ドルで売却したと報じられています。
リベラーチェ:『アイル・ビー・シーイング・ユー(I’LL BE SEEING YOU)』
もう一人の型破りな音楽界の巨匠がリベラーチェです。きらびやかで多才な彼は、1950~60年代にテレビ番組とラスベガスでの長期公演により、世界で最も高い報酬を誇るエンターテイナーとなりました。
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サー・エルトン・ジョン:『ロケット・マン』のための車
リベラーチェの演奏スタイルは、当時の多くのパフォーマーに影響を与えました。その中には、今日サー・エルトン・ジョンとして知られる新進気鋭のピアニスト、レジナルド・ドワイトも含まれます。彼は敬愛するリベラーチェに倣い、後年、複数台のファントムを所有しました。1973年、ホワイトのファントムVIでマンチェスター公演へと向かう途中、サー・エルトンはショールームのウインドウに展示されていた最新モデルに目を奪われます。彼は専属運転手に停車するよう指示し、その場で購入手続きを済ませると、新たなファントムに乗り換えて会場へと向かったのです。
のちに彼はこのファントムを、ブラックのペイントにブラック・レザーの内装、スモークガラスのウインドウに一新し、テレビ、ビデオ・プレーヤー、さらにはファクス機まで装備しました。なかでも特筆すべきはビスポークのオーディオ・システムです。非常に強力だったため、音量を上げても割れないようリア・ウインドウを補強する必要があったほどでした。
サー・エルトンは、鮮やかなピンクとホワイトのツートーン仕上げの外装と、それに調和する内装を施したファントムVのコミッション・モデルも所有していました。
キース・ムーン:『無法の世界(WON’T GET FOOLED AGAIN)』?
ロックンロール史に残る最も有名な逸話のひとつは、ザ・フー(The Who)のドラマー、キース・ムーンの21歳の誕生日の出来事です。天賦の才を持ちながらも破滅的な人生を送った彼は、ミシガン州フリントのホリデイ・インで、自らのロールス・ロイスをプールに沈めてしまったといわれています。
その夜、実際に何が起きたのかについては諸説あります。1972年の『ローリング・ストーン』誌でムーンは、「プールに沈んだのは他の宿泊客のリンカーン・コンチネンタルで、自分がハンドブレーキを外して転がり込ませた」と語りました。一方で、「そもそも車がプールに沈んだ事実などなかった」と主張する出席者もいます。真相がどうであれ、この伝説はあまりに強烈で、ロックンロール的享楽の究極の象徴として語り継がれることになりました。そしてその象徴にふさわしい車は、やはりロールス・ロイス以外にはあり得ないのです。
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ファントム誕生100周年と、ロックンロール神話におけるその存在感を讃えて、ロールス・ロイスはこの伝説を現実のものとしました。リサイクルを予定していた退役プロトタイプのファントム・エクステンデッドのボディシェルを、実際にプールへ沈めることで(※)この伝説を生き返られました。舞台となったのは、イングランド南西部プリマスにあるアールデコ様式の名所「ティンサイド・リド(Tinside Lido)」。イギリス海峡に面したこのプールは、ファントムの最も著名なオーナーのひとり、ジョン・レノンともゆかりがあります。1967年9月12日、ビートルズが映画『マジカル・ミステリー・ツアー(The Magical Mystery Tour)』の撮影で訪れた際にここで写真撮影が行われました。同年、レノンは黄色に塗装し手描きの装飾を施したファントムVを披露し、ファントムは音楽伝説の中でその地位を不動のものとしたのです。
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ヒップホップ・スター
2003年にグッドウッドに移転して以来、ロールス・ロイスは現代音楽との結びつきを一層強めてきました。2016年までに、ヒップホップの目覚ましい隆盛にも後押しされ、歌詞の中で最も多く名を挙げられるブランドとなっていました。ヒップホップは1990年代にはすでに文化の中核を担う存在となり、世紀の変わり目には家庭にも浸透。これは、ロールス・ロイスのグッドウッドでの新時代の幕開けと、2003年のファントムVIIの発表と時を同じくしています。
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2004年、ファレル・ウィリアムスとスヌープ・ドッグは、『ドロップ・イット・ライク・イッツ・ホット(Drop It Like It’s Hot』のミュージック・ビデオにファントムVIIを登場させました。この曲は全米ビルボード・ホット100で3週連続1位を獲得し、ファントムとヒップホップ界のトップ・アーティストたちとの長きにわたる結びつきの始まりとなりました。
アンコール:ファントムの不朽のレガシー
ファントムは、進化を重ねながら常に現代音楽の歴史に存在感を示してきました。どの時代においても、アーティストや革新者たちに自己表現の手段、憧れ、そしてアイデンティティを与えてきたのです。ファントムは、第二の世紀へと歩みを進める今もなお、成功、個性、そして人間の想像力を象徴し続けています。
(※)今回使用したファントムは初期のプロトタイプ車両で、法的に破壊が義務付けられており、公道走行・販売・寄付などはできないものです。エンジン、ギアボックス、ブレーキ、バッテリーを含むすべての機械的・運用部品は撮影時にすでに取り外されており、残っていたのは空のボディシェルのみです。プールに入れる前には底面を徹底的に清掃し、撮影はティンサイド・リドの衛生・安全チームと十分に協議のうえ実施。施設に損害を与えず、利用者への影響を最小限に抑えるよう配慮しました。
以上
ロールス・ロイス・モーター・カーズ
ロールス・ロイス・モーター・カーズは、真のラグジュアリー自動車のメーカーであり、 世界で最も高い評価と敬愛を受ける、手作業による魅力的なビスポーク製品を世界中のお客様のために製造しています。
英国ウエスト・サセックス州グッドウッドにあるホーム・オブ・ロールス・ロイスには、2,500名以上の従業員が勤務しています。ホーム・オブ・ロールス・ロイスには、グローバル本社のほか、センター・オブ・ラグジュアリー・マニュファクチャリング・エクセレンスが設置され、世界で唯一、ロールス・ロイスの自動車のデザイン、開発、手作業による緻密な製作が行われています。London School of Economics & Political Scienceの独自調査によると、2003年にグッドウッドでの生産を開始して以来、ロールス・ロイスは英国経済に40億ポンド以上を貢献し、毎年5億ポンド以上の経済価値を生み出していることが確認されています。
ロールス・ロイス・モーター・カーズはBMWグループの完全子会社であり、航空機用エンジンや推進システムを製造するROLLS-ROYCE PLC(ロールス・ロイス・ピーエルシー)とは完全に別会社で、関連はありません。企業プレスリリース詳細へ : https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000044.000087869.htmlPR TIMESトップへ : https://prtimes.jp