「もうできる治療がないと言われた」
その言葉のあと、患者さんはどこへ向かえばいいのか。ここで語られる治療の“空白”は、必ずしも命の瀬戸際だけを指すものではない。痛みや違和感、機能低下によって、日常が静かに損なわれていく状態。
北青山D.CLINIC院長・阿保義久は、その空白に対して、安全性と説明責任を前提に、新たな治療の可能性を模索し続けてきた医師である。
それは希望を過剰に語ることではなく、患者さんがその"空白"において、医学的・社会的支援の双方から孤立しないための選択肢を医師として提供し続ける、という判断だった。その判断には、常に重さが伴う。
効果を断定しないこと。限界を正直に伝えること。そして「やらない」という選択も含めて、すべてを医師自身の責任として引き受けること。
阿保医師が「再生医療」に向き合う姿勢は、開業以来変わらないこの判断軸の延長線上にある。だからこそ阿保医師は、治療の現場で「語れなくなる瞬間」から目をそらさない。この問いを放置しないこと――それが、北青山D.CLINICの出発点になった。
判断から逃げない医療――北青山D.CLINICの原点
阿保医師が医療の現場で何より重く受け止めてきたのは、「説明はできるのに、次の一手が語れない瞬間」だった。
治療が尽くされたあとに残るのは、医学的な結論ではなく、患者さんと家族の生活そのものだ。そこに向き合う以上、医師が担うべき役割は、手技や知識だけでは完結しない――阿保医師の中で、その感覚は早い段階からはっきりしていった。
医療は科学であり、同時に、誰かの人生の時間に踏み込む営みでもある。だからこそ阿保医師が惹かれたのは、サイエンスだけでは割り切れない判断が、日々積み重なる現場だった。
その象徴が、サイエンスとアートが共存する外科である。阿保医師は東京大学医学部附属病院第一外科で研修を開始し、研修医の段階から、手術の現場で責任ある経験を積む機会にも恵まれた。外科研修の一環としての虎の門病院での豊富な手術に対する麻酔科勤務経験は、「侵襲をいかに抑えるか」「手術をいかに安全に支えるか」という視点を徹底的に鍛える貴重な機会になった。後に日帰り手術という発想に結びつく下地も、ここで積み上がっていく。
その後、東京都教職員互助会三楽病院で外科医として豊富な臨床経験を重ね、東京大学医学部第一外科(腫瘍外科・血管外科)に帰局。病棟・外来・手術に加え、研修医や学生の教育、学位取得のための大学院進学など、キャリアは順風満帆に見えた。
しかしその途中で、人生の前提が揺れる出来事が重なる。実家青森に住む父の病をきっかけに、医療の限界と、医師個人が背負う責任の現実を突きつけられた。加えて家庭の事情も重なり、将来設計そのものを組み替えざるを得なくなる。
そこで阿保医師が選んだのは、「組織の判断」に寄りかかるのではなく、自分の名前で説明し、自分の責任で医療を行う道だった。
資金調達も容易ではなかった。バブル崩壊後で、金融機関は「開業」の一言で門前払いが続く。それでも諦めずに奔走し、最終的に融資の目処が立ち、2000年10月、北青山の地に北青山Dクリニック(現:北青山D.CLINIC)を開設した。
開業後、理想どおりに患者さんが集まったわけではない。立ち上がりは鈍かった。だからこそ阿保医師が早い段階で選んだのが、「正確な情報を、正直に開示すること」だった。医療機関が積極的にウェブ発信を行っていなかった時代から情報公開に取り組み、「大学病院レベルの高度な医療を、身近な医療機関で受けられる」体制づくりを進めていく。
日帰り治療、予防医療、加齢に伴う機能低下に向き合う医療。
そして、専門医が連携して患者さんを多面的に評価できる体制。
北青山D.CLINICは、できることを並べるのではなく、判断を引き受ける場所として、少しずつ運営の輪郭を固めてきた。
標準治療を尽くした先に、何も語れなくなる状態をつくらない
医療には、科学的根拠に基づいて体系化された「標準治療」がある。
手術、薬物療法、放射線治療――それらは多くの患者を救い、医療の根幹を支えてきた。
一方で阿保医師は、長年の臨床を通じて、標準治療を尽くしてもなお、有効な治療手段が見いだせない症例が少なくないという現実に向き合ってきた。それは決して、治療が不十分だったからではない。最善を尽くしたからこそ、医学がまだ十分な答えを持ち得ていない領域が、確かに存在している。
阿保医師が「治療の空白」と呼ぶのは、医学的な説明は尽くせても、患者さんに差し出せる次の治療手段が見当たらなくなってしまう状態である。しかし、阿保医師にとって本当の問題は、治療手段が尽きることそのものではなかった。その時点で医療が「もう語ることはない」と判断を止めてしまうこと――そこにこそ、医師として向き合うべき課題があると考えてきた。
「語れない」を放置しない。その姿勢が、治療の空白を単なる限界ではなく、現場で繰り返し突きつけられる医療の課題として捉える視点へと阿保医師を導いていった。
幅広い診療の現場で集まってきた、共通の問い
阿保医師の日帰り手術や診療を受けた患者さんからは、日々お手紙が寄せられる
北青山D.CLINICでは、下肢静脈瘤や椎間板ヘルニアのレーザー治療といった日帰り手術、苦痛の少ない胃・大腸内視鏡検査や人間ドックなどの予防医療まで、幅広い診療を行ってきた。そうした現場だからこそ、症状や病名を越えて、共通する相談が集まるようになった。
「治療は一通り受けたが、症状が残っている」
「命に関わるわけではないが、この状態が続くのはつらい」
「この先、何を頼ればいいのかわからない」
そこにあったのは、最後の治療を求める声ではない。標準治療の外側に置かれたあと、医療との接点が途切れてしまう不安だった。ある時期から、似た問いが重なるようになった。そのたびに、「何も差し出せない状態」をこのままにしてよいのか、という感覚が残った。その問いに対して、「何もない」と言い切ってしまえば、医療の役割はそこで終わる。――だが阿保医師は、そこで終わらせたくなかった。患者さんの声は、“空白”が例外ではなく日常に潜む現実だと、繰り返し突きつけていた。
治療空白領域において、医師に求められるもの
標準治療の外側に置かれた患者さんは、医学的な支援だけでなく、社会的・心理的な支えからも孤立しやすい。だからこそ阿保医師は考える。安全性を確保したうえで、新たな治療の可能性を模索することは、医療倫理に基づく人道的責務ではないかと。重要なのは、効果を断定しないこと。限界や不確実性を正直に伝えること。
それでもなお、患者さんが自らの価値観で判断できる「選べる余地」を残すことだ。
医師が救う努力を止めないとは、希望を過剰に語ることではない。判断を放棄しないことだと、阿保医師は捉えている。そのために必要だったのが、「標準治療の外側」にも、責任をもって差し出せる選択肢だった。希望を煽らず、しかし希望を途切れさせないために、医師は判断の場に立ち続けなければならない。
2019年、再生医療を「選択肢」として位置づけた理由
こうした問いの積み重ねの中で、2019年、阿保医師は患者さんからの要望を受け、慎重な検討を重ねたうえで再生医療の提供を開始した。それは、標準治療に取って代わるものではない。また、「最後の砦」として位置づけたものでもない。
標準治療を尽くした先で、何も提示できなくなる状態を避けるための、補完的な選択肢。それが、阿保医師にとっての再生医療の位置づけだった。
再生医療は万能ではない。しかし、苦痛の軽減や生活の質(QOL)の維持を目的とした人間中心の医療として、意味を持ちうる場面がある。再生医療は「答え」ではない。だが、何も語れなくなる状態を避けるための「責任ある余白」として、医療の中に置かれるべきだと阿保医師は考えた。
北青山D.CLINICの再生医療について
自己決定を守るための、厳しい前提条件
治療空白領域において、阿保医師が最も重視してきたのは、患者さんの自己決定権が損なわれないことだった。未承認医療であるかどうかにかかわらず、治療を提供する際には、期待される利益だけでなく、リスクや不確実性についても丁寧に説明する。同意は一度きりの手続きではない。途中で考えが変われば、撤回する自由は常に保証されていなければならない。医師の判断を押し付けるのではなく、患者さん自身が「理解し、納得したうえで選べる状態」をつくること。そのため、再生医療においても「やらない」という選択肢は、常に等しく提示される。できるから行うのではない。求められたから応じるのでもない。
- 有害事象を最小限に抑えられるか。
- 非侵襲的、あるいは低侵襲であるか。
- 既存の臨床・非臨床データに基づき、科学的合理性を説明できるか。
これらの条件を満たさない医療は、たとえ患者さんから強く望まれたとしても実施しない。できる医療を増やすのではない。患者さんが「納得して選べる状態」を守る――そのためにこそ、やらない判断まで含めて医師が引き受けるのだ。自己決定を守るとは、選択肢を増やすことではなく、選択が成立する条件を守り抜くことに他ならない。
再生医療を「技術」で終わらせないための体制
北青山D.CLINICの再生医療の特徴は、一つの技術に依存しない点にある。再生医療を専門とする医師に加え、脳神経外科、循環器内科、消化器内科、形成外科など、各領域の専門医が連携し、患者さん一人ひとりの状態を多角的に評価する。
「本当に再生医療が適切か」
「今、行う意味があるのか」
そうした判断を、単独の医師に委ねない体制を構築している。
北青山D.CLINICの再生医療を支える医師・スタッフについて
https://www.dsurgery.com/antiage/regenerative-medicine/doctors/
さらに、幹細胞を用いた再生医療において、治療の成否を左右するのは細胞の質である。院内に細胞培養加工施設(CPC)を設置し、厳格な管理のもとで細胞培養を行ってきた。さらに2025年には、クリニックに隣接するビルに新たなCPCを増設し、一つの医療機関で二つのCPCを併設する体制を確立した。細胞の老化や劣化を防ぐために至適培養期間と継代回数を規定の上で、最大数の培養細胞を確保できるように、細胞培養士が常駐して日々状態を管理している。
北青山D.CLINICのCPCについて
https://www.dsurgery.com/treatment/regenerative-medicine/cpc/
また、倫理的配慮のもとに実施される先端医療は、その知見を蓄積することで、将来の標準治療につながる可能性を持つ。それは、実験的医療ではない。人道的医療と科学的医療を橋渡しする行為であり、医学の進歩と医療文化の成熟に資する取り組みでもある。
再生医療の提供にあたり、北青山D.CLINICでは特定認定再生医療等委員会を自院で設立している。生命倫理や細胞培養に関する識見を有する院内外の専門家が参画し、治療の適応判断から実施プロセスまでを厳格に管理する体制だ。未承認であっても、安全性・科学的合理性・倫理的整合性が担保されなければ実施しない。
北青山Dクリニック特定認定再生医療等委員会について
https://www.dsurgery.com/treatment/regenerative-medicine/committee/
再生医療を技術として提供するのではなく、判断として提供するための体制。それは希望を語るためではなく、希望を裏切らないために整える、責任の構造なのである。
治療の“空白”に、医師として向き合い続ける
再生医療は、確かに期待の大きい分野だ。一方で、現時点では限界も多く、個人差も大きい。阿保医師は再生医療を、過剰な期待としての「希望」では語らない。一方で、患者さんと家族の尊厳が保たれ、生きる希望が途切れないために、必要な判断と責任を語り続ける。
標準治療の先にある問いから退かないこと。
説明を尽くし、選択肢を残すこと。
治療の空白に向き合うとは、希望を煽ることではない。けれど同時に、尊厳と生の希望が途切れないように、情熱を抱いて、思考を止めず、洞察を深めて、最適解を追求し続けることでもある。その積み重ねこそが、患者さんに次の一歩を残す医療であり、北青山D.CLINICおよび阿保義久が守り続けてきた約束である。
北青山D.CLINIC院長 阿保義久について