福島県中通りの南部に位置し、日本三大開拓地として数えられる矢吹町では、町内の小学生が参加する、カブトエビを使った水田での農作業体験「田んぼの学校」が2013年から行われ、自治体と地元農家、大学が連携しながら、東日本大震災直後を除いて10年以上継続しています。
この試みは子どもたちの農業体験のみならず、町自体がこれからの地域環境を考える契機となり、今年(2025年)10月には矢吹町のブランド米として「カブトエビと育むやぶきのお米」のネーミングとパッケージが完成。
そんなチャレンジングな試みをけん引する、カブトエビを愛する研究者、長島 孝行教授と、農業への熱い想いとともに、田んぼの学校の橋渡し役を担ってきた、タレントの大桃 美代子さん、そして学生の頃から田んぼの学校の活動に携わってきた、矢吹町役場の中島氏の3名に、ブランド化までの道のりと今後の展望についてお話を伺いました。
始まりは農学者からの「町を全面に押し出す」アイデアから
——カブトエビを研究していた長島教授が、なぜ矢吹町に関わることになったのですか?
長島:私の故郷では、小学生の頃から近所の田んぼでよくカブトエビを見かけていて「こんなかっこいい生物がいるんだ」と思っていました。昔からカブトエビは田んぼの草取り虫として日本でも親しまれていて、元々は砂漠の生き物ですが、乾燥と湿潤を繰り返す田んぼが絶好の住み家なんです。実際に大学で調べれば調べるほど、卵の状態で100年休眠できるなど興味深い生物で、その魅力に引き込まれていきました。
そんな経緯があり、大学の同級生だった当時の町長から「町の未来を見据えて、何かできないか」という相談があった時、矢吹は日本三大開拓地で田んぼが沢山あるので、そこでカブトエビを利用して無農薬栽培の米(※)を作ってみたらどうかと提案しました。2007年から東京農業大学の学生と一緒に、矢吹に関わるようになりました。
田んぼに関しては専門外なので、テレビ番組でご一緒した機会に米作りをなさっている大桃さんにお声がけしたんです。
大桃:私が最初に矢吹を訪れたのは2010年でした。故郷の新潟県魚沼市で米作りを始めていましたが、無農薬だと雑草が大変で、抜いても抜いても後から出てくる作業に悩まされていました。そこで長島先生から、カブトエビを使ったお米作りのことを教えてもらったんです。さらにその米作りを核にして、町と大学が地域づくりを一緒になって行うということで、さらに興味が湧いて参加させていただくことにしました。
※「カブトエビと育むやぶきのお米」は減農薬で栽培されています
復興の「その先」を見据えたフロンティア精神
——大桃さんが参加された翌年に、東日本大震災が起きてしまいました。
大桃:震災直後に矢吹に訪れたのですが、用水路が壊れていて、残念なことに田植えができない状態でした。
長島:震災後に私も町に行って驚いたんです。地元の方は、復興どころか「もっとその先」のことを話してくれるんです。田んぼの学校の試みがうまくいけば、他の地域より前に進んじゃいますよってね。開拓地ならではの逆境から新たな物を作り上げるフロンティア精神が、矢吹には根付いているのかもしれないですね。
大桃:矢吹の人って、何より明るいのがいいですよね。そんな地域の中で育つ子どもたちは、矢吹の美しい田んぼが自分の原風景になると思ったんです。私も故郷の田園風景がそうです。なので震災後の色々な障害があっても、田んぼの学校の時はみんなで笑顔で、子どもたちに少しでもいい思い出になるように心がけました。
——米作りが再開した2013年から、中島さんは矢吹に関わるようになったんですよね。
中島:長島先生の研究室に大学生として在籍していて、矢吹に行く学生の取りまとめ役を任されたんです。今までの町の経緯も知らずに、ただ楽しそうだなと思って田植えに行きました。やっぱり周りからは「震災」という言葉をたくさん聞いていましたが、行ってみると全然違っていたんです。地元の方も参加者がみんな、イベントとして心の底から楽しんでいました。
農家さんのイメージもいい意味で覆されました。みんなかっこいいんです。「この作業着、〇〇ブランドのやつだぜ」なんて、自慢してくるんです。面白すぎませんか。先生からは、基幹産業である農業で町を元気にしたいと聞いていましたが、「なんだこの人たち、もうめちゃくちゃ元気じゃん。これに負けないようにしなきゃ」って思いました。
大桃:かわいい大学生たちが来てくれて、私もうれしかったです。子どもたちにとってはお姉ちゃんやお兄ちゃん、地元の方には孫のような大学生がいることで、それぞれの距離を縮めてくれるのが、とても大きい存在だと思います。
ところで、中島さんは何で矢吹に移住したの。それを聞いた時は「そんなに矢吹を気に入ったの!」って、びっくりしたもん。
中島:一番の理由は、とても綺麗な風景がある町だと思ったことですかね。一緒に来ていた同級生に「良いところだよね」と話したら、そのまま役場の人に伝えたようで、役場の試験があるから受けることになって、長島先生に大学院進学を断り、親を呼び出して報告して、一週間くらいで移住を決めてしまいました。その決断で、今こうして田んぼの学校に関わり続けているのは、不思議なご縁ですね。
長島:矢吹へ誘ったのは私だからね。大学に留まれとは言えないよ(笑)中島さんの想いと、町の想いが合致したというのもあるでしょうね。
以前、矢吹の小学生と「この町をどうしたい?」という授業をしたことがあって、ある子どもから「矢吹を東京みたいにしなくてもいい」という意見が挙がって、どうして?と聞いたら「たくさんビルがあっても意味ない。風景が壊れる」と答えてくれて、すごいなと思ったんですよ。
子どもたちも中島さんと同じように、町の美しい風景を感じている。一度壊したらダメになることも分かっている。大人目線と子ども目線を地域づくりに活かすためには、学生が必要だったと思います。
2017年には、ついにカブトエビが田んぼに定着
——カブトエビを使った米作りには、どんな特徴があるのでしょうか。
長島:カブトエビは、雑草の新芽を食べてくれます。稲自体はカブトエビに対して大き過ぎるので食べられる心配はありません。また産卵行動で土を堀り起こすので、田んぼが濁り、光合成を阻害して雑草の成長を防ぎます。田んぼが絶好の生息地なので、逃げ出したりしないので管理も楽です。
そして農薬にめっぽう弱いことも、今の時代ではメリットになります。無農薬や減農薬での米作りでは、田んぼの環境のチェッカー役をカブトエビが担ってくれるのです。つまりカブトエビの定着が、その田んぼのお米の品質を保証してくれる訳です。
ただ唯一の弱点は、寒さに弱いことです。東北の寒さの中で定着してくれるかが心配でした。何年も定着が確認できない中で、それでも矢吹の人は辛抱強くあきらめなかった。
中島:役場の中で田んぼの土をタッパーに入れて、毎日世話して卵をふ化させてましたもん(笑)子どもたちが田植えの時に卵入りの土が撒けるように、もう一手間かけて土を乾燥させたりしていました。
長島:2017年に「田んぼの学校」の田んぼにカブトエビの定着を確認してから、徐々に周辺の田んぼでも発生していきました。それを発見したのが、田んぼの学校の小学生の親だったんです。地域に認知されてきた証ですよね。
中島:事業を始めた時は30分探してもカブトエビは見つけられませんでしたが、今は子どもたちが田んぼからすくって見つけられるまでになりました。
矢吹は「地域づくりの世界的な事例」になりうる
——そんな苦労の上にできた大切なお米の、今後の展開や展望をお聞かせください。長島:カブトエビの米作りは、ただこの農法を継続することが本当の狙いではありません。行政や地域の人が参加することによって、自分たちの未来の環境を考えるきっかけになってほしいと思っています。
これからは地域環境を上手くマッチングさせなければ、モノづくりができない時代です。生き物を頼った経済を上手く循環させながら、地域づくり行うのが世界的なトレンドになってきています。その試みをいち早く行い10年の蓄積があるのは、日本で矢吹町だけです。展開としては、育んだ物を地域の人がどう活かすかにかかってくると思います。
中島:田んぼの学校の参加小学校は、最初1校だけでしたが、現在は町内の小学校3校が参加してくれています。
参加した子どもたちは、来てくれた大学生からカブトエビの他にも田んぼには多くの生き物がいることを初めて知り、矢吹の環境ってすごいと思う子も出てきています。子どもたちや地元の方にも、田んぼの学校の事業が認知されてきたことが、本当にうれしいです。
大桃:農業を通した地域づくりを全国で見てきた中で、やはり目に見えた町づくりの成果は20年はかかると感じていて、矢吹町にとっては丁寧に土台を築き上げた10年だったと思います。その大切なブランド米を手に国内外に発信できるようになった今は、まさに大きなムーブメントになる直前の臨界点にいる状況だと思っています。矢吹のお米がどんなものを引き寄せるか、引っ張って行くのか、とても楽しみにしています。
長島:ヨーロッパでは、消化が緩やかな米粉のパンが普及しています。しかもオーガニック食品を国を挙げて大切にしているので、矢吹のお米は先に海外で評価されるかもしれませんね。そして「風景を変えない」地域づくりのいい事例として、10年後には国内外で驚かれると思いますよ。それだけ色々な地域に波及するポテンシャルを、矢吹町は持っています。
中島:たった2反の小さな田んぼから始まった10年のストーリーを知ってもらって、矢吹にもっと色々な人が興味を持ってもらいたいと思っています。田んぼの学校で関わった大学生たちもふるさと納税の返礼品として、お米を頼んでくれています。矢吹に関わった子たちでOB・OG会できたらいいですね。今まで関わってくれた人たちの感謝を忘れずに「カブトエビと育むやぶきのお米」を、もっとアピールしていきたいです。
大桃:毎年来る大学生も小学生も、その年々でカラーが違うけど、田んぼの学校の活動を通して、最後はみんな仲良くなっている光景に幸せを感じます。そんなお米を介したコミュニケーションが、もっと広がればうれしいですね。
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大桃 美代子(田んぼの学校 校長)タレント、国際SDGs推進協会名誉理事、新潟食料農業大学客員教授。新潟中越地震を魚沼市の実家で被災。それを契機に食育や農業、地域活性化に携わり、地元での古代米作り(桃米)も行う。2012年から「田んぼの学校」校長に就任し、子どもたちや大学生たちとともに活動を続ける。
長島 孝行(田んぼの学校 特別講師)
ヤマザキ動物看護大学 動物人間関係学科長・教授 (農学博士)。東京農業大学の教授時代に、当時の町長に「町を全面に出せる何かを」と乞われ、2007年から地元農家と学生とともにカブトエビを利用した米作りに着手。並行して矢吹町の食用桑の葉の実証実験も行う。
中島 由紀子(矢吹町役場 商工観光課職員)
2014年に入庁。東京農業大学に在籍中に長島教授のゼミ生として矢吹町を訪問し、その風景に感銘を受けて移住。矢吹町役場で「カブトエビと育むやぶきのお米」のブランド化に携わる。
お問い合わせ先
矢吹町役場 商工観光課電話:0248-42-2119 (平日 10:00-17:00)
カブトエビと育むやぶきのお米 特設サイト:https://yabuki-kabutoebi.com/
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