目次

  • なぜ“人が集まる工場”が話題なのか
  • 採用困難に悩んでいた地域製造業A社の実態
  • 採用課題を“人的資本の問題”として再定義
  • 「働く理由」を再設計する―採用マーケットにおけるポジショニングとEVPの再構築
  • 社員が広告塔に―インナーブランディングと自走型採用
  • 評価制度・等級制度との不整合と改革の必要性
  • 採用力の定量的改善と経営インパクト
  • 採用は“経営の武器”になる
  • なぜ“人が集まる工場”が話題なのか

    地方の製造業では近年、人材採用の困難さが大きな経営課題となっています。

    少子高齢化による労働人口減少や都市部への人材流出により、地方企業の人手不足は一段と深刻化しており、その主因として「若手人材の減少」(約53%)や「都会への人材流出」(約39%)が指摘されています。有効求人倍率の上昇に伴い採用競争も激化し、「良い人材が採用できない」という嘆きが各地で聞かれます。


    一方で、多くの企業では経営戦略と人材戦略の乖離が見られ、人材不足が中長期の成長リスクとなっているのが実情です。人的資本経営の重要性が世界的に高まり、日本でも人を重要な資本と捉える時代になりましたが、特に地方の中小企業では人材課題の解決に手をこまねくケースが散見されます。

    本記事では、そのような状況下で「人が集まる工場」として注目を集めるA社の事例を通じて、「なぜこの工場には人が集まるのか?」という問いに迫ります。

    採用困難に悩んでいた地域製造業A社の実態

    A社は北陸地方のメーカーで、地域No.1の老舗企業です。

    しかし近年、そのA社でさえ採用難に直面していました。若年層・中堅層の新規採用が思うように進まず、社内の高齢化が加速。実際、地方製造業の約8割が「自社で若手技術者の採用は難しい」と感じているとの調査もあります。

    A社でも新卒採用では地元学生の応募が激減し、中途採用でも「求人広告を出しても応募が来ない」という状況に陥っていたのです。

    経営層には強い危機感が生まれていました。このままでは将来的に事業を担う人材がいなくなる、中長期の経営戦略が絵に描いた餅になってしまう――。

    地域に根差し50年近い歴史を持つA社にとって、「人が採れない」問題は存続にも関わる深刻な課題だったのです。そこで当社に声がかかり、採用課題の解決に向けたプロジェクトが始動しました。

    採用課題を“人的資本の問題”として再定義

    私たちはまずA社の「採用力」を客観的に診断することから着手しました。採用活動のプロセスや成果を洗い出し、KPIを数値化して課題を見える化しました。


    具体的には、社内外へのブランド認知度調査に加え、ISO 30414で推奨される人的資本開示の視点を取り入れました。例えば「募集ポストあたりの書類選考通過者数」で採用活動の量的な強さ(採用力)を測り、採用した社員の入社後パフォーマンスを入社前の期待と比較して「採用した人材の質」を評価する、といった指標です。

    こうした定量診断により、A社の採用は経営戦略と連動しない場当たり的な状態、いわば“点”の施策に留まっていることが浮き彫りになりました。

    そこで私たちはA社の採用課題を、人材戦略上の中長期的な問題――すなわち「人的資本」の問題として再定義しました。

    経営戦略と切り離された断片的な採用活動を改め、“線”・“面”で人材ポートフォリオを描く戦略的人材マネジメントへの転換を図ったのです。ISO30414のようなフレームワークで人材関連指標を管理し経営目標と紐付けることは、結果として採用力強化にも直結します。

    A社でも採用活動を経営課題の一部として捉え直し、経営陣と人事部門が一体となって人材戦略を立案・推進する体制へと舵を切りました。

    「働く理由」を再設計する――採用マーケットにおけるポジショニングとEVPの再構築

    次に着手したのが、採用マーケットにおけるA社のポジショニング見直しです。

    「どの企業と同質化し、どの企業と異質化させるのか」を明確化することで、採用ターゲットから見た自社の立ち位置を再定義しました。

    具体的には、従来は地元企業同士で人材を奪い合っていた構図から一歩抜け出し、敢えて都市圏の製造業とも採用競合するフィールドに踏み込みました。その上で、競合他社にはないA社の強みを洗い出し、明確な差別化ポイントを打ち出したのです。例えば、「大手にはない裁量の大きさ」「地域に根差しつつグローバル市場とも取引がある成長性」など、同質化すべき点と異質化すべき点を整理していきました。

    その過程で重要となるのがEVP(Employee Value Proposition)の再構築です。
    単に給与や福利厚生といった条件面を改善するだけでは、抜本的な解決にはなりません。求職者にとっての「選ばれる理由」を深堀りし、A社で働くことの価値を言語化する作業を行いました。

    社員ヒアリングやターゲット層への調査を通じてA社らしさを発掘し、「どんな想いで働ける会社か」「働くことでどんな成長や貢献が得られるか」を明文化したのです。こうして策定したEVPには、例えば「伝統産業の革新に挑戦できる」「地域No.1企業で次世代のリーダーを目指せる」等、金銭報酬以外の魅力を盛り込みました。

    さらにブランド調査の結果も踏まえ、採用コンセプト全体を練り直しました。調査では、地元では知名度の高いA社も若年層への認知は驚くほど低く、県外では名前すら知られていないことが判明しました。

    競合他社の認知度が60%以上であるのに対しA社は20%程度と、大きなギャップがあったのです。そこで想定獲得認知(自社が狙うべき認知イメージ)を明確に定め、「ローカル✖️グローバル」「老舗✖️ベンチャー」といったA社の唯一無二性を打ち出しました。採用サイトやパンフレットもゼロから制作し直し、デザインやコピーに一貫したブランドストーリーを反映。こうした採用ブランディングの刷新によって、A社の企業認知とイメージは着実に向上していきました。

    事実、採用ブランディングを徹底すれば地方企業でも母集団形成は飛躍的に改善し得ます。

    当社が支援した他社の事例ではありますが、ある地方のお菓子メーカーではブランド戦略の見直しによりエントリー数が300名から13,000名へと拡大したケースもあります。


    A社においても、明確なポジショニングと再設計されたEVPを武器に「選ばれる会社」へと生まれ変わりました。

    人が集まる工場の秘密――“人的資本経営”で地域No.1の採用...の画像はこちら >>


    社員が広告塔に――インナーブランディングと自走型採用

    採用力向上の第二の打ち手は、インナーブランディングによる自走型の採用体制づくりです。どれほど魅力的な採用コンセプトを掲げても、実際に働く社員の共感と協力なしには絵に描いた餅になってしまいます。

    そこでA社では、人事部だけが採用活動を担うのではなく、現場社員一人ひとりが自社の「広告塔」として採用に関与する文化を醸成しました。社員が自らの言葉で仕事のやりがいや会社の魅力を語り、それを候補者に伝播していく仕組みを整えたのです。

    具体的には、社内有志による採用プロジェクトチームを発足し、現場社員が出演する動画コンテンツを制作しました。工場の仕事風景や先輩社員の本音トークをSNSや採用サイトで発信し、会社のリアルな姿を届けます。

    また地元学生や求職者向けに工場見学会を定期開催し、社員が直接職場の魅力を語る場を設けました。

    こうした取り組みにより、社外への認知度向上と同時に社員のエンゲージメントも高まっていきました。実際、社員紹介(リファラル)経由の応募率は前年比で飛躍的に向上し、社員が知人に「ぜひうちで働かないか」と自信を持って声をかける好循環が生まれました。

    例えばIT企業エイチームでは、人事部が「社員全員が出会いたい人材と出会える仕組み作り、採用が自走する状態をつくること」を使命に掲げ、全社員で採用に取り組む文化を根付かせています。

    A社においても、インナーブランディングを通じて「全社員採用」とも言うべき体制が構築され、社内外から「人が集まる会社」として認知されるようになりました。口コミや社員紹介で入社した人材は会社理解が深く定着率も高い傾向にあり、質・量ともに好循環の採用モデルが確立したのです。


    評価制度・等級制度との不整合と改革の必要性

    順調に応募者数を増やし採用成功が続いたA社でしたが、次なる課題も浮上しました。

    それは採用後のミスマッチ、すなわち入社後のギャップです。新たな採用ブランドによって「成長できる職場」「実力を評価してもらえる会社」といったイメージで人材を惹きつけた反面、社内の旧来型の人事制度との不整合が生じてしまったのです。

    例えば、年功序列的な昇進制度や硬直的な評価基準が残ったままだと、折角意欲を持って入社した若手が「話が違う」と失望し、早期離職につながりかねません。

    事実、ある調査では約79%もの社員が入社前後で何らかのギャップを感じた経験があるとされ、そのギャップが離職理由になったケースも多いことが報告されています。ギャップを減らすには、入社前の情報発信と入社後のフォロー体制を充実させることが有効だとも言われます。A社でもこの問題を直視し、「採用した人が活躍し続け定着する仕組み」づくりに乗り出しました。

    具体的な突破口となったのは、評価制度・等級制度の改革です。まず「働きたくなる会社」を実現した次は「働き続けたくなる会社」にするべく、採用時に提示したキャリアビジョンと実際の社内環境とのギャップを埋める施策を講じました。

    人事制度の専門チームを立ち上げ、等級定義を見直して社員が描けるキャリアパスを明確化。若手にも早期にチャンスが巡ってくるよう昇進要件をブラッシュアップし、成果やスキルに応じて公平に評価される運用へと改訂しました。

    併せてメンター制度や定期面談の充実によって入社後のフォローアップ体制を強化し、新入社員が感じる不安や不満の芽を早期に摘み取る仕組みも整えました。

    また、将来のリーダー候補を社内で計画的に育成するリーダーシップパイプラインの構築にも着手しました。
    ISO30414の人的資本指標でも「幹部候補の準備度」が重要視されていますが、A社でも中長期で経営を担う人材を社内から輩出できるよう、人材育成方針と等級制度を連動させたのです。こうした制度改革により、「入社したい会社」から「入社してよかったと思える会社」へと進化を遂げ、採用後の定着率も着実に改善しました。

    採用力の定量的改善と経営インパクト

    一連の施策により、A社の採用力は定量的にも飛躍的な向上を遂げました。その成果をいくつかの指標で振り返ります。

    • 応募者数(母集団規模):採用ブランディング施策前と比べて約3倍に増加。地元出身者だけでなく県外からの応募も増え、優秀層の裾野が広がりました。


    • 採用単価:採用コストは大幅に効率化し、一人当たり採用単価は従来比▲15%(概算)を実現。限られた予算で質の高い採用が可能に。


    • リファラル比率:社員紹介経由の採用比率が前年比で約3倍に上昇。社員経由の応募者は定着率も高く、社内に好循環が生まれています。


    • 定着率:新卒入社3年以内の定着率は67%から83%へ改善(業界平均を上回る水準)。中途採用者の半年定着率も向上し、早期離職の減少が確認されました。


    採用力向上は、単に人事KPIの改善に留まらず経営全般にも良い波及効果をもたらしました。
    必要な人材をタイムリーに確保できるようになったことで、生産現場の稼働率が上がり生産性も改善しました。人材不足からくる受注断念や残業増加といった機会損失・コスト増も削減され、結果的に業績面でもプラスの影響が出ています。事実、人的資本への投資と企業業績には密接な関連があると指摘されており、採用力強化はA社の収益力強化にも寄与したと言えるでしょう。

    さらに、A社はこの成功により地域での雇用ブランドを再構築しました。地元自治体や産業支援機関から表彰や事例紹介を受けるなど、「人を大切にし人を育てる企業」として評価され始めたのです。社内外へのこうした信用醸成は、今後の採用だけでなく営業面や金融機関との関係構築にも好循環を及ぼす資産となりました。

    人が集まる工場の秘密――“人的資本経営”で地域No.1の採用力を実現した方法


    採用は“経営の武器”になる

    A社の事例が示すように、採用課題の解決は人事部だけの責任ではなく経営戦略の核心そのものです。人材なくして企業の成長戦略は実現し得ず、ゆえに採用力を高めることこそ経営陣がコミットすべき最重要テーマと言えます。

    実際、グローバル投資家の調査でも2025年の主要関心事項の一つに「人的資本マネジメント」が挙げられており(投資家の71%が重視)、人的資本への取り組みが企業評価に直結しつつあります。米国では2020年にSEC(米国証券取引委員会)が上場企業に人的資本情報の開示を義務付け、日本でもコーポレートガバナンス・コード改訂により上場企業に人的資本の積極開示が求められ始めています。

    もはや人的資本経営は一部の先進企業だけのものではなく、すべての企業にとって避けて通れない潮流なのです。

    「人が辞めない会社」を作る前に、まず「人が来たくなる理由」を作ること――A社の成功はこのシンプルな真理を教えてくれました。

    採用ブランディングによって応募者を集め、入社後のミスマッチを無くすことで定着率を上げる一連の流れそのものが、企業の持続的成長戦略と重なります。地方企業こそ、人材流出や労働力減少という厳しい環境下で生き残るために人的資本経営が求められます。ISO 30414に基づく人的資本の可視化と改善サイクルは、そうした地方企業にとって強力な武器となるでしょう。

    実際、経済産業省の「人材版伊藤レポート」(2020)でも人材を「資本」と捉えその価値を高める経営の重要性が提言されています。定量的なKPIで自社の人的資本を把握し、例えば「採用の質」を継続的にモニタリングしていくことは、企業文化の改善や将来のリーダー育成にもつながります。

    最後に強調したいのは、採用は経営の強力な武器になり得るということです。優れた人材が集まり定着する組織は競争優位を生み、新たな価値創造の源泉となります。採用力の向上は単なる人手集めではなく、企業の未来を形作る重要な投資です。A社の歩みは、「人的資本経営」を実践することで地方企業でも劇的な変革が可能であることを示しました。人が集まり、人が育ち、そして人が定着する――そんな好循環を生み出す採用戦略を武器に、貴社も持続的な成長への一歩を踏み出してはいかがでしょうか。
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