目次

  • 「悪い数字」から未来を創る、逆転の人事発想
  • 「悪い数字」を直視する勇気
  • ITSUDATSUが支援した“離職率再定義”の実践知
  • 課題をあえて開示し対話を促す経営
  • 「悪い数字」から未来を創る、逆転の人事発想

    近年、企業は人的資本(ヒューマンキャピタル)を可視化するKPI(重要業績評価指標)の整備に注力しています。ISO(国際標準化機構)が策定したISO 30414は、従業員エンゲージメントや離職率、ダイバーシティなど人材に関する11分野・58項目の指標をガイドラインとして示し、内部・外部向けの人的資本報告の国際標準となっています。

    例えば報告可能な指標には、「エンゲージメント(従業員満足度・コミットメント)」「定着率(Retention Rate)」「離職率(Turnover Rate)」「研修への参加率」「人材への投資収益(Human capital ROI)」などが含まれる。
    また、世界知的資本イニシアチブ(WICI)のガイドラインも、価値創造メカニズムに直結する無形資産情報の開示を重視しており、財務に現れにくい人的資本の測定・報告を企業に促しています。

    こうしたフレームワークの普及を背景に、多くの企業が自社の人的資本KPIを「見える化」し始めました。その目的は、人材に関する現状把握と課題の特定です。

    実際、人的資本のネガティブな数値は往々にして組織課題を映し出す鏡でもあります。

    高い離職率は成長環境機会の希薄や職場環境や待遇への不満を、低いエンゲージメントは組織風土の問題を、研修未受講者の多さは教育施策の不備を、そしてメンタル不調者の増加は労働負荷や支援不足を、それぞれ示唆している可能性があります。

    ところが、多くの経営者はこれら「低スコア領域」の数字に直面すると、往々にして尻込みしがちです。否定的な指標は株主や外部に知られたくない「恥部」に見えている可能性があります。私たちが伴走してきた企業でも、「良いスコアを目指すこと」が目的化し、さらに、「良いスコアのみを開示」したがることもしばしばあります。

    しかし、組織とは元来、「変化を受け入れ、進化するもの」であり、そこにはゆらぎや不均衡、不調和があってしかるべきだと考えています。

    だからこそ、ネガティブな課題KPIは単なる失敗の証ではなく、組織がこれから変わる可能性の兆し=逆インパクトと見なすべきだと、弊社は考えています。

    「悪い数字」を直視する勇気

    「低スコア領域」がなぜネガティブとみなされるのか?

    たとえば高い離職率は、貴重な経験やノウハウを持つ人材の流出によって組織力が低下するリスクを伴います。累積すれば採用・育成コストの無駄にもなり、チームの士気にも悪影響が及ぶ可能性があります。

    従業員エンゲージメントの低下は、生産性の低下や顧客対応品質の悪化につながりうるし、新しい挑戦への意欲や好奇心が薄れることで創造性やイノベーション創出が困難になるとも指摘されています。


    また研修未受講者が多い職場では、社員のスキル陳腐化が進み、中長期的に競争力を損ねる恐れがあります。ISO30414でも「誤ったスキル構成や知識不足はリスク要因となりうる」とされ、適切な学習機会が提供されないことへの警鐘を鳴らしています。

    さらにメンタルヘルス不調者の増加は、休職や離職による戦力喪失のみならず、職場全体の活力低下を招く。精神的ストレスで集中力や判断力が鈍ればミスが増え、生産性も落ち、新規アイデアも生まれにくくなるのは明白なことです。

    要するに、ネガティブな人的資本KPIは放置すれば文字通り経営の足かせとなることは間違いないようです。そのため従来は、「如何にこれらの数値を改善するか」に注力することが人事戦略のセオリーでした。離職率を下げるための報酬見直しや働き方改革、エンゲージメント向上のための社内イベントや評価制度見直し、研修受講率を上げるための受講義務化や教材刷新…いずれも問題をマイナスからゼロに戻す発想で語られがちだったと言えます。

    しかし、本稿のテーマである「逆インパクト分析」は一歩踏み込んだ視点を提供したいと考えています。マイナスを単にゼロに戻すのではなく、マイナスをプラスに転じる発想です。負の指標そのものにイノベーションの種が潜んでいるかもしれない・・・と仮定したらいかがでしょうか?

    ネガティブな出来事を一過性の災厄としてではなく、戦略的な“宝の山”として捉え直すことで、企業は更なる組織の活性化へと逸脱する可能性もあります。

    人的資本の「逆インパクト」分析とは課題KPI領域に潜むイノベ...の画像はこちら >>


    ITSUDATSUが支援した“離職率再定義”の実践知

    ある急成長中の小売系企業では、20代~30代前半の若手社員の離職率が前年比で9.8ポイント上昇し、社内は危機感に包まれていました。HR部門は「採用コストの無駄」「定着率の悪化」と捉え、改善プログラムの強化を模索していましたが、私たちITSUDATSUは別の視点を提案しました。

    それが、「離職=損失」という発想から、「人的資本の外部循環」という発想への転換です。


    上記のような発想の転換の着眼点は、過去2年間で退職した社員へのインタビュー調査と、退職後のキャリア追跡からでした。そこで見えてきたのは、「ステップアップのための自発的転職が7割近くを占めていた」という事実です。

    しかも驚くべきことに、退職者の約4割が業界内の他社でマネジメント職に就いており、一部は現職でその企業と何らかの接点を持ち続けてもいました。

    つまり、退職後も“社外パートナー”として活躍し得る人的ネットワークが自然発生していました。

    そこで私たちは経営陣とともに、「離職による元社員との関係性を“切る”から“育てる”へ」というコンセプトを打ち出し、アルムナイネットワークの正式構築に踏み切りました。

    具体的には、退職者向けの限定イベント開催、再雇用制度の再設計、現職社員との座談会実施、さらには元社員へのプロジェクト業務委託制度の導入に至りました。

    当然、社内には「辞めた人にここまで支援すべきか」という声もありました。特に、現場のマネージャー層からは、「在籍している社員との公平性をどう担保するのか」「再雇用によって現場の空気が乱れないか」といった、心理的・組織文化的な懸念が根強く存在していたことも事実です。

    このハードルに対し、私たちは「制度先行」ではなく、「関係性の再定義」から始めるというアプローチを取りました。

    まずは制度導入ではなく、「そもそも、元社員は敵なのか?それとも信頼できる第三者か?」という問いを、経営陣から現場に投げかけ、対話の場を丁寧に設けました。

    退職後も自社を好意的に語ってくれていた元社員の声も通じて、卒業=断絶という前提をほぐしていきました。

    結果、データがその効果を証明しました。


    アルムナイ制度の開始から半年後、元社員経由で新たな法人顧客が4件も獲得され、さらに1年以内に2名が出戻り社員として復帰もしました。

    出戻りした社員が言う「他社に行ってみて初めてわかる自社の良さ」は、組織の活性化に大いに貢献しました。彼らは即戦力として現場に貢献し、定着率とパフォーマンスの双方で高水準を示しました。

    さらに、最大の変化は、「離職者=損失」というHR部門の前提が変わったことです。

    離職一つとっても、良い離職もあれば悪い離職もあり、「離職率が低いこと=良いこと」と言う前提を疑うことができたことです。

    今では、離職データを「関係性の再設計データ」として活用し、在職中から卒業後の関係性設計を行うという発想が根づき始めています。

    現在、退職代行の企業も多数の相談がきている最中、離職者と良い関係性を維持し続ける企業努力は間違いなく離職者がさらにファンになることと今回のプロジェクトを通じて、確信しました。

    人的資本を「閉じた資源」ではなく「循環するエコシステム」と捉えることで、企業と人材の関係は持続可能で豊かなものへと変わると弊社は信じています。

    人的資本の「逆インパクト」分析とは課題KPI領域に潜むイノベーションの種


    課題をあえて開示し対話を促す経営

    「逆インパクト」視点から得られる最大の示唆は、経営トップ自ら人的資本のネガティブ指標に真正面から向き合う重要性だと感じています。

    従来、否定的なデータはどちらかと言えば隠したり管理下で改善策を講じたりする対象でした。しかしこれからは、課題をあえて開示し対話を促す経営が求められます。

    人的資本情報の開示がESGの一環としても重視される中、ネガティブな現状を正直に示しつつ、それをどう克服・逆転させていくかというストーリーを語れる企業が、今後投資家や従業員から信頼を勝ち取るでしょう。


    そのためには、定量データと定性データの双方を駆使した深い洞察が不可欠です。離職率やエンゲージメントスコアといった、単なる数値を追うだけでなく、退職者面談や従業員アンケートで得られる生の声(定性情報)に耳を傾けることが重要です。例えば離職者の本音を分析すれば自社の組織課題の因果関係が見えてきます。

    こうしたデータドリブンかつ人間臭いアプローチによって、初めて「低スコア領域」の持つ意味を正しく解釈できるのです。

    人的資本の「見える化」が進む今だからこそ、経営者にはネガティブデータのその先を見る目が求められています。人に関する“悪いニュース”は時として最高の学びと革新の源泉となり得ます。

    問題を宝に変え、停滞を飛躍に変える逆転の発想 —---それが企業文化として根付けば、持続的な組織学習とイノベーション創出のサイクルを生み出すでしょう。
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