――木本硝子・三代目が語る、変わり続けるための覚悟と次世代へのバトン
東京都・台東区小島。上野にもほど近い、古くからガラス問屋が集まるこの街に、まもなく創業100年となるガラス食器専門問屋の木本硝子があります。同社は長らく問屋として商売を続けて来ましたが、現在はファブレスメーカーとして、ガラスの中でも「グラス」に特化した事業を展開しています。
今では業界内でも“木本硝子らしいと定評ある”ビジネスを確立されていますが、ここに辿り着くまでには様々な紆余曲折あったそうです。問屋不要論にさらされ、大手流通からの撤退を決断し、それでもなおガラス食器一筋で生き抜いてきた三代目。「他がやることはやらない、うちにしかできないことをする」という強いこだわりを示す彼がいま語るのは、「黒の江戸切子」、「日本酒のためのグラス」、そして「トリプリング」という新しいライフスタイルです。
「うちはね、良い意味で“変態”と呼ばれるような0.1%くらいのコアな人たちとチームを組んでいる会社なんですよ」。豪快に笑いながらそう語る三代目は、現在、後継ぎ候補である娘の理恵さんと、入社9年目となる女性スタッフの青木さんとともに3人で会社を切り盛りしています。ガラス食器業界ではまだまだ珍しい“女性が前に立つ問屋”という特徴もあります。三代目と、バトンを受けつつある娘・理恵さんに、これまでとこれからのことをお聞きしました。
「問屋不要論」の時代を生き残った、ガラス食器一筋100年
三代目 木本硝子 代表取締役社長 木本誠一さん
――まずは、木本硝子のこれまでの歩みから教えてください。
「創業は昭和6年。 祖父の代から数えて私が三代目、ガラス食器専門の問屋として長らくやってきました。問屋っていうのは、作り手である工場と、使い手である百貨店や小売店の間に入って、商品を動かす役割ですよね。うちは創業以来ずっと、ここ東京・台東区の小島でその役を担ってきました。」
しかし、時代の流れは問屋に厳しかったのです。
「昭和30~40年代の後半くらいから、“問屋不要論”が出てくるんです。
作り手のもとへ通い、どこで、誰が、どんな手仕事で作っているのか。
その背景ごと仕入れ、伝えていく――。木本硝子は、ガラス食器に徹底的に向き合うことで、100年の歴史を紡いできました。
大量流通の時代からの決別。「ブローカー」から「ブランド」へ
かつて、木本硝子は現在のイオングループなどにガラス食器を卸し、売上も大きく伸ばしていた時期があったそうです。「当時は“いいものを合理的に安く”という考え方が主流でした。ロットを大きくしたり、パッケージを簡素化したり、タイミングをずらしたり。40カ国以上のガラス工場を回って、世界中から仕入れては、イオンさんなどに大量に納めていました。」
しかし、そのビジネスモデルは長くは続かなかったといいます。
「およそ20年前、世の中がデフレになって、100円均一やユニクロに代表されるようなリーズナブルなファストファッションが出てきました。 “いいものを合理的に安く”よりも、“とにかくボリュームを、そしてもっと安く”という方向にガラッと変わったんです。
そこで2008年、木本硝子は大きな方向転換を決断します。
「それまでお付き合いのあった大手流通・百貨店さんとの取引をやめて、 “自分たちで商品を企画し、工場とともにつくり、自分たちで売る”スタイル――いわゆるファブレスメーカーとしてのブランディングカンパニーへと舵を切りました。
長年“ガラスのブローカー”みたいに見られていた会社が、急にプロデュースなんてできるわけないだろうと、周りの人から思われてましたし、実際、最初は全然うまくいかなかったんです(笑)。」
黒の江戸切子が切り開いた、「プロデュースする問屋」の道
転機となったのは「黒の江戸切子」との出会いでした。
「正直、僕にはデザインセンスがない(笑)。ビジネスの勘はあっても、形にする力がない。じゃあどうするか。『できる人に頼めばいい』と思ったんです。そんな折に、たまたま友人デザイナーに頼んでつくってもらったのが、“黒の江戸切子”でした。」
それまで、いえ、今でも江戸切子といえば赤や青のクラシックな和柄が主流です。
「江戸切子の技術は素晴らしい。でも、ライフスタイルが変わってきている中で、あの“THE 和風”なデザインが、今の暮らしに本当にフィットしているのか? という疑問があったんです。今って、多くの人がフローリングの部屋や高層マンションで暮らしている。そこでシングルモルトウイスキーを飲むときに、青の伝統柄の江戸切子を選ぶかといったら、なかなか選ばないですよね。」
だからこそ、“技術はそのままに、デザインを今のライフスタイルに合わせる”。
その象徴が黒の江戸切子でした。
世界初の黒の江戸切子として好評いただいた「KIKI JAPANESQUE MODERN」をリニューアル。直線をモチーフにした模様が伝統工芸・江戸切子と思えない斬新でモダンなイメージを作り出しました。
「黒の江戸切子のリリースを知って、最初に声をかけてくださったのが新宿の伊勢丹さんでした。実はそれまで伊勢丹さんとは取引があったのに、『木本にそんなことはできないだろう』と思われていたみたいで(笑)、企画の相談なんて一度も来たことがなかったんです。ところが、“伊勢丹は黒の江戸切子をやりたがっている”という話を耳にして
『これは絶対にうちの出番だ』と思って、こちらからバイヤーさんにアポを取って、試作品を持ち込ませてもらったんです。」
「木本さん、やったね!」
バイヤーの一言から、黒の江戸切子は伊勢丹新宿店の「オンリー・アイ」でデビュー。そこから一気に注目が集まりました。
「いろんなところから声をかけてもらいましたけど、あえて全部お断りしました。まずは伊勢丹さんだけにしぼって、ブランドとしての価値をちゃんと育てたかったんです。」
その戦略が功を奏したのか、黒の江戸切子は「東京ブランド」としての評価を受け、1個5万円という高価格ながら、職人の生産が追いつかないほどの人気商品になりました。
伝統工芸の職人が“サラリーマンより豊かに暮らせる”未来を
黒の江戸切子の成功は、木本硝子にとって単なるヒット商品以上の意味を持ちました。「今、伝統工芸ってどこの産地も後継者不足ですよね? 理由はシンプルで、“食えないから”だと思うんですよ。大変な割に給料が安い。
だからこそ木本硝子は「下請け」ではなく、「チームの一員」として職人の方々と丁寧に向き合うことを大切にしています。
「うちは“高く買ってあげるから同じもの作ってよ”ということはしません。 常に“新しいデザイン”と“新しいマーケット”の双方を考える。黒の江戸切子もそうだし、これからお話しする日本酒グラスもそうです。オリジナルの価値を生み出して、国内外に届けて、適正な単価でちゃんとお金が回るようにしたいんです。うちがグラスを売れば売るほど、工場と職人に仕事が行く。しかも、早くきちんとお支払いする。それを明言して、実際にやる。これが、うちの一番大事なミッションだと思っています。」
木本硝子のものづくりを支える長年にわたるパートナー。
私たちは叶う限り、デザイナーも共に工場を訪れます。
日本酒グラスに込めた、「トリプリング」という新しい提案
三代目は学生時代から日本酒が好きで、新宿「樽正」などの専門店に通っていたといいます。「当時は今みたいにクラフトな地酒がたくさんある時代じゃなくて、大手の銘柄が中心でしたけど、それでも日本酒は大好きでしたね。」
ガラス問屋としてワイングラスの世界もよく知っていた三代目。
そこで、ふとした違和感に気づいたそうです。
「ワインの世界だと、赤・白・スパークリングでグラスが全部違いますよね。
料理が変われば、ワインの種類を変えて、グラスも変える。これは世界のスタンダードです。ところが日本酒になると、ほとんど“ぐい呑み一択”。素材はガラスだったり陶器だったり金属だったり、いろいろありますけど、“酒ごとの最適なグラス”という発想はほとんどなかった。」
しかし酒蔵も、時代とともに多様性が爆発的に広がっていきました。
「酒米を変えたり、精米歩合を変えたり、酵母を変えたり、製法を変えたり。スパークリング日本酒だって出てきたし、とにかく日本酒のバリエーションはものすごく広がっています。なのに、飲み手側は“熱燗ですか、冷酒ですか?”くらいで、グラスの選択肢は増えていない。これって、器屋の私から見てすごくもったいないと思ったんです。」
そこで生まれたのが「トリプリング」というコンセプトです。
料理・お酒・グラスの相乗効果を体系化した独自の概念「トリプリング」
「料理とワインの相性を語るとき、“ペアリング”とか“マリアージュ”って言いますよね。あれは2つの要素。そこにグラスという3つ目の要素が入るから、トリプル+リング(つながり)で、“トリプリング” です。これは私が創った造語なんです。料理 × お酒 × グラス。この3つが揃うことで、お客様の満足度は一気に上がる。もっと言うと、その体験が“感動”になって記憶に残り、食事はもっと楽しくなる。」
SNSをはじめとする様々なメディアで日々大量の情報に触れていても、人の記憶にはほとんど残りません。 けれど、その一方で、ずっと心に残る「あのときの一杯」と「その場の空気」もあるのです。「僕らがやりたいのは、その“記憶に残る体験”を、トリプリングというライフスタイルを通して増やすことなんです。」
海外市場で実感した、「グラスの当たり前」への疑問
サケグラスセレクション「和」「醇」「爽」「華」「雅」
トリプリングの発想は、日本国内にとどまりません。三代目は世界各地に足を運び、現地へ飛び込んでは、グラスと日本酒の可能性を伝え続けています。
「海外のほうが話が早いことも多いんですよ。『なんで日本酒をワイングラスで飲んでるの?』って。極端な話、ワインをビールジョッキでは飲まないでしょ?
ビールにはビールグラス、ブランデーにはブランデーグラス、グラッパにはグラッパグラスがあるのに、 “なんで日本酒だけワイングラスなんだ”という疑問は、海外の人ほど強く持っている。」
アフリカのウガンダを訪れたときのエピソードも印象的です。
「日本のものはトヨタしか知られていないような国でも、外資企業の駐在員や大使館員など、2万人ほどのエグゼクティブ層がいて、そのコミュニティではワインもビールも山ほど輸入されているんです。そこに日本酒を持ち込んで、3種類くらい飲んでもらったら、『これは何と合わせる料理なんだ?』『どんなグラスで飲むべきなんだ?』って、最初の質問がそこなんですよ。」
グラスが前提の文化圏だからこそ、日本酒専用グラスの提案はすんなり受け入れられました。
「誰もやっていないことだからこそ、チャンスがある。 “未開拓の土地にサンダルを売りに行ったら、みんな裸足だった”っていう、営業の古い教科書みたいな話がありますよね。99%の人は『マーケットがない』と言って帰ってくるけど、1%の人は『全員裸足なら、無限の可能性がある』と思う。僕は、後者の発想で世界を見ているつもりです。」
「変態」0.1%の同志でつくる“チーム・ジャパン”
木本硝子が目指すのは、「酒蔵」「飲食店」「グラスメーカー」が1つのチームとなって、お客様に価値を届けることです。「野球でもサッカーでも、普段はライバル同士でも“チームジャパン”として一つになるじゃないですか。それと同じで、酒蔵、飲食店、米や野菜の生産者、そしてグラスをつくる私たち――普段は違う業界だけど、“お客様に価値を届けたい”という目標は一つです。だから、“チームを作ろう”と。そのチームはいくつあってもいいし、組み合わせは無限にある。」
その中心に置きたいのが、トリプリングという考え方だというのです。
「マーケットはどんどん細かく、多様になっていく。日本酒だけでも何百種類とあるし、飲食店の料理も無数にある。そこにグラスが掛け算されると、組み合わせは本当に無限になるんです。多様性の時代だからこそ、“多様性にちゃんと応えられること”が、僕らの価値になると思っています。」
そして、そのチームに参加できる条件は、たった一つだといいます。
「まず“アクションすること”ですね。世の中の95%の人は、“大きなアクションをしよう”と思ったまま動かない。残り5%ほどの、ちょっと“変態”な人たちだけが動く。
その中でも、さらに0.1%くらいの変態が、うちの周りに集まっている感じです(笑)。」
たった3人の会社を支える、2人の女性メンバー
――ここからは、次世代のお話も伺わせてください。娘さんの理恵さんは、どのような経緯で会社に入られたのでしょうか。三代目:
「うちには子どもが5人いるんですけど、誰一人として『継ぎたい』とは言わなかった(笑)。僕も、『継いでくれ』と頼んだことは一度もないし、“やりたいならプレゼンしろ、判断するのは俺だ”とだけ伝えていました。」
そんな中で、一番“変わり者だった”というのが、次女の理恵さんだったそうです。
「理恵は女子大を卒業して、新卒で5人くらいの不動産ベンチャーに就職したんです。
それが3年くらいで150人ほどの規模に急成長し、それに比例して激務となったようです。」
やがて理恵さんは、父にこう切り出しました。
“お父さんと一緒に働きたい”
三代目:
「反射的に『嫌だよ』って言いました(笑)。うちは社員2人+僕の3人でギリギリ回しているような状況だったので。でも、もし本当に理恵が働くなら、僕が辞めるしかないかなと考えたこともあります。」
そこで、改めてどのような思いで入社を決意し、会社をどうしていきたいのかをプレゼンをしてもらうことにしたそうです。そこには社員2名も参加し、全員で判断することにしたそうですが、理恵さんのプレゼンは社員2名の心も動かし、晴れて木本硝子の一員として働くことを満場一致で決めたといいます。現在は女性社員の青木さん、理恵さん、そして三代目の3名体制で会社を運営しています。
三代目:
「この業界、女性が前に出ている問屋ってほとんどないんですよ。大手企業は別として、中小のガラス食器問屋は事務職の方以外、ほぼ男性です。そんな中でうちは比較的若い女性2人が前線に立っています。業界から見ればとてもレアなケースです。そこもうちの強みの一つとしてポジティブに捉えています。」
「押しの強い態度は変えたい。でも、行動力は残したい」
――ここからは、理恵さんにもお話をうかがいます。入社前後で、ご自身の変化はありましたか?
理恵さん:
「入社前から、父の性格はよく知っていたので(笑)、大変だろうなとは覚悟していました。実際、最初の1年は“嵐のような一年”でしたけど、それを乗り越えた今は、父も少し優しくなったような気がしています。」
――理恵さんご自身は、今後どのように木本硝子を運営していきたいですか?
理恵さん:
「私が今後変えていきたいと思うのは、父の“押しの強いパワフルな態度”です。
職人さんや取引先の方に、『こうすればいいだろう』と、ある種、パワープレイのように積極的な姿勢を貫いてきた父ですが、もう少し丁寧に、寄り添いながらともに創っていくという姿勢に変えていきたいなと思います。
一方で、絶対に受け継ぎたいのは“圧倒的な行動力”です。
思い立ったらすぐ行動に移すところ、海外にもどんどん行ってしまうところ。
あのスピード感は、父の一番の強みだと思っているので、そこはしっかり引き継いでいきたいです。」
――挑戦してみたい新しいテーマはありますか?
理恵さん:
「実は、私はあまりお酒が強くないんです。だからこそ、日本酒だけにとどまらず、抹茶やノンアルコール飲料でも“トリプリング”を広げていきたいと思っています。
今、海外では空前の抹茶ブームが起こっています。アルコールじゃなくとも、グラスによって飲む楽しみは格段に広がると思っていますし、抹茶に限らずあらゆるソフトドリンクにもうまく適応できると思っています。昨今ではソバーキュリアスのように、あえてお酒を飲まないというライフスタイルを選択する方も国内外で増えています。こうした中でノンアルコールのペアリング需要も高まっています。ノンアル分野でのトリプリングという新しい提案に、木本硝子としてチャレンジしていきたいです。」
子育てと時短勤務、それでも「3人で会社を回す」
――お子さんもいらっしゃると伺いました。働き方の面で大変なことはありますか?理恵さん:
「一番大変なのは、やっぱり子育てとの両立です。以前のように、『できなかったら残業すればいい』というわけにはいきません。保育園のお迎えの時間も決まっていますし、“この時間までに絶対終わらせなきゃいけない”という制約はかなり大きいです。」
それでも、「オンラインでつなぐ」「実家の母にサポートをお願いする」「ときには子どもと一緒に会社に来る」など、家族や周囲の支えを得ながら3人で会社を回しているそうです。
理恵さん:
「もう一人の社員である青木さんとは、 “この得意先は私、この得意先は青木さん”という形で大枠で役割分担をしていますが、どちらかがいなくても回るように、基本的にはお互いの仕事を全部理解しておくようにしています。」
――会社を大きくしたい、などの思いはありますか?
理恵さん:
「すぐに人を増やしたいとか、会社を大きくしたいという気持ちは今のところありません。3人だからこそのスピード感や柔軟さを大事にしながら、お客様と近いこの距離感だからこそ味わえる商売の醍醐味をこれからも感じていきたいんです。この延長線上で、“楽しみながら無理なく長く続けていきたい”と思っています。」
バトンは“やり方”ではなく、“価値観”で渡す
――三代目として、今後の事業承継についてはどう考えていますか?三代目:
「基本的に、将来どう会社を動かしていくかは、当事者である本人が考えることだと思っています。僕が社長でいる間は僕が考えますが、理恵が社長になったら、理恵が考えればいい。父(先代)も、そういうスタイルでした。 自分は機械系エンジニアをやりたかったけど、長男として家業に戻って、60歳で僕にバトンを渡したあと、スキューバダイビングをしたり、自家用飛行機など購入するなどして、思い切り自分の人生を楽しんでいました。」
だからこそ、“ガラス食器一筋”という軸だけは守りつつ、 それ以外のやり方は次世代の判断に任せたいといいます。
三代目:
「うちが他と違うのは、ガラス食器の中でも本当に数パーセントのニッチな領域に張っていることです。このニッチさが、多様性の時代においてはコアな価値になると思っています。ものづくりの根本をしっかり守りながら、その価値を世界中のマーケットとつなぐ。それが“木本硝子のプロデュース”なんだろうなと、今は思っています。」
「変態な人たちと、世界中でトリプリングを」
インタビューの最後に、三代目は照れくさそうに、しかし力強くこう語りました。
「うちはね、性格悪いんですよ(笑)。 誰もやっていないところしかやらない。
叩かれたって、命まで取られることはないからって思っています。でも、そのおかげで世界中のすばらしい“変態”な人たちとつながれている。アクションが早くて、リズム感が合う人たちとチームを組めている。その人たちと一緒にお客様に感動を届けられているのなら、これほど楽しい仕事はないですよ。」
料理 × お酒 × グラスが紡ぎ出す、忘れられない一杯。その一杯の裏側には、酒蔵、飲食店、生産者、そしてグラスを作る職人と問屋が、“チームジャパン”として連携する姿があります。
硝子食器を扱う問屋としてまもなく100年。
木本硝子のプロダクトは、黒の江戸切子という誰もやらなかった挑戦を機に、今や世界の食卓へ広がりつつあります。今後は”トリプリング”という独自の価値観を携えて、言語を越えた共鳴を道しるべに、さらに新しい扉を開いていくことでしょう。世界中であたりまえにトリプリングが嗜まれるようになるその日まで、木本硝子のしなやかな挑戦は続きます。