2015年のパリ協定を起点に、世界各国で脱炭素への取り組みが盛んになっている。けれども現実問題として、すべての企業が自社で取り組みを実施できるわけではない。
持続可能な形で日本全体が脱炭素化を進めていくためには、精力的に取り組める事業者と、自社では難しいが前向きにこの問題を考える企業が手を取り合う必要がある。

そこで生まれたのが「J-クレジット」という制度である。温室効果ガスの削減・吸収量を「クレジット」として発行して販売できる仕組みで、削減の努力をしたうえでどうしても減らせない排出量をオフセットしたい企業はクレジットを購入することで脱炭素への取り組みを示せるというものだ。

住友林業とNTTドコモビジネスは森林由来J-クレジットを効率的に創出・審査・取引できるクラウドサービス「森林価値創造プラットフォーム」──通称「森(もり)かち」を2024年8月にローンチした。住友林業はプラットフォームの提供だけでなく、森林価値向上のためのコンサルティングまでを担う。

そんな「森かち」の担当として活躍する社員がいる。田上誠、34歳。2014年に新卒で住友林業に入社し、社有林の管理や民間・自治体向けに技術サービスを提供して、森林価値の向上に取り組んできた。

山口県に生まれ育ち、幼い頃から自然が身近にあったという田上の、森林やこのビジネスに対する思いとは? 実際に彼が担当するクライアントの山口県長門市の担当者も交えながら、彼の仕事の軌跡を追った。

森林のそばで育った少年が、林業のプロへ

1991年、山口県下関市で生まれた田上は、自然豊かな環境の中で幼少期を過ごした。

「幼い頃から農家をしていた祖父母の手伝いをしたり、裏山で遊んだりと、森は身近な存在でした。自分の進路を考えた時、自然や森に関わっていきたいと思ったんです」

大学では農学部の生物環境学科に進学し、森林の仕組みや働きを学んだことをきっかけに、より一層森林に興味を持つようになったという。大学院への進学も視野に入れていたことから就活にはあまり積極的ではなかったという田上だが、偶然参加した説明会で住友林業の森林に対しての熱い思いに触れたことで、住友林業への入社を決意した。


“森の価値”を未来へつなぐ。J-クレジットで林業活性化に挑む住友林業社員の軌跡


住友林業株式会社 資源環境事業本部 森林技術部

森林ソリューショングループ リーダー・田上誠



入社してから最初の担当は北海道の紋別市にある住友林業の社有林管理。伐採や植林の計画・施業管理、道路等のインフラ整備、行政や森林組合との調整などを担当した。3年間、紋別市に常駐したあと、東京や大阪を拠点に日本全国さまざまな企業・自治体の森林経営をサポートした。林業用アプリやシステムの開発・導入支援、ドローンや林業機械の開発にも携わり確かな実績を積んだ。

高まっていくJ-クレジットの価値

2024年に「森かち」のサービスが始まった際、長年林業の経験を積んできた田上がプロジェクトメンバーに入るのは自然なことだった。クレジット創出業務には森林経営に対する深い知見が求められるからである。「森かち」が始まった時の印象について、田上はこう話す。

「J-クレジットは森林事業者にとっても、CO2を排出する企業にとっても必要なもの。森林に今まで関心がなかった人たちが興味を持つきっかけになる可能性を秘めていますし、利益率が高くない林業で木材生産以外から収益を得られるという部分でも意義が大きいと思っています。『森かち』のサービスが始まると聞いた時、この先どんどん需要が高まっていくという確信がありました」

田上が「森かち」で担当しているのは、主にクレジットの創出業務だ。

クレジットを創出するまでには、大きくわけて二つのフェーズがある。一つは「プロジェクト登録」というもので、対象となる森林のCO2吸収量の見込みを計画書にまとめ、J-クレジット制度事務局に申請する業務である。

そのあとに「クレジットの認証・発行申請」のための手続きがある。
登録した計画書に基づいて施業し実際のCO2吸収量を算定する。そして審査機関による検証を経て、ようやく正式にクレジットが発行される。

計画書や申請フォーマットなどは非常に複雑かつ資料が膨大で、専門的な知識や経験がないとなかなか難しい。

「申請には事業者の過去の活動などを証明する書類が必要なのですが、物理的に残っていない、見つからないことも多く、最初の書類確認の段階から大変なんです。『森かち』には書類のデジタル化や地理情報システムへの紐づけというコンセプトがあるので、森林管理のデジタル化の後押しにもなっています」

長門市の林業の持続性を高める、J-クレジット活用の提案

そんな田上がこれまでで一番長く付き合っているクライアントが、山口県の長門市役所である。長門市とは「森かち」のサービスが始まる前の2017年から関わっており、2019年に「包括連携協定」を締結して一緒に森林整備の促進、林業・木材産業の活性化に取り組んできた。

実際に田上と仕事を共にしている長門市役所の末永貴さんは、こう話す。

「長門市は森林の高齢化という問題を抱えていました。そこに危機感を覚えた当時の市長が林業を成長産業に押し上げるという大義のもと、住友林業と包括連携協定を結ぼうと決めました」

“森の価値”を未来へつなぐ。J-クレジットで林業活性化に挑む住友林業社員の軌跡


長門市役所 経済産業部農林水産課

林業振興班課長補佐・末永貴

長門市の担当となった田上は、これまでもさまざまな林業経営の改善提案を行ってきた。そしてその中で、J-クレジットの話が出てきたのである。

持続可能な林業を行う上で、主伐(一定範囲の樹木の全部または大部分を伐採すること)のあとの再造林は必須である。けれどそのためには多大なコストがかかり、国の補助金や助成金を活用しても、森林所有者の資金の持ち出しが必要になる。木が成長するための長い年月を思うと、後継者もいない状況でコストをかけてまで林業を続ける所有者は多くはない。



そこで、クレジットで収益を生み出し植林にかかる費用を賄うことで、伐採や植林が進み、循環が生まれて木々が若返り、森林の価値が上がっていくのではないか──。そんな話が出てきたのだった。
“森の価値”を未来へつなぐ。J-クレジットで林業活性化に挑む住友林業社員の軌跡


長門市の市有林敷地内にある、植林されたヒノキ

書類作成から買い手とのマッチングまで、包括的に支援

さらには2022年8月に、J-クレジットの方法論が改定されたことも後押しした。これまでは、主伐をすればその分をCO2排出量として計上しなければいけなかったため、長門市の森林ではCO2吸収量がマイナスになる計算だった。それが、主伐のあとに植林をすれば一部排出量を控除できるようになり、CO2吸収量がプラスとして計上されクレジットの発行が可能となったのである。

この改定のあと、本格的に長門市のJ-クレジットへの取り組みが始まった。そして2024年に「森かち」がサービス開始したことを受け、「森かち」を使用してクレジットを創出することが決まったのだった。

末永さんは、こう話す。

「市役所では数年おきに部署の担当者が変わります。全員が林業に詳しいわけではないので、J-クレジットの発行を進めたくても、私たちだけではどこから何をしたらいいのかが全く分からないんです。データ収集から、書類作成、審査、認証、買い手とのマッチング、そのすべてを『森かち』のサービスの中で包括的にご支援いただけるのは非常にありがたいです」

現在長門市はプロジェクト登録まで完了し、年内のクレジット発行を目指している状況だという。買い手が見つかり、クレジットが実際の収益になるまでにはまだ道のりは長いが、ワンチームとなってひとつずつ歩みを進めていく。

「くしくも山口県は自分の出身地ですし、さらには長門市とは協定締結のときからずっと携わっているので思い入れがあります。
できる限り、ずっとそばで見守っていきたいですね」と田上は微笑む。

“森の価値”を未来へつなぐ。J-クレジットで林業活性化に挑む住友林業社員の軌跡


田上は定期的に長門市に通い、森林の現場に入っているという

「森かち」が描く、収益化だけではない本当の“森林価値”

最後に、田上は「森かち」の価値をこう語った。

「当社は森林や木を愛している人が多く、本当の意味での森林の価値の最大化ってなんだろう? という話を常にしています。J-クレジットの発行量を多くする提案をしようとすれば、いくらでもできるんです。木を切ることをやめて、クレジットを創出するだけということもできなくはない。でも、それだと伐採や木材販売はできないし、お客様や林業従事者のためにはなりません。木材収入とクレジットの収入、環境への配慮。さまざまな面を考慮して森林の価値を最大化するためにはどうしたらいいかを真剣に考えていますし、本質的な形でクライアントと森林に貢献していきたいです」

田上に、長門市の森林を実際に案内してもらった。長門市の森林管理を共に行う「一般社団法人リフォレながと」の三好さん、市役所の末永さんと共に、森林の現状や未来について話は尽きることがない。次はどこの皆伐が予定されているのか。植林したヒノキはどうなっているか。直近の草刈の予定について──。
こういった、山主や管理する人たちの思いや行動も、田上はもっと知ってもらいたいのだと言う。

“森の価値”を未来へつなぐ。J-クレジットで林業活性化に挑む住友林業社員の軌跡


今後の森林計画の話で盛り上がる田上と

リフォレながと・三好さん、長門市役所・末永さん



「森かち」のプラットフォームは、クレジット創出者の取り組みや思い、創出対象の地域などの情報が充実しており、写真や地図機能により視覚的な情報も多く得られることが強みのひとつだ。ただクレジットを売買するだけではなく、それが生まれるまでの思いまで含めて伝えていくこと。「『森かち』で売買のマッチングが進めば、もっと林業が盛り上がっていくはずです」という田上の言葉と眼差しには、森林に対する愛と誠実さを感じた。

参考:森林価値創造プラットフォーム「森かち」公式サイト

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