創造性と不屈の精神

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第二次世界大戦後、グラスヒュッテの時計産業は壊滅的な打撃を受けました。時計製造会社の従業員たちは、完成した時計を自宅に隠すなどして、できる限り赤軍の略奪から時計を守るための対策を講じました。1945年8月、ソビエト占領軍がグラスヒュッテの時計産業の解体を命じたとき、彼らの不安は現実のものとなりました。


「機械や工具、設計図や図面、そして作業台も、何もかも持っていかれました。」と、当時グラスヒュッテ最大の時計メーカーだったUROFAの元従業員は語りました。  「1台あたり10トンの積載量を持つ32台のトラックで運び出されました。」

グラスヒュッテの人々は全てを失いましたが、彼らは自分たちの意志で、仕事を再開するために必要な設備を作り始めました。ソビエト軍による機械の接収の際、金型が残されたことは、非常に幸運な出来事でした。そのおかげで、近くの鋳鉄工場は旋盤やフライス盤などの複雑な機械を一から製造することができました。また、グラスヒュッテの工具職人たちが記憶を頼りに作り直した機械もあります。強い共同体意識に支えられ、各企業は緊急に必要な機械を互いに融通し合うことに同意しました。

グラスヒュッテ・オリジナル、第二次世界大戦後のグラスヒュッテ時計産業のストーリー


終戦から数ヶ月後には、部品の在庫がわずかに残っていた少量の時計を再び組み立てることができるようになりました。しかし、外部のサプライヤーが生産を中止し、数々の主要な部品を再生産できなかったため、戦前のムーブメントの生産を開始するには困難でした。このような厳しい状況に対応するため、UROFAを代表するエンジニアの一人だったヘルムート・クレンマーは、新キャリバーの開発に着手しました。彼は当初からすべての腕時計部品を自社で生産するという厳格な方針を打ち出していました。

ドイツ降伏からわずか5ヶ月後の1945年10月6日、キャリバー61の最初の設計図が完成しました。キャリバー61の構造はすでに開発が進められていたものの、終戦までに完成には至らなかったキャリバー60の影響を大きく受けていました。
しかしキャリバー61は、多くの部品が入手困難、あるいはごく少量しか生産できないという新たな経済状況に対して、技術的に適応していました。地板と4分の3プレート式の輪列受けは、薄いシートメタルで作られていました。ムーブメントの削り出し部分はテンプ受けのみでした。

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キャリバー61をベースにした最初の時計は1946年から組み立てられました。それは当時、暫定的な措置に過ぎなかったものの、この技術的な進展は将来への希望を社会にもたらしました。これらの時計によく見られる「UROFA 61 – Wiederaufbau 1.Serie」(UROFA 61 – 復興第1シリーズ)という手彫りのエングレーヴィングは、それを力強く物語っています。ソ連占領軍はグラスヒュッテの人々の存続を容認した一方で、当初は賠償目的で製造された時計の大部分を没収しようと試みていました。

このような厳しい状況下にありながらも、グラスヒュッテ各社はその後年月をかけて徐々に生産量を増加させていきました。同時に、東ドイツの産業は社会主義的な計画経済へと再編成されました。1950年、新たに成立したドイツ民主共和国(GDR)は最初の5カ年計画を発表し、経済圏全体にわたる資源の配分と生産目標を定めました。

民間企業は国営企業と比べ、著しく不利な立場に置かれました。

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UROFAとUFAGが自ら国有化を申請したことは、一見すると不合理に思えるかもしれません。
しかし、深刻な供給不足への懸念や、労働者が他所に移される可能性が背景にあったことを踏まえると、この決断は新体制のもとで生き残るための唯一の選択肢だったと考えられます。1951年、2つの姉妹会社は国有となり、3年前にすでに国有化されていたランゲ&ゾーネと合併しました。この合併によりVEBGlashütter Uhren betriebeグラスヒュッター・ウーレンベトリーベ(GUB)が誕生し、その後40年間、グラスヒュッテ唯一の時計メーカーとして独占的な立場を確立しました。

ドイツ民主共和国の経済体制下では、高級品や輸入品は限られた人々にしか行き渡りませんでした。例えば、新車を購入するには12年から15年もの長い待ち時間が必要でした。

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1951年から1991年にかけて、VEBグラスヒュッター・ウーレンベトリーベは4つの自動巻きムーブメントを開発しました。1964年に発表されたSpezimaticの心臓部となったキャリバー74は大成功を収めました。直径28mm、厚さ5.05mmのこのモデルは、ケースサイズをスリム化する国際的なトレンドに沿ったものでした。

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Spezimaticは現在に至るまで、グラスヒュッテで製造された時計の中で最も成功を収めた時計として広く認識されています。数十種類のカラーバリエーションが展開されており、社会主義国ドイツ民主共和国では珍しいソリッドゴールドのケースも用意されていました。しかし、現在において時計が持つ最大の価値は、多くのオーナーが時計に抱く感情的なつながりにあると言えます。当時、Spezimaticは特別な日の贈り物として人気があり。
時には結婚指輪の代わりとして贈られることもありました。このような物語や体験があるからこそ、Spezimaticは世代を超えて人々の記憶に残り、次の世代にも価値あるものとして大切に受け継がれています。

1978年、VEBグラスヒュッター・ウーレンベトリーベはSpezichronを発表し、再び果敢な姿勢を示しました。当時のドイツの都市景観全体を作り変えたモダニズム建築にインスピレーションを得たこの新しい時計は、角が丸みを帯びた長方形のケースを特徴としていました。いわゆる「TV型デザイン」は当時の特徴的なデザインであり、 そのレトロモダンな美しさから、今日でもコレクターの間で高く評価されています。キャリバー11は、振動数を4ヘルツに高めたことで技術的にも突出し、これによりレート精度が大幅に向上しました。

グラスヒュッテ・オリジナル、第二次世界大戦後のグラスヒュッテ時計産業のストーリー


ドイツ民主共和国の経済が深刻化するにつれ、部品や機械の入手はますます困難になっていきました。VEBグラスヒュッター・ウーレンベトリーベは、この厳しい状況に対応するために、自社の製造ノウハウをさらに強化することを試みました。特別に設立された “Abteilung Sondermaschinenbau”(特殊機械製造部)は、技術者の創意工夫と高度な専門知識を活かし、いくつかの重要な部品の自社生産を実現しました。  今日の視点で振り返れば、自社製造の体制が強化されたことは、好ましい結果をもたらしたと言えます。

グラスヒュッテ・オリジナル、第二次世界大戦後のグラスヒュッテ時計産業のストーリー


ドイツ再統一の過程で、VEBグラスヒュッター・ウーレンベトリーベは1990年10月16日にGlashütter Uhrenbetrieb GmbH(グラスヒュッター・ウーレンベトリーブGmbH)として商業登記されました。1994年の民営化後、同社はグラスヒュッテ・オリジナルのブランド名で故郷の偉大な時計製造の伝統を継承し、その継続性を明確に示しました。
また、時計製造が最盛期を迎えた19世紀の歴史に根ざしているだけでなく、大きな危機と人員削減を伴った20世紀の時計製造の伝統を誇りを持って受け入れています。

グラスヒュッテ・オリジナル、第二次世界大戦後のグラスヒュッテ時計産業のストーリー


今日において、ドイツ民主共和国(GDR)は、多くのドイツ人にとって、欠乏経済と国家統制による非効率さを象徴する存在として記憶されています。それでもなお、グラスヒュッテの人々が常に持ち続けてきた、高品質な時計作りのための決断力、  創造力や不屈の精神を物語る歴史でもあります。クォーツ・クライシスの間、鉄のカーテンの向こう側で生き続けた機械式ムーブメント製造のノウハウ、そして工具製造と機械工学における卓越した技術は、グラスヒュッテ・オリジナルの今日におけるブランド・アイデンティティの重要な要素です。

ザクセン州のマニュファクチュールであるグラスヒュッテ・オリジナルは、ヴィンテージ・コレクションを発表することで、歴史に名を刻み、それぞれの時代を築いた デザインの名作、SpezimaticとSpezichronに敬意を表します。

グラスヒュッテ・オリジナルは今年創立180周年を記念し、各世代の時計職人たちがどのように時を刻んできたかを数回に分け、ストーリーを通して皆さまへ発信していきます。時計職人が歩んだ180年をお楽しみください。

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グラスヒュッテ・オリジナルについて

真のマニュファクチュールーによる時計製造の価値を受け継ぐグラスヒュッテ・オリジナルの歴史 は、1845 年から一度も途絶えることなく続いています。ドイツ ザクセン州の町、グラスヒュッテに あるグラスヒュッテ・オリジナルのマニュファクトリーでは、伝統的な職人の技能と革新的なテクノ ロジーを見事に融合させています。豊かな伝統を持つこのブランドは、ムーブメントの全部品の最大 95%に加え、精巧な文字盤までも自社で製造しており、最高水準のドイツの時計製造技術を誇ります。

ウェブサイト:Glashütte Original - German Watchmaking Art

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