KYOTO STEAM-世界文化交流祭-とMUTEK.JPのコラボレーションによって開催された<NAQUYO-平安京の幻視宇宙->(NAQUYO…読み「ナクヨ」)は、京都の地ならではの文化研究を礎に、電子音楽とデジタルアートを融合させて平安京のサウンドスケープを現代の京都に浮かび上がらせようという壮大なアート・プロジェクトだ。3月27日にロームシアター京都サウスホールで行われた公演では、3組のアーティストがパフォーマンスを披露。
EVENT REPORT:<NAQUYO-平安京の幻視宇宙->
方位、色彩、四神相応…平安京の都市設計を音で映し出す梵鐘

近世以前の日本では、五行思想などを土台とする複雑な音楽理論が体系化されていたとされる。たとえば、文治元年(1185年)に北山隠倫凉金が著したとされる楽書『管絃音義』。民族音楽学・サウンドスケープ論の研究者である中川真は、この書について「音を方位、季節、色彩、母音、内臓、世界の元素などとの連関のなかで捉えようとする、すぐれて体系的で宇宙論的な学」(『平安京 音の宇宙』)と書いている。中川によると、音や色彩を媒介として、人間と宇宙を繋げるこうした観点は中国から持ち込まれたものだったという。雅楽の思想的背景のひとつにもなったその理論は、現代に生きる私たちに音と世界の新たな関係性を教えてくれるものだ。そして、驚くことに、そうした理論体系は794年に開かれた平安京の都市設計にも応用されていたともいわれている。よく知られているように、平安京は東西南北を四神――東に流水(青竜)、西に大道(白虎)、南に窪地(朱雀)、北に丘陵(玄武)――が守護する「四神相応」の地だったとされている。その思想は、平安京に並ぶ寺院の釣り鐘「梵鐘」の調律にも反映されていたのではないか? 中川真が著書『平安京 音の宇宙』で解いたのは、そうした四神相応の思想を元にした平安京のサウンドスケープだった。<NAQUYO-平安京の幻視宇宙->の出演者のひとり、長屋和哉は90年代に中川の著作を通してその音世界に触れ、大きな衝撃を受けたと話す。「『平安京 音の宇宙』を読んで驚いたのは、それぞれの寺院に掲げられた梵鐘のピッチ(音程)が四神相応の考え方に即していたということだったんですよ。平安京に住んでいた人たちは、この現実の世界に住んでいながら、四神相応の神々に守られた理想の世界にも暮らしていたわけですよね。
三者三様の“平安京の幻視宇宙”
Photo by 井上嘉和(Yoshikazu Inoue)

3月27日の公演当日、どのようなパフォーマンスが行われたのだろうか。その模様をレポートしたい。最初に登場したのは長屋。ステージ上のテーブルには、鐘状の仏具「おりん」、ネパールのシンギングボール、そしてPCが設置されている。それを囲むように、無数のおりんが四つの円形状に並べられている。その数は実に430個。



2組目に登場したのが、オーディオ・ヴィジュアル・アーティストの赤川純一と、ダンサーであるnouseskouのコンビだ。客電の点いた会場に携帯電話を片手にしたnouseskouが入ってくると、無音状態のまま、会場内の光景を動画で撮影していく。いったい何が始まるのだろうか? やがて彼が撮影する映像はステージ上に映し出され、同じように携帯を手にした赤川純一がステージ上に現れた。目まぐるしく展開するイメージと音。点滅するストロボ。渋谷の雑踏の風景が挟み込まれたかと思えば、赤川とnouseskouが床に寝転び、岩を打ち鳴らす音を響かせる。赤川は音を奏でるだけでなく、自身もパフォーマンスを行う。なかには明らかに四神相応を意識しているであろうダンス・パフォーマンスもある。2人のパフォーマンスのなかでも梵鐘の音が重要な要素となっていた。梵鐘の音がドローン状に引き伸ばされる瞬間もあり、同じ音を扱っていても長屋とはアプローチが異なる。




平安京のサウンドスケープを現出させたテクノロジー
Photo by 岡安いつ美(Itsumi Okayasu)

翌3月28日には前日と同じロームシアター京都を会場に、公演の際に採用されたテクノロジーについて解説する<NAQUYO Audiovisual Workshop>が開催された。この日のワークショップは4つのセッションで構成されていた。ひとつめは「静寂の技法~過去の音、未来の静寂のために」と題された長屋和哉のレクチャー。ここでは前夜のパフォーマンスの背景にあった思想と、静寂を作り出すための技法が解説された。かつての平安京では遠く離れた桜島の噴火の音が聴こえたというが、それほどまでにハイファイな音環境のなかで、梵鐘はどのように鳴り響いていたのだろうか。現在の都市から失われつつある空白/静寂とは、新たな創造の手がかりになるのではないか。いくつものヒントの詰まったレクチャーであった。二番目のセッションでは、メディア・アーティストであるAyako Okamuraが音楽制作ソフトウェアであるAbleton LiveとTouchDesignerの使用例を解説。最先端のオーディオ・ヴィジュアルの領域でいったい何が行われているのか、現在のデジタル・テクノロジーに縁のない参加者にも分かりやすく教えてくれるセッションだった。三番目のセッションでは、京都を拠点とする実験集団「SPEKTRA」が光と空間演出の方法についてレクチャーを行った。プログラマーやデザイナーなど複数のメンバーで構成されているSPEKTRAは、光を使った作品制作や空間・ライヴ演出、ライト・インスタレーションのほか、作品化に向けた実験と調査を繰り返している。ここでは彼らがこれまでに行ってきた実践を紹介しながら、テクノロジーを応用した空間演出方法が具体的に解説された。この日最後のセッションとなったのが、前日の公演の裏側を明かす赤川純一とnouseskouのレクチャ-「裏から覗くパフォーマンス」だ。ここではiPhoneやiPadで複数のソフトウェア(Ableton Live、TouchDesigner、ZigSim、Touch OSC)を走らせる複雑な機材構成図のほか、赤川とnouseskouの創作ノートも公開。最先端のテクノロジーを用いながらも、「直前までお互いにアイデアを出しまくって、考え、話し合い、実験を繰り返していきました。クリエイションしながら本番になだれ込んだような感じだった」と赤川が話すように、創作のプロセス自体はかなり泥臭いやり方だったようだ。2人はこう話す。「僕は身体表現であってもテクノロジーであっても音楽であっても、表現しているのが人間である以上、一緒にやるうえでは2人の心のバランスを取るのが大事だと思っていました」(nouseskou)「テクニカルな領域でも必ず制限はあるんですよね。たとえばケーブルの長さに限界があったり、それによって機材を置く場所も決まってきたり」(赤川純一)「人って何か制限があったほうが動きが発揮できることもある。むしろテクノロジーの制限のおかげで普段にはないおもしろい動きが生まれることもあるんですよ」(nouseskou)





この日もっとも印象に残ったのは、赤川のこの言葉だ。「生身のものをデジタルに変えた時点でいろんな情報がこぼれ落ちてしまうし、バグみたいなものが生まれるんですよね。むしろ『そうしたバグと遊ぶ』という感覚がありました。システムは最初に構築しておかないといけないわけで、生身の身体や楽器に比べると制約が多いけど、そのうえでバグと遊ぶ。そこを楽しめればと思っていましたね」(赤川純一)テクノロジーとはあくまでも技術である。それをどう使い、何を表現するのか。さまざまな技法が紹介されたワークショップの最後に創作の原点について話が及んだことは、今後のプロジェクトの展開を考えても重要な意味を持っていたといえるだろう。NAQUYOプロジェクトは2020年10月にDOMMUNEで行われたオンライン・トークイベントを皮切りに、12月のトークイベント<平安京の音宇宙を想像する-文学と美術史料から探るサウンドスケープ->、さらには今回開催されたパフォーマンスとワークショップと展開され、2020年度の活動は幕を下ろした。だが、KYOTO STEAM-世界文化交流祭-実行委員会によると、その試みは2021年度も継続されていく予定だという。冒頭でも触れたように、近世以前の日本では音を方位や季節で捉える宇宙観が構築されていたわけだが、こうした感覚は現在のクリエイティヴの領域においても活かすことができるはずだ。そして、現在NAQUYOプロジェクトで行われている試みも、ひょっとしたら数百年後のクリエイターたちにとって何らかの創作のヒントになるのかもしれない。
Text by 大石始






INFORMATION
NAQUYO-平安京の幻視宇宙-KYOTO STEAM in collaboration with MUTEK.JP
KYOTO STEAM-世界文化交流祭-実行委員会と、最先端テクノロジーを用いた音楽とデジタルアートの祭典「MUTEK」を主催するMUTEK.JPでは、様々なクリエイターや研究者、エンジニア等の協力のもと、最新の音響・映像技術と、京都の地ならではの文化研究を融合させ、1200年前の平安京のサウンドスケープ(音風景)を創造するアートプロジェクト「NAQUYO-平安京の幻視宇宙-」に取り組んでいます。※NAQUYO#3、#4のアーカイブ映像はこちら※NAQUYO#1・#2のアーカイブ映像はこちら詳細はこちら
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