※本記事は映画マトリックス レザレクションズ』のいくつかのシーンに対する具体的な言及を含む内容となっております。あらかじめご了承下さい。
INTERVIEW:松本紹圭

僧侶である松本紹圭が感じる『マトリックス』の魅力
──松本さんは、かねてより『マトリックス』シリーズがお好きと伺いました。そもそもの出会いは何でしたか?『マトリックス』シリーズは、監督のウォシャウスキー姉妹が仏教の思想にもよく親しんでいて、作品には仏教の発想も取り入れられていると聞いて興味を持ちました。作品を観てみると、仏教的世界観がとてもよく表現されていることに驚き、それ以来、折に触れて何度も観てきました。


『マトリックス レザレクションズ』で描かれる「大乗仏教的な世界観」
──「大乗仏教的な世界観」というのは?まず仏教は大きく、タイやスリランカの上座部仏教と、チベットや日本の大乗仏教の系統に分かれます。ブッダという言葉は「目覚めた人」という意味ですが、出家をして修行を積んだ限られた人間のみがブッダの道に通じているという上座部仏教的な仏道の構図に対し、大乗仏教では、ブッダになる道はあらゆる人に開かれていることを強調します。『マトリックス』の中でネオは救世主という表現をされていますが、ネオが救世主となっていくプロセスは、「目覚めた人」の誕生プロセスと重なります。過去3部作においては、上座部仏教的な仏道の構図と重なるような見え方をしていましたが、『マトリックス レザレクションズ』では、その道が誰にでも開かれているオープンエンドな感じがしました。要は、本作は「誰でもネオになれる可能性があるんだ」という大乗仏教的なメッセージも込められていたように思うんです。過去の3部作から本作への跳躍は、上座部仏教から大乗仏教に展開していった仏教の歴史とも何となく重なります。誰でもブッダになり得るし、また、ブッダになったはずの人がまたマトリックスの中に戻ってきてしまうこともある。ネオがかつてのことを忘れて、気づいたらまたマトリックスの中にすっかり取り込まれてしまっている。

──「ループ」と言えば、『マトリックス レザレクションズ』では、「物語に終わりはない」といった繰り返しについての言及もされていました。こちらも仏教での考え方に通じるものなのでしょうか?そうですね。これまでの3部作と大きく異なったことは、物語がループしていくところでした。過去の作品からのインサート映像が、今作の中にたくさん入っていますよね。3部作に親しんできたファンとしては、今作を観ること自体がデジャヴュ体験のように感じられました。ループする物語に関して、ニーチェは「永劫回帰」という思想を説きました。時間が無限に続くとするならば、あらゆるかつてあったことはまた繰り返していくんじゃないかというアイデアです。そこから「すべては創造主にコントロールされているに違いない」という発想に向かうこともできますが、仏教では、すべては縁によって起こっていく「縁起」という考え方を大切にしています。よく似た物語のパターンが何度でもリピートするように見えたとしても、じゃあ私たちは、誰かが完璧に記述したプログラムの中で変わらない物語に閉じ込められて生きているのかというと、必ずしもそうではない。似たものがループしているように見えても、まったく同じでもない。

釈迦牟尼ブッダに重なるトリニティーの選択
──自由意志と選択のお話もありましたが、本作でティファニー(トリニティー)が、「女性として家庭を求めているのか、自分が家庭を求めているのか」という問いが生まれていたシーンについては、どうご覧になりましたか?マトリックス内のティファニーの家族は、夫と妻、または母と子供という現代社会に強く埋め込まれた役割の「枠」の象徴として描かれていました。ティファニーが本当の世界に目覚め、「そんな名前で呼ぶな」と言ったシーンが出てきますね。あそこだけを見ると、「ティファニーは家族を捨てた」と言う人もいるかもしれません。しかし私には、釈迦牟尼ブッダが家族を捨てて出家の道を選んだことと、重なり合って見えました。そこから何を見ていけるかというと、それは、いわゆる「離婚する」とか「絶縁する」ということとも違うのでしょう。妻と夫、親と子、といった枠組みの関係性から離れて、お互いを本当の名前で呼び合って、そこで出会い直すということなのでは、と思うんです。物語は何度でもリピートするけど、だからといって無力感の中で運命決定論を受け入れなさいということではなく、枠組みに縛られて苦しい時にはそこから抜け出して、何度でも生き直せばいいじゃない、と。繰り返す日常の中で、気づけばマトリックスの中に絡めとられて死にかけてしまっている人間関係があるなら、そのマトリックスをぶち壊して、また新たな人間関係として出会い直せるアナザーチャンスが私たちにはあるんだ、と。

『マトリックス レザレクションズ』が問いかける探求すべきこと
──魅力を語っていただきましたが、改めて松本さんの視点で、今『マトリックス レザレクションズ』を観ることの意味や面白さを聞かせてください。1作目が公開された22年前は、「今、自分の見えている世界以外に世界が存在することなどあり得ないし、これ以外に現実はない」という感覚で生きている人がもっと多かったと思うんです。モーフィアスの言葉を借りれば、抜け出すことが絶望的なほど深くシステムに依存した状態ですね。しかし今、「確かに自分の見ている世界が現実なのだろうけど、本当にこんな現実を自分は望んでいたんだろうか? 何かもっと他の形もありうるんじゃないか? なぜこんな世界を生きなければならないのか?」という疑問を持つ人が、確実に増えていると感じています。それでもなお、そこから本気で抜け出そうとするまでの勇気はなかなか持てない。今作では、そうした人たちが「シープル(sheep+people=自由よりも慰めを望む、飼いならされたマトリックス界の住人)」として描かれています。今、私たちがはまり込んでいるマトリックス世界──要は2021年の現代社会ですが、それに対して疑問を持つ人が確実に増えていながらも、彼らをシープルとして飼い慣らすことに成功している理由の一つは、人々を「短期思考」に引っ張る力学が狡猾に利用されていることにあると思います。私たちの手元にはいつもスマホがあり、すぐ目の前のことにアテンションが奪われてしまって、深く考える機会が奪われています。「本当に私たちはこんな世界を生きるしかないのか?」という根本的な問いに向き合えずに、忙しい日常に引っ張られて短期思考に陥っている。22年前と比べると、私たちの心の中の違和感は増大しながらも、管理する側のマトリックス側のテクニックも巧妙になってきているため、私たちは相変わらず首輪をつながれているんです。現代でお坊さんをやっている意味は、悩みに答えを出すことではなくて、深い問いを共有することだと思っています。今、誰もが心の奥底で温めている深い問いを、もっと真剣に探究してみてもいいんじゃないか。そんなお手伝いができればいいと思っているんです。劇中でも言われたような「あまりにも完璧で、まるで偽物のような」世界がいよいよ完成に近づく時代だからこそ、それが自己崩壊を起こすタイミングも遠くないかもしれない。今こそ、大きな変化への感度を上げていきたいですね。

映画『マトリックス レザレクションズ』本予告 2021年12月17日(金)公開
取材・文:赤山恭子
PROFILE

松本紹圭(まつもとしょうけい)
1979年北海道生まれ。現代仏教僧(Contemporary Buddhist)。世界経済フォーラム(ダボス会議)Young Global Leader、Global Future Council Member。武蔵野大学客員准教授。東京大学文学部哲学科卒。2010年、ロータリー財団国際親善奨学生としてインド商科大学院(ISB)でMBA取得。2012年、住職向けのお寺経営塾「未来の住職塾」を開講し、以来9年間で700名以上の宗派や地域を超えた宗教者の卒業生を輩出。著書『お坊さんが教えるこころが整う掃除の本』(ディスカヴァートゥエンティワン社、世界17ヶ国語以上で翻訳出版)他。noteマガジン「松本紹圭の方丈庵」発行。ポッドキャスト「Temple Morning Radio」は平日朝6時に配信中。邦訳書『グッド・アンセスター 私たちは「よき祖先」になれるか』(あすなろ書房)2021年9月発売。
INFORMATION

マトリックス レザレクションズ
大ヒット上映中!原題:『THE MATRIX RESURRECTIONS』監督:ラナ・ウォシャウスキー出演:キアヌ・リーブス、キャリー=アン・モス、ジェイダ・ピンケット・スミス、ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世、プリヤンカ・チョープラー・ジョナス、ニール・パトリック・ハリス、ジェシカ・ヘンウィック、ジョナサン・グロフ、クリスティーナ・リッチ©2021 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED.オフィシャルサイトオフィシャルTwitter
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