アートとカオスがうねり合った令和ボヘミアンの集合知「TOKIMEKI SOW」。大野キャンディス真奈とTakayuki “Tan” Araiが創り、出会い、そしてブチ上げた3年

「TOKIMEKI SOW」と名づけられた一軒家が、ほんの数ヶ月前まで東京の地に存在した。

住人はアーティスト・映画監督として活動する大野キャンディス真奈と、皆既日食エヴァンジェリスト/写真家として活動するTakayuki “Tan” Araiの2人。

そこでは毎週、ときには毎晩のようにパーティーが行われ、住人とゲストが混ざり合い、会話を育み、絵を描き、盃を交わした。先日、3年4ヶ月の歴史に幕を閉じた「TOKIMEKI SOW」は、東京におけるユートピアか、それともデストピアか? 多くの出会いとアートを生んだ「TOKIMEKI SOW」は、いかにして誕生したのか? 3月に行われたラストパーティーの様子と共に、2人のインタビューをお届けする。

INTERVIEW:大野キャンディス真奈×Takayuki “Tan” Arai

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はじめましての3人が集結したのは、風呂なし・お湯も出ない一軒家

Q.「TOKIMEKI SOW」の名前の由来は?

大野キャンディス真奈(以下、0CM):最初にここを見つけたとき、自分の心がキラキラ~ってときめいた感じがして、そこから名づけました。あと、「好きな人と好きなことをするのが一番楽しいよね。そういうのって、ときめきだよね」という思いから、みんながここで、そんな“TOKIMEKI”を見つけられたらいいなって気持ちも込めました。

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大野キャンディス真奈

Takayuki “Tan” Arai(以下、Arai):僕は最初聞いたとき実は反対したんだよね。ダサいなと思って(笑)。けど、真奈ちゃんから名前の由来を聞いたらめっちゃ良かったので、じわじわ愛着が湧いてきて、結局「TOKIMEKI SOW」に決まりました。

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Takayuki “Tan” Arai

Q.「TOKIMEKI SOW」はどのように始まった?

0CM:最初はアトリエを探していたんです。当時はコロナ禍で、制作する場所がなくてどうしようかなと思っていて。でもせっかく借りるなら、アトリエ兼みんなが集まれるコミュニティスペースみたいなところにしたいなと思って不動産屋に電話しました。そしたら一発で、この物件を教えてくれて。

手描きの図面を渡された(笑)。

Arai:そうそう、手描きだったよね(笑)。実は最初もう1人、たくみっていう住人がいて、初めは3人で暮らしていたんだよね。僕は元々真奈ちゃんとは面識がなく、たくみと友達で、たくみに呼ばれて入居を決めました。当時僕は神奈川と浅草のホステルで2拠点生活をしていて、毎日大人数で部屋をシェアしているような状態だったから、純粋に面白そうだなって思って。コロナ禍で仕事も減っていて、「この閉塞感を取り払いたい」っていう気持ちもあったし。

0CM:最初たくみからは「AraiさんはTOKIMEKI SOWの改装工事をしてくれる人」とだけ聞いていたんだけど、蓋を開けたら一緒に住む人だった(笑)。

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Q.「TOKIMEKI SOW」に本格的に住み始めたのはいつから?

0CM:手描きの図面を見て興味が湧いたんだけど、実際に内見したらボロボロで。建物自体が傾いていたし! だから、3人で改修工事するところから始めました。ちゃんと住める状態になったのは、工事を始めて半年後くらいからだよね。

Arai:僕は昔内装の仕事をしていたことがあったから、内見したとき「きれいにすれば住めるな」って思ったんです。だから、みんなで改修工事することにして。

入居したときは、お風呂なし・洗面所なし・お湯も出なかった(笑)。水と電気が使えるってだけ。

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改装して設置されたバスタブと、湯浴びする様子が描きこまれた風呂場の壁

0CM:ガスが使えるようになるまでは、お隣に住んでいる方のお風呂を使わせてもらっていたよね。あと、洗濯も。いつでもいいからって言ってくださって、貯金箱に100円入れたらいつでも使えるシステムで(笑)。

Arai:懐かしいね。「TOKIMEKI SOW」の歴史は、お隣さんの協力なしには語れないですね。結局、お風呂は近くのショールームでバスタブを買って、それを設置して使っていました。

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“アトリエ”兼“イベントスペース”兼“シェアハウス”ラベルがつけられない「TOKIMEKI SOW」での日常

Q.「TOKIMEKI SOW」に人が集まり始めたのはいつから?

0CM:私たち3人の周りにいる人たちはみんな「TOKIMEKI SOW」の存在を面白がってくれたから、割と初めから人が集まっていたよね。改修工事が少し落ち着いたくらいのときから友達は遊びに来ていて、最初の頃は週5回くらいパーティーしていた(笑)。

Arai:しかもみんながそれぞれの友達を勝手に呼ぶから、朝目覚めてコーヒーを淹れていると廊下から足音が聞こえて来て、知らない人が家にいるとか何度もあったよね。

0CM:うん。「TOKIMEKI SOW」では当たり前の光景だったよね(笑)。

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Q.思い出に残っている、「TOKIMEKI SOW」での一番カオスな思い出は?

0CM:やっぱり、Araiさんが肋骨を3つ折ったことかな(笑)。今だから笑えるけど、当時は本当に焦ったな~。

Arai:そう、改修工事中に床に穴が空いて、そこから一階に落ちちゃって。

0CM:そのときもお隣さんが助けてくださって、「これはもう救急車呼びましょう」ってなって。救急車に来てもらって、Araiさんは病院に運ばれて! 運よく助かったけど、当たりどころが悪かったらもっと大変だったよね。

Arai:あのときは本当に大変でした。そこから動けなくなって、3週間寝たきりの生活を送って。当時ベッドもなかったんだけど、お隣さんがたまたま職人だったから、僕のためにベッドを作ってくれて。お隣さんと真奈ちゃんとたくみとが3人交代で看病してくれたよね。

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今ではすっかり回復したTakayuki “Tan” Arai

Q.「TOKIMEKI SOW」はどんな場所だった?

Arai:僕にとっては「やりたいことができた、夢みたいな場所」でした。僕はこれまでの人生で、「新しいことは、人と人との偶然の出会いから生まれている」と実感していて。だから僕もいつか、人と人が新たに出会う場を作りたいっていう思いをずっと持っていたんです。

「TOKIMEKI SOW」っていう住居だけどどこかオープンという稀有な場で、偶然の出会いをたくさん生めてよかったです。

0CM:私的には「東京のよくわからないカルチャーが混ざった中目黒の秘密基地」って感じかな。「TOKIMEKI SOW」には、3人の友達だけじゃなく、友達が連れてくる友達とか新しい人がたくさん訪れてくれたんですが、それぞれバッググラウンドに持っているカルチャーが全然違って。ストリートもアカデミックもアングラも、いろんなカルチャーが混ざり合う場でしたね。

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Arai:僕、「TOKIMEKI SOW」って、友達がまた別の友達を連れてきて、そこで新たな出会いが生まれる様子が、ベルリンのスクワット(※1)みたいだなとも思っていて。あと、昔「住む場所がなくなったから『TOKIMEKI SOW』に住まわせてくれない?」と言ってきた人もいて(笑)。スクワット・カルチャーのようでもあり、令和版ボヘミアン(※2)みたいだなとも思っていた。実際にベルリンにも行ったことがあるんですが、そこで見た光景を東京でも見られている感じがして、すごく良かったんですよね。

(※1)スクワット:60年代後半から70年代にかけて、あちらこちらで空き家を占拠するスクワット運動がさかんになり、2001年あたりまでは、ベルリン全体で不法占拠によって、空きビルに若者が住める状況だった。(※2)ボヘミアン:移動生活者や世間一般の規範や型の外で自由に生きる人を指す。また、型にはまらず自由なさま。
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TOKYOの秘密基地から次の目的地へ涙のラストパーティー

Q.ラストパーティーでの思い出は?

Arai:元々「TOKIMEKI SOW」は退去時期が決まった状態で貸してもらった物件だったんだけど、この「偶然の出会いの場」がなくなってしまう、それを日常で味わうことができなくなるんだってことがとにかく悲しかったです。多分「TOKIMEKI SOW」で100人以上の新しい出会いがあったんですが、今周りにいてくれる人の多くがそこで出会った人たちなんですよね。

それって本当に財産だなと思っています。

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0CM:悲しかったけど、「もう次のステップ行くっしょ!」みたいな気持ちだったかな。ねずみとかもよく出たし、地震のときとか震度3でも大きく揺れて1階まで避難していたし、耐震性的にも限界が見えていて! でも、いざラストパーティーを迎えて、大好きな友達や仕事関係の人たちがたくさん来てくれたら、感傷的になってベロベロになりながらめちゃくちゃ泣いた(笑)。あとは、外国人の友達もたくさん来てくれて、これまでよりももっと国際的なパーティーになって、それも良かったな。

Arai:本当にいつも横を見たら知らない人がいる、みたいな状況だったよね。自分の家なのに(笑)。

0CM:うん。あと、これまでも壁にみんなで絵を描いて遊んでいたんだけど、ラストパーティーでは窓にまで描き始めて(笑)。その様子は印象に残っていますね。あと、私は「TOKIMEKI SOW」に住んで、とにかく絵が描けるようになった。これまではどうしてもアカデミックに考えてしまうことが多かったけど、遊びに来たアーティストの友達が「絵は楽しんで描くもの」だって教えてくれたんです。私は「TOKIMEKI SOW」に住んで、そこが一番成長できたかなと思います。

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東京で見つけた一軒家は、「家」そのものがアートだった!そこに、4年住んだ。みんな遊びに来ると家に絵を描く。まるで子供に戻ったように。ストリートカルチャー、アカデミックも!みんな絵を描く。DIYもする。誰もが創作できるそんな家♡そこに来る人々は私に、忘れてた赤ちゃんマインドを思い出させてくれました。集まった人々に感謝です。カルチャーが生まれる家が増えたら面白いよね。――大野キャンディス真奈TOKIMEKI SOWでの出会いは全てが必然だった!住むことが旅をするような感覚で“旅をするように生きる”というまさに僕のライフスタイルを体現した場所だった。僕たちはグラスを交わし、夢を語り、くだらない話をして、今という瞬間を楽しんだ。出会いと別れの数だけ僕は成長できた気がする。全てのボヘミアンに幸あれ!――Takayuki “Tan” Arai
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Text:那須凪瑳 Photo:Yoshitomo KumagaiEdit:Kazuki HyodoSpecial Thanks♡:raszombiehacu.maimonogoichige.aviokap_20hira_kuzumi_hisaoooi_shikaje_suis_manon2_kaoruko___shin._illustrationnoy_oolongranasaitodrop_out_gecko

INFORMATION

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大野キャンディス真奈/0CM

1998年。現代アーティスト・映画監督。2022年に初長編映画監督作品『愛ちゃん物語♡』が全国劇場公開。現在U-NEXTなど13ヶ所で配信中✨。映像作家としても活躍し、ミュージックビデオなども手掛けている。絵画制作も日々行い個展なども開催。現代アートとして、映画と絵画を融合させた「映画絵画」を制作。絵と映画の一貫性を探る活動を行う。XInstagram

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Takayuki “Tan” Arai

神奈川県出身の皆既日食エヴァンジェリスト/写真家。バンクーバーでスケーターの写真を撮ったのをきっかけに写真家を志す。2009年より皆既日食を追い続け世界各地を旅している。皆既日食を通じて人間の生命の根元や宇宙の神秘について多くの人々と分かち合いたいと考えている。現在までに南極を含む7大陸をすべて旅し、2035年の日本での皆既日食に向けてプロジェクト: Hello, Eclipseを進行中。HPXInstagramFacebook

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