雑味[純粋な味わいを邪魔する、なんとなく嫌な風味]
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目の前にある大手チェーン店のカフェを差し置いて、このノスタルジーな喫茶店はいつも混んでいる。流行りのコンクリート打ちっぱなし店とは違って、お客さんの服装も年齢も、使い勝手も多種多様。
お茶の間を感じる叔母さま達の会話は、この限られた空間だから許されるであろうエピソードで刺激いっぱい。勉強する気で来たのに参考書を開かずに帰った学生には、心から共感するとともに、反面教師的なやる気を残していってくれたりして感謝する。だがそれゆえに、居心地の良さとなんかちょっと違った感のバランスはいつも一定ではない。ここがミソ。果たして今日のあの喫茶店の喫茶具合はどんなものか、居心地の賭けが頭の中で行われる。ある意味不便とも取れるが、それでも私はこの喫茶店で、何とも美味しいとは言い難いサバサンドを頼み、「サバはほぐした方が美味しい気がする」などと思いながらも来るのは、ここならではの雑味を好きだと感じているからだろう。数年前にアンビエントに惹かれるようになってから、雑味のない整備された平均的な音に触れると、どうも感情が湧いてこないということが起きた。歌は細かなテクニックに溢れ、ピッチは綺麗に書き直され、音像を汚すことが粋に感じるくらい、今じゃ大抵のものが綺麗だ。プラグインの発達という性能的な向上もあるが、ここでいう整備された音とは、どれも売り物として沢山の人に届けるためにデザインされた結果なのだろうと感じる。そのため、大量に流れてくる音楽の中には音楽的な個性を説明するのが難しく、どう言語化すればいいのかわからないものも増えた。AIに生成された黄金比率の美しい顔を見たときも、この顔の特徴を私は言語ができないと思ってしまった。これは余談。
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とあるアーティストについて書きたい。私が最近、毎日のように聴いているMei Semones。indie、jazz、ボサノヴァなどからインスパイアされたアーティストで、何より第二言語感のある日本語のニュアンスが、私たちには持たない気の抜けたかっこよさを表現している。ニュートラルな声質、生々しいバンドサウンド、ダイナミクスのレンジの広さ。全てが羨ましく思うほど良い。綺麗に整えられている大衆音楽とは違った、不安定さと雑味の残し方。技術の話は大変なので置いておこう。誰かに嫌われてしまうかもしれない要素が、五角形の一片の尖りとなり、個性になり、そのものらしさを足らしめるニュアンスになる。その人を好きだと感じるわけが、時に長所でもあり短所でもあるように。このバランス感覚が、彼女の楽曲から感じられる。そんな素晴らしいアーティストに出会うと、ありがとう…心から!!!と拝みたくなる。誰かに嫌われてしまうかもしれないけど、誰かにはわかってもらえるかもしれない。
これが良いと感じてると、素直に発表する。自身の雑味の価値に気づいた時、もうそのピュアな気持ちを消すことはできない。そんな音楽を受け取るまで、いくつもの解釈を経由し、想像し、時間を使ってくれる人はそうたくさんいないだろう。みんな忙しいからね。それでもこの世界の様々な雑味に触れた時、"私はどう捉えるか"少し足を止めて考えてみて欲しい。悲観することも拒絶することも、喜びを見出すこともできる力が、自分を今と違う景色へと連れて行ってくれると思う。
あいしてる、雑味。

HALELU(ハレル)

SSW/飲食業。音楽と食を通じてインディペンデントに活動中。本・音楽・食などのカルチャー×ウェルネスを軸に、気取らない少々早口なコラムを発信。

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