今季からドイツ1部のブレーメンでプレーする日本代表DF菅原由勢。
25歳の右サイドバックは、まだ2試合の出場ながら、新天地での評価を高めている。
その菅原は、『DeichStube』のインタビューで様々な話題を語った。
ブンデスリーガは簡単すぎる?との問いには「いいえ、全くそんなことはありません。試合は本当に厳しかったです。(14日に行われた)ボルシアMG戦前には4時間バスで移動し、日本代表遠征による時差ボケで夜は全く眠れませんでした」と答えている。
菅原は19歳の時に名古屋グランパスからオランダのAZに移籍して以降、海外でプレーを続けてきたが、「ホームシックになったことは一度もありません。なぜなら、リラックスしたり、楽しんだりするためではなく、成功するために来たからです。当時の自分にとって、そのメンタリティはとても重要でした」とのこと。
また、「(名古屋時代に)17歳の時に突然プロ契約のオファーを受けた時は、サッカーで家族を養えることがとても嬉しかったです。兄妹がいて、両親もいつも一生懸命働いてくれました。それでも、私の最初の給料は家族の中で誰よりも高かったんです。両親はいつも、お金は人を変えるものだから、あまり囚われてはいけないと言っていました。確かにその通りですが、その時は家族のためにとても嬉しく思いました」とも語っている。
菅原は、この夏にセリエA移籍が破談になったと伝えられているが、その件については「確かにいくつか(イタリアの)クラブから興味を示されたことはありましたが、正式なオファーはありませんでした」とのこと。
彼は当時20歳だった2020年に日本代表デビューを果たしたが、怪我などの影響で、2021年東京五輪と2022年W杯でメンバー落選を味わった。そのことについてこう明かした。
「とても(辛かった)。これまでで最も受け入れがたい決断でした。出場したくてたまらなかったので、死にそうでした。
五輪は東京で開催され、家族や友人は僕が出場してメダルを獲得することを期待していました。出場できなかった時は、一晩中泣きました。
W杯前は膝の怪我をしていたんですが、それでも出場するためにあらゆる努力をしました。代表に選ばれなかった時は、監督に直接電話して理由を尋ねました。説明はしてくれましたが、受け入れるのは難しかったです。
でも、振り返ってみると、どちらの経験も、精神的にも選手としても僕を強くしてくれました」
東京五輪落選時には号泣し、W杯落選時には森保一監督に直接理由を尋ねたそう。
ただ、2026年W杯については、「これまでの困難な状況から、将来のことを考えすぎず、今この瞬間に集中することを学びました。そこでいい結果を出せば、他のことは後からついてきます。だから今はW杯のことは全く考えていません」と語っていた。