
3日、読売巨人軍で一時代を築いたプロ野球のスター、長嶋茂雄氏が89歳で死去したことが各メディアで伝えられた。
長嶋氏は球団の終身名誉監督として称えられていたほか、象徴的な背番号「3」は永久欠番になっていた。
今回はサッカー界において「3」を永久欠番にしているクラブと選手をご紹介する。
パオロ・マルディーニ
クラブ:ACミラン
父親のチェーザレ・マルディーニが所属していたACミランで育ち、自身も同クラブのレジェンドになったパオロ・マルディーニ。そして、父親も着けていた「3」を永久欠番として与えられている。
1984年にトップチームへとデビューしたあと、若くして世界を席巻していたミランの最終ラインで要の一人となり、後にキャプテンにも就任。長くチームの伝統や魂を受け継ぐ象徴として活躍した。
2009年に引退したとき、2代で受け継がれた「3」は永久欠番に指定されたが、「もしマルディーニの3代目がミランのトップチームに定着したら手渡す番号」であるとも発表されている。
ジャチント・ファッケッティ

クラブ:インテル
ACミランと同じくミラノの街を本拠地としているインテルも、「3」を永久欠番として指定しているクラブの一つ。捧げられているのは、2006年に死去した伝説のDFジャチント・ファッケッティだ。
ファッケッティは1942年に生まれ、1960年にインテルへと加入。伝説のチーム「グランデ・インテル」の一員となり、スピード、スタミナ、パワー、テクニックを兼ね備えた左サイドバックとして重要な役割を担った。
現役を引退した1978年までインテル一筋にプレーした彼は、2006年に64歳で死去。クラブは彼の栄誉を称え、象徴的な番号であった3を永久欠番として捧げた。
ギュンター・ノイキルヒナー

クラブ:シュトゥルム・グラーツ
イヴィチャ・オシムが率いたことでも知られるオーストリアの名門シュトゥルム・グラーツ。そのオシムの指導を受けた選手の一人でもあるDFギュンター・ノイキルヒナーは、「3」を永久欠番として捧げられている人物だ。
1971年に生まれた彼は、少年時代からシュトゥルム・グラーツの下部組織で育ち、1989年にトップチームへと昇格。
クラブの歴代2位となる426試合に出場し、2006年に現役を引退。その後2部で短期間現役復帰した後、シュトゥルム・グラーツに戻って長くコーチを務めた。
松田直樹

クラブ:横浜F・マリノス
日本における「3」の永久欠番といえば松田直樹がその筆頭となる。日本代表でも長く活躍した闘将センターバックは、2010年に横浜F・マリノスから放出されたあと、JFLを戦っていた松本山雅FCに加入した。
「ミスターマリノス」とも呼ばれた彼は、その悔しさをバネにチームをJリーグに引き上げるために奮闘を見せていたが、2011年8月の練習中に突如体調不良を訴え、急性心筋梗塞で息を引き取った。
横浜F・マリノスは彼の番号「3」を永久欠番に指定し、その貢献への敬意を評した。また、松本山雅は「3」を長らく空き番号とし、2014年に松田直樹と横浜FMで同僚であった田中隼磨へと受け継がれている。