かつて日本代表としても活躍した松田直樹氏。

類まれなフィジカルとセンスを持つディフェンダーとして、横浜F・マリノスで一時代を築き、『ミスターマリノス』と呼ばれた。

2011年に当時JFLだった松本山雅に移籍するも、同年8月2日の練習中に急性心筋梗塞で倒れると、4日に34歳の若さで死去。

横浜FMは松田氏が死去した後、彼が背負った背番号3を永久欠番にした。

横浜FMは、松田氏の命日である8月4日に「本日のトレーニング前、チーム全員で黙祷を捧げました。共に時を刻んだ仲間たちが、松田直樹さんの情熱と魂を、これからも語り継いでいきます。」とSNSに投稿。

また、松本山雅も「2011年8月4日に松田直樹選手が亡くなって、毎年命日に黙とうを行っています。本日はチームがオフのため、全員がグラウンドに揃う昨日の練習前に行いました。」と投稿した。

そうしたなか、TBSの齋藤慎太郎アナウンサーは、自身のXにこう投稿していた。

「人生で初めてのサインボールは松田直樹選手でした。全く試合に出られずで、情けなく不甲斐ない限りですが、この番号を付させてもらえたのは誇りです。」

齋藤アナは1997年生まれの28歳。横浜FMのユースチームに所属していたことがあり、背番号は3番をつけていたそう。

なんでも、齋藤アナは、神奈川県選抜チームで三笘薫とチームメイトだったこともあったとか。

TBS公式HPによれば、「小学1年からサッカーを始め、中・高と横浜F・マリノスの下部組織に所属し、大学は立教大学の体育会サッカー部で4年間サッカーを続けていました。」、「サッカーを16年間やっていました。ポジションはDF。好きな選手はダヴィド・ルイスです」とのこと。

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