
近年のサッカー界では選手の移籍が大きなビジネスチャンスとなっており、各クラブはそれぞれの利益を最大化しようと交渉に努めている。
ただ、選手はそれぞれの希望を持っているためにクラブの方針と衝突することもしばしば。
今回は『Planet Football』から「移籍を強制するためにストライキを起こした有名サッカー選手たち」をご紹介する。
ジエゴ・コスタ
ストライキしたクラブ:チェルシー
移籍したクラブ:アトレティコ・マドリー
チェルシーでプレミアリーグ優勝を導く活躍を見せたスペイン代表FWのジエゴ・コスタ。そのプレーはチームのなかで重要なものだったが、2017年夏にアントニオ・コンテ監督が彼に「戦力外通告」をしたと伝えられた。
コンテ監督はメールでジエゴ・コスタに対して「お元気ですか。一緒に過ごしたシーズン、本当にありがとう。来年も頑張ってほしいが、あなたは私のプロジェクトの中に入っていないんだ」とメッセージを送ったという。
ただチェルシーはジエゴ・コスタとの契約を残しており、安く売ることもできなかった。宙ぶらりんとなったコスタは休暇から戻ることなく、練習に参加することを拒否。
最終的に2018年1月になって古巣のアトレティコ・マドリーとの契約がまとまり、ついにピッチへと戻ることができた。
ディミータル・ベルバトフ

ストライキしたクラブ:トッテナム・ホットスパー
移籍したクラブ:マンチェスター・ユナイテッド
2008年夏、マンチェスター・ユナイテッドを率いていたアレックス・ファーガソン監督は、「トッテナムのFWベルバトフを獲得する予定だ」と公に明かし、トッテナム会長のダニエル・レヴィの怒りを買った。
そのためレヴィ会長は強硬な姿勢をとり、ベルバトフの退団を拒否。交渉に応じない意向を示した。しかしながらベルバトフ本人はマンチェスター・ユナイテッドへの移籍を希望し、チェルシーとのロンドン・ダービーでプレーを拒否した。
トッテナムはそれにも揺らぐことなくプレミアリーグに苦情を申し立てたものの、最終的に3000万ポンドの移籍金に合意し、マーケットの最終日にベルバトフをマンチェスターへと送り出している。
ラヒーム・スターリング

ストライキしたクラブ:リヴァプール
移籍したクラブ:マンチェスター・シティ
リヴァプールで若くしてウイングとして台頭し、クラブの将来を担う存在として期待されていたラヒーム・スターリング。しかし契約更新のオファーを拒否し、チームを離れることを望んだ。
リヴァプールは彼を手放すことを拒否したものの、スターリングはプレシーズンツアーへの参加をボイコットし、代理人のエイディ・ワードはクラブを激しく非難した。
最終的にスターリングを抑えられなくなったリヴァプールは退団を許可せざるを得なくなり、2015年にマンチェスター・シティへの移籍を認めることになった。
ウィリアム・ギャラス

ストライキしたクラブ:チェルシー
移籍したクラブ:アーセナル
2006年、チェルシーがイングランド・プレミアリーグを席巻するような状況にあるなか、フランス代表DFのウィリアム・ギャラスは「十分な報酬を貰っていない」として退団を希望した。
クラブは拒否したものの、ギャラスは「もしこの状況でプレーさせるのなら、オウンゴールやミスで失点させてやる」とジョゼ・モウリーニョ監督に告げ、強硬な姿勢を取ったという。
最終的にチェルシーはアシュリー・コールを獲得する際の条件の一環としてギャラスをアーセナルに譲渡。結局、この決断はクラブにとって非常に大きな利益をもたらしたともいえる。
ディミトリ・パイェット

ストライキしたクラブ:ウェストハム・ユナイテッド
移籍したクラブ:マルセイユ
フランス代表で司令塔として見事な活躍を見せたディミトリ・パイェットは、マルセイユからウェストハム・ユナイテッドに移籍したあともプレミアリーグでエキサイティングなプレーを見せた。
チームのチャンスメイクを一手に担っていた彼であるが、週給10万ポンドという好条件の契約を手にしたあと、なぜかマルセイユへの復帰を希望してウェストハム・ユナイテッドでのプレーをボイコットした。
後にパイェットは「ウェストハムの守備的なサッカーに飽き飽きしていた」「どの試合でも喜びを感じることなく懸命にプレーするだけだった」と明かしており、スラヴェン・ビリッチ監督(当時)の戦術に合わなかったことを告白している。