サンフレッチェ広島や浦和レッズなどで活躍した日本代表MF柏木陽介。彼が強く記憶している「一番いい言葉」は、かつての恩師であるミハイロ・ペトロヴィッチ監督のものだったという。
『DAZN』で毎週木曜日に最新作が公開されている「内田篤人のFOOTBALL TIME」。25日には配信250回記念としてエピソードトーク大会が開かれた。
ゲストとして安田理大、太田宏介とともに出演した柏木陽介は、サンフレッチェ広島に所属していた20歳の頃のエピソードを以下のように明かした。
柏木「サンフレッチェ広島での2年目が終わったときに、クラブはJ2に降格することが決まっていて、柏レイソルやヴィッセル神戸からオファーが来ていたんです。20歳にしては相当いい額だったと思います。
そのときミシャ(ミハイロ・ペトロヴィッチ)が監督だったんですけど、彼に呼び出されて『お前移籍するのか?』と聞かれて、『いや、まだ迷ってます』と答えました。
そうしたら『いや、今のお前は俺の下でプレーしたほうが絶対に伸びる。金じゃない。俺の下でサッカーをやれ。そのあとでもっと稼げるようにしてやるから』と言われて。
それで広島に残って、J2をダントツで優勝して、2年後に給料が上がった状態で浦和レッズへと移籍しました。そこで『浦和なら行って来い』って背中を押してくれたのがミシャです。
お父さんです。『若いし、給料が上がるほうが楽しいし、J1でやりたいし』という気持ちもあったけど、ミシャに育ててもらったのもあったし、あの人の言葉を大事にしようと思えた。ミシャでなければ移籍していたなと思う」
2007年のシーズンを終えてJ2降格が決定したサンフレッチェ広島。柏木にはその際に多くのオファーが届いたと報道されたが、残留を決断してJ2優勝に大きく貢献。さらに2009年もJ1で4位と躍進したチームの中心になった。
その際には監督を務めていたペトロヴィッチ氏のコメントが大きな影響を与えたとのことで、これは柏木のキャリアを左右するような出来事であったようだ。