日本代表で歴代1位となる通算75得点を記録した釜本邦茂氏。日本歴代最高のストライカーが81歳で亡くなった。

日本サッカー協会は、「釜本邦茂氏はかねてから病気療養中でしたが、8月10日午前4時4分、大阪府内の病院で肺炎のため、逝去されました」と訃報を伝えた。

1944年生まれの釜本氏は、早稲田大学在学時の1964年に日本代表デビューを果たすと、1968年のメキシコシティ五輪では、7ゴールで大会得点王に輝き、日本の銅メダル獲得に貢献した。

またクラブレベルではセレッソ大阪の前身となったヤンマーディーゼルでプレーし、現役引退をした1984年までに公式戦251試合に出場して202ゴールを挙げた。

アジアサッカー連盟(AFC)会長のサルマーン・ビン・イブラヒーム・アル=ハリファ氏は10日、日本の伝説的FWの逝去に追悼の意を表明した。

「釜本邦茂氏はアジアサッカーの真のアイコンであり、その功績は永遠に記憶されるでしょう。1968年のオリンピックで日本を銅メダルに導いた彼の役割は、何世代にもわたってインスピレーションを与え、大陸全体で美しいゲームの知名度を高めました。

アジアサッカーファミリーを代表して、この悲しみのときに彼の愛する人、友人、そして日本サッカー協会に心からお見舞いを申し上げます。彼の遺産は今後もインスピレーションを与え続け、彼の試合への貢献は決して忘れられないと確信しています」

釜本氏は、日本がアジアの国として初めて五輪でメダルを獲得したメキシコシティ五輪での活躍だけでなく、世界選抜の一員としてミシェル・プラティニやヨハン・クライフらとともにプレーし、世界の舞台で「アジア」の存在感を示した人物だ。

今後も日本だけでなく、アジアサッカーのレジェンドとして釜本氏の名は刻まれ続ける。

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