
J2徳島ヴォルティスが今月18日に、元日本代表FW柿谷曜一朗の引退を発表した。
J1通算238試合52得点、J2通算234試合30得点と活躍し、シュート性のパスを柔らかく止めるトラップを筆頭に優れた技術で多くのサッカーファンを沸かせた。
ジーニアスといわれた柿谷のようにJリーグで輝きを放ち、引退した天才5選手を振り返る。
「前俊を諦めない」と多くのファンを沸かせた天才
前田俊介
所属した主なJリーグクラブ:コンサドーレ札幌(現・北海道コンサドーレ札幌)
ポジション:センターフォワード、左ウィング、攻撃的ミッドフィールダー
サンフレッチェ広島ユース時代から天才と絶賛された前田は、緩急と優れた技術を駆使したドリブルと左足で魅せる魔法をかけたようなシュートやパスで多くのファンを魅了した。
広島時代にはミハイロ・ペトロヴィッチ監督、コンサドーレ札幌時代に当時指揮官だった石﨑信弘監督から「天才」と評価されるも、期待以上の結果を挙げることはできなかった。それでも一部のファンから「前俊を諦めない」というフレーズができるなど、カルト的な人気を獲得していた。
Jリーグ創成期に輝いた元祖天才
礒貝洋光

所属した主なJリーグクラブ:ガンバ大阪
ポジション:左ウィング、攻撃的ミッドフィールダー
『カナリア軍団』と称された全盛期の帝京高時代で1年次から背番号10を託された磯貝は、ずば抜けたボールコントロールとチャンスメイクで天才という評価を若くして確立した逸材だ。
東海大時代も大学屈指のプレーメーカーとして君臨し、大学卒業後はガンバ大阪に加入した。1995年にはリーグ戦37試合13得点と活躍して日本代表デビューを飾った。その後は浦和レッズへ移籍するも、29歳で現役を引退。引退後はPGAプロテスト(プロゴルファーの試験)を受けるなど話題となった。
高校時代に日本代表に選出された天才
市川大祐

所属した主なJリーグクラブ:
ポジション:右サイドバック、右ウィング
日本代表最年少出場記録(17歳322日)を樹立した市川は、卓越したボールタッチ、効果的なオーバーラップ、精度の高い高速クロスで清水エスパルスの右サイドで存在感を見せた逸材だった。
1998年4月1日の韓国との親善試合でデビューした最年少出場記録は現在も破られていない。スーパー高校生と若くして台頭した右サイドバックだったが、度重なる負傷やオーバートレーニング症候群などの影響で日本代表は10試合出場に留まった。それでも清水でリーグ戦325試合に出場して、クラブのレジェンドとして名前を刻んだ。
その左足で世界中を熱狂させた天才
中村俊輔

所属した主なJリーグクラブ:横浜・Fマリノス
ポジション:攻撃的ミッドフィールダー、セントラルミッドフィールダー
日本代表の10番といえば中村俊輔といわれるほど、長きに渡ってサムライブルーをけん引してきた天才は説明不要かもしれない。左足から繰り出されるフリーキックは美しい曲線でゴールネットを揺らして、何度も多くのファンを感嘆させた。
セルティック時代はレンジャーズとのオールドファームで決めたアウトサイドで放ったドライブシュートや、UEFAチャンピオンズリーグでマンチェスター・ユナイテッドを相手に突き刺したフリーキックなど伝説的なエピソードは枚挙にいとまがない。
18歳でワールドカップに出場した天才
小野伸二

所属した主なJリーグクラブ:浦和レッズ
ポジション:攻撃的ミッドフィールダー、セントラルミッドフィールダー
やはり天才といえば小野伸二の名前を挙げないわけにはいかないだろう。ベルベットパスと称される受け手がトラップしやすい球速と軌道で届けるボールは芸術的であり、スピードに乗ったボールであっても布で包み込むような柔らかいタッチで難なくトラップする技術は圧巻だった。
18歳272日でワールドカップフランス大会に出場した日本人最年少記録は現在も破られていない。翌年のシドニー五輪アジア予選フィリピン戦で左ひざ前十字じん帯を断裂する大ケガを負うも、天才は終わらなかった。オランダ1部フェイエノールト移籍後の2001-02シーズンにはUEFAカップ制覇に大きく貢献している。