
欧州クラブサッカーの頂点といえば、やはりUEFAチャンピオンズリーグ。世界中の選手たちが、その荘厳なアンセムとともにピッチに立つことを夢見る舞台だ
サッカーの価値はCL出場だけで決まるわけではないが、この舞台は間違いなく特別な意味をもつものであり、選手にとっては最高レベルの名誉のひとつといえる。
ヨーロッパカップを引き継ぐ形で1992年に創設された「UEFAチャンピオンズリーグ」。そこで一度もプレーすることが叶わなかった名選手5名を『GMS』からご紹介する。
ギャリー・リネカー
国籍:イングランド
クラブ:トッテナム、バルセロナ、エヴァートンなど
イングランド代表のエースとして名を馳せたリネカー。キャリアの晩年には名古屋グランパスでプレーしたことでも有名だ。
「ボックス内のキツネ」と称された本能型ストライカーであり、バルセロナやトッテナムといった名門で活躍しながらも、チャンピオンズリーグの舞台には立つことがなかった。
1992年、CLの初年度の途中に彼はJリーグの名古屋グランパスへと移籍。もしもう少し長く欧州に残っていれば、大会に出場していた可能性は高かっただろう。
レズ・ファーディナンド

国籍:イングランド
クラブ:トッテナム、ニューカッスル、ベシクタシュなど
屈強なターゲットマンとして知られたファーディナンドは、プレミアリーグで大量得点を重ねた実力者。実際、リーグでの通算得点数はいまだ歴代9位という記録となっている。
しかし、彼の欧州カップ戦での経験はニューカッスル時代のUEFAカップ出場1シーズンのみだ。チャンピオンズリーグの舞台は一度も縁がなかった。
QPRやレスター、ボルトン・ワンダラーズなどでもプレーしたが、タイトルレースにはあまり絡むことがなかった。そのため個人の活躍に値するだけのトロフィーやチームとしての実績が得られなかった。
イアン・ライト

国籍:イングランド
クラブ:アーセナル、ウェストハム、セルティックなど
今やテレビ界で解説者として大活躍のイアン・ライト。現役時代は欧州でも屈指のストライカーとして恐れられた存在だった。
しかし、彼はアーセナルがCL出場を果たす1998-99シーズンの前にクラブを離れたため、最高峰の舞台に立つ機会を失った。その後もウェストハムやセルティックを渡り歩いたが、ついにCL出場の夢は叶わなかった。
マット・ル・ティシエ

国籍:イングランド
クラブ:サウサンプトン
芸術的なゴールとシュートで知られ、サウサンプトンで「ゴッド」と称されたル・ティシエ。その超絶技巧は今でも語り継がれているが、キャリアのすべてを愛するクラブ一筋で貫いたため、ビッグクラブへの移籍はなかった。
「もう一度選び直しても、同じクラブでキャリアを終えたと思う。お金やトロフィーではなく、自分の幸せを選んだ」と語る彼は、まさに“忠誠心”の象徴ともいえる存在だが、彼をチャンピオンズリーグで見たかったというファンは多い。
パオロ・ディ・カーニオ

国籍:イタリア
クラブ:ウェストハム、ラツィオ、ユヴェントス、ミランなど
今もなお語り継がれるプレミア屈指のスーパーゴールの持ち主、パオロ・ディ・カーニオ。当時はイタリア人選手がプレミアリーグに来ることも珍しかったため、特別な存在だ。
しかし、彼のキャリアに「チャンピオンズリーグ出場」の文字はない。ユヴェントスやACミランではUEFAカップやスーパーカップ出場の経験はあるものの、CL本戦に出場する機会には恵まれなかった。
特にミラン在籍時、チームがCL決勝まで進んだ1994-95シーズンには出場機会はなかった。なぜかといえば、チーム内での競争に敗れ、カペッロ監督と激しく衝突していたからだ。