
サッカー界において監督は「いつか解任されるもの」であり、長期政権を築くことができる指揮官は一握りに過ぎない。
今回は『GiveMeSport』から「世界で最も早く解任された監督たち」の記事のTOP10をご紹介する。
10位:トロイ・ディーニー
解任されたクラブ:フォレスト・グリーン・ローヴァーズ
シーズン:2023-24
在任日数:29日
リーグ2の最下位に沈んで残留を争っていたフォレスト・グリーン・ローヴァーズは、その状況を打開するために選手兼コーチを務めていたトロイ・ディーニーを監督に昇格させるという大きなギャンブルを打った。
デイヴィッド・ホースマン監督が解任された12月20日にディーニーの指揮は始まった。それからジリンガムに引き分け、フリートウッド・タウンに敗れたあと、ディーニー監督は公に選手を批判。6試合に渡って勝利のない状況が続き、1月18日に解任された。さらに12月29日のスウィンドン・タウン戦での違反行為で4試合の活動停止処分と罰金を受けている。
9位:ポール・ハート

解任されたクラブ:QPR
シーズン:2009-10
在任日数:28日
2009年2月から11月にかけてポーツマスで監督を務めたポール・ハート。それから1ヶ月、ジム・マギルトンを解任したQPRが彼を招聘することを決め、12月17日に監督として正式に就任した。
しかしながらそれから5試合を戦って勝利は1回のみ。1勝2分2敗という結果で、わずか28日で相互の合意の下で契約が解除された。彼はそれからクリスタル・パレスやスウィンドン・タウン、ノッツ・カウンティを指揮したが、いずれもほとんど勝てずに終わっている。
8位:ジェンナーロ・ガットゥーゾ

解任されたクラブ:フィオレンティーナ
シーズン:2021-22
在任日数:22日
ナポリを1シーズン半に渡って指揮したガットゥーゾ氏。2021年夏に解任されたあとはすぐにフィオレンティーナと接触し、5月25日に契約が発表に。7月1日から仕事がスタートすると伝えられていた。
ところがそれから22日が経過したあと、フィオレンティーナとガットゥーゾは相互の合意の下で契約を解除。オーナーとの間で補強に関する意見が統一できず、仕事を始める前にチームを離れることになったと伝えられている。
7位:ミッキー・アダムス

解任されたクラブ:スウォンジー・シティ
シーズン:1997-18
在任日数:13日
1990年代の半ば、スウォンジー・シティは数多くの監督を就任させては解任し、18ヶ月で6人の指揮官が務めたということもあった。その中でも最も短かったのがミッキー・アダムスだった。
フラムで選手兼監督を務めて解任された直後のミッキー・アダムスは、スウォンジー・シティで指揮した3試合で全てハイオク。そして移籍の予算に関するクラブの約束不履行を理由にクラブを去った。
6位:マーティン・リング

解任されたクラブ:ケンブリッジ・ユナイテッド
シーズン:2009-10
在任日数:8日間
現在レイトン・オリエントでスポーツディレクターを務めているマーティン・リング。同クラブは彼にとって指揮官としての最初のクラブであり、2003年から2009年まで好成績を残すことに成功した。
そして2009年7月末にはカンファレンス・ナショナルのケンブリッジ・ユナイテッドに招聘された。ところがクラブの会長を務めるジョージ・ロールズとの意見の相違があり、8月4日には辞任した。
ただ、その後ロールズが会長を辞任したため、リングは監督として再び指揮を執ることになった。
5位:ビリー・マッキンリー

解任されたクラブ:ワトフォード
シーズン:2014-15
在任日数:8日
オスカル・ガルシア監督の下でアシスタントコーチに就任したマッキンリー。しかし就任した9月26日からわずか8日後、オスカル・ガルシア氏が体調不良のために辞任することになった。
その緊急事態でマッキンリーが監督に昇格することになったが、それからわずか8日後にはスラヴィシャ・ヨカノヴィッチ監督が就任することになり、マッキンリーは退任。2試合で1勝1分けという結果であった。
4位:ケヴィン・カリス

解任されたクラブ:スウォンジー・シティ
シーズン:1995-96
在任日数:7日
1990年代におけるスウォンジー・シティの監督シャッフルにおいての象徴的な監督だ。1996年2月8日に会長候補のマイケル・トンプソンによって招聘された。彼は選手経験もプロコーチの経験もなく、指揮した2試合目のハーフタイムからは選手が監督を無視していたとのこと。
ケヴィン・カリスはそれ以降サッカー界で仕事をすることはなく、2003年4月に彼はマーケティングコンサルタントと偽って詐欺を行い、9ヶ月の実刑判決を受けた。
3位:デイヴ・バセット

解任されたクラブ:クリスタル・パレス
シーズン:1984-85
在任日数:4日
ウィンブルドンで1981年から指揮をとり、4部から3部へと引き上げたデイヴ・バセット氏。1986年6月にクリスタル・パレスからの監督就任オファーを受けて受託した。
しかしながらそれから72時間以内に考えをコロッと変え、クリスタル・パレスへの就任を拒否。ウィンブルドンでの仕事が終わっていないという理由から、発表の4日後にクラブを去った。
2位:マルセロ・ビエルサ

解任されたクラブ:ラツィオ
シーズン:2016-17
在任日数:2日
アルゼンチン出身の「サッカー博士」マルセロ・ビエルサ。アスレティック・ビルバオやマルセイユを指揮した印象的なシーズンを経て、2016年夏にラツィオの監督に就任した。
ところがそれから2日後、ビエルサ監督は突如クラブを離れると発表。その理由は「クラブが期限までに要求した選手を獲得していないから」だった。ラツィオ側は契約不履行を訴え、5000万ユーロ(およそ80.6億円)の違約金を求めて裁判に臨んでいた。
1位:ルロイ・ロシニアー

解任されたクラブ:トーキー・ユナイテッド
シーズン:2007-08
在任日数:10分
2002年から2006年までトーキー・ユナイテッドを率いたルロイ・ロシニアー氏。リアム・ロシニアーの父親にあたる監督で、それからシュルーズベリー・タウンのコーチやブレントフォード監督、シエラレオネ代表監督を務めていた。
そして2007年6月1日にトーキー・ユナイテッドと再び契約したが、彼の就任が発表された10分後にクラブが地元のコンソーシアムに売却されることになり、新CEOのコリン・リーがロシニアーとの契約を破棄。