いまや世界有数のストライカーになったナイジェリア代表FWヴィクトル・オシメーン。
シャルルロワ時代に森岡亮太とともにプレーした彼は、セリエAのナポリで大暴れして、一躍スターになった。
現在では7000万ユーロ(118億円)もの市場価値がある世界的選手になったが、ラゴスでの幼少期は苦しい環境にあったようだ。Daddy FreezeのYouTubeチャンネルでこう明かしていた。
「アフリカ最大のゴミ処理場のひとつの近くで育った。
よく友達と服を拾いに行ったものさ。牛乳など賞味期限切れの食品もね、でも、それ以外の方法を知らなかった。
家では兄弟ら7人で同じ部屋で過ごし、99%の時間は電気がなかった。僕らは路上で働き、自分はパンと水を売り、兄弟のひとりは新聞を売っていた。
父が初めて僕の試合をテレビで見たのは、U-17W杯だった。姉が父を隣の家に連れて行った。そこにはテレビも電気もあったからね。
父は僕を見ると、崩れ落ちて泣き出した自分にとって一番大切なのは、朝目覚めたときに家族が屋根の下で暮らせると実感すること」
実際、オシメーンは、収入を得るとすぐに父と家族のために家を購入したそう。
26歳になった彼は、トルコのガラタサライからナポリにローンバックしており、今夏の去就が注目されている。