【インタビュー】「自分の信じた道を突き進んで…」日本プロリーグ初の京都大出身GKが成長を誓う
【インタビュー】「自分の信じた道を突き進んで…」日本プロリーグ初の京都大出身GKが成長を誓う

昨年12月、J3福島ユナイテッドFCは東北1部みちのく仙台FC・GK田中雄大の入団を発表した。

京都大出身者では史上初となるJリーガーとして注目を集めたとともに、SNSなどでは『Jリーグで四人目の田中雄大』としても話題になった。

今回Qolyは福島の背番号41にインタビューを実施。

田中のこれまでのキャリアや、福島ユナイテッドに入団した経緯などを伺った。

(取材・文・構成 縄手猟 撮影 高橋アオ)

【インタビュー】「自分の信じた道を突き進んで…」日本プロリー...の画像はこちら >>
京都大出身初のJリーガーとなった田中

「こういうところに自分は来たんだ」

田中は日本有数の名門国立大学である京都大を2022年に卒業後、これまで関西1部おこしやす京都AC、みちのく仙台でプレーしてきた。

今季から加わった福島では、日々プロのレベルの高さを感じながらトレーニングに励んでいる。

福島の背番号41は、すべてにおいて地域リーグよりも「スピードが速い」と言う。

「パスも速いですし、シュートも速いです。次に来るプレーや次の展開に至るまでが早いので、いままでは予測を立てて、頭を動かすというのを一つ意識してやってきましたが、それがもう三段階ぐらい上じゃないとやっていけないというのを、最初はすごく思い知らされました」と、福島でプロの洗礼を受けた。

【インタビュー】「自分の信じた道を突き進んで…」日本プロリーグ初の京都大出身GKが成長を誓う
【インタビュー】「自分の信じた道を突き進んで…」日本プロリーグ初の京都大出身GKが成長を誓う
チーム練習でシュートを止める田中

今年5月11日に行われた天皇杯福島県代表決定戦で、福島は東日本国際大と対戦した。

この日、田中は同クラブ入団以降、公式戦で初めてメンバー入り。ベンチから試合を見守っていた。

そして福島が7点をリードして迎えた後半32分、GK安西駿との交代で田中がピッチに足を踏み入れた。

「スコア的にはかなり点差がついていましたが、自分の出せる力はしっかり出して、そのまま失点をゼロで終えることを意識して入りました」

田中にとってプロ入り後初の公式戦出場だっただけでなく、京都大出身のプロサッカー選手として初めてJリーグのチームで公式戦のピッチに立った歴史的な瞬間だった。

福島サポーターの声援の中、プレーした田中は「かなり緊張はしましたけど、クラブのサポーターの皆さんの声援を聞くと、『こういうところに自分は来たんだ』と感じた」とプロサッカー選手になった自覚を改めて感じた。

福島の背番号41は、昨季までみちのく仙台でプレーしながら、福島のスタッフとしてホームタウンで個人宅訪問やあいさつ運動などをして地域の人たちと交流した。

だからこそ、スタジアムにこだまするサポーターの声援を聞いて、「感謝の想いを一段と強く感じた」と振り返った。

【インタビュー】「自分の信じた道を突き進んで…」日本プロリーグ初の京都大出身GKが成長を誓う
【インタビュー】「自分の信じた道を突き進んで…」日本プロリーグ初の京都大出身GKが成長を誓う
安西駿(写真右)との交代でピッチインした田中(写真左)

この試合は福島が10-0で相手を圧倒して、福島県代表として天皇杯出場を決めた。田中もピッチ上で選手たち、そしてサポーターとともに喜びを分かち合った。

短い出場時間ではあったものの、これまで「学業とサッカーで一番」を目指してきた田中にとって、大きな一歩だった。

次項以降は、プロサッカー選手としてのキャリアを歩み始めた男の福島入団までの道のりに迫る。

“田中雄大”の活躍がきっかけでサッカーに没頭

滋賀県野洲(やす)市出身の田中は小学校に入学後、地元の少年サッカーチームである野洲JFCに入団して本格的にサッカーを始めた。

当初は「(気温が)暑すぎて泣いていた」と、弱さをのぞかせる一面もある少年だったが、当時テレビで見た“ある選手”の姿に感銘を受けてサッカーにのめりこんだ。

【インタビュー】「自分の信じた道を突き進んで…」日本プロリーグ初の京都大出身GKが成長を誓う
【インタビュー】「自分の信じた道を突き進んで…」日本プロリーグ初の京都大出身GKが成長を誓う
野洲高卒業後、関西大を経て川崎などJリーグのクラブで活躍した田中(写真左、Getty Images)

「ちょうど、僕が小学1、2年ぐらいのときに野洲高が(全国高校サッカー選手権大会で)優勝しました。そのときにチームキャプテンをしていた人が、あの田中雄大(ヴィッセル神戸サブチーフスクールコーチ)選手。もう引退されましたけど、同姓同名の選手が大舞台で活躍されている姿に感銘を受けて、『僕もサッカーに情熱を持って頑張りたいな』と思うようになりました」

Jリーグ史上『四人の田中雄大』の一人でもある当時野洲高の主将を務めた田中は、3バックの一角として2005年の選手権に出場。高い技術力を誇り、観客を魅了した『セクシーフットボール』で大会を席巻し、同校史上初の選手権優勝に貢献したDFの姿に、田中少年はくぎづけになった。

【インタビュー】「自分の信じた道を突き進んで…」日本プロリーグ初の京都大出身GKが成長を誓う
【インタビュー】「自分の信じた道を突き進んで…」日本プロリーグ初の京都大出身GKが成長を誓う
練習後に撮影に応じてくれた田中

小学4年までは同姓同名のレジェンドと同じDFとしてプレーしていた田中だったが、小学5年のときに、腰を疲労骨折。

その後試合に出られない時期を過ごしたが、コーチから「キーパーをしないか」という提案を受けて、小学6年のときにGKへポジションを変更した。

野洲JFCでは、二つ上の学年に現在J1川崎フロンターレでプレーしているMF山本悠樹がいた。

山本とは実家が近所だったこともあり、よく一緒にボールを蹴った仲だった。

中学進学後も同じチームに所属し、田中は中学1年のときに3年の試合に出場していたため、ここでも二人は共闘した。

福島の背番号41は「困ったら山本くんにボールを出すぐらいの気持ちでプレーしていました(笑)。それぐらい存在感がありましたし、何でも助けてくれる選手でした」と、際立っていた山本のプレーを回想した。

【インタビュー】「自分の信じた道を突き進んで…」日本プロリーグ初の京都大出身GKが成長を誓う
【インタビュー】「自分の信じた道を突き進んで…」日本プロリーグ初の京都大出身GKが成長を誓う
川崎でプレーする山本。小中学生のチームで田中とプレーした(Getty Images)

当時から「勉強もサッカーも一番になりたい」「文部両道でやっていきたい」と考えていた田中は、関西屈指の進学校である膳所(ぜぜ)高に進学した。

同高は名門大学へ毎年多くの合格者を出しているだけでなく、過去に上野展裕(のぶひろ、前ベトナム1部ビンフォックFC監督)、矢島卓郎(川崎アカデミーサポートコーチ)らJリーガーも輩出している。

また、実家がある野洲市には野洲高、同市に隣接する草津市には草津東高など、サッカーの強豪校があり、田中はそれらの高校の存在が刺激になっていたという。

「僕も中学生のときは県のトレセンに選んでいただいていたので、その友達がサッカーの強豪校に行っていました。だからこそ、『膳所でもそういったところと戦って勝てるんだ』というのを証明したい。

そういった結果を残したいと思っていたので、意識はすごくしていました」と高校サッカー部時代を振り返った。

【インタビュー】「自分の信じた道を突き進んで…」日本プロリーグ初の京都大出身GKが成長を誓う
【インタビュー】「自分の信じた道を突き進んで…」日本プロリーグ初の京都大出身GKが成長を誓う
福島のエンブレムに手を置く田中

膳所高サッカー部は、学業でもチームメイト同士で競争しながらお互いを高め合った。

当時京都大現役合格を目指していた田中は「(勉強の)工夫をしたというより、サッカー部がすごく(学業の)成績も良くて、みんなで競い合っていました。そのために何ができるかというところで、時間を無駄にしないために電車の移動時間に単語帳をやったり、塾に行って予習、復習をやるとか、そういった生活をちゃんとする。サッカーをしていない時間は、極端に言えば全部勉強するぐらいの気持ちで、時間をうまく使うことを意識してやっていました」と、チームメイトと切磋琢磨して受験勉強に励んだ。

最終的に、当時の膳所高サッカー部3年は、田中を含む6人が現役で京都大に合格した。

研究室での学びがいまに生きる

2018年4月、田中は京都大農学部に進学した。

受験勉強を終え、再び大好きなサッカーができる喜びをかみしめた田中は「合格が決まった三日後ぐらいには(京都大体育会サッカー部の)練習に参加させてもらっていて、現役のサッカー部の人たちと新歓(新入生歓迎会)をして、『一緒にやろう!』と勧誘をしていました(笑)」と、誰よりも早く同大サッカー部に合流して、ともにサッカーをする仲間を募った。

【インタビュー】「自分の信じた道を突き進んで…」日本プロリーグ初の京都大出身GKが成長を誓う
【インタビュー】「自分の信じた道を突き進んで…」日本プロリーグ初の京都大出身GKが成長を誓う
田中が学生時代に通った京都大(Getty Images)

田中は大学1年のときに、東京大との『双青戦(そうせいせん)』に出場。スクールカラーが「青」の名門国立大同士による伝統的なスポーツ定期戦は、両校のプライドと意地がぶつかり合う「勝利以上のものを求める」戦いだ。

この試合に出場したGKは、「かなりバチバチした戦いで、お互いに応援団がついて、すごく盛り上がる試合だった。すごく高揚しながらプレーをさせてもらった記憶はいまでも残っています」と、当時の激闘を振り返った。

【インタビュー】「自分の信じた道を突き進んで…」日本プロリーグ初の京都大出身GKが成長を誓う
【インタビュー】「自分の信じた道を突き進んで…」日本プロリーグ初の京都大出身GKが成長を誓う
真剣なまなざしでトレーニングに取り組む田中

同大サッカー部は、学生主体で活動していた。

田中は、プレー面や組織づくりで「チームが良くなるためにはどうするべきか」についてチームメイトとともに熟考し、試行錯誤しながら自身の成長につなげた。その経験は、プロサッカー選手となった現在も生きているという。

また、「こだわりを持ったことに対して、とことん追求する人たちが多かった」と言う京都大サッカー部のチームメイトとは、仮説を立てて検証をしてフィードバックをし合うなど、日本有数の名門大らしい方法でサッカーの技術上達を図った。

【インタビュー】「自分の信じた道を突き進んで…」日本プロリーグ初の京都大出身GKが成長を誓う
【インタビュー】「自分の信じた道を突き進んで…」日本プロリーグ初の京都大出身GKが成長を誓う
チーム練習で汗を流す田中

田中は大学4年のときに、同大農学部の応用生命科学科・発酵(はっこう)生理及び醸造(じょうぞう)学研究室に入り、そこでは微生物や発酵の研究に精を出した。

特に同選手が注力した研究は「微生物を使った持続可能な陸上養殖のための水質浄化技術」についてだ。水を地下水から汲んで、循環して陸上養殖で使っていくと、地下水が枯渇してしまう課題がある。

陸上養殖で地下水を循環利用していくためには、魚のフンなどから発生するアンモニアを除去しなければならない。アンモニアを微生物の力で除去しようとしてつくった製剤の活性を調べる実験などがに、田中は力を注いだ。

この技術は、陸上にある魚の養殖場だけでなく、水族館の水槽や下水処理場などでも活用されている。

【インタビュー】「自分の信じた道を突き進んで…」日本プロリーグ初の京都大出身GKが成長を誓う
【インタビュー】「自分の信じた道を突き進んで…」日本プロリーグ初の京都大出身GKが成長を誓う
田中が研究していた微生物を活用した水質浄化技術は陸上の養殖場などで使われている(Getty Images)

福島は『福島ユナイテッドFC農業部』という福島県産物の魅力をPRする活動を行っている。田中個人としても『田中雄大の福島発酵ラボ』というインスタグラムの企画で、福島県の豊かな発酵文化について発信するなど、学生時代に没頭した研究を地域との交流に生かしている。

「微生物などは、アスリートの身体的なところで言うと、腸内細菌がジャンルとしてつながってくる。

発酵(した食材)も、体にいい食品があるので、アスリートとして、食などに興味を持てるきっかけになった」と説明した。

また、「実験もたくさんやっていたので、そこで仮説を立てて実験して、それがどうなるのかと考察する流れはサッカーにおいても大事。例えば一つのプレー、キックにしてもそうです。これがどういうフォームで蹴ったらうまくいくのかということを、仮説を立てて実際にやってみて、動画を撮って見比べて検証したり。そういうサイクルをつくる大切さは、実験や研究室の中で教えていただいたことです」と、京都大の研究室で得た学びをサッカーにも生かしている。

「サッカーを続けられたらベスト」

2021年の夏、大学4年となった田中は京都大大学院を受験した。

「当時はまだサッカーを続けるかどうかを悩んでいたので、一応受けました。内部生でもあったので、合格はいただいて、その後どうしていくかを考える時間的猶予をもらいました」

当時は「サッカーを続けられたらベスト」と考えていた田中。しかし、Jリーグクラブからのオファーはなく、一時は合格した大学院への進学や一般企業への就職も考えていたという。

福島の背番号41は、「サッカーを続けられなかったとしても、サッカーと栄養とか、スポーツにアカデミックな観点から関われるような仕事をしたいと思っていました。特に食にはとても興味があったので、就職するなら味の素さんに行けたらいいなと、ふんわり思っていました」と明かした。

それでも田中は、サッカー選手になる夢を諦めなかった。同年の秋ごろ、おこしやす京都が開催した合同セレクションに参加。

このセレクションには地域リーグのほか、JFL、Jリーグのチームのスカウトも集まっていた。

【インタビュー】「自分の信じた道を突き進んで…」日本プロリーグ初の京都大出身GKが成長を誓う
【インタビュー】「自分の信じた道を突き進んで…」日本プロリーグ初の京都大出身GKが成長を誓う
チーム練習中の田中

セレクションに参加したGKは、チャンスをつかもうと奮闘した。

すると、おこしやす京都の添田隆司代表取締役社長の目に止まった。おこしやす京都は関西1部に所属しながら同年の天皇杯で、J1サンフレッチェ広島を破ってジャイアントキリングを起こしたクラブだ。

田中は添田代表から声をかけられた当時を振り返り、「まさかそんなチームから声がかかるとは思っていなかったので、興味を持っていただいてありがたいと思いました」と詳述した。

添田代表は、日本最高の名門国立大学である東京大を卒業後、当時J3・藤枝MYFCでプレーした元Jリーガーだ。同代表も安定を捨ててプロサッカー選手の道に挑戦した過去があり、京都大からサッカー選手を目指す田中にとって、ロールモデルとなる存在だった。

【インタビュー】「自分の信じた道を突き進んで…」日本プロリーグ初の京都大出身GKが成長を誓う
【インタビュー】「自分の信じた道を突き進んで…」日本プロリーグ初の京都大出身GKが成長を誓う
チーム練習で汗を流す田中

2022年におこしやす京都に社員プレーヤーとして入団したGKは、スポーツX株式会社の社員として地域の企業を訪問してスポーツの魅力を伝えながら、週末のリーグ戦を戦う日々を送った。

田中は「最初に入ったときは、(レベルが)かなり高いと思いました。元プロ選手がたくさんいたので、『この中でやっていけるのか』と思いましたが、徐々に慣れていく部分はありました。その中でまだまだ自分にも伸びしろがあるからこそ、時間がかかったとしても、頑張ろうと思っていました」と入団当初を振り返った。

【インタビュー】「自分の信じた道を突き進んで…」日本プロリーグ初の京都大出身GKが成長を誓う
【インタビュー】「自分の信じた道を突き進んで…」日本プロリーグ初の京都大出身GKが成長を誓う
シュート練習でボールをキャッチする田中

2024年には、同じスポーツXが運営しているみちのく仙台へ移籍した。いままで関西から出て生活をした経験がなかった田中は「最初は『どうなるんだろう』と不安もありました」と明かしたが、「(関西を)出てみて意外とすぐに環境にも慣れました。また違う気候もそうですし、食文化など、日本の地域の違いの良さを感じながら生活できました」と、新たな環境をたのしんだ。

みちのく仙台では、J2ブラウブリッツ秋田から期限付き移籍したMF鈴木陽成(ひなせ)とともにプレー。当時Jリーガーを目指していた田中は「みちのく(仙台)にJリーグの選手が来るというのは、チームとしてすごく刺激になりました」と、より一層サッカーに情熱を注いだ。

“三人の田中雄大”の活躍が刺激に

そして昨年12月、ついに田中はJ3を戦っている福島への入団が決まった。

京都大出身者初のJリーガーとして注目を集めた田中だが、同時に「Jリーグ通算四人目の田中雄大」としても話題になった。

最初に登録された田中雄大とは同じ滋賀県野洲市出身で、二人目の田中雄大はポジションが同じGK、三人目の田中雄大は生まれ年が同じ1999年生まれと、偶然にも全員に何らかの共通点がある。

福島の背番号41は、「J1などで活躍されてこられた皆さんなので、まだまだ自分はそこには及ばない。意識するというより、刺激をもらっていますね。検索すると、ほかの田中雄大が一番先に出てくる。 でも、同じ名前で活躍している人がいることで、『一緒に戦っている感』みたいなものを勝手に感じさせてもらいながら頑張れている」と、ほかの田中雄大の活躍が力になっているようだ。

【インタビュー】「自分の信じた道を突き進んで…」日本プロリーグ初の京都大出身GKが成長を誓う
【インタビュー】「自分の信じた道を突き進んで…」日本プロリーグ初の京都大出身GKが成長を誓う
プロ公式戦デビューを果たした田中

福島は現在リーグ戦12位と、昇格に向けて苦しい順位だが、新人GKは諦めていない。

田中は「まずはチームとしてしっかりJ2昇格という目標を達成すること。そのために自分がまずできることを。それはピッチに立って活躍することでもありますし、それ以外のところでもできることはたくさんあると思う。1分、1秒しっかりとチームのために行動できるようにやっていきたい」と、今季の意気込みを語った。

【インタビュー】「自分の信じた道を突き進んで…」日本プロリーグ初の京都大出身GKが成長を誓う
【インタビュー】「自分の信じた道を突き進んで…」日本プロリーグ初の京都大出身GKが成長を誓う
天皇杯福島県代表決定戦でプロデビューを果たした田中

また福島入団以降、地域の個人宅訪問やあいさつ運動などを続けている田中は、クラブがより多くの人に応援されるように成長するためにも、この活動に引き続き力を入れていきたいと考えている。

「福島が地域の皆さんに応援していただいているチームだからこそ、(地域の)皆さんの生の声を聞いて、勉強させていただくことは大切だと思います。こうして一軒、一軒まわっていくことで、少しでも僕の存在であったり福島の存在が、身近に感じてもらえたらいいなと思っています。その『日常に溶け込んでいる感』というのは、いずれ福島ユナイテッドを力強く応援してくれる人たちが増えるきっかけにもなると思う。もちろんプレーが大事ですが、地域活動もプロだからできる活動でもあると思うので、今後も(この活動を)大切にして、しっかりやっていきたい」とこぶしを握りしめた。

【インタビュー】「自分の信じた道を突き進んで…」日本プロリーグ初の京都大出身GKが成長を誓う
【インタビュー】「自分の信じた道を突き進んで…」日本プロリーグ初の京都大出身GKが成長を誓う
練習後に撮影に応じてくれた田中

最後に田中は、やりたいことや進路で悩む人へ、メッセージをくれた。

「僕も最初は迷いながら進路を決めた部分がありますが、退路を断って覚悟を決めて進んでいくことで、見えてくることもあると思う。思い切ってまずは飛び込んでもいいと思います。

あとは努力も大切ですが、環境に入って慣れていけば、道が見えてくることもあると思うので、『心配しすぎずに』じゃないですけど、自分の信じた道を突き進んでいくことが、道を切り開く一つの手段だと思います。一緒に頑張っていければと思っています」

学問とサッカー、田中はこれまでそのどちらにも真摯に向き合ってきた。彼の歩みは、夢を諦めないすべての人にとって力強い希望になる。

異色の経歴を持つGKの挑戦は始まったばかりだ。

編集部おすすめ