しばらく低迷が続いたザ・ローリング・ストーンズは、1978年のアルバム『女たち(原題:Some Girls)』の大ヒットで商業的なカムバックを果たし、その勢いのまま80年代に突入した。
10位 『オールモスト・ヒア・ユー・サイ(原題:Almost Hear You Sigh)』
1988年、ローリング・ストーンズは解散の危機に直面していた。ミック・ジャガーは直前の2枚のアルバム制作にほとんど参加せず、ソロ・プロジェクトの立ち上げに時間を割いていた。そんな状況の中、ジャガーがジョー・サトリアーニをギターに迎えてソロ・ツアーを敢行し、しかもセットリストのほとんどがストーンズの曲で埋められていたこともキース・リチャーズを激怒させた。1988年まで待ち続けたキースもついに痺れを切らし、長年の友人でもあるドラマーのスティーヴ・ジョーダンと共に初のソロ・アルバムを制作した。2人の作った曲の中でも逸品は、キース自身が"『ビースト・オブ・バーデン』のいとこ"と呼ぶ『オールモスト・ヒア・ユー・サイ(原題:Almost Hear You Sigh)』だ。1989年後半にミックがメンバーに歩み寄り、新たなアルバム制作に取り掛かろうという時、キースが埋もれていたこの曲を引っ張り出し、他のメンバーが味付けをした。その結果、美しくセンシティヴなバラードができあがり、スティール・ホイールズ・ツアーにおけるハイライトのひとつとなった。
9位 『ハング・ファイヤー(原題:Hang Fire)』
ストーンズがアルバム『女たち』の制作を開始した1977年、イギリスの経済は悲惨な状況に陥っていた。この環境がセックス・ピストルズに『ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン(God Save the Queen)』を作らせ、普段は政治に無関心なストーンズでさえも『ハング・ファイヤー』を書いた。「何も食うものがない/働く場所もない/酒もなければ/着るものもない」とジャガーが歌う。アルバム『女たち』に収録できなかった素晴らしい曲が多くあり、『ハング・ファイヤー』もそのうちの1曲だった。この曲は3年後のアルバム『刺青の男』に収録され、サード・シングルとして世の中に流れた。バンドはプロモーション・ビデオも制作したが、撮影には少なくとも45分はかかったはずである。この曲が最後に演奏されたのは1982年だった。
8位 『リトルT&A(原題:Little T & A)』
ストーンズには、『悪魔を憐れむ歌(原題:Sympathy for the Devil)』のように意味深な歌詞の曲もあれば、『リトルT&A』のようにキースが、あるグルーピーの"乳と尻(Tits & Ass)"のことを3分間ひたすらわめき続けるような曲もある。この曲は前年にリリースされたアルバム『エモーショナル・レスキュー』の頃に作られたが、アルバム『刺青の男』まで日の目を見なかった。この曲がリリースされる頃、キースは将来の伴侶パティ・ハンセンと付き合っていたが、彼女はもちろんこの曲を気に入らなかった。キースの2人の娘たちはお気に入りだというこの曲は、1982年以来セットリストから消えていたが、2006年にビーコン・シアターでのライヴで復活し、マーティン・スコセッシ監督ドキュメンタリー映画『ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト(原題:Shine a Light)』で観ることができる。
7位 『ミックスト・エモーションズ(原題:Mixed Emotions)』
1989年春、ミック・ジャガーとキース・リチャーズは関係修復のためにバルバドスを訪れ、その夏に予定されていたツアーに合わせて急ぎアルバム用の曲作りに入った。『ミックスト・エモーションズ』は特に典型的な共同作品と言える。キースがソロ曲『ユー・ドント・ムーヴ・ミー(原題:You Dont Move Me)』でジャガーを"貪欲なケチ野郎"と激しく攻撃したのに対抗した歌詞を、ミックが書いている。「この曲には多くの非難の応酬が詰め込まれている」とミックは語る。アルバム『スティール・ホイールズ』からのファースト・シングルで、ラジオやMTVを賑わした。にも関わらず、1990年以来この曲は1度しかライヴで演奏されていない。
6位 『氷のように(原題:Shes So Cold)』
1970年代後半のある時、ミック・ジャガーが振られた"とても愛らしい美人"が誰なのかは不明だが、ジャガーに影響を与えた彼女がこの曲のインスピレーションになっているのは間違いない。「彼女の心にまた火を付けて/もう一度夢中にさせたい/彼女のエンジンは止まったまんまだ」とミックは歌う。このようなシチュエーションをミックはそれまで経験したことがなかったはずだ。アルバム『エモーショナル・レスキュー』からのセカンド・シングルは、イギリスで33位と、当時の彼らにしてはかなり低調な結果に終わった。一般受けしなかったものの、この曲はジャガーのお気に入りで、今なおライヴのセットリストに入っている。
5位 『アンダーカヴァー・オブ・ザ・ナイト(原題:Undecover of the Night)』
アルバム『刺青の男』の予想外の成功で自信をつけたストーンズは、1982年後半、アルバム『アンダーカヴァー(原題:Undecover)』の制作に取りかかった。
4位 『友を待つ(原題:Waiting on a Friend)』
1981年夏、ストーンズはニュー・アルバムをリリースしてツアーへ出る計画を立てていた。しかし、曲作りとレコーディングの苦労からは逃れたいと考えていた。そこで思いついたのが、70年代のアルバム制作時の未収録曲の発掘だった。そうして出来上がったのが『刺青の男』である。『友を待つ』は、1972年のアルバム『山羊の頭のスープ(原題:Goats Head Soup)』のセッション中に作った曲に歌詞を付け、部分的にオーバーダビングした。そうして10年前の焼き直しとは思えない代表曲に仕上がった。曲はラジオで大ヒットし、さらにレッド・ツェッペリンのアルバム『フィジカル・グラフィティ』のジャケットで有名なセント・マークス・プレイスの前で撮影されたプロモーション・ビデオは、初期のMTVを飾る代表作となった。
3位 『エモーショナル・レスキュー(原題:Emotional Rescue)』
悲劇的な死を迎える数日前、ジョン・レノンはローリングストーン誌にミック・ジャガーへの称賛の言葉を語っている。
2位 『ワン・ヒット(原題:One Hit (to the Body))』
再結成レッド・ツェッペリンによるライヴ・エイド出演を終えたジミー・ペイジが、いわく付きのアルバム『ダーティ・ワーク(原題:Dirty Work)』(1986年)をレコーディング中のストーンズの元を訪れた。彼は契約上の問題からクレジットされず、報酬も支払われないものの、『ワン・ヒット』でギターを弾くことを引き受けた。さらに偶然が重なり、ボビー・ウーマック、パティ・スキャルファ、ドン・コヴェイもバックヴォーカルとして参加した。まさに奇跡的な1度きりのスーパーグループだった。バンド内の不和やミック・ジャガーの非協力的な態度のために台なしになってしまう所だったが、この曲はアルバム『ダーティ・ワーク』を代表する曲となった。
1位 『スタート・ミー・アップ(原題:Start Me Up)』
1975年春、ローリング・ストーンズはアルバム『ブラック・アンド・ブルー(原題:Black and Blue)』へ向けたセッションで、『ネヴァー・ストップ(原題:Never Stop)』と呼ばれるレゲエ曲を作った。3年後、アルバム『女たち』製作中にこの曲は、キース・リチャーズのキレの良いリフと共にロック曲として生まれ変わった。その時はアルバムには収録されなかったが1981年、プロデューサーのクリス・キムゼイが『刺青の男』向けに過去の未収録曲を漁っている最中に、この曲をたまたま発見した。バンドはついにこの曲に息を吹き込み、アルバムに収録した。アメリカのビルボード・ホット100で2位を獲得したこの曲は、現在に至るまでバンドの最後の世界的なヒットとなった。さらに、その後何年間もツアーのオープニングを飾った。