『シックス・センス』(1999年)、『アンブレイカブル』(2000年)、『サイン』(2002年)など、キャリア初期のヒット作が尽きると、ハリウッドはシャマランを「終わった監督」だと見放した。だが、彼の物語はそこから始まった。
M・ナイト・シャマランは、フィラデルフィアの西に125エーカー(約50万5千平方メートル)のカントリーハウスを構え、2007年以来家族とともに暮らしている。
フィラデルフィアのダウンタウンにある、明るくて開放的な農場レストランで朝食を取りながらのインタビュー。この後はここからそう遠くない場所で、Apple向けの新TVシリーズのロケハンをする予定になっている。充実した人生の多忙な一日――。もちろん、数々の問題や仕事での浮き沈みは経験してきた。「僕は地元で映画を作るんだよ」と、48歳のシャマラン監督はやや鼻にかかった、常時熱に浮かされているような声で話した。彼の作品はほぼすべて、故郷フィラデルフィア市内、もしくは近郊が物語の舞台となっている。医者の両親に連れられて幼い頃にインドから移住し、ここで私立の学校に通った。「今日は、娘のフランス語のテストを手伝ってやって、ロケハンをする予定だ」と監督。「両方いっぺんでも平気だよ。こういう朝を迎えられることに感謝しているんだ。これ以上ないほど最高の人生だ」
実際のところ、最高以上の人生だ。
「サスペンス・スリラーとコミックものの融合なんだ」とシャマラン監督。「アクションやCGIではマーベルに敵わないけどね」。この日監督が身に着けていたのは紫色のシャツ。1983年当時のプリンスを真似たかのような、ちょっと変わったファッションセンスをもつジャクソン演じるキャラクター、ジョン・バルベイトスに敬意を払ったものだ。シャマラン監督には独特なカリスマ性がある。甲高い声で気さくに笑い、大きくて優しげな茶色の瞳は何ひとつ見逃さない(「ああ、見てごらんよ、すごく愛らしい」と、年長の男性が、トイレに立つ前に妻の額にキスするのを見てこう言った。「奥さんのほうは完全に無視してるけど、それがまたたまらないね」)。ごく普通の男性という雰囲気や、誰の目にも明らかな謙虚さは、ひょっとすると意図しているのか、はたまた上辺だけのものかもしれないが、それでもチャーミングであることには変わりない。
『シックス・センス』で(あるいは、サミュエル・L・ジャクソン流に言えば「死んだ人が見える映画」)、シャマランは監督の知名度だけで映画が売れる類のディレクターの仲間入りを果たした。
彼のキャリアは2006年の『レディ・イン・ザ・ウォーター』から転落の一途をたどる。水の妖精が運命の導きで集合住宅を訪れるという、なんとも奇妙な、専門用語が飛び交うおとぎ話の要素に満ちたファンタジーだ。かつてシャマランを「次世代スピルバーグ」ともてはやした批評家たちの一部は、世界を変えることを運命づけられた作家役に監督自身が出演したことに奢りの匂いを感じ取り、映画に出てくる狼もどきのスクラントの群れのごとく彼をとことん攻撃した。だがこれも、2008年の次回作『ハプニング』のキャスティングと比べればかわいいものだ。この作品は、マーク・ウォールバーグ演じる科学教師が掲げる論説(以下ネタバレあり)――人間に占拠された樹木が結託して有毒ガスを発散し、人間に自殺させる――という、映画の本筋以上に非現実的だった。それなりにヒットはしたものの、またもや批評家から酷評され、のちにウォールバーグ本人も「最悪の映画」と口にした。
平静を失ったシャマラン監督は、その後『エアベンダー』(ニコロデオンのアニメ番組が原作)と『アフター・アース』(ウィル・スミスの頭に浮かんだ奇妙なアイデアを基にした)という、2本の子ども向け長編ハリウッド映画を制作したが、いずれも悲惨な結果だった。「あのときの気分は、自分らしさを失い始めたんじゃないかという感じだった」と本人も言う。「僕は、大きな組織の中で仕事をするのには向いてないんだよ」。
シャマラン監督は2018年、この危機的時期の暗い胸の内を、ドレクセル大学の卒業スピーチで詳細に語った。彼はまず、キャリアの輝かしいバージョン、あらゆる栄誉と称賛、成功を紹介した。そして今度はその裏側、2013年ごろに精神的にどん底を迎えた時期へ話題を移した。「気が付けば、私は自分自身を、頭に浮かんだあらゆる考えに疑問を持つようになりました」と監督。「この業界では、私は役立たずの烙印を押されています。教訓話のひとつなのです。一時は運が向いていたが、結局は食わせ者だった、と……私はもう自分を信じないことにしました」
FOX TVの『ツインピークス』的カルト人気番組『ウェイワード・パインズ 出口のない街』でそれなりの成功を収め、自信を取り戻すと、屋敷を担保に500万ドルの融資を得て、自主制作で小規模な映画を制作した。それが、発見された映像から作ったというスタイルのホラー映画『ヴィジット』だ。彼はLAへ向かい、ラフカットをハリウッドの全スタジオに見せて回ったが、どこも興味を示さなかった。失意の彼は、何百ドルもの損失とキャリアの終焉に怯えた。
25年間連れ添った妻バーヴナ・シャマラン博士と、3人の娘が待つ自宅へ戻った彼は、すぐさま娘の1人とジグソーパズルを組み立てた。それが人生を変える、宇宙の真理ともいうべき瞬間だった。「なぜ我々は次のピースを探し続けたのでしょう?」と、スピーチの中で彼は言った。「なぜなら、そこに1枚の絵があると知っていたからです……そのとき、突然すべてが……強烈なほど単純で、正しいことのように思えました。自分の人生がどんな絵かを知る必要はないんだと。自分はただ、そこに絵があると信じさえすればいいのだと」。彼は自分の力が及ぶことにのみ集中し、再び『ヴィジット』の撮影に取り組んだ。撮り直したカットをユニバーサルのもとへ持ってゆくと、ホラーの達人ジェイソン・ブラム氏がプロデューサーとして起用された。映画は最終的に9800万ドルの興行収入をあげた。
シャマランの制作会社の壁には、『ヴィジット』を却下した全映画関係者の名前を記載した紙が張ってある。監督曰く、彼らのほとんどはその後失業したという。「このリストは僕にとっていろんな意味があるんだ」とシャマランは語る。
彼はさらに賭けに出て、再び私財を投げ打って次回作『スプリット』を撮影した。今回の制作費は900万ドル。リリースするやヒットを飛ばし、あっという間に元をとって、全世界で2億8000万ドルの興行収入をあげた。『スプリット』は、ケヴィン・ウェンデル・クラムと名乗るシリアルキラーを、不気味に、かつ見どころたっぷりに描いた物語。ジェームズ・マカヴォイが多重人格者を見事に演じ分けた。お得意の「この映画はあなたの予想を裏切ります」的なヒネリを長年封印してきたシャマラン監督は、『ヴィジット』でこれを復活させ、『スプリット』ではさらに進化させた(以下ネタバレあり)。
この映画には2つのヒネリが仕掛けてある。映画をまだご覧になっていない方には申し訳ないが、少々ネタバレするとしよう。
その瞬間、『スプリット』はおそらくハリウッド史上初の隠れ続編となり、『ミスター・ガラス』へのお膳立てをした。ウィリスの登場は、ジャクソンはもちろん、ユニバーサルのお偉方にとっても寝耳に水だった。彼らが心配していたのは、もともと競合会社であるディズニーに属していたキャラクターだということ――。だが、シャマラン監督はすでにディズニーとカメオ出演の契約を結んでおり、そのため『ミスター・ガラス』の劇場公開プランはユニークなものとなった。ユニバーサルは全米での配給を、海外配給はディズニーが担当する。両社ともこの映画のために、他の超大作の公開予定日を空けてくれた。5年間、映画監督として干された身には申し分ない条件だ。
シャマランは『ミスター・ガラス』で三度賭けに出た。前作2作の稼ぎはもちろん、所有地を抵当に入れて製作費に充てた。一部の報道によれば、制作予算は2000万ドルともいわれている。「バカじゃないかって?」と、監督は笑みを浮かべながらいった。「ベガスに行って、『この手で勝ったんだ、次も全額賭けるよ』、その次も『全額賭けるよ』って言い続けるみたいなものだね。自宅はいま完全にこの映画でがんじがらめさ……もし1月にこの映画が上手くいかなかったら、君んちのカウチで寝泊まりさせてもらおうかな」
もしシャマランがキャリアの方向を修正できたとすれば、彼が正しいエネルギーを宇宙に向けて注ぎ、正しい物事に集中したからだと、本人は信じている(もし、人生や芸能生活において彼が一風変わった精神世界に傾倒しているとすれば、ヒンドゥー教の家庭に育ちながら、カトリックの寄宿学校に通っていた経験に由来しているかもしれない)。「もし僕が作曲家なら、曲に集中するだろ」と監督。「わざわざエネルギーを費やして『お客に曲がどううけるか?』なんてコラムを書いたりしないよ」、さらに彼はこう続けた。「僕は自分の全てを注いだ。観客はお金を払って、全財産を注ぎ込んで全てを賭けたアーティストを目にするんだ。駆け出しのときみたいだったよ。全額つぎ込んで、撮影現場でそわそわしてるうちに朝が明けてきてさ。トレーラーなんかないから、凍え死にそうになりながら、『これで十分かな? いまのカットは上手くいったかな? 完成できるかな?』と思いをめぐらせる。こういうことすべてが、最高の自分を引き出してくれるんだ。もしうまく行かなくても、全てを過ぎ込んでいるわけだから、それだけでも十分だよ」
できることなら昔に戻って、「『アンブレイカブル』公開直後、カウチに寝そべりながら、(『シックス・センス』ほどの興行収入をあげられなかったから)失敗作だったかな、と思い悩んでいた若い頃の自分」に、きっといつかその思いは報われると言ってやりたい、というのが彼の願いだ。
左からブルース・ウィリスとM・ナイト・シャマラン、映画『ミスター・ガラス』の撮影現場にて(Photo by Jessica Kourkounis/Universal Pictures)
おそらくシャマランにとって最も重要なことは、彼が映画人としてのアイデンティティを取り戻したということだ。彼曰く、20代の頃は「一生スリラー映画を作っていくのも悪くないよ、なんて言っても納得できなかっただろうね。最初の頃は『待って、僕は他にもできるんだよ』って気分だった。でもそれは偽善的じゃないか。だって、本棚からアガサ・クリスティの小説を選んだとき、自分自身も映画でそれをやれるという期待感があったわけだから。今はよくわかる……これからずっとスリラー映画を作っていくのもいいかな、と思えたとき、全てが上手くいったんだ」
シャマラン監督は運転手つきのSUVに飛び乗り、そのまま赤レンガの家々が並ぶ一角へ向かった。タイトル未定のApple用の”サイコスリラー”番組の舞台となる場所だ。20人以上からなる撮影クルーの中には安全ベストを着用した姿もちらほら。全員が歩道に集合してボスの到着を待っていた。彼らの多くはシャマラン作品の常連。中には親子で参加している者もいる。この日は第1話のための撮影場所、不気味な乳母が新生児の生まれた夫婦の人生に現れる、うってつけな場所を探している。クルーの一人ひとりが、絵コンテ入りの撮影リストのコピーを手にしていた。
冒頭の一場面には、乳母が家の中に入るシーンがある。「彼女は雨の中をやってくる」。彼は、戸口をやってくる彼女の足のクローズアップの絵コンテを指さす。「まるで吸血鬼が初めて家の中に入ってくるみたいに、敷居をまたぐんだ」。このようなショットを組み立てることで、「ここがとても重要で、この家族はこの瞬間から後戻りできないんだ、ということを匂わせるのさ」と、監督自ら説明してくれた。
グレーのスカーフを肩にかけたシャマランは、一帯をぐるりと見て回り、窓越しのショットは上から撮るべきか下から撮るべきかを決めるべく、クルーが撮影現場用に借りた家の中へ入って行った。それから全員で数ブロック先のリッテンハウス・スクエア公園へ向かった。この後ここで、同じ回で登場する自動車事故後のリハーサルが行われる予定だ。「見物人はいる?」とシャマランが聞く。「どの辺にいてもらおうか?」
彼はリハーサル中ずっと動きを止め、観光客と言葉を交わし、ラブコメ好きな女性スタッフをからかった後、『ボヘミアン・ラプソディ』の感想を言ってきた。「すごく良かったよ」と監督。「本当に感動した。インド人の父親が息子を受け入れたときなんかもう……」といって、大げさに泣くしぐさをした。シャマラン自身、実のインド人の父の意思に反して、アイヴィー大学を蹴ってニューヨーク市立大学の映画学校に進学した経緯がある。
別れを告げる前に、私はサミュエル・L・ジャクソンと交わした会話のことに触れた。彼は、シャマランが18年前よりも「チームワークに慣れていた」と言っていた。昔なら、俳優に瞬きのタイミングさえも指示していたくらいだった、と。シャマランは目をぐるりと回して笑い声をあげた。「彼がそういう思い違いをしてくれて、うれしいよ」
M・ナイト・シャマランは、フィラデルフィアの西に125エーカー(約50万5千平方メートル)のカントリーハウスを構え、2007年以来家族とともに暮らしている。
フィラデルフィアのダウンタウンにある、明るくて開放的な農場レストランで朝食を取りながらのインタビュー。この後はここからそう遠くない場所で、Apple向けの新TVシリーズのロケハンをする予定になっている。充実した人生の多忙な一日――。もちろん、数々の問題や仕事での浮き沈みは経験してきた。「僕は地元で映画を作るんだよ」と、48歳のシャマラン監督はやや鼻にかかった、常時熱に浮かされているような声で話した。彼の作品はほぼすべて、故郷フィラデルフィア市内、もしくは近郊が物語の舞台となっている。医者の両親に連れられて幼い頃にインドから移住し、ここで私立の学校に通った。「今日は、娘のフランス語のテストを手伝ってやって、ロケハンをする予定だ」と監督。「両方いっぺんでも平気だよ。こういう朝を迎えられることに感謝しているんだ。これ以上ないほど最高の人生だ」
実際のところ、最高以上の人生だ。
「今は、自分のキャリアでもかなり面白い時期だね」と、シャマラン監督は少々控えめに言った。1月18日に日本公開を控えた新作映画『ミスター・ガラス』は、ドラマティックなショウビズ復活劇となることは間違いない。シャマラン監督の最大ヒットとなった2作品、2017年公開の多重人格スリラー『スプリット』と2000年公開のダークなスーパーヒーロー誕生ドラマ『アンブレイカブル』の続編にあたるこの作品には、『スプリット』の主演ジェームズ・マカヴォイと、『アンブレイカブル』の主演ブルース・ウィリスとサミュエル・L・ジャクソン(新作のタイトルになっている、キレ者だが骨がもろい悪者役を熱演)らが顔を揃える。
「サスペンス・スリラーとコミックものの融合なんだ」とシャマラン監督。「アクションやCGIではマーベルに敵わないけどね」。この日監督が身に着けていたのは紫色のシャツ。1983年当時のプリンスを真似たかのような、ちょっと変わったファッションセンスをもつジャクソン演じるキャラクター、ジョン・バルベイトスに敬意を払ったものだ。シャマラン監督には独特なカリスマ性がある。甲高い声で気さくに笑い、大きくて優しげな茶色の瞳は何ひとつ見逃さない(「ああ、見てごらんよ、すごく愛らしい」と、年長の男性が、トイレに立つ前に妻の額にキスするのを見てこう言った。「奥さんのほうは完全に無視してるけど、それがまたたまらないね」)。ごく普通の男性という雰囲気や、誰の目にも明らかな謙虚さは、ひょっとすると意図しているのか、はたまた上辺だけのものかもしれないが、それでもチャーミングであることには変わりない。
『シックス・センス』で(あるいは、サミュエル・L・ジャクソン流に言えば「死んだ人が見える映画」)、シャマランは監督の知名度だけで映画が売れる類のディレクターの仲間入りを果たした。
またこの映画で、当時の彼には不本意だったが、「ヒネリのあるホラー映画を作る男」という地位を得た。本人は次回作『アンブレイカブル』を、内容通りコミックムービーとして売り出したかったが、スーパーヒーローものはニッチな層にしか受けないと説得され、震撼スリラー映画として打ち出すことにした。「『あの手のコンベンションに行くような連中ばかりさ』」とシャマラン監督は、映画会社――それも、よりによって数年前にマーベルを買収したばかりのディズニーのお偉方――から説得された言葉を思い起こした。「『コミックという言葉を使えば、ここにいる人間すべてを無視することになるよ』ってね」
彼のキャリアは2006年の『レディ・イン・ザ・ウォーター』から転落の一途をたどる。水の妖精が運命の導きで集合住宅を訪れるという、なんとも奇妙な、専門用語が飛び交うおとぎ話の要素に満ちたファンタジーだ。かつてシャマランを「次世代スピルバーグ」ともてはやした批評家たちの一部は、世界を変えることを運命づけられた作家役に監督自身が出演したことに奢りの匂いを感じ取り、映画に出てくる狼もどきのスクラントの群れのごとく彼をとことん攻撃した。だがこれも、2008年の次回作『ハプニング』のキャスティングと比べればかわいいものだ。この作品は、マーク・ウォールバーグ演じる科学教師が掲げる論説(以下ネタバレあり)――人間に占拠された樹木が結託して有毒ガスを発散し、人間に自殺させる――という、映画の本筋以上に非現実的だった。それなりにヒットはしたものの、またもや批評家から酷評され、のちにウォールバーグ本人も「最悪の映画」と口にした。
平静を失ったシャマラン監督は、その後『エアベンダー』(ニコロデオンのアニメ番組が原作)と『アフター・アース』(ウィル・スミスの頭に浮かんだ奇妙なアイデアを基にした)という、2本の子ども向け長編ハリウッド映画を制作したが、いずれも悲惨な結果だった。「あのときの気分は、自分らしさを失い始めたんじゃないかという感じだった」と本人も言う。「僕は、大きな組織の中で仕事をするのには向いてないんだよ」。
最終的に彼が出した結論は、自分がもっとも自分らしくいられれば、商業的にも成功し、理解してもらえるということ。だが、気づいたときにはすでに相当痛い目に遭っていた。
シャマラン監督は2018年、この危機的時期の暗い胸の内を、ドレクセル大学の卒業スピーチで詳細に語った。彼はまず、キャリアの輝かしいバージョン、あらゆる栄誉と称賛、成功を紹介した。そして今度はその裏側、2013年ごろに精神的にどん底を迎えた時期へ話題を移した。「気が付けば、私は自分自身を、頭に浮かんだあらゆる考えに疑問を持つようになりました」と監督。「この業界では、私は役立たずの烙印を押されています。教訓話のひとつなのです。一時は運が向いていたが、結局は食わせ者だった、と……私はもう自分を信じないことにしました」
FOX TVの『ツインピークス』的カルト人気番組『ウェイワード・パインズ 出口のない街』でそれなりの成功を収め、自信を取り戻すと、屋敷を担保に500万ドルの融資を得て、自主制作で小規模な映画を制作した。それが、発見された映像から作ったというスタイルのホラー映画『ヴィジット』だ。彼はLAへ向かい、ラフカットをハリウッドの全スタジオに見せて回ったが、どこも興味を示さなかった。失意の彼は、何百ドルもの損失とキャリアの終焉に怯えた。
25年間連れ添った妻バーヴナ・シャマラン博士と、3人の娘が待つ自宅へ戻った彼は、すぐさま娘の1人とジグソーパズルを組み立てた。それが人生を変える、宇宙の真理ともいうべき瞬間だった。「なぜ我々は次のピースを探し続けたのでしょう?」と、スピーチの中で彼は言った。「なぜなら、そこに1枚の絵があると知っていたからです……そのとき、突然すべてが……強烈なほど単純で、正しいことのように思えました。自分の人生がどんな絵かを知る必要はないんだと。自分はただ、そこに絵があると信じさえすればいいのだと」。彼は自分の力が及ぶことにのみ集中し、再び『ヴィジット』の撮影に取り組んだ。撮り直したカットをユニバーサルのもとへ持ってゆくと、ホラーの達人ジェイソン・ブラム氏がプロデューサーとして起用された。映画は最終的に9800万ドルの興行収入をあげた。
シャマランの制作会社の壁には、『ヴィジット』を却下した全映画関係者の名前を記載した紙が張ってある。監督曰く、彼らのほとんどはその後失業したという。「このリストは僕にとっていろんな意味があるんだ」とシャマランは語る。
「(名前を)書いたばかりの頃は、『それみたことか』という意味。それから少しずつ意味合いが変わっていって、リスト上の名前が次から次へと消えていくうちに、もうそういう気分にしがみつくこともなくなった。このリストを見て、承認欲求を満たそうとするなんて不健康じゃないか。リストに載っている人々は何も悪くない。彼らのハートに火を点けるのが、僕の仕事なんだから」
彼はさらに賭けに出て、再び私財を投げ打って次回作『スプリット』を撮影した。今回の制作費は900万ドル。リリースするやヒットを飛ばし、あっという間に元をとって、全世界で2億8000万ドルの興行収入をあげた。『スプリット』は、ケヴィン・ウェンデル・クラムと名乗るシリアルキラーを、不気味に、かつ見どころたっぷりに描いた物語。ジェームズ・マカヴォイが多重人格者を見事に演じ分けた。お得意の「この映画はあなたの予想を裏切ります」的なヒネリを長年封印してきたシャマラン監督は、『ヴィジット』でこれを復活させ、『スプリット』ではさらに進化させた(以下ネタバレあり)。
この映画には2つのヒネリが仕掛けてある。映画をまだご覧になっていない方には申し訳ないが、少々ネタバレするとしよう。
まず、マカヴォイ演じる人物は単なる精神病者ではないことが判明する。彼のもっとも恐ろしい人格ザ・ビーストは、超人的な力の持ち主。映画のジャンルそのものが、サイコスリラーから史上最強の悪役誕生ストーリーへと変わるのだ。さらに終盤で、前触れもなく『アンブレイカブル』のサントラがいきなり流れ始め、ブルース・ウィルス演じるヒーロー役がなんと17年ぶりにスクリーン上に登場する。
その瞬間、『スプリット』はおそらくハリウッド史上初の隠れ続編となり、『ミスター・ガラス』へのお膳立てをした。ウィリスの登場は、ジャクソンはもちろん、ユニバーサルのお偉方にとっても寝耳に水だった。彼らが心配していたのは、もともと競合会社であるディズニーに属していたキャラクターだということ――。だが、シャマラン監督はすでにディズニーとカメオ出演の契約を結んでおり、そのため『ミスター・ガラス』の劇場公開プランはユニークなものとなった。ユニバーサルは全米での配給を、海外配給はディズニーが担当する。両社ともこの映画のために、他の超大作の公開予定日を空けてくれた。5年間、映画監督として干された身には申し分ない条件だ。
シャマランは『ミスター・ガラス』で三度賭けに出た。前作2作の稼ぎはもちろん、所有地を抵当に入れて製作費に充てた。一部の報道によれば、制作予算は2000万ドルともいわれている。「バカじゃないかって?」と、監督は笑みを浮かべながらいった。「ベガスに行って、『この手で勝ったんだ、次も全額賭けるよ』、その次も『全額賭けるよ』って言い続けるみたいなものだね。自宅はいま完全にこの映画でがんじがらめさ……もし1月にこの映画が上手くいかなかったら、君んちのカウチで寝泊まりさせてもらおうかな」
もしシャマランがキャリアの方向を修正できたとすれば、彼が正しいエネルギーを宇宙に向けて注ぎ、正しい物事に集中したからだと、本人は信じている(もし、人生や芸能生活において彼が一風変わった精神世界に傾倒しているとすれば、ヒンドゥー教の家庭に育ちながら、カトリックの寄宿学校に通っていた経験に由来しているかもしれない)。「もし僕が作曲家なら、曲に集中するだろ」と監督。「わざわざエネルギーを費やして『お客に曲がどううけるか?』なんてコラムを書いたりしないよ」、さらに彼はこう続けた。「僕は自分の全てを注いだ。観客はお金を払って、全財産を注ぎ込んで全てを賭けたアーティストを目にするんだ。駆け出しのときみたいだったよ。全額つぎ込んで、撮影現場でそわそわしてるうちに朝が明けてきてさ。トレーラーなんかないから、凍え死にそうになりながら、『これで十分かな? いまのカットは上手くいったかな? 完成できるかな?』と思いをめぐらせる。こういうことすべてが、最高の自分を引き出してくれるんだ。もしうまく行かなくても、全てを過ぎ込んでいるわけだから、それだけでも十分だよ」
できることなら昔に戻って、「『アンブレイカブル』公開直後、カウチに寝そべりながら、(『シックス・センス』ほどの興行収入をあげられなかったから)失敗作だったかな、と思い悩んでいた若い頃の自分」に、きっといつかその思いは報われると言ってやりたい、というのが彼の願いだ。

左からブルース・ウィリスとM・ナイト・シャマラン、映画『ミスター・ガラス』の撮影現場にて(Photo by Jessica Kourkounis/Universal Pictures)
おそらくシャマランにとって最も重要なことは、彼が映画人としてのアイデンティティを取り戻したということだ。彼曰く、20代の頃は「一生スリラー映画を作っていくのも悪くないよ、なんて言っても納得できなかっただろうね。最初の頃は『待って、僕は他にもできるんだよ』って気分だった。でもそれは偽善的じゃないか。だって、本棚からアガサ・クリスティの小説を選んだとき、自分自身も映画でそれをやれるという期待感があったわけだから。今はよくわかる……これからずっとスリラー映画を作っていくのもいいかな、と思えたとき、全てが上手くいったんだ」
シャマラン監督は運転手つきのSUVに飛び乗り、そのまま赤レンガの家々が並ぶ一角へ向かった。タイトル未定のApple用の”サイコスリラー”番組の舞台となる場所だ。20人以上からなる撮影クルーの中には安全ベストを着用した姿もちらほら。全員が歩道に集合してボスの到着を待っていた。彼らの多くはシャマラン作品の常連。中には親子で参加している者もいる。この日は第1話のための撮影場所、不気味な乳母が新生児の生まれた夫婦の人生に現れる、うってつけな場所を探している。クルーの一人ひとりが、絵コンテ入りの撮影リストのコピーを手にしていた。
冒頭の一場面には、乳母が家の中に入るシーンがある。「彼女は雨の中をやってくる」。彼は、戸口をやってくる彼女の足のクローズアップの絵コンテを指さす。「まるで吸血鬼が初めて家の中に入ってくるみたいに、敷居をまたぐんだ」。このようなショットを組み立てることで、「ここがとても重要で、この家族はこの瞬間から後戻りできないんだ、ということを匂わせるのさ」と、監督自ら説明してくれた。
グレーのスカーフを肩にかけたシャマランは、一帯をぐるりと見て回り、窓越しのショットは上から撮るべきか下から撮るべきかを決めるべく、クルーが撮影現場用に借りた家の中へ入って行った。それから全員で数ブロック先のリッテンハウス・スクエア公園へ向かった。この後ここで、同じ回で登場する自動車事故後のリハーサルが行われる予定だ。「見物人はいる?」とシャマランが聞く。「どの辺にいてもらおうか?」
彼はリハーサル中ずっと動きを止め、観光客と言葉を交わし、ラブコメ好きな女性スタッフをからかった後、『ボヘミアン・ラプソディ』の感想を言ってきた。「すごく良かったよ」と監督。「本当に感動した。インド人の父親が息子を受け入れたときなんかもう……」といって、大げさに泣くしぐさをした。シャマラン自身、実のインド人の父の意思に反して、アイヴィー大学を蹴ってニューヨーク市立大学の映画学校に進学した経緯がある。
別れを告げる前に、私はサミュエル・L・ジャクソンと交わした会話のことに触れた。彼は、シャマランが18年前よりも「チームワークに慣れていた」と言っていた。昔なら、俳優に瞬きのタイミングさえも指示していたくらいだった、と。シャマランは目をぐるりと回して笑い声をあげた。「彼がそういう思い違いをしてくれて、うれしいよ」
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