1984年の映画『ベスト・キッド』の続編となるドラマシリーズ『コブラ会(原題:Cobra Kai)』。シーズン2開始にあたり、主人公ダニエル・ラーソーを演じたラルフ・マッチオが語る。
「これはカラテ風ソープオペラだよ」と。

ダニエル・ラルーソーも歳を重ねて父親となり、現在は自動車販売店のオーナー。その一方で、いつかミヤギのような”センセイ”になって鶴の舞の担い手を育てるべく、日々努力を重ねている。

ー劇中でミヤギ先生の家をそっくり再現したシーンがありましたよね。

実はオリジナルの『ベスト・キッド』で使った家は売られて、解体されてしまったんだ。だから『ベスト・キッド2』(1986年)、『ベスト・キッド3/最後の挑戦』(1989年)の時はコロンビア・ピクチャーズの敷地の裏に建て直さなくちゃならなくてね。

ー『スター・ウォーズ』のマーク・ハミルが前に言っていたんですが、新シリーズで30年ぶりにミレニアム・ファルコン号に乗りこんだ時、胸に込み上げるものがあったそうです。

僕も同じだ。ミヤギ役のパット・モリタはもうこの世にいない。監督のジョン・アヴィルドセンも、プロデューサーのジェリー・ワイントローブもいないからね。でも、ミヤギのセットで撮影した初日のことだった。裏庭のフェンスにペンキを塗るシーン。
リハーサル中にふと「ワオ! 昔ここで魔法が起きたんだよな」と思ったんだ。あの映画で仲良くなった友人の何人かはもうこの世にはいないという背景もあるけど、このドラマの構想が浮かんだ当初から、自分はこの瞬間を求めていた。ミヤギが主人公のダニエル・ラルーソーの人生にもたらしたレガシーの数々。それを実感できたんだよ。尻を蹴られたシーンよりも、ああいうシーンの撮影のほうが記憶に残っているからね。

その反面、個人的なことだけど、僕はもう18歳じゃないし、25歳でも35歳でも45歳でもない(マッチオは57歳)。そりゃあ「ワオ!」だよ。どれだけの年月が経ったのか見せつけられたわけだから。「おいおい、俺も今じゃオヤジだな」っていうネガティヴな類のものじゃないよ。僕が君のような若い人や、道で初めてあった人に話しかける時、たいてい会話の方向は僕の人生の限られた時期に集中する。必ずしもいつもそうだとは限らないけど。今回撮影した『コブラ会』も同じで、34年以上も昔の、あの時期に必ず戻っていくんだ。
素晴らしくもあり、美しくもある一方、もうあんなに昔なんだな、という感じもする。ノスタルジーというのかな。

ーあなたが80年代、どれだけ凄い有名人だったのかを若い世代に伝えるのは難しいんですが、実際にはどんな体験でしたか?

あの時はすべてが圧倒的だった。片足をハリウッドに突っ込んで、もう片方は別世界にいる生活。当時はロングアイランドの郊外に住んでいたから、地元から出た唯一のスターっていう感じですごく注目されていた。だから土曜日にショッピングモールに行く気分にはとてもなれなかったね。一番大変だったのは、ロバート・デニーロとバート・ヤングと3人でブロードウェイに行った時だ。『ベスト・キッド2』公開直後の頃で、僕らはロングエーカー劇場にいて、映画が上映されていた映画館から1本通りを隔てたところにあったんだけど、外に出たらまるで……シェイ・スタジアムのビートルズ状態とは言わないまでも、クレイジーだったよ。

ーあなたの『ベスト・キッド』の最初のオーディション映像を見たんですが、自然な感じが最高でした。癪(しゃく)に障る奴だと思った人もいたようですが。

たぶん、それは脚本家のロバート(・マーク・ケイメン)だね。癪に障る奴というのは正しくないな。
ちょっとスカした奴ってことだろう。

ーあの当時、ご自身では自分の才能に自信がありましたか?

ああ。自信に満ち溢れていたんじゃないかな。その自信がどこから来たのかはさっぱりわからないけど。

ー『アウトサイダー』(1983年)に出演した時も自信がありましたか?

自信があったし、あの役がやりたかった。本読みでも、ほかの役のセリフはやりたくなかった。どうしてもあの役がやりたかったんだよ。でフランシス・フォード・コッポラ監督は全員にいろんな役のセリフをやらせたがった。それで僕は言ったんだ、「僕はこの役しかやりたくありません」って。よくもまあそんな度胸があったもんだよ。コッポラ監督が何者かはよく知っていたし、部屋に同席していたメンツもよく知っていた。たぶん今でも同じことを言うと思う。
それが僕の性格なんだ。僕は原作を読んだ時、12歳だったから、『アウトサイダー』に通じるものを感じた。映画を撮影するなら僕が出るべきだ、あの役は僕じゃないとだめだと思った。そういうことはめったに起こるものじゃない。一生に一度あるかないかだ。

僕には、まあ今もそうだけど、少し反抗的で生意気なところがある。それがラルーソーに受け継がれて、あの役を面白くさせているんだと思う。心の平穏とかバランスとか、ミヤギ哲学のすべてを習得していながら、悪党に小突かれるとたちまち子どもに戻ってしまう――それが見ていて面白いんだ。

ー最初に『ベスト・キッド』の脚本をもらった時の第一印象を覚えていますか?

タイトルが好きじゃなかった(The Karate Kid:『ベスト・キッド』の原題)。みんなタイトルを気に入っていなかった。ずっと変更しようって言っていたよ。

ー最有力候補のタイトルは何だったんですか?

「The Moment of Truth(真実の瞬間)」。
結局エンドクレジットの曲のタイトルになったけどね。フランスとか、武道がまだ人気じゃなかった国ではそっちのタイトルで公開されたよ。The Moment of Truthはどうもダサくて、記憶に残らないタイトルだな。でも『ベスト・キッド(The Karate Kid)』に関しては、ジェリー・ワイントローブがこう言っていた。「わかるかい、これは最悪のタイトルだから最高なんだ」 それで僕は「そうだね、でも万が一これがヒットしたら、僕は一生ずっとこのタイトルを背負っていかなきゃいけなくなるね」って言った。結果はご覧の通りさ。

ー脚本そのものはいかがでしたか?

あの当時はありがちなストーリーだなと思っていた。ミヤギ役には、半分冗談だけど、最初は三船敏郎をブッキングしようとしていたんだ。でも彼は英語が喋れなかったからね。 パット・モリタが演じた人間版ヨーダは完璧だった。スタッフは最初、パット・モリタには気乗りしていなかったんだ。ジェリー・ワイントローブとスタジオ側がダメ出ししてね。
するとジョン・アヴィルドセン監督が「このテープを見るべきだ」って。それがパットと僕の初めての本読みの映像だった。いまならYouTubeでも見られるよ。アヴィルドセン監督が編集でつなぎ合わせたのが公開されている。彼にとっても、僕にとっても初めての本読みだった。あの映像で一番面白い点は、部屋の中には僕とジョン・アヴィルドセン監督しかいなかったということ。彼は大きなビデオカメラを持ってて、他の人々は彼のアパートの廊下で並んで待機していた。一人ずつ、監督に呼ばれて部屋に入っていくんだ。僕もその映像を見とき、自分が監督の話を聞きながら少しちょっと緊張しているのがわかった――妻もよく言うんだ、「あなた、ずっと鼻を触ってるわよ」って。緊張してたんだね。だけどセリフを読み始めたら、ラルーソーになりきっていた。

ー東海岸のアクセントはどうやって身につけたんですか? それとも地ですか?

あれは地だよ(マッチオはニューヨーク出身)。ちょっと強調したけどね。というのも、脚本を読んでいて(ダニエルが)引き下がるタイプじゃないと気づいたんだ。中学や高校の時によくいる、一人になるのは嫌、そして取り残されるのは嫌だけどけんかっ早い生意気な子たちを何人か思い浮かべたよ。

ー結局のところ、ロングアイランドのアクセントもニュージャージーのアクセントも、そう大差ないということですね。

同じだよ。川をいくつか挟んでるだけさ。

ー前にブルース・スプリングスティーンがビリー・ジョエルを紹介する時にも言ってました。昔は同じひとつの大陸だったんだって。

その通りだ。いいとこついてるね。

ー『ベスト・キッド』を復活させるということは、あなたにとっては賭けだったと思います。ちゃんとしたものにしなくては、というプレッシャーもあったと思うのですが。

今回が他と違うのは、ひとつはタイミング。僕としては、企画にイエスと言ってから2年経ったら、もう無理だろうなという風に感じていた。だけどそれ以上に、ジョン(・ハーウィッツ)、ジョッシュ(・ヒールド)、それにヘイデン(・シュロスバーグ)、この3人のクリエイターが『ベスト・キッド』の超大ファンでね。僕よりも映画のことをよく知っている。彼らがどんな子ども時代を過ごしてきたかがよく分かった。彼らにとっては、聖杯を手にしたような気分なんだよ。ものすごい尊敬の念を払っている。でも同時に、『Harold & Kumar(原題)』や『オフロでGo!!!!! タイムマシンはジェット式』を観て育った世代だから、いまどきのコメディの作り方も心得ている。この3人ならきっと、現代のティーンの言葉づかいと過去への郷愁をうまく融合して、全く新しいものを作ってくれる気がした。だけどいざ飛び込んでみると、プールの水は思いのほか冷たくて、しかも深かった。ビリー・ザブカも同じ。大変だったよ。

ー以前からあなたの代表的な役として定着していましたが、これでさらに確立しました。この点はどう思いますか?

自分を型にはめるんじゃないかって? そういうことはあまり考えなかったね。ダニエルは前とは違う人間だ。35年分大人になった。同じ地球にいるけれど、世界はずいぶん変わった。物語の雰囲気もいくぶん違っている。もっとも、当時の『ベスト・キッド』が持っていた迫力などはそのままだけどね。もちろん中には『おいおい、あいつまだこの役やるのかよ』っていう人もいるだろう。それでもかまわない。今の僕は『DEUCE/ポルノストリートin NY』みたいなドラマとうまくバランスを保ちながら、来るものは拒まずという姿勢なんだ。

ードラマの出演前に、映画をもう一度見直しましたか?

1作目を見たよ。見たけど、いくつか思い出すことがあった以外は、今回の役作りには役に立たなかったな。準備はできているから、あとは微調整するだけで良かった。『ベスト・キッド』の面白い点は、主人公の少年と同じ道を歩んでいるということかな。まるでカメラが少年の肩についていて、どの場面でもダニエル・ラルーソーの視点で物語を体験できる。自分の子どもに映画を見せたとき、15年前かな、突然自分がミヤギの視点に立ったことに気づいた。目の前には聞き分けのない少年がいて、自分にとっては彼よりもミヤギのほうが興味深く思えた。同じ物語を新しい視点から見ることができたんだ。それがドラマで活かされてるよ。

ーところで、ご存知かどうかわかりませんが、80年代にギターをプレイしていた人間にとって映画『クロスロード』(1986年/同作でマッチオは天才ギタリスト役を演じた)は大きな存在なんですよ。

だよね。ローリングストーン誌だもんな!

ーそう、まさに。あの指使いをマスターするために、ギターを相当練習したんでしょうね?

そうなんだ。どうすればそう見えるかをマスターした。でも、あの音が出せたかって? そう上手くはいかないんだな。今でもあのテレキャスターは持ってるよ。すごくカッコいいギターだよね。あのギター欲しさに、とんでもないオファーをしてくるミュージシャンもいたな。『ベスト・キッド』で使われた47年型フォードのコンバーチブルも持ってて、今のドラマにも登場するよ。

ーギターと空手、どっちもダメなんですね?

達人レベルまでは行ってない。シーズン2ではいくつか対決シーンがあって、その中で1~2本かなりいいキックが出てくるけど、あれは全部僕がやっている。

ー『クロスロード』の撮影で一番思い出に残っていることは何ですか?

ギターバトルのシーンかな。映画のラストシーンで、生まれて初めて観客を入れての撮影だった。アシスタントディレクターがみんなを盛り上げてて、いよいよお待ちかねの人物の登場ですよ、悪魔の登場です、とか言ってた。カメラ5台で、ノーカットで撮影したんだ。僕にとっては、夢のロックスターになったような気分だった。でも実際には、「メリーさんの羊」すら弾けなかったんだ!

ー最後の質問です。映画『いとこのビニー』(1992年)を見た後、あの映画でのあなたの実力が、派手な笑いのパフォーマンスに埋もれて過小評価されていると感じずにはいられませんでした。

あの2人(ジョー・ペシ&マリア・トメイ)の役には相当気を配らないとね。でないと、笑えるネタも本来の半分も面白くなくなってしまう。人を引き付ける重力というか、魅力を失ってしまうんだ。あれは見るたびに面白くなる映画だね。『いとこのビニー』のすごいところは、仕込んだものがすべて見事に笑いにつながったところ。しかも、想定以上にね。来るな、とわかっていても、さらに面白くなる。僕はあの映画を「ちょっと遅めの夕食ムービー」って呼んでるんだ。いったん見始めると止まらなくなるから、晩御飯を食べるのがつい遅くなるだろ。もう1シーン、もう1シーンだけ、ってね。

『アウトサイダー』にしても『クロスロード』にしても『ベスト・キッド』にしてもそうさ。あの短い期間に、時を超えてもなお記憶に残り、いまも見てもらえる映画があるなんて。そんなことはそうそうあるもんじゃない。僕は幸運だよ。

ダニエル役の俳優が語る、80年代人気映画『ベスト・キッド』の知られざる秘話

YouTubeプレミアムのドラマ『コブラ会』でダニエル・ラルーソーを演じるラルフ・マッチオ。(Photo by Guy DAlema/YouTube/Sony Pictures Television)
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