ダニエラとだけ名乗った証人は、ネクセウムが本拠地としていた米ニューヨーク州オールバニー郊外クリフトンパークのウィルトンコート12番地での監禁生活を涙ながらに振り返った。彼女が監禁されていた小さな部屋にはマットレスしかなく、部屋の外に出られないよう、ラニエール被告とネクセウムのメンバーらが監視カメラを設置していたという。
「1日中、部屋の壁を見て過ごす日々でした」と、現在33歳のダニエラは語った。彼女の胸が張り裂けるような生々しい証言は1週間続いた。ダニエラが言うには、しばしば「自制心を失い」、自殺が頭をよぎったこともあるという。ネクセウムの元メンバー、ローレン・ザルツマンも先の証言で述べたように、ラニエール被告宛に「出してください、私は更生しました」と手紙を書いて、ザルツマンに手渡したこともあった。
ラニエール被告は現在ブルックリンで公判中。複数の女性メンバーたちとの性的関係を持っていた被告は、性的目的での人身売買、恐喝および強制労働共謀罪などの罪に問われ、最大で終身刑が求刑されている。
メキシコ生まれのダニエラは、10代のときにネクセウムのセミナーを受けた後、オールバニーへ移住した。以前の証言によると、ラニエール被告と性的関係をもつようになったのは18歳の誕生日を迎えて間もなくだという。2人の姉、マリアナとカミーラもラニエール被告と性的関係をもった結果妊娠したが、2人も中絶するよう命じられた。
ダニエラの証言によると、ラニエール被告が監禁を命じたのは、彼女がベン・マイヤーズと言うネクセウムの男性メンバーと恋仲になったのが理由だった。
2010年3月、いわゆる「倫理違反」に憤慨したラニエールは、ザルツマンをはじめとする他の女性たち送り込んでダニエラに謝罪を促した。だが彼女は謝罪を拒否。被告の恩寵を取り戻したいダニエラがザルツマンに相談したところ、ザルツマンは、おそらく被告の命令をうけてと思われるが、部屋の中で反省する罰を受けてはどうかと提案した。ダニエラは、同じくネクセウムに関わっていた両親ともどもこの提案を飲んだ。彼女は身分証明書をネクセウムの別のメンバーに預け、メキシコへ逃げ戻ることもできなくなり、しぶしぶ部屋の中へ入っていった。「選択の余地はありませんでした」
ダニエラの証言によると、彼女は家族から毎日食事を与えられていた。家族は同じ屋根の下で暮らしながらも、彼女との接触は固く禁じられていた。窓のひとつが覆われ、彼女が自然光を浴びることはほとんどなかった。時折小さな紙切れとペンを渡され、そこにラニエール被告への謝罪と、釈放を請う手紙を書くよう言われた(先々週行われたザルツマンの証言によると、ラニエール被告はこれらの手紙を読まなかった)。ザルツマンは時々彼女のもとを訪れ、釈放の条件について交渉を試みたが、ダニエラはザルツマンがしばしば「意地悪」だったと証言した。
監禁されて数カ月が経ったころ、ダニエラは頭がおかしくなりそうになったと証言した。
あるときダニエラは、階下のパソコンで自分宛てのメールをチェックしようと部屋を抜け出した。マイヤーズからの短いメールの他に、自分宛のメールはなかった。「私は世間からすっかり取り残され、誰も私のことなど気にも留めていなかったのです」と本人。「自分がいなくても世界は回るのだと、思い知らされました」
2012年2月、ついに彼女は脱出する。ラニエール被告に閉じ込められてから約2年が経過していた。彼女は途中で被告に遭遇したが、被告は彼女と目を合わせなかったという。
「キースが他の人々の間にまぎれて、こそこそ隠れたのを覚えています」と彼女は述べた。
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