ジム・ジャームッシュ監督の最新作『ザ・デッド・ドント・ダイ(原題)』がカンヌ国際映画祭でプレミア上映される数日前、監督にインタビューすることができた。ゾンビ映画を作った理由、イギー・ポップ出演の裏話、そして日本映画が禁煙にいかに役立ったかについて語ってくれた。
—まず、なぜゾンビ映画だったんでしょうか?
数年前、『パターソン』(2016年)と言う映画を作って、知ってると思うけど、そんなに軽い内容の映画でもなかった。で、次はすごくバカげたものを作りたくなった。『コーヒー&シガレッツ』(2003年)みたいな、笑えるやつをね。キャラクターの下地は、アニメのような感じでね。そんな映画のアイデアを思い浮かべていた時に、ゾンビ映画が面白いんじゃないか、って思って……。
—最初は短いシーンを集めた映画を考えていたとか。
そうだね。俺は元々、1人か2人のキャラクターを中心にして、一つの視点から物語が進んでいく方法を取っている。もしくは『ミステリー・トレイン』(1989年)や『コーヒー&シガレッツ』のように、短編の構造にしながらも、一つ一つが独立した話になるような形が多い。それらは複雑に絡み合っていくものだから、挑戦になるんだ。そこに特殊効果を入れるなんて……俺が作った映画の中で、一番難しかった。体力的にも大変だったよ。
ジャンルってただの枠組みなんだ——自分の思ったものは何でも盛り込むことができる。『デッドマン』は、典型的な西洋映画じゃない。ぶっ飛んでいて、少しサイケデリックな映画だ。『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』は——ラブストーリーだけど、それがヴァンパイアに起きてるって話。あれは俺流の、自分以外の人間の欠点も含めて、すべてを受け入れるお話なんだ。誰かをありのまま愛して、それを永遠に続けるって言うね。(少し考えて)まさに永遠、だよね! だって、彼らはヴァンパイアだから。でも俺は映画に関することで、ヒエラルキーは気にしないよ。どんな映画も大好きだからね。
—ゾンビ映画もですか?
(少し考えながら)ゾンビ映画に大きく惹かれていたかと聞かれれば、それは嘘になるって認めないといけないな。俺はそんなにTVも見ないし『ウォーキング・デッド』も見たことがない。
ゾンビよりヴァンパイアの方が好き
—そうですか……。
でも、古い映画のテーマとしては好きだよ。『恐怖城 ホワイト・ゾンビ』とか、『私はゾンビと歩いた!』とかね。これらはハイチのブードゥー教のゾンビの話で、自分の命令を聞いてくれる。彼らをコントロールすることもできる。当時の映画では、こういった物語の手法が多かった。
でも俺にとって、ポスト・モダンなゾンビ映画界で偉大だと思うのは、ジョージ・A・ロメロ監督。彼は本物だ。俺の映画には、ロメロ監督のオマージュがたくさん見られるよ(笑)! 彼が遺したものは本当に素晴らしいよね。
—彼が遺したもの、とは?
それまであったコンセプトを、すべて覆したこと。ゾンビをコントロールすることって、できないよね。
—あなたもロメロ監督の消費主義的な要素を取り入れてますよね。例えば「コーヒー」や「Wi-Fi」のように、ゾンビたちが生前愛したものを、常に求めるようになったり……。
(笑)そうなんだよ、そのアイデアは『ドーン・オブ・ザ・デッド』から拝借した。その中で、ロメロ監督のやったことが大好きなんだ。彼らは馴染みのある場所に住んで、生きていた頃に欲していたものを欲するけど、魂がない。
俺たちの作品の中でも、ゾンビはかつて着ていた洋服を着ている。アイデンティティーはどこかに行ってしまったけど、その痕跡として。(少し考えて)痕跡という言葉は、ロメロ監督が彼らをどのように描いたかということに対して、良い言葉かもね。
—ゾンビ映画がお好きなように聞こえますが?
俺はゾンビが嫌いなだけだと思う。俺はゾンビのファンじゃないんだ。ヴァンパイアの方がよっぽど好きだよ。彼らは複雑な生き物だし、セクシーだし、頭も良い。生きるために、大変なことを色々とやらないといけないしね。彼らは姿形も変えられるし— —今はコウモリだとしても、狼にもなれるしね! あいつらはカッコいい。ゾンビのカッコいい部分って何だ? 奴らは命のない何かで、魂のない人間だ。
『ザ・デッド・ドント・ダイ』に出演するイギー・ポップ(©︎Focus Features)
内臓を食べるシーンで具合が悪くなったイギー・ポップ
—イギー・ポップが飢えたウォーキング・デッドになるまで、どのような指示を出したのでしょうか?
俺はこれまでにもイギーと一緒に仕事をして来たけど、彼はとてもオープンだ。そして指示されるのが好きなんだよ。彼は、「OK、どうしたんだ、俺に何を求めてるんだ?」と知りたがる。今回一つ問題があったとしたら、彼は人工の内臓を食べ過ぎて病気になりそうだったってことかな。ヴィーガンのものもあったし、プラスティックで出来たものもあったし、いろんなものを彼のために準備した。彼はすごくたくさんのテイクを、長い時間をかけて撮ったんだ。しばらくすると、「今、すごく気持ちが悪い。ジム、俺は吐きたくないんだよ!」と言ってきた。だから、「いいよ。あと1ライク、君が内臓を持っているところを撮ったら終わりだからね……」と伝えた。
—今あなたがおっしゃったシーン以外は、 血みどろのシーンは少ないですね。
そうだね。スプラッター映画は作りたくなかったから。血みどろ映画にもしたくなかった。でも作中では、たくさん首を落とされるシーンが出てくる。俺たちの体は、60%以上が水分で、心臓や脳もそうだろ? 俺は水風船や半分のソーセージのように、ただ歩いているだけの自分から、このイメージを得たんだ。だからゾンビには灰になってほしいと思った。彼らはもう、乾ききっているから……灰から灰になる。ゾンビに水気がないというアイデアが気に入ってね。今までのゾンビ映画の中で、こういう描写をした作品は無かったんじゃないかな。あるのかな? 俺は見たことがないんだ。でも、自分の独特のアイデアを盛り込むというのは、いつだって良いことだよね。
—キャストの皆さんを見ると、これはあなたの映画だとすぐにわかる内容になっています。
そうだと思う。俺は、自分の好きな人と働きたいからね。ビル(マーレイ)とアダム(ドライバー)、そしてクロエ(セヴィニー)のために、3人の保安官のパートを書いたんだ。そしてスティーヴ・ブシェミのために悪役を作った。なぜなら彼はすごく優しくて、気前が良くて、差別主義者でもないから、彼をめちゃくちゃ性格の悪い差別主義者に仕立て上げて、MAGAハット(Make America Great Againと書かれた帽子)を被せたんだ。彼ならそれをやってくれると思ったからね。
『ザ・デッド・ドント・ダイ』のアダム・ドライバー(©︎Focus Features)
10日間ロフトにこもって、1日3回『大菩薩峠』を見た
—トム・ウェイツには世捨て人の預言者を、ティルダ・スウィントンには刀を持った葬儀屋を演じてもらっています。
(笑)トムと一緒にいるためなら、どんな言い訳だって素晴らしいものになる。彼と俺は電話でよく話すんだけど、トムは西海岸にいるから、あまり頻繁には会えなかった。80年代、彼がニューヨークに住んでいた頃は本当に楽しかった。だからもっと、彼にたくさん会いたかった。
ティルダには、俺が数年前から持っていた、ざっくりとしたアイデアを伝えて、彼女にこう聞いたんだ。小さくて変な町で、演じて見たいキャラクターっている?とね。そうしたら彼女は、「私、葬儀屋を演じてみたいわね!」と即答した。俺は二つ返事で、「OK、スウィントン、君に決定!」と伝えたよ。
—刀も彼女のアイデアだったんですか?
いや、あれは俺がマーシャル・アーツや、それに関わる映画が好きだったからなんだ。そして数年前、俺が禁煙した出来事からも着想を得た。すごく大好きな日本の映画があるんだ。60年代の映画で『大菩薩峠』っていうんだけど……。
—確か仲代達矢が主演で、残忍な侍を演じる映画ですよね。
そう。彼のキャラクターはサイコパスでイカれた侍で、ムカついたからという理由で、簡単に人を殺すんだ。俺が歩こうとした道にいるお前らが悪いんだ、全員消え失せろ!ってね。(刀で人を斬るジェスチャーをしながら語る)最終的に、彼はそういう輩全員と戦って、敵が主人公の手足を切ってしまうんだけど、それでも憎悪に満ち溢れていた主人公は戦い続ける。ものすごく怒りに満ちた、ニヒリスティックな映画なんだよ! それで俺が禁煙をしようと思ったときに、この主人公と似た類の怒りに満ちたんだ。もう35年も煙草を吸っていたから、やめるのはめちゃくちゃ大変だった! そこで何をしたかと言うと、10日間ロフトにこもって、1日3回『大菩薩峠』を見たんだ。
—本当ですか?
禁煙によって生じる怒りを感じた時、DVDを入れて、初めから終わりまでただ見ていた。自分の中に怒りが込み上げるのを感じ、このイカれた、ヒネくれた侍が恐ろしいことをするのを見て、自分自身を浄化した。ものすごく役に立ったよ。それが俺の治療法だったんだ。もし君が家にいて禁煙しようと思ったら、この方法をオススメするね(笑)。
—『ザ・デッド・ドント・ダイ』は、怒りに満ち溢れたコメディです。『大菩薩峠』ほどではありませんが、荒涼としていて、独特の方法で憤怒を表していますね。
そうだね、怒りに満ちた映画だと思う。俺はゾンビに飽き飽きしていたんだよ。まるで、本物のゾンビが俺たちの周りを歩いていて、何にも興味を持たず、世界を終わらせようとしているようにね。実は『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』に、何気無いこんなワンシーンがあるんだ。カップルが ゾンビのような人間について話している。なぜなら彼らは、自分の周りにあるものに対して意識を向けていないからだ。そして世界の大部分が、その差し迫った終わりに対して、いかに無意識であるか、を語っている。それは悲しいことだし、イライラするよ。俺は、そんなのはもうウンザリなんだ。だからこの映画では、俺ならではの手段で怒りを表明しているとも言えるね。
—まず、なぜゾンビ映画だったんでしょうか?
数年前、『パターソン』(2016年)と言う映画を作って、知ってると思うけど、そんなに軽い内容の映画でもなかった。で、次はすごくバカげたものを作りたくなった。『コーヒー&シガレッツ』(2003年)みたいな、笑えるやつをね。キャラクターの下地は、アニメのような感じでね。そんな映画のアイデアを思い浮かべていた時に、ゾンビ映画が面白いんじゃないか、って思って……。
—最初は短いシーンを集めた映画を考えていたとか。
そうだね。俺は元々、1人か2人のキャラクターを中心にして、一つの視点から物語が進んでいく方法を取っている。もしくは『ミステリー・トレイン』(1989年)や『コーヒー&シガレッツ』のように、短編の構造にしながらも、一つ一つが独立した話になるような形が多い。それらは複雑に絡み合っていくものだから、挑戦になるんだ。そこに特殊効果を入れるなんて……俺が作った映画の中で、一番難しかった。体力的にも大変だったよ。
『デッドマン』(1995年)だって作品に殺されそうになったけど、あの時俺はまだ若かったからね。
ジャンルってただの枠組みなんだ——自分の思ったものは何でも盛り込むことができる。『デッドマン』は、典型的な西洋映画じゃない。ぶっ飛んでいて、少しサイケデリックな映画だ。『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』は——ラブストーリーだけど、それがヴァンパイアに起きてるって話。あれは俺流の、自分以外の人間の欠点も含めて、すべてを受け入れるお話なんだ。誰かをありのまま愛して、それを永遠に続けるって言うね。(少し考えて)まさに永遠、だよね! だって、彼らはヴァンパイアだから。でも俺は映画に関することで、ヒエラルキーは気にしないよ。どんな映画も大好きだからね。
—ゾンビ映画もですか?
(少し考えながら)ゾンビ映画に大きく惹かれていたかと聞かれれば、それは嘘になるって認めないといけないな。俺はそんなにTVも見ないし『ウォーキング・デッド』も見たことがない。
それに、特にゾンビ映画が好きな訳でもないんだよね。
ゾンビよりヴァンパイアの方が好き
—そうですか……。
でも、古い映画のテーマとしては好きだよ。『恐怖城 ホワイト・ゾンビ』とか、『私はゾンビと歩いた!』とかね。これらはハイチのブードゥー教のゾンビの話で、自分の命令を聞いてくれる。彼らをコントロールすることもできる。当時の映画では、こういった物語の手法が多かった。
でも俺にとって、ポスト・モダンなゾンビ映画界で偉大だと思うのは、ジョージ・A・ロメロ監督。彼は本物だ。俺の映画には、ロメロ監督のオマージュがたくさん見られるよ(笑)! 彼が遺したものは本当に素晴らしいよね。
—彼が遺したもの、とは?
それまであったコンセプトを、すべて覆したこと。ゾンビをコントロールすることって、できないよね。
彼らは指示を受けない。一般的なモンスターであって——ヴァンパイアとか、フランケンシュタインとか、ゴジラとか、色々あるけど——社会の枠組みからは外れている。むしろ社会に対しては危なくて、恐怖を与えてくる存在なんだ。でもロメロ監督は、ゾンビを社会の枠組みから生み出した。彼らを、社会のシステムの何らかの失敗の象徴とした。社会の枠組みがうまくいかなかった結果が、ゾンビになった。彼らは人間の内部から出て来て、人間を食べるんだ。
—あなたもロメロ監督の消費主義的な要素を取り入れてますよね。例えば「コーヒー」や「Wi-Fi」のように、ゾンビたちが生前愛したものを、常に求めるようになったり……。
(笑)そうなんだよ、そのアイデアは『ドーン・オブ・ザ・デッド』から拝借した。その中で、ロメロ監督のやったことが大好きなんだ。彼らは馴染みのある場所に住んで、生きていた頃に欲していたものを欲するけど、魂がない。
彼らはもう自分の中に何もないけど、自分が生きていた頃に持っていたものを単細胞が求める。その部分に共感したんだ。
俺たちの作品の中でも、ゾンビはかつて着ていた洋服を着ている。アイデンティティーはどこかに行ってしまったけど、その痕跡として。(少し考えて)痕跡という言葉は、ロメロ監督が彼らをどのように描いたかということに対して、良い言葉かもね。
—ゾンビ映画がお好きなように聞こえますが?
俺はゾンビが嫌いなだけだと思う。俺はゾンビのファンじゃないんだ。ヴァンパイアの方がよっぽど好きだよ。彼らは複雑な生き物だし、セクシーだし、頭も良い。生きるために、大変なことを色々とやらないといけないしね。彼らは姿形も変えられるし— —今はコウモリだとしても、狼にもなれるしね! あいつらはカッコいい。ゾンビのカッコいい部分って何だ? 奴らは命のない何かで、魂のない人間だ。
貧弱な存在だと思うよ。

『ザ・デッド・ドント・ダイ』に出演するイギー・ポップ(©︎Focus Features)
内臓を食べるシーンで具合が悪くなったイギー・ポップ
—イギー・ポップが飢えたウォーキング・デッドになるまで、どのような指示を出したのでしょうか?
俺はこれまでにもイギーと一緒に仕事をして来たけど、彼はとてもオープンだ。そして指示されるのが好きなんだよ。彼は、「OK、どうしたんだ、俺に何を求めてるんだ?」と知りたがる。今回一つ問題があったとしたら、彼は人工の内臓を食べ過ぎて病気になりそうだったってことかな。ヴィーガンのものもあったし、プラスティックで出来たものもあったし、いろんなものを彼のために準備した。彼はすごくたくさんのテイクを、長い時間をかけて撮ったんだ。しばらくすると、「今、すごく気持ちが悪い。ジム、俺は吐きたくないんだよ!」と言ってきた。だから、「いいよ。あと1ライク、君が内臓を持っているところを撮ったら終わりだからね……」と伝えた。
—今あなたがおっしゃったシーン以外は、 血みどろのシーンは少ないですね。
彼らは処分される度に、埃になって散って行きます。この描写は、元々あったアイデアなのでしょうか?
そうだね。スプラッター映画は作りたくなかったから。血みどろ映画にもしたくなかった。でも作中では、たくさん首を落とされるシーンが出てくる。俺たちの体は、60%以上が水分で、心臓や脳もそうだろ? 俺は水風船や半分のソーセージのように、ただ歩いているだけの自分から、このイメージを得たんだ。だからゾンビには灰になってほしいと思った。彼らはもう、乾ききっているから……灰から灰になる。ゾンビに水気がないというアイデアが気に入ってね。今までのゾンビ映画の中で、こういう描写をした作品は無かったんじゃないかな。あるのかな? 俺は見たことがないんだ。でも、自分の独特のアイデアを盛り込むというのは、いつだって良いことだよね。
—キャストの皆さんを見ると、これはあなたの映画だとすぐにわかる内容になっています。
そうだと思う。俺は、自分の好きな人と働きたいからね。ビル(マーレイ)とアダム(ドライバー)、そしてクロエ(セヴィニー)のために、3人の保安官のパートを書いたんだ。そしてスティーヴ・ブシェミのために悪役を作った。なぜなら彼はすごく優しくて、気前が良くて、差別主義者でもないから、彼をめちゃくちゃ性格の悪い差別主義者に仕立て上げて、MAGAハット(Make America Great Againと書かれた帽子)を被せたんだ。彼ならそれをやってくれると思ったからね。

『ザ・デッド・ドント・ダイ』のアダム・ドライバー(©︎Focus Features)
10日間ロフトにこもって、1日3回『大菩薩峠』を見た
—トム・ウェイツには世捨て人の預言者を、ティルダ・スウィントンには刀を持った葬儀屋を演じてもらっています。
(笑)トムと一緒にいるためなら、どんな言い訳だって素晴らしいものになる。彼と俺は電話でよく話すんだけど、トムは西海岸にいるから、あまり頻繁には会えなかった。80年代、彼がニューヨークに住んでいた頃は本当に楽しかった。だからもっと、彼にたくさん会いたかった。
ティルダには、俺が数年前から持っていた、ざっくりとしたアイデアを伝えて、彼女にこう聞いたんだ。小さくて変な町で、演じて見たいキャラクターっている?とね。そうしたら彼女は、「私、葬儀屋を演じてみたいわね!」と即答した。俺は二つ返事で、「OK、スウィントン、君に決定!」と伝えたよ。
—刀も彼女のアイデアだったんですか?
いや、あれは俺がマーシャル・アーツや、それに関わる映画が好きだったからなんだ。そして数年前、俺が禁煙した出来事からも着想を得た。すごく大好きな日本の映画があるんだ。60年代の映画で『大菩薩峠』っていうんだけど……。
—確か仲代達矢が主演で、残忍な侍を演じる映画ですよね。
そう。彼のキャラクターはサイコパスでイカれた侍で、ムカついたからという理由で、簡単に人を殺すんだ。俺が歩こうとした道にいるお前らが悪いんだ、全員消え失せろ!ってね。(刀で人を斬るジェスチャーをしながら語る)最終的に、彼はそういう輩全員と戦って、敵が主人公の手足を切ってしまうんだけど、それでも憎悪に満ち溢れていた主人公は戦い続ける。ものすごく怒りに満ちた、ニヒリスティックな映画なんだよ! それで俺が禁煙をしようと思ったときに、この主人公と似た類の怒りに満ちたんだ。もう35年も煙草を吸っていたから、やめるのはめちゃくちゃ大変だった! そこで何をしたかと言うと、10日間ロフトにこもって、1日3回『大菩薩峠』を見たんだ。
—本当ですか?
禁煙によって生じる怒りを感じた時、DVDを入れて、初めから終わりまでただ見ていた。自分の中に怒りが込み上げるのを感じ、このイカれた、ヒネくれた侍が恐ろしいことをするのを見て、自分自身を浄化した。ものすごく役に立ったよ。それが俺の治療法だったんだ。もし君が家にいて禁煙しようと思ったら、この方法をオススメするね(笑)。
—『ザ・デッド・ドント・ダイ』は、怒りに満ち溢れたコメディです。『大菩薩峠』ほどではありませんが、荒涼としていて、独特の方法で憤怒を表していますね。
そうだね、怒りに満ちた映画だと思う。俺はゾンビに飽き飽きしていたんだよ。まるで、本物のゾンビが俺たちの周りを歩いていて、何にも興味を持たず、世界を終わらせようとしているようにね。実は『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』に、何気無いこんなワンシーンがあるんだ。カップルが ゾンビのような人間について話している。なぜなら彼らは、自分の周りにあるものに対して意識を向けていないからだ。そして世界の大部分が、その差し迫った終わりに対して、いかに無意識であるか、を語っている。それは悲しいことだし、イライラするよ。俺は、そんなのはもうウンザリなんだ。だからこの映画では、俺ならではの手段で怒りを表明しているとも言えるね。
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