1922年に建てられた平屋建てのスペイン調の一軒家は、玄関からも後ろの庭からも全景が見渡せる上に、プール付き。ただ、20世紀を代表する殺人事件の現場ではあるが。


殺人犯はチャールズ・マンソンの信者。被害者はレノとローズマリー・ラビアンカ。約半世紀前の事件だ。米ロサンゼルス郊外のロスフェリズのウェイヴァリー・ドライヴ3311番地にあるこの家が、現在198万8800ドル(約2億1400万円)で売りに出されている。

カリフォルニア州法によると、この家の現在の所有者が家を売りに出す3年以上前からその家を所有している場合、屋内で起きた死についても、どのような死に方だったかについても、購入者に教える義務はない。ところが、この物件のリスティングをしている不動産業者ロバート・ジャンバルボは正直にこの物件の歴史を公開しており、他の不動産仲介業者にもこれがラビアンカ夫妻が住んでいた家なので「ちゃんと事前調査してほしい」と警告している。

「この情報を公開したかった理由は、この家に住みたくない人が必ずいるからです。ただ、これまでの印象から言うと、ほとんどの人が気にしていないようですよ」と、ジャンバルボがローリングストーン誌に語った。

マンソンの信者がベネディクト・キャニオンにあった女優シャロン・テートの自宅で、テートを含む5人を殺害した翌日の1969年8月10日の夜、マンソン自身がラビアンカの自宅に出向いて、夫妻を縛り上げて放置した。その後、彼の信者であるチャールズ・”テックス”・ワトソン、パトリシア・クレンウィンケル、レスリー・ヴァン・ホーテンの3人が夫妻を刺殺した。そして夫妻の血で「Rise(決起せよ)」「Death to Pigs(ブタに死を)」「Healter Skelter」(ビートルズの曲「Helter Skelter」の綴り間違い)と壁や冷蔵庫に書きなぐった。

マンソンがこの家を選んだことにはいくつかの説がある。
まずは、上位中産階級が住むこのエリアでアトランダムに選んだという説。これは誰でもいいから、マンソン自身が「ブタ」と呼んでいた白人の富裕層を標的にしたかったというものだ。この「ブタ」もビートルズの曲「ピッギーズ」から来ており、この曲の歌詞には「連中に必要なのは効果的なお仕置きだ」と言う意味のフレーズがある。

一方で、マンソンが熟考したのちにウェイヴァリー・ドライヴのこの家を選んだため、ちゃんとした理由があるとする説もある。2013年にローリングストーン誌が実施したインタビューで、マンソン自身がラビアンカ家の隣の家で行われていたパーティーにちょくちょく足を運んでいたと語った。その家にはハロルド・トゥルーという名前のUCLAの男子学生が数人のルームメイトと住んでいた。また1970年にローリングストーン誌に掲載された記事には、マンソンとそのファミリーは1968年8月からトゥルーの家で仲間づくりを始め、トゥルーが引っ越したあともその家に顔を出していたと書いてある。さらにこの記事によると、テート殺害の翌日の夜、マンソンと信者たちはロス・フェリズ界隈を車で徘徊し、町をぐるぐるまわりながら次の標的を探していた。最終的にトゥルーの家に行ったのだが、中にはいると空き家になっていたため、ラビアンカ夫妻が住む隣家に移動し、ウェイヴァリー・ドライヴの無名のこの家が突然注目の的になってしまったらしい。

半世紀の間に家の所有者は何度も変わった

この半世紀の間にこの家の所有者が何度も変わったにもかかわらず、家自体は外壁が変わっただけで1969年と同じ姿で今でも丘の上に建っている。テートの自宅は違う。土地の所有者アルヴィン・ウィンストローブが1994年にこの家を取り壊し、通りの住所も変更して野次馬を遠ざけた。
「家もない、土もない、シャロン・テートに関連するものは草の葉すらない」と、1998年に雑誌ロサンゼルス・マガジンで話している。

ウェイヴァリー・ドライヴの家の過去はジャンバルボにとって特に気になることでもない。彼はこの家の所有者がこの家を買った1990年代後半から知っているのだ。そして、数週間後に殺人事件から半世紀の節目に当たる時期に、この家が売りに出されたことも単なる偶然だと言う。彼の説明によると、所有者はリタイアの準備をするために1年ほど前からこの家のリスティングをジャンバルボに相談していて、家の公開準備にしばらくかかっただけということだ。「彼らはこの家に20年間住んでいました。一度も他人に貸したことがなく、この家での生活を楽しんでいました。マンソン絡みの問題は一度も起きていません」と、ジャンバルボが教えてくれた。

ただし、この家の内覧ツアーは、ホームページで数回クリックすれば予約できるというわけではない。この家を購入する可能性のある者として、事前承認書類と購入資金の証明書をジャンバルボに提出しないといけないのだ。1週間前に販売の告知をしたのだが、それ以降、実際に内覧したのは20組以下で、50組ほどの申し込みを断った。

事前承認書類での予備審査戦略が奏功しているようで、ジャンバルボ曰く、内覧した人々は全員が1969年以降の生まれで、彼らは誰一人としてラビアンカ殺害事件について一言も質問しなかったということだ。
「これは誇張でも過大評価でもなくて、本当にあの家は摩訶不思議な場所だと思います。あの家に足を踏み入れた途端に居心地の良さを感じるために、あの事件のことなど忘れてしまうんですよ」と、ジャンバルボが言う。

この家を買うべき人にとって、アメリカの犯罪史に残る凄惨な事件が起きた場所だろうが全く関係ないのだろう。「この家は典型的なロサンゼルスの一戸建てです。この家を買わないとしても、『じゃあ、ケイティー・ペリーのマンションの隣の全景が見渡せる物件が出てくるまで待つよ』などとは言えない家なのです」と、ジャンバルボがこの家の魅力を力説した。
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