遂に日本公開が開始した映画『イエスタデイ』。『トレインスポッティング』や『スラムドッグ$ミリオネア』の監督、ダニー・ボイルが贈る新作だ。
ファブ・フォー不在の世界というファンタジー映画が伝える「ザ・ビートルズ」の偉大さとは?

【注:文中にネタバレを想起させる箇所が登場します】

映画『イエスタデイ』は、実存する疑問に溢れている。もし、ザ・ビートルズがこの世界にいなかったとしたら?もし、彼らの曲を誰も知らなかったら?

「エイト・デイズ・ア・ウィーク」無しに、人々は恋に落ちるのだろうか?「フォー・ノー・ワン」や「悲しみはぶっとばせ」、「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」を聴かずして、人々は反省するのだろうか?もし私たちが彼らの曲を、今、この瞬間に初めて聴いたとしたら?そして一番大事なことは:もし、可愛げのない、ギターばかり弾いているひねくれた男が、ある日、100曲以上の名曲と共に現れたら?

この映画は実存する疑問を、ファブ・フォーをテーマにしたロマンティックコメディに落とし込んだ物語である。脚本は、このジャンルのベテランであり、「ザ・ビートルズが僕の人生で一番大事なんだ」と声高らかに語る、リチャード・カーティスによるものだ。彼は作品を、全然タイプではなかった男性が、次第に魅力的に見えて来るようなラブストーリーのど真ん中風に仕立てあげた。プロットのベースは、「俺はただの『セクシー・セディ』で、『ヘイ・ジュード』の前に立ち、彼に『アンド・アイ・ラヴ・ハー』と頼み込む」という内容だ。

「これはミュージカルじゃないんだ。ザ・ビートルズの楽曲をカバーするだけじゃなくて、捨てられた記憶を思い起こして、再び世界に届けているんだよ」と、監督のダニー・ボイルはローリングストーン誌のデヴィッド・ブラウンに語ってくれた。想像してみよう。2019年の大人が、「捨てられた思い出」からザ・ビートルズを救うことが、自分の使命であると考えることを。しかし、これが『イエスタデイ』の根本的なアイディアなのだ。

あまり知られていなかったザ・ビートルズを救うことは、ハリウッドが控えめながら長く続ける伝統である。その部分を誇張したのは70年代のとある映画だ:ビー・ジーズは『サージャント・ペッパー』の映画版を製作し、バンドのメンバーは自らを演じ、ピーター・フランプトンがビリー・シアーズを演じた。
「最近のキッズはザ・ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を知らないんだよ」と、1977年にロビン・ギブは語っていた。「いいかい、ザ・ビートルズのような存在は他にないんだ。もし彼らがいなければ、『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』がライヴで演奏されることもない。俺たちの曲だって、彼らの曲に上書きしてしまうことになる」

人々は70年代に、彼らが現在もそうしているように、この映画のような考え方をしていた。ハリウッドは「昨今のキッズ」が 、ザ・ビートルズを忘れてしまうのではないかと危惧していたのだ。ザ・ビートルズは、少なくともキッズからは、絶対に忘れられることなどないと思われていたし、彼らの音楽は他の誰がやるよりも、どんどん良くなっていた。ザ・ビートルズファンは『イエスタデイ』を信じるか?作品は想像通り、音楽が中心の内容だ。映画の重みは楽曲に左右されるし、ここでどんな意見が述べられていたとしても、魅力や感情が溢れ出ている。スティーヴ・マーティンが「マックスウェルズ・シルヴァー・ハンマー」を歌わないだけでも、ビー・ジーズの『サージャント・ペッパー』より楽しむことができる内容となっている。

『イエスタデイ』はいまいちパッとしない主人公のジャック(ヒメーシュ・パテル)が、バスに衝突し、目を覚ますとそこは彼以外、ファブを知る人がいない世界だった。そこで彼は自分の曲としてザ・ビートルズの楽曲を歌い、名声と運を手にして行く。彼を理解するのは恋に悩むマネージャーであり、指に豆ができるまで彼を献身的に支えるエリーだけだった(エリーを演じるのは『ダウントン・アビー』でレディ ローズ・マクレア、『マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー』でメリル・ストリープの若い頃を演じるリリー・ジェームズだ)。
彼女の存在はジャックには勿体無いほどだが、それはポール・マッカートニーがデニー・レインには勿体無いほどであった過去に近い。

『ブラック・ミラー』のエピソードについて話しているわけでは無い— —『トワイライト・ゾーン』の可能性について楽しもうと企んでいるわけでも無い。世界を変えたザ・ビートルズが、世界から消えてしまったら?という内容に、「バタフライ・エフェクト」的なユーモアがあるわけでもない。コールドプレイやニュートラル・ミルク・ホテルが、ファブ無しで成り立ったら……というパラレルワールドであり、すべての男性がマッシュルームカットにすることを切望する以前の物語である。イギリスの評論家ドリアン・リンスキーは、「あるキャラクターは、”ザ・ビートルズのない世の中なんて、永遠に最悪な世界でしかない”と、まさにザ・ビートルズが存在せず、言葉通りの世界観を描いた作中で言う。」と書き留めている。

『イエスタデイ』の核を埋められない穴は主人公、またはその存在性の欠如である。ジャックは愛想も悪く、ニール・アスピナルのようなカリスマ性もなく、もちろんザ・ビートルズには到底及ばない。パテル(イギリスのドラマ『イーストエンダーズ』に出演)が酷い俳優なのか、或いはもの悲しさを抱いているという演出なのかははっきりと区別がつかないが、ジョージが「ア・ハード・デイズ・ナイト」で雄弁に描いたように、彼はつまらない奴で、それをみんなに知られている。ジャックを評価できる唯一の要素は、彼はピクシーズに入れ込んでいたこと(壁にポスターを飾っていた)、そしてザ・フラテリスのTシャツを着ていたことだ。正直に言うと、誰もザ・ビートルズを知らない世界は、人々がザ・フラテリスを覚えている超現実的な世界ほど、何もない場所だと言っていい(注:筆者はザ・フラテリスが好きだし、2006年にU.K.で大ヒットした「チェルシー・ダガー」を今すぐに歌うことだってできる)。

もしエリーが主人公で、ジャックが彼女の陰気で面白みのないマネージャー役だったら、『イエスタデイ』はもっと明るい映画だっただろう。彼女はザ・ビートルズのような才能を持っている。
エリーがスタジオに参加し、タンバリンをかき鳴らし歌うシーンは、そこに電気が走ったように感じた——そうだ、ロックグループとは、メンバーと共に曲を作るのだ。そのシーンが終わると、『イエスタデイ』は不機嫌な男性がアコースティックギターを片手に音楽活動をする、というストーリーが続く。しかしながら、『アリー/スター誕生』や『ボヘミアン・ラプソディ』、『The Dirt: モトリー・クルー自伝』などの新しいロック映画の中で最も奇妙で不健全なことは、女性のミュージシャンは存在しなかった、と暗に示している部分だろう。いや、そのアイディア自体が無いのだ(『アリー/スター誕生』で、レディー・ガガがキャロル・キングのアルバム・カバーの下で寝ているときはショックだった。なぜならキャロルは、その映画に存在し、パフォーマンスは少ないものの、音楽を聴く唯一の女性ミュージシャンだったからだ)。

エド・シーランのシーンは、は作中で一番笑える部分だろう。彼はジャックに対し、曲を「ヘイ・デュード」に変更するよう説得する——作中は、こんなひねったジョークがよく登場する。エドは作品中でも面白おかしな存在で、彼自身も自虐的なことをしたがる。彼が飛行機の上で、ローディーと一緒に冗談を言い合うシーンがある——「君は大丈夫だから、フライトを楽しめ」というものだ。これはスウィフティーズ(訳注:テイラー・スウィフトのファン)にしかわからない内輪のジョークで、エドとテイラーが寝る前に送っていたテキストに由来する(「そう言ったわね、エド」「OKだよ、テイ」というもの)。このシーンは、21世紀のポップシーンが受け入れられたと思われる数少ない場面の一つで、作中でも目立っている(それは、劇場にいるポップガールズが、すべてを知っている父親より少し知識を披露できる瞬間でもある)。ケイト・マッキノンは、業界のサメのように陽気なハミングを聴かせる——ザ・ビートルズ映画に出演するヴィクター・スピネッティのように。


もしあなたがカタブツのビートロジストで、ケチを付けるものを見つけようとしているのなら、『ボヘミアン・ラプソディ』スタイルの事実に基づいた映画では、何も文句が言えないだろう(しかしながら、『ボヘミアン・ラプソディ』内の間違いを楽しむ人もいる——彼らは、映画の滑稽なハイライトなのだ)。近い部分だと、ジャックがリバプールにあるエリナー・リグビーの墓を訪ねた際、ザ・ビートルズは誰もそこを訪れていなかったし、知りもしなかった。それは80年代、まだ誰も実際にエリナー・リグビーの墓がリバプールにあることを知らなかった時代のことではない。ポールがこの曲を書いたとき、彼はその名前を作り上げたのだ(しかし、墓は実際に存在していて、ポールはパーティーをするため、ジョンとともに教会の庭に忍び込んだと話している。本物の、偶然の一致だ)。

『イエスタデイ』は観客が退屈しないよう、楽曲をフルでは演奏せず1、2ヴァースに止めている。ジョージがバンドにいたことを忘れてしまっているのではないか?と観客が心配し始めるくらい、映画の中盤までジョージの楽曲が出てこない。ジャックがL.A.に行った際、「ヒア・カムズ・ザ・サン」と「サムシング」の短い断片を聴くことができる(しかしそれも、ジョージがL.A.について歌った曲、「ブルー・ジェイ・ウェイ」ではないのだ)。「抱きしめたい」の由来は、ソロのフォークシンガーによるショーケースが、いかにバカバカしいものであるか、というものであり——楽曲は女性たちが一緒に叫ぶために、熱狂的になるよう設計されている。これまでの歴史の中で「抱きしめたい」をソロで歌ったのはアル・グリーンのみで、ヒメーシュ・パテルはアル師と勝負になっていない。作品後半に、ザ・ビートルズのオリジナルパフォーマンスがフルで映るシーンがある。それまで、観客はバンドの楽曲をフルで聴きたいという衝動に駆られ続け、クレジットを見るためにじっと待つはずだ。


しかしながら、ジャックが有名になっていく様にはあまり意味がない。彼は「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」をモスクワで、歌詞を変えずに歌う(面白い事実がここにある:ウクライナとロシアは、もう同じ国ではない! 多くの人々がこの事実を巡り戦い、そして命を落としたのだ! )。ザ・ビートルズはティーンエイジャーの女性が発見し、それ以来のすべては中途半端な存在となってしまったにもかかわらず、ティーンエイジャーの女性は観衆の中にはいないのだ。2019年のザ・ビートルズファンの典型例として、フロリダのティーンエイジャーであるエマ・ゴンザレスを見てみよう。彼女は昨年、銃規制(とLGBTQ)の活動家として知られた。彼女はリンゴのファンで、ファブのTシャツをきながらTVのインタビューに答え、Twitterに「私は、ザ・ビートルズの曲はパワフルな女性に歌われるように作られたのだと思う」と投稿した。他の多くのファンがそうであるように、昨日も今日も、彼女は立ち上がる瞬間を待ち望んでいた。

ジャックの頭の中には、ザ・ビートルズの楽曲で女性を口説こうという考えは一切なかったが、それは奇妙なことである。なぜならジョン、ポール、ジョージ、そしてリンゴは、楽曲が女性を口説く目的だと悟られないよう振舞うことに必死だったからだ。ポールは、リバプールの芸術学校で行われるパーティーで女性の気を引くため、フランス人として振舞っていた。彼がそんなティーンの時に書いた短い曲が、「ミッシェル」である。のちにポール・マッカートニーは伝記『ポール・マッカートニー―メニー・イヤーズ・フロム・ナウ』で、「僕は謎めいた行動を取ることで、女の子たちに”あの角に立っているフランス人の男の子は誰なの? ”と考えてもらいたかったし、気を引きたかった」と明かしている。
しかしジャックにとって、それはポストイットに書いて壁に貼った、ただの別の曲のタイトルという位置づけであった。

ザ・ビートルズにとって、ライヴでオーディエンスと触れ合う機会も含めて、音楽とはいつも、女性とコミュニケーションを取るものであった。1987年、ポールはザ・ビートルズについての著書を数多く出版しているマーク・ルイソンに「あの時、僕たちは18、9歳で、話す女の子たちはみんな17歳やそこらだった。めちゃくちゃ意識してたよ。需要のあるところに音楽を届けていた。僕たちが『サンキュー・ガール』という曲を出せば、多くの女の子たちが自分に送られたありがとうの気持ちを書いたと思って、たくさんのファンレターを出してくれることを知っていたんだ」それが、彼とジョンが数多くの楽曲に代名詞を入れた理由だ。「僕たちは、オーディエンスに曲を歌うとそんな現象が訪れることに気づいた。だから『フロム・ミー・トゥー・ユー』とか、『プリーズ・プリーズ・ミー』とか、『シー・ラヴズ・ユー』みたいな、タイトルに代名詞の入る曲を書いたんだ。いつだってそうしてたよ」

ポールが想像もつかなかった時(誰も想像がつかなかったし、想像しようともしなかった)何年も時が経って、世界中の人々か彼らの曲を聴くようになった。さらに重要なのは、私たちも、彼らの曲を歌う。筆者にとっては、それがザ・ビートルズのストーリーの中で一番美しく、ミステリアスで、心をかき乱す部分である——解散した後にどんどん有名になり、彼らが活動をしていた1960年代よりも、現代ではバンドはさらに愛され、当時とは比較にならないほどに有名な存在となっている。バンドが「夢は終わった」と考えた何年も後に、世界はザ・ビートルズの夢を見続けているのである。元ザ・ビートルズのメンバーはこの不可解で、腹立たしくもありながら、私たちがそうしているように、世界中がザ・ビートルズに恋に落ちている状況を生きなければならないのだ。

『イエスタデイ』はラブストーリーが起こらない世界が舞台になっている——たとえ作中で歌われる楽曲陣が、まだストーリーが終わらないことを示しているとしても。偉大な男性、あるいは偉大な4人は、永遠の愛を歌っていた。過去など存在しない愛を。

イエスタデイ』 
全国ロードショー中

監督:ダニー・ボイル
脚本:リチャード・カーティス
製作:ティム・ビーヴァン、エリック・フェルナー、マット・ウィルキンソン、バーニー・ベルロー、リチャード・カーティス、ダニー・ボイル
製作総指揮:ニック・エンジェル、リー・ブレイザー
出演:ヒメーシュ・パテル(「イーストエンダーズ」)、リリー・ジェームズ(『マンマ・ミーア!ヒア・ウィー・ゴー』)、ケイト・マッキノン(『ゴーストバスターズ』)、エド・シーラン(本人役)
配給宣伝:東宝東和 ©Universal Pictures
公式サイト:https://yesterdaymovie.jp/
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