マーティン・スコセッシ監督はニューヨーク映画祭で、ロバート・デ・ニーロとアル・パチーノが出演する、労働組合と殺し屋との関係を描いた3時間半に及ぶ大作を披露した。Netflix製作の映画『アイリッシュマン』は、史上最高のギャング映画になりそうな予感がする。
「物心がついた時から、俺はいつかマフィアになりたいと思っていた」というセリフは、映画『グッドフェローズ』を繰り返し鑑賞した人なら深く印象に残っていることだろう。というよりも、レイ・リオッタがこのセリフを口にする前の、刺し殺された死体と血に汚れたシートと真っ赤に染まる車のトランクが、作品を見た誰の目にも焼き付いていると思う。高級車を乗り回してお洒落なスーツに身を包み、それぞれがユニークなニックネームで呼ばれる地元の大物マフィアたち…クレジットロール後に流れる少年の目を通して見た空想的な映像も印象的だ。マーティン・スコセッシ監督による傑作は、『ゴッドファーザー』シリーズ以上に、後のマフィア映画へ大きな影響を与えた。2年後に別の映画製作者がスリルと笑いを組み合わせた作品をリリースしたものの、栄枯盛衰を描いたスコセッシの作品は、現代の笑いを含んだギャング映画のロゼッタストーンとして今なお君臨している。1990年代の口火を切った作品だけのことはある。
第57回ニューヨーク映画祭でプレミア上映されたスコセッシ監督『アイリッシュマン』は、監督が約30年の間に手掛けた多くの犯罪映画の成果といえる。当然、系統は大きく異なる。『アイリッシュマン』は、マフィアの用心棒から全米トラック運転手組合の幹部となり、またジミー・ホッファの片腕でもあったフランク・シーランの半生を描いた作品だ。シーランの伝記『I Heard You Paint Houses』(2004年)によれば、彼はホッファを暗殺した人物でもあるという。作品にはシーランの半生と同じく、皮肉な運命と歴史、暴力とユーモア、麻薬とイタリア系アメリカ人の人類学が描かれている。「ガキの頃、家を塗るのはペンキ屋の仕事だと思っていた」と、ロバート・デ・ニーロ演じるシーランのナレーションが流れる。
ところが本作品はそれでは終わらない。過去のヒット作をあれこれつなぎ合わせたような映画ではなく、もっと大きく重要な仕掛けをスコセッシ監督は用意している。『アイリッシュマン』は、労働者と犯罪組織とアメリカ政府とが互いに争ったり癒着したりを繰り広げた20世紀の時代を描いている。また、冗談好きなマフィアの幹部や負けず嫌いなタフガイたちの人間性や、ハラハラする生活や撃ち合いが終わった後の彼らの行く末が、今の我々にどう映るかを問いかける作品でもある。本作品はあらゆる意味で、アンチ・グッドフェローズといえる。ドキドキハラハラするシーンが続き、そして犯罪行為と善悪の妥協とマフィアの生活が終わりを告げた後、どうなっていくのかを真剣に考えさせられる。単なるスコセッシ監督作品のひとつというだけではない。史上最も印象深いマフィア映画になるだろう。
まずは、フランク・シーランについて知っておく必要がある。シーラン役は、肩をすくめるしぐさや口ごもったような言葉遣いと、怒りを爆発させるお決まりの演技が特徴的なデ・ニーロが演じている。第二次世界大戦の退役軍人でトラック運転手だったシーランは、フィラデルフィアを拠点としたマフィアに取り入るため、積荷の食用牛肉の重量を軽く申告した罪で逮捕される。シーランはガソリンスタンドで彼のトラックが押収された現場で初めて、後に彼の後ろ盾となるマフィアのボス、ラッセル・ブファリーノ(ジョー・ペシ)と出会う。ブファリーノと彼の従兄弟で弁護士のビル(レイ・ロマーノ)はシーランをマフィアの世界へと引き込み、プロのヒットマンとして育て上げた。作品に登場する実在の人物については、いつどのような最期を遂げたかも含め、字幕で紹介される。宿命を実感させる見事な演出だ。
最も重要なシーンは、両ブファリーノがシーランとジェームズ・リドル・ホッファ(アル・パチーノ)との面会をお膳立てした場面だ。強大な権力を持った全米トラック運転手組合のトップだったホッファは、特にシーランがシカゴで即興的に行った仕事が印象に残ったようですぐさまシーランを気に入り、その後ふたりの関係は深まっていった。両者とも、当時司法長官だったロバート・ケネディからの追求や、組合(チームスター)とマフィアとの対立、実刑判決、「ちっぽけな奴」と呼ぶニュージャージーのマフィアでトニー・プロことアンソニー・プロヴェンツァーノからの批判に苦しんでいた(スティーヴン・グレアムが演じるプロヴェンツァーノは、現役を退いた俳優に、かつてのギャング映画のスターだったジェームズ・キャグニーの躍動感あるエネルギーを注いで蘇らせたような印象を受ける)。チームスターの委員長に就任したホッファがマフィアに対する影響力を強めてくると、ブッファリーノや他のファミリーのボスらは調子に乗ったホッファの存在が目障りになってくる。何らかの力が働き、そして何かが起きる。
主役たちの容姿にデジタル処理を施し、20歳台の労働者や30歳台の組合委員長から、晩年を迎える80歳台までの長く曲折した人生をカバーしようとしたスコセッシ監督のやり方には、賛否両論があった。見ている方が混乱し、残念ながら製作者側の意図からは遠い部分も時折見られる。特に若き日のホッファを演じるデ・ニーロの顔が、まるでビニール製のマスクをかぶっているように見えるシーンもある。ただ、雰囲気を壊すほどのものではない。アル・パチーノやジョー・ペシも同様だが、まるでタイムマシンから降りてきたような彼らを見ているうちに慣れてくるものだ。ペシはスクリーンでずっと見ていたいと思わせる存在感があり、パチーノは久しぶりに素晴らしい演技を見せている。特に彼が大声を張り上げるシーンは、短気なホッファと完全にダブって見える。パチーノやグレアムの出演シーンや会合のシーン、そして几帳面さに欠ける点などはどこかで見たギャング映画のパロディのようでもあり、また同時に最も満足させてくれるシーンでもある。主役級と並び、レイ・ロマーノ、ハーヴェイ・カイテル、ボビー・カナヴェイル、キャスリン・ナルドゥッチ、ドメニク・ランバルドッツィ、ウェルカー・ホワイトら脇を固める俳優陣も、スティーヴン・ザイリアンの脚本のリズムや、スコセッシ監督のギャング映画に求めるこだわりをよく理解している。
当然ながら、スコセッシ監督の求める気難しい男たちや危険なアウトロータイプの役を最も多くこなしてきたデ・ニーロが要となる。ニューヨーク映画祭のプレミアでスコセッシ監督は、最後にこの映画祭で上映された自分の作品は約46年前の『ミーン・ストリート』で、今回と同じキャストだったとジョークを飛ばした。76歳になるデ・ニーロは、スコセッシとのコラボレーションで期待されるお馴染みのデ・ニーロ=イズムを存分に発揮し、驚くようなラストシーンを演出している。
悲劇要素ゼロのマフィアという、普通の映画、特にこれまでのスコセッシ作品では見られないマフィア神話が展開する。脚本家でスコセッシによる犯罪映画のパートナーでもあるニコラス・ピレッジ曰く、『アイリッシュマン』は緩やかなスコセッシ4部作の最終章にあたるという。『ミーン・ストリート』は街の若い不良の物語で、『グッドフェローズ』はあるマフィアの一員を追った。さらに『カジノ』は、マフィアの究極の資本主義の内幕に迫った作品だった。そして『アイリッシュマン』はそれらキャラクターのカーテンコールといった位置付けで、本作品の必然的なクライマックスを我々が知った後は、前の3作をこれまでとは違った観点から鑑賞できる。『グッドフェローズ』のラストは、男と銃の印象的なシーンで締めくくられたがこれは、初期の犯罪映画が使った暴力を表現する象徴的なシーンを連想させる。『アイリッシュマン』が、男、部屋、孤独、静寂といった空虚の象徴を描いている訳ではないことを強調しておく。
『アイリッシュマン』
11月15日から一部劇場にて公開中
2019年11月27日からNetflixで配信開始
「物心がついた時から、俺はいつかマフィアになりたいと思っていた」というセリフは、映画『グッドフェローズ』を繰り返し鑑賞した人なら深く印象に残っていることだろう。というよりも、レイ・リオッタがこのセリフを口にする前の、刺し殺された死体と血に汚れたシートと真っ赤に染まる車のトランクが、作品を見た誰の目にも焼き付いていると思う。高級車を乗り回してお洒落なスーツに身を包み、それぞれがユニークなニックネームで呼ばれる地元の大物マフィアたち…クレジットロール後に流れる少年の目を通して見た空想的な映像も印象的だ。マーティン・スコセッシ監督による傑作は、『ゴッドファーザー』シリーズ以上に、後のマフィア映画へ大きな影響を与えた。2年後に別の映画製作者がスリルと笑いを組み合わせた作品をリリースしたものの、栄枯盛衰を描いたスコセッシの作品は、現代の笑いを含んだギャング映画のロゼッタストーンとして今なお君臨している。1990年代の口火を切った作品だけのことはある。
第57回ニューヨーク映画祭でプレミア上映されたスコセッシ監督『アイリッシュマン』は、監督が約30年の間に手掛けた多くの犯罪映画の成果といえる。当然、系統は大きく異なる。『アイリッシュマン』は、マフィアの用心棒から全米トラック運転手組合の幹部となり、またジミー・ホッファの片腕でもあったフランク・シーランの半生を描いた作品だ。シーランの伝記『I Heard You Paint Houses』(2004年)によれば、彼はホッファを暗殺した人物でもあるという。作品にはシーランの半生と同じく、皮肉な運命と歴史、暴力とユーモア、麻薬とイタリア系アメリカ人の人類学が描かれている。「ガキの頃、家を塗るのはペンキ屋の仕事だと思っていた」と、ロバート・デ・ニーロ演じるシーランのナレーションが流れる。
その直後、建物の白い壁に銃撃による赤い血しぶきがペンキのように飛び散った。それから月日が流れ、スーツを決めた男たちの間を多くの銃弾が飛び交う。街を走る車の種類や襟のサイズを見れば、時代がひと目でわかるだろう。ここまでは、お得意のスコセッシ流だ。
ところが本作品はそれでは終わらない。過去のヒット作をあれこれつなぎ合わせたような映画ではなく、もっと大きく重要な仕掛けをスコセッシ監督は用意している。『アイリッシュマン』は、労働者と犯罪組織とアメリカ政府とが互いに争ったり癒着したりを繰り広げた20世紀の時代を描いている。また、冗談好きなマフィアの幹部や負けず嫌いなタフガイたちの人間性や、ハラハラする生活や撃ち合いが終わった後の彼らの行く末が、今の我々にどう映るかを問いかける作品でもある。本作品はあらゆる意味で、アンチ・グッドフェローズといえる。ドキドキハラハラするシーンが続き、そして犯罪行為と善悪の妥協とマフィアの生活が終わりを告げた後、どうなっていくのかを真剣に考えさせられる。単なるスコセッシ監督作品のひとつというだけではない。史上最も印象深いマフィア映画になるだろう。
まずは、フランク・シーランについて知っておく必要がある。シーラン役は、肩をすくめるしぐさや口ごもったような言葉遣いと、怒りを爆発させるお決まりの演技が特徴的なデ・ニーロが演じている。第二次世界大戦の退役軍人でトラック運転手だったシーランは、フィラデルフィアを拠点としたマフィアに取り入るため、積荷の食用牛肉の重量を軽く申告した罪で逮捕される。シーランはガソリンスタンドで彼のトラックが押収された現場で初めて、後に彼の後ろ盾となるマフィアのボス、ラッセル・ブファリーノ(ジョー・ペシ)と出会う。ブファリーノと彼の従兄弟で弁護士のビル(レイ・ロマーノ)はシーランをマフィアの世界へと引き込み、プロのヒットマンとして育て上げた。作品に登場する実在の人物については、いつどのような最期を遂げたかも含め、字幕で紹介される。宿命を実感させる見事な演出だ。
最も重要なシーンは、両ブファリーノがシーランとジェームズ・リドル・ホッファ(アル・パチーノ)との面会をお膳立てした場面だ。強大な権力を持った全米トラック運転手組合のトップだったホッファは、特にシーランがシカゴで即興的に行った仕事が印象に残ったようですぐさまシーランを気に入り、その後ふたりの関係は深まっていった。両者とも、当時司法長官だったロバート・ケネディからの追求や、組合(チームスター)とマフィアとの対立、実刑判決、「ちっぽけな奴」と呼ぶニュージャージーのマフィアでトニー・プロことアンソニー・プロヴェンツァーノからの批判に苦しんでいた(スティーヴン・グレアムが演じるプロヴェンツァーノは、現役を退いた俳優に、かつてのギャング映画のスターだったジェームズ・キャグニーの躍動感あるエネルギーを注いで蘇らせたような印象を受ける)。チームスターの委員長に就任したホッファがマフィアに対する影響力を強めてくると、ブッファリーノや他のファミリーのボスらは調子に乗ったホッファの存在が目障りになってくる。何らかの力が働き、そして何かが起きる。
主役たちの容姿にデジタル処理を施し、20歳台の労働者や30歳台の組合委員長から、晩年を迎える80歳台までの長く曲折した人生をカバーしようとしたスコセッシ監督のやり方には、賛否両論があった。見ている方が混乱し、残念ながら製作者側の意図からは遠い部分も時折見られる。特に若き日のホッファを演じるデ・ニーロの顔が、まるでビニール製のマスクをかぶっているように見えるシーンもある。ただ、雰囲気を壊すほどのものではない。アル・パチーノやジョー・ペシも同様だが、まるでタイムマシンから降りてきたような彼らを見ているうちに慣れてくるものだ。ペシはスクリーンでずっと見ていたいと思わせる存在感があり、パチーノは久しぶりに素晴らしい演技を見せている。特に彼が大声を張り上げるシーンは、短気なホッファと完全にダブって見える。パチーノやグレアムの出演シーンや会合のシーン、そして几帳面さに欠ける点などはどこかで見たギャング映画のパロディのようでもあり、また同時に最も満足させてくれるシーンでもある。主役級と並び、レイ・ロマーノ、ハーヴェイ・カイテル、ボビー・カナヴェイル、キャスリン・ナルドゥッチ、ドメニク・ランバルドッツィ、ウェルカー・ホワイトら脇を固める俳優陣も、スティーヴン・ザイリアンの脚本のリズムや、スコセッシ監督のギャング映画に求めるこだわりをよく理解している。
当然ながら、スコセッシ監督の求める気難しい男たちや危険なアウトロータイプの役を最も多くこなしてきたデ・ニーロが要となる。ニューヨーク映画祭のプレミアでスコセッシ監督は、最後にこの映画祭で上映された自分の作品は約46年前の『ミーン・ストリート』で、今回と同じキャストだったとジョークを飛ばした。76歳になるデ・ニーロは、スコセッシとのコラボレーションで期待されるお馴染みのデ・ニーロ=イズムを存分に発揮し、驚くようなラストシーンを演出している。
もしもスコセッシ監督が本作品を180分位のところで終わらせたとすると観客は、スコセッシとデ・ニーロによるいつものギャング映画か、という感想を漏らしながら映画館を後にするだろう。ところがスコセッシは、普通のクライマックスをさらに超えてストーリーを展開し、絶叫シーンもさらに話を広げている。ゆっくりと展開し、登場人物も歳を重ねていく。対立が起きれば、そのほとんどは平和的に解決せず、永遠に続くものすらある。我々は男たちの与える肉体的な苦痛を感じ取ったが、スコセッシは、彼らが冬の時代に感じていた心の痛みの目撃者に我々がなると言う。
悲劇要素ゼロのマフィアという、普通の映画、特にこれまでのスコセッシ作品では見られないマフィア神話が展開する。脚本家でスコセッシによる犯罪映画のパートナーでもあるニコラス・ピレッジ曰く、『アイリッシュマン』は緩やかなスコセッシ4部作の最終章にあたるという。『ミーン・ストリート』は街の若い不良の物語で、『グッドフェローズ』はあるマフィアの一員を追った。さらに『カジノ』は、マフィアの究極の資本主義の内幕に迫った作品だった。そして『アイリッシュマン』はそれらキャラクターのカーテンコールといった位置付けで、本作品の必然的なクライマックスを我々が知った後は、前の3作をこれまでとは違った観点から鑑賞できる。『グッドフェローズ』のラストは、男と銃の印象的なシーンで締めくくられたがこれは、初期の犯罪映画が使った暴力を表現する象徴的なシーンを連想させる。『アイリッシュマン』が、男、部屋、孤独、静寂といった空虚の象徴を描いている訳ではないことを強調しておく。
本作品は面白おかしく、銃と激怒の犯罪大作だ。また純粋なスピリチュアル映画でもあり、つまりギャング映画とスピリチュアル映画に大きな違いはないということだ。
『アイリッシュマン』
11月15日から一部劇場にて公開中
2019年11月27日からNetflixで配信開始
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