マーティン・スコセッシが手がけた『ウルフ・オブ・ウォール・ストリート』の冒頭で、レオナルド・ディカプリオが演じる若きブローカーは職場でパーティーを開く。
ポップやロックの楽曲によってシーンを劇的にドラマチックにするという手法は、言わずと知れたスコセッシの十八番だ。バーナード・ハーマンによるスコアやバッハのソナタから、ヴィンテージのR&Bやドゥーワップ、ブルース、そしてブリティッシュ・インベイジョンを象徴する曲群(「昔ストリートで耳にした音楽」と彼は語っている)まで、彼の映画を彩る音楽は極めて多様だ。ドノヴァンの「アトランティス」やウォーレン・ジヴォンまで、ロック界の大御所たちとも縁の深いスコセッシの世界観を支える名曲の数々を、A to Zのカウントダウン形式で紹介する。
A: ドノヴァン「アトランティス」(『グッドフェローズ』より)
ドノヴァンが海底のユートピアについて歌ったこのヒッピー的な曲と、バーで繰り広げられる激しい暴力シーンはミスマッチのように思える。しかしスコセッシは、このみずがめ座のテーマソングによって、ビリー・バッツの怒声(「とっとと失せろ!」)に身も凍るような皮肉さを含ませてみせた。彼の目論みは見事に功を奏したといえるだろう。男が怒り狂う場面のバックで、60年代のフォークシンガーが海底での暮らしについて歌うという奇妙な組み合わせには、タランティーノも衝撃を受けたに違いない。
B: ザ・ロネッツ「ビー・マイ・ベイビー」(『ミーン・ストリート』より)
音楽がインパクトを増大させるシーンは数あれど、これは最も有名な例のひとつだろう。
C:ザ・ローリング・ストーンズ「キャン・ユー・ヒア・ミー・ノッキング」(『カジノ』より)
『スティッキー・フィンガーズ』に収録されたこのストーンズの名曲を映画に使うとしたら、平凡な監督ならヴァースやフック、あるいはホーンとラテンパーカッションのブレイクを選ぶだろう。しかし、スコセッシの目の付け所はまるで違う。ヴェガスで暗躍するニッキー・サントロのキャリアを描く場面で、7分以上に及ぶこの曲はフルコーラスで使用されている。ジョー・ペシが演じるサントロは、カジノへの出入りを禁止されたことをきっかけに、周囲のすべての人間を欺くことを決意する。曲が流れる中、宝石泥棒や借金の踏み倒し、ショーガールとのセックス、隠し場所に困るほどの大金など、様々な過去がモンタージュ的に描かれていく。曲が終わる頃には、「罪の都市」ことヴェガスにおける新たな保安官の誕生が強烈なイメージとして残る。
D: ボブ・ディラン(『ラスト・ワルツ』)
「私はディランの魅力に気付くのが遅かったんだ」スコセッシは元Time誌の映画批評家Richard Schickelにそう語っているが、彼は『ラスト・ワルツ』におけるディランのパフォーマンスの半分(彼は演奏する4曲すべてを撮影したいという申し出を拒否した)で、カメレオンのようなその変幻自在な魅力を描ききった。そしてスコセッシは後に、ディランが1966年に行った伝説のツアーのドキュメンタリー『ローリング・サンダー・レビュー マーティン・スコセッシが描くボブ・ディラン伝説』で、ディランのエレクトリック期、そして悪名高い「ユダめ!」というくだりの背景を描いた。アメリカの音楽史に革命を起こしたディランと、アメリカ映画界のカンフル剤となったスコセッシという組み合わせは、まさにドリームチームだ。
E: ザ・ドアーズ「ジ・エンド」(『ドアをノックするのは誰?』より)
フランシス・フォード・コッポラが『地獄の黙示録』で使う前に、スコセッシはこのエディプスコンプレックスの象徴といえる曲をラブシーン(?)で使用している。彼にとって初の長編映画となった本作の配給会社がセクシーなシーンを要求したため、スコセッシはハーヴェイ・カイテルと複数の女性がヌードになる場面を盛り込んだ。バックで流れる「その殺人鬼は夜明け前に目覚めた」という恐るべきラインは、非現実的にさえ映るラブシーンに強烈なインパクトをもたらしている。初期のミュージックビデオを思わせるその場面で見せた、ポップとロックのエネルギーとダイナミックさを最大限に活用するその手法は、やがてスコセッシの代名詞となる。
F: アレサ・フランクリン「恋のおしえ」(『ケープ・フィアー』より)
「この曲を知ってるかい?」ロバート・デニーロが演じる精神異常者マックス・ケイディーは電話越しに、ジュリエット・ルイスが扮する反抗的な10大の少女に問いかける。彼がブームボックスの再生ボタンを押すと、アレサ・フランクリンが1967年に発表した、フェアなセックスを訴えるゴスペル調のこの曲が流れ始める。しかしこのR&Bのラブソングは、ケイディーにとっては殺意を掻き立てるためのテーマ曲だった。「信用してよ、俺はフェアな男だからね」彼はそう主張する。ソウルの女王によるB面曲がこの場面では、獲物に忍び寄る捕食者の狂気を浮き彫りにしている。
G: ザ・ローリング・ストーンズ「ギミー・シェルター」(『ディパーテッド』より)
ストーンズの1969年作『レット・イット・ブリード』に収録されている「ギミー・シェルター」は、バンドの作品の中で最も頻繁に映画で使われている曲だが、マーティほどその魅力を引き出せている人物は他にいない。同曲は『グッドフェローズ』ではレイ・リオッタが「ピッツバーグ・コネクション」を確立するシーンで使われているほか、『カジノ』の2つの殺人シーンではライブバージョンが採用されている。しかし『ディパーテッド』における、ボストン南部の社会的混乱の数々を描くシーンでの使用は、他のどのケースよりも印象的だ。
H: ジョージ・ハリスン(『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』より)
スコセッシは基本的にビートルズよりもストーンズ派だったが、彼がファブ・フォーの中で最も物静かだったジョージ・ハリスンの3時間半に及ぶドキュメンタリーを手がけたことは意外ではない。スコセッシは本作で、ハンブルクでの下積み時代から世界中にその名を轟かせるまでの彼の軌跡を辿るとともに、ビートルマニアたちの異常な執着心に対する彼の困惑と、彼が最終的に自身の充足を目的としたスピリチュアルな方向へと進んだ背景を描いた。その価値観に共感したスコセッシが手がけた本作からは、ハリスンの東洋の宗教への傾倒、そしてソロとしてのキャリアに対する敬意が感じられる。
I: ドロップキック・マーフィーズ「アイム・シッピング・アップ・トゥ・ボストン」(『ディパーテッド』より)
ポーグスの影響下にあるこのマサチューセッツ州クインシー発のバンドは、初期の段階からオイ!と呼ばれるパンクに無数のケルト音楽の要素を持ち込んだ音楽性を追求していた。スコセッシはバンドが2005年に発表したこのカバー(原曲は船乗りたちの労働歌であり、歌詞はウディ・ガスリーが執筆)を、ボストンの地下社会を描いたオスカー受賞作の非オフィシャルテーマソングとして用いており、そのトーンは映画のムードと見事にマッチしている。アイルランド系アメリカ人の警察官とマフィアたちの駆け引きを通じ、古き世界の伝統と新世界における危機感の融合を描く本作は、マーフィーズの荒ぶるサウンドと確かに共鳴している。
J: マイケル・ジャクソン「バッド」のミュージックビデオ
特大ヒットを記録した『スリラー』に続くアルバムのセカンドシングル用ミュージックビデオを作るにあたって、キング・オブ・ポップは超一流のものを求めた。その期待に応えるべく、スコセッシはこの18分に及ぶ歴史的大作を作り上げた。本作は荒い白黒映画のように始まり(冒頭のシーンにはあどけなさが残るウェズリー・スナイプスが出演している)、やがてガラージを舞台としたカラフルなミュージカルへと変貌していく。ジャクソンが『ウエスト・サイド・ストーリー」へのオマージュでもある有名なダンスを披露する場面からは、スコセッシのヴィンセント・ミネリに対する愛情も垣間見える。
K: クリス・クリストファーソン「The Pilgrim, Chapter 33」(『タクシードライバー』より)
ひょろりとした体型が印象的なシンガーソングライター兼俳優の彼は、『アリスの恋』でハンク・ウィリアムズの「Im So Lonesome I Could Cry」をカヴァーしているが、スコセッシの作品群における彼の最も有名な曲は劇中で流れるのではなく、歌詞の引用という形で登場する。
L: デレク・アンド・ザ・ドミノス「愛しのレイラ」(『グッドフェローズ』より)
エリック・クラプトンによるこの曲は、友人であるジョージ・ハリスンの妻パティ・ボイドに対する叶わぬ恋心を歌ったものだ。当時『グッドフェローズ』のスコアに取り組んでいたスコセッシは、同曲の有名なコーダに一瞬で反応した。彼は警察がギャングたちの死体を発見するシーンの撮影中に、現場でジム・ゴードンのピアノとデュアン・オールマンのスライドギターを擁する同曲の終結部を流し、カメラの動きをその物悲しげな展開に合わせるようにした。曲がフェードアウトするにつれ、ギャングたちの黄金時代の終わりが実感を帯びていく。
M: ヴァン・モリソン「コンフォタブリー・ナム」(『ディパーテッド』より)
このピンク・フロイドの曲のライブカヴァー以前にも、ヴァン・モリソンはスコセッシの作品に参加している。『ラスト・ワルツ』では「キャラヴァン」のハードなヴァージョンが、『救命士』では「T.B.シーツ」がそれぞれ使われている。しかし、レオナルド・ディカプリオとヴェラ・ファーミガのラブシーンを熱く盛り上げるこのスローなカヴァーは、モリソンとマーティのコンビネーションの中でも屈指の出来だ。北アイルランド出身のモリソンはあらゆるサウンドをソウルフルに仕立てることができたが、『ザ・ウォール』に収録されたこの疎外感の賛美歌を、彼は驚くほど超越的に響かせてみせた。誘惑の前兆のような妖艶さは、スコセッシの手腕によるものなのかもしれないが。
N: ハリー・ニルソン「Jump Into the Fire」(『グッドフェローズ』より)
コカインでハイになったレイ・リオッタが演じるギャングスタが、上空のヘリコプターに目を向けながら車を走らせるシーンは、アメリカ映画史において最も緊張感のある瞬間のひとつだろう。彼は逮捕される直前なのだろうか?それともこれもドラッグによる幻覚のひとつなのか?チャートを制した『Nisson Scmilsson』からのサードシングルであるこの曲は、アップテンポではないにもかかわらず恐るべき緊張感を演出している。これぞまさにパラノイアのサウンドトラックだ。「Oh oh ooohs」というフレーズが映画に使われるたびに、視聴者は神経をすり減らすことになるだろう。
O: オーティス・レディング「ファ・ファ・ファ」(『カジノ』より)
スタックスの看板ソウルシンガーは、この曲のタイトルとなった極めてシンプルなリフレインで、底なしの悲しみと香り立つような色気を表現することができた。普通の監督ならその音楽を、ロバート・デ・ニーロとシャロン・ストーンが演じる夫婦間のあれこれのバックに使おうとするだろう。しかしスコセッシは、レディングとメンフィス・ホーンズのサックスプレーヤーたちのコールアンドレスポンスを、デニーロとマフィアのボスのパトロンの密会という、全く別の緊張感を漂わせるシーンに用いた。レディングの快活なビートは、途方もない額の金について話し合う男たちに華を添えるだけでなく、これから始まる物語への期待を膨らませる。
P: ピーター・ガブリエル『パッション — 最後の誘惑』サウンドトラック
スコセッシが10年以上にわたって温め続けていた、キリストの生と死を描くこの問題作は、聖書をテーマにしたありがちな映画とはまるで別物だ。いかにもハリウッドらしい豪華絢爛なサウンドトラックが合わないことを理解していたスコセッシは、元ジェネシスのフロントマンであるピーター・ガブリエルに、同作のエキゾチックな面を音で表現して欲しいと依頼した。グラミー賞を受賞した本作は、ロックしか知らないオーディエンスに、カッワーリーのシンガーたちやセネガルのミュージシャン、そして中東の楽器の魅力を伝えるとともに、高まりつつあったワールドミュージックの人気を一気に拡大した。また本作は、ガブリエルが伝統的なプログレからより大胆で斬新な方向へと舵を切るきっかけとなった。
Q: トニー・レニス「Quando, Quando, Quand」(『アフター・アワーズ』より)
イタリア人シンガーのトニー・レニスによるスウィング感たっぷりのこの曲は(一般的には可もなく不可もない白人ヴォーカリストのパット・ブーンが歌った英語詞のヴァージョンの方が有名だろう)、80年代のマンハッタンのダウンタウンで途方にくれるヤッピーを描いた、スコセッシによるブラックコメディの劇中で繰り返し登場する。14th Street以降の道がわからず自宅に辿り着けない男性を描く本作において、この曲はその奇妙な世界観を彩ると共に、スコセッシのポップミュージックに対する造詣の深さを感じさせる。
R: ザ・ローリング・ストーンズ
イギリスで生まれ育った彼らはアメリカのブルースマンたちに夢中になり、スコセッシはリトルイタリーのチンピラたちに囲まれて10代を過ごした。しかし両者に共通するアートに対する柔軟な姿勢は、そのタッグを特別なものにしている。原曲だけでなくカヴァー(特に印象深いのはディーヴォによる「サティスファクション」のカヴァーだ)も含め、スコセッシは自身の作品において彼らの曲を幾度となく使用しており、それはもはや予定調和のようにも思える。しかし2008年に発表された、スコセッシが監督を務めたバンドのドキュメンタリー『ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト』における溢れんばかりのエネルギーは、今でも両者が互いを刺激し合っていることを雄弁に物語っている。
S: ザ・ビーチ・ボーイズ「セイル・オン・セイラー」(『ディパーテッド』より)
ビーチ・ボーイズらしくないとさえ言えるほどファンキーなこの曲は、バンドの1973年作『オランダ』に土壇場で収録された。ブライアン・ウィルソンとヴァン・ダイク・パークスのコラボレーションが生んだ同曲を、スコセッシはこのクライムスリラーにおける最も道徳的なシーンに用いた。ジャック・ニコルソンが演じる堕落したギャングスタは、無防備な人々を操り殺人を命じるような人物でありながら、ランチの場で小児性愛者の司祭を目にすると、思いがけない正義感を発揮する。ニコルソンが地に落ちた聖職者をあざけるシーンの背後で流れるリッキー・ファーターによるバックビートは、彼の脅迫(と修道女に手渡したスケッチ)のどこか痛快な恐怖感を煽っている。
T: クリスタルズ「キッスでダウン」(『グッドフェローズ』より)
コパカバーナの通りから始まり、入り組んだクラブの通路を抜けて辿り着いたステージにヘニー・ヤングマンとして立つまでを描く3分間は、映画史上最も有名な固定カメラショットのひとつだろう。大物マフィアのヘンリー・ヒルが後の妻であるカレンに強力なコネクションを見せつけるこのシーンを盛り上げるのは、恋に夢中になる若い女性を描いたクリスタルズの1963年のヒット曲「キッスでダウン」だ。カレンがその強大な権力にうっとりするように、視聴者はスコセッシの巧みな描写と、フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドを用いたティーンオペラの壮大さに心を奪われるだろう。
U: U2 「ザ・ハンズ・ザット・ビルト・アメリカ」(『ギャング・オブ・ニューヨーク』より)
アイルランド系移民たちがニューヨークのファイブ・ポイントの実験を握るべく奮闘する壮大な物語のエンディングテーマとして、アイルランドが世界に誇るバンドの新曲よりも相応しいものはないだろう。同作のエンドクレジット用に曲を書き下ろして欲しいというスコセッシの依頼を受け、ボノとバンドメンバーたちはアメリカの「鉄とガラスの峡谷」を築き上げた人々へのトリビュート曲を書き上げた。不思議なことにその大胆極まりない返答は、壮大な歴史の物語を描こうとしたスコセッシの思惑と見事にマッチした。モダンなサウンドの裏に隠されたその野心は、この国の歴史にも劣らないくらい深い。
V: シド・ヴィシャス「マイ・ウェイ」(『グッドフェローズ』より)
モータウンとクラシックロックに目がないスコセッシだが、彼はここぞという場面でパンクの曲を使う度胸も持ち合わせている(『アフター・アワーズ』におけるバッド・ブレインズの「ペイ・トゥ・カム」はその好例だ)。ヘンリー・ヒルのユーモラスな部分を描く上で、ヴィシャスによる皮肉たっぷりなシナトラのカヴァーを持ってくるスコセッシのセンスには感服させられる。ヒルの一味は自分たちを「Ol Blue Eyes」が似合う紳士だと考えているに違いないが、実際の彼らはスーツに身を包んだチンピラ軍団にすぎず、この選曲は実に的を射ている。それが抵抗という本作のテーマとも一致することは述べるまでない。
W: プロコル・ハラム「青い影」(『ニューヨーク・ストーリー』より)
このプロコル・ハラムの代表作は、ある男性が女性をベッドへと誘うセクシーな曲だ。しかしこの気だるいオルガンのコードは、スコセッシが1987年作のオムニバス映画に提供した作品のムードと見事にマッチしている。ダウンタウンの売れっ子画家(ニック・ノルティ)が、自分から離れていく年下のガールフレンド(ロザンナ・アークエット)に対して複雑な思いを抱くという筋書きの本作では、船酔いや未婚女性について切々と歌うゲイリー・ブルッカーの曲が随所で登場し、2人の心の距離が次第に広がっていくのを強調している。物語の最後で同曲が再び冒頭から流れると、視聴者は全てがサイクルの一部であり、その男が破滅へと向かう螺旋階段を下っていることを悟る。
X: ボブ・ディラン「オックスフォード・タウン」(『ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム』より)
ディランのセカンドアルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』に収録されているこのプロテストソングを、スコセッシはまるで絵に描いたような使い方をしてみせた。ボブのニューヨークでのフォーク時代の軌跡を駆け足で辿りつつ、スコセッシは1962年に発表されたアンチ人種差別を唱えたこの曲を、市民権運動と公民権運動の映像のバックに用いている。ニュース映像の抜粋をつなぎ合わせた同シーンは、この革新的な音楽が描き出した当時のアメリカの危うさを体現している。この場面に至るまでの1時間は過度期にあった66年当時のディランを描いているが、その小休止的な役割を果たしている本シーンでは、時代の流れに翻弄されながらも、その一部を切り取るかのような作品を残してきたディランの軌跡を、わずか30秒未満に凝縮している。
Y: ニール・ヤング「ヘルプレス」(『ラスト・ワルツ』より)
当時ニール・ヤングが頻繁に使用していたコカインの影響を隠すため、スコセッシが特殊な映像処理のエキスパートを雇ったという噂は有名だ。だが少なくとも、1970年にCSNYが放ったヒット曲のヤングによるパフォーマンスそのものには、どのような後処理も不要だった。ザ・バンドの解散コンサートにおける数々の名演の中でも、おそらくこれが最も刺激的だろう。バックコーラスを務めるジョニ・ミッチェルの姿も捉えつつも、同シーンでは主にヤング、ロビー・ロバートソン、リック・ダンコの3人が一緒に歌う至近ショットが使われている。このコンサートが体現していた60年代のコミュニティを象徴するような名場面だ。
Z: ウォーレン・ジヴォン「ロンドンのオオカミ男」(『ハスラー2』より)
スコセッシは『ハスラー』の次回作となった本作において、ビリヤード場で流れていそうなダウナーでダーティな音楽を多用するつもりだったと語っている。そのことを考えれば、1978年にジヴォンが「ケントで狂乱騒ぎを起こしているボサボサ頭の紳士」について歌ったこの曲は、トム・クルーズがビリヤードの腕前を見せつける同シーンのサウンドトラックとして理想的だ(まるでそれが契約の一部であるかのように、彼は80年代の他の出演作と同様に、本作でも見事なダンスを披露している)。「彼の髪型は完璧だった」というラインに合わせてクルーズがリーゼントヘアを整えるシーンは、曲が同作のために書き下ろされたのかと思うほど見事にフィットしている。