ジュース・ワールドの最期の数時間が明らかになる一方で、シカゴのクック郡検察医事務所では、月曜日に予定されていた検視解剖が未だ行われていない。
「クック郡検察医事務所は死因と死に至る経過を特定する(追加の)検視を決定した。追加の検視は、心臓病理学、神経病理学、毒物学、組織学の見地から行われる」と、同検察医事務所の代表が声明を出した。
シカゴ・トリビューン紙の記事によると、ヒギンスが身体を震わせて発作を起こしたとき、当局は本人の持ち物に禁制品が紛れ込んでいるかを確認していた。二人の職員が発作を起こしたヒギンスにNarcanを投与したあとで、救急車を呼んだ。このNarcanはオピオイド過剰使用の救命治療薬として使われるナロキソン塩酸塩薬である。シカゴ・トリビューン紙の同記事によると、ロサンゼルスからのフライトに同乗していたヒギンスのガールフレンドは、ヒギンスがパーコセット(訳註:アセトアミノフェンとオキシコドンを主成分とする鎮痛・解熱剤)を服用し、ドラッグ問題を抱えていたと、職員に伝えたという。ヒギンスはシカゴに到着して1時間後に病院で死亡したのだが、何らかの薬物がヒギンスの死を引き起こした要因かは未だにはっきりしていない。
ジュース・ワールドのプライベートジェットがミッドウェイ空港に着陸したとき、法執行機関が禁制品の捜査のために待機しており、麻薬探知犬が麻薬の存在を職員に教えていた。この検査によって、マリファナ41袋、処方薬であるコデイン咳止めが6瓶、9ミリのピストル2丁、40口径のカリバーピストル1丁、大容量の銃弾マガジン、金属を貫通する銃弾が発見された。当局が彼のプライベートジェット内で禁制品の捜査を行ったそもそもの理由は不明だ。ローリングストーン誌はシカゴ警察とFBIに確認をしたが、両者ともこの捜査への関与を否定した。
ヒギンスのもとで働いていた男性スタッフ2人が、銃器の不法所持、空港での銃器の隠匿携帯で逮捕されたが、日曜日に釈放された。
ヒギンスの発作の原因はまだ明らかになっていないが、生前の彼は自身のドラッグ使用、特にリーン(訳註:このleanはPurple Drankと呼ばれる快楽を得るための麻薬の別称)について、インタビューや音楽でオープンに語っていた。ドラッグで情緒不安を解消することは、短い活動期間ではあったが、彼の音楽の中核をなすテーマで、彼の楽曲の多くに(リーンや処方薬の)薬品名が頻繁に登場していた。フューチャーとのコラボ・プロジェクトである2018年のアルバム『WRLD on Drugs』をリリースしたとき、ジュース・ワールドはラジオ局Hot 107.9に、最初にリーンを試すきっかけとなったのがフューチャーだったと語っていた。「子供の頃から音楽を聞いていたから、俺は6年生の頃には『Dirty Sprite(原題)』を聞きながらリーンをすすっていたよ。これは嘘偽りのない真実さ」と。
このあとでフューチャーがローリングストーン誌と行なったインタビューでは、ジュース・ワールドにそんな影響を与えていたことを後悔していると述べている。一方、ジュース・ワールドは、兄を見習ってドラッグを売りたがっている弟に彼ら二人が話して聞かせた内容を披露している。「大抵の連中にそいつなりの悪習や依存があって、そういう事に関しちゃ、ホント、よく知っている。だから、自分と同じ泥沼に他のやつに落ちてほしくないんだよ」とヒギンス。
今年初めにジュース・ワールドがローリングストーン誌に語ったことは、素面さを保とうと努力しているということだった。「自分自身が強くあれば、誰かが悪影響を与えようとしてもムダだね。
たった数年でヒギンスは音楽界での活躍が期待される前途有望なアーティストとなった。さまざまなスタイルを癒合させた彼独特のスタイルの中でも、ポップ・パンクとエモをミックスしたヒップホップが特徴的だった。彼が頭角を現したのは2017年にサウンドクラウドにアップされた2曲のシングル「All Girls Are the Same」と「Lucid Dreams」で、後者はブレークするきっかけとなった曲だ。これにより、レーベル各社が熾烈な争奪戦を始め、最終的に推定300万ドルでインタースコープと契約した。
2018年にフューチャーとのコラボ・アルバム『WRLD on Drugs』をリリース後にデビュー・アルバム『グッドバイ&グッド・レダンスをリリースするまで、2017年から一連のEPをドロップしていた。今年の3月には2枚目のアルバム『デス・レース・フォー・ラヴ』をリリースし、この作品はローリングストーン誌の2019年のベスト・アルバムで第40位に選出された。