内輪揉めは愛と同じくらい重要
1977年に、クリエイターのジョージ・ルーカスが劇場に超大作を初めて放った時にその場に君が居合わせたとしても、昨日スマホですべてをイッキ見し始めたとしても、『スター・ウォーズ』は素晴らしい。それはちょうど、9作目(最終作と言われている)を省略することが考えられないことであるかように。
当然ながら、プロットに関する疑問はあることだろう。誰が生き残って、誰が死ぬのか? 誰が物語を語るのか? レイ(デイジー・リドリー)はダークサイドのカイロ・レン(アダム・ドライバー)の仲間に入るのか? レイロ(レイとレンの間の恋愛)はありうるのか? 最高のキスシーンはあるのか? レイの両親は誰なのか? 2016年に他界したキャリー・フィッシャーはどうやってレイア姫として最後にもう一度登場できているのか? ハン(ハリソン・フォード)とルーク(マーク・ハミル)の霊体が、フォースを持つ身として、登場するのか? 『エピソード9』が本当に最終作なのか? その答えだが、私にしてみると終わりには感じられない。これ以上のことを言おうものなら、ネタバレの監視者が飛びかかってくることだろう。
アダム・ドライバーの何かに取り憑かれたような存在感(以下ネタバレあり)
次のことは知っておいてほしい。ベビーヨーダは出てこない(『マンダロリアン』には登場している)。
血統は『スター・ウォーズ』のカノン(正史)では非常に重要だ。レイは両親をまだ知らない(すぐに知ることになるだろう)が、現在の将軍であるレイアには忠実だ。
エイブラムスが共同脚本家のクリス・テリオと共に考え出すプロットが依存していることは、レイと彼女のレジスタンス・チームがシスの秘密の地であるエクセゴルへの道を示すクリスタル・ガラスを入手しなくてはならないことだ。そのエクセゴルでは、パルパティーンがファイナル・オーダーのリーダーとしての地位を固めようとしている。わかってもらえただろうか。プロットは大したものではない。チューイやR2-D2、C-3PO、BB-8といったかつての仲間を集合させる口実でしかない。ジョン・ボイエガは、ダークサイドに背を向けた元ストームトルーパーだったフィンを演じているが、今回はあまりやることがない。オスカー・アイザックはパイロットのポー・ダメロンを演じていて、威勢よく動き回っては皮肉を言うが、そのキャラクターはハン・ソロをかなり詳細にモデルとしている。
過去の『スター・ウォーズ』の歴史との比較は、最終章に全く役立たない。しかし、ある挑発的なテーマが効果を表している。それは、パルパティーンがレイに銀河の中で孤独を感じさせて、抵抗させないようにする試みだ(ウーキーでさえあのトランプに言及されるだろう)。また、Xウイングのドッグファイトやライトセーバーでの決闘、仲間の絆などかつて描かれたものに対してエイブラムスが感じている熱狂的なファンの畏怖の念には議論の余地はない。ルーカスは最近、『フォースの覚醒』が基本的には1977年の『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』のリメイクでしかないと失望を表明した。また、ジョンソン監督が『最後のジェダイ』でルークを『地獄の黙示録』に出てくるような狂気の虚無主義者に変えたことを決して許すことがない人もいることだろう。だが、これからも論争をしていく。『スカイウォーカーの夜明け』は、欠点も含めてすべて我々の映画史の一部分であり、レイとカイロがスクリーンいっぱいにその姿を占めた時に、我々の心の中の消えることのない一部分になる。
★★★☆(星3つ半)