ローリングストーン誌で執筆する映画評論家、ピーター・トラヴァースは『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』をどう見たか?

内輪揉めは愛と同じくらい重要

1977年に、クリエイターのジョージ・ルーカスが劇場に超大作を初めて放った時にその場に君が居合わせたとしても、昨日スマホですべてをイッキ見し始めたとしても、『スター・ウォーズ』は素晴らしい。それはちょうど、9作目(最終作と言われている)を省略することが考えられないことであるかように。
そして今、監督であり共同脚本家でもあるJ.J.エイブラムスが、『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』を観客の望んでいて、必要としている作品にしているのかどうかを早急に判断することが残されている。簡単に答えてしまうと、もちろん、そんなことはない。『スター・ウォーズ』シリーズを見続けている人たち全員に好かれるという不可能な仕事から解放されるエイブラムスは、2015年に『フォースの覚醒』でこの3つ目のトリロジーを開始し、今作でいろんなことを無理に詰め込もうとした。その結果はほとんどがカオスと化しているが、それはまた、ユーモアと愛情を織り交ぜながら、胸の高鳴る冒険の幸福感に満ちた楽しい時間でもある。確かに、君は友人と議論しようとあら探しをすることだろう。だが、それが大切なことなのだ。『スター・ウォーズ』のファンダムになると、内輪揉めは愛と同じくらい重要だ。

当然ながら、プロットに関する疑問はあることだろう。誰が生き残って、誰が死ぬのか? 誰が物語を語るのか? レイ(デイジー・リドリー)はダークサイドのカイロ・レン(アダム・ドライバー)の仲間に入るのか? レイロ(レイとレンの間の恋愛)はありうるのか? 最高のキスシーンはあるのか? レイの両親は誰なのか? 2016年に他界したキャリー・フィッシャーはどうやってレイア姫として最後にもう一度登場できているのか? ハン(ハリソン・フォード)とルーク(マーク・ハミル)の霊体が、フォースを持つ身として、登場するのか? 『エピソード9』が本当に最終作なのか? その答えだが、私にしてみると終わりには感じられない。これ以上のことを言おうものなら、ネタバレの監視者が飛びかかってくることだろう。

アダム・ドライバーの何かに取り憑かれたような存在感(以下ネタバレあり)

次のことは知っておいてほしい。ベビーヨーダは出てこない(『マンダロリアン』には登場している)。
『スカイウォーカーの夜明け』は、レイとカイロの戦いで盛り上がる。2人はライトセーバーを使用(今回だけでなくこれまでで一番カッコいい)。祖父のダース・ベイダーのヘッドギアに固執し続けているカイロは、レイがレジスタンスの側にいて、(熱烈なフレーズでレイを誘うが)自分の手を取って凶悪なファースト・オーダーの最高指導者としての自分に加担しないことにイラついてしまう。「俺はスノークを殺した」とカイロは声を荒げる。「今度は、お前を殺す」と。ただし、本気ではない。いや、本気なのか? 彼は、フードを被った青白い顔のパルパティーン皇帝(イアン・マクダーミド)から命令を受けている。パルパティーンは、レイがジェダイの訓練を完了する前に、そしてカイロが彼女と関係を深めすぎる前に、レイを自分の手中に収めるつもりでいる。アダム・ドライバーは、ハンとレイアを両親にしてベン・ソロとして生まれ、葛藤するカイロに危険な面と深みをもたらした点で素晴らしい。彼の何かに取り憑かれたような存在感がこの映画を作っている。

血統は『スター・ウォーズ』のカノン(正史)では非常に重要だ。レイは両親をまだ知らない(すぐに知ることになるだろう)が、現在の将軍であるレイアには忠実だ。
2017年に公開された『最後のジェダイ』は監督ライアン・ジョンソンが手掛けた最終3部作の2作目であり、かなり論争を巻き起こしたが、その作品の未使用の映像のおかげで、フィッシャーはスクリーンに戻ってきた。また、彼女の存在の温もりが作品のレベルを引き上げている(また多くの涙も誘っている)。レイアが権力のマントをレイに渡すのはとても感動的だ。そのレイが成功を果たす姿を映画は記録していく。そして、リドリーは内省してきたジェダイの戦士として真価を発揮して、ジェダイの手引書よりも自分の直感に従う方が頼りになることを知るようになる。

エイブラムスが共同脚本家のクリス・テリオと共に考え出すプロットが依存していることは、レイと彼女のレジスタンス・チームがシスの秘密の地であるエクセゴルへの道を示すクリスタル・ガラスを入手しなくてはならないことだ。そのエクセゴルでは、パルパティーンがファイナル・オーダーのリーダーとしての地位を固めようとしている。わかってもらえただろうか。プロットは大したものではない。チューイやR2-D2、C-3PO、BB-8といったかつての仲間を集合させる口実でしかない。ジョン・ボイエガは、ダークサイドに背を向けた元ストームトルーパーだったフィンを演じているが、今回はあまりやることがない。オスカー・アイザックはパイロットのポー・ダメロンを演じていて、威勢よく動き回っては皮肉を言うが、そのキャラクターはハン・ソロをかなり詳細にモデルとしている。
ポーは、武装してヘルメットを被ったゾーリ・ブリス(ケリー・ラッセル)との男女関係は触れないでいるように見える。そして、現在83歳のビリー・ディー・ウィリアムズが、1983年の『ジェダイの帰還』以来見せてこなかったおしゃべりな将軍であるランド・カルリジアンとして戻ってきたとき、事態が好転していく。

過去の『スター・ウォーズ』の歴史との比較は、最終章に全く役立たない。しかし、ある挑発的なテーマが効果を表している。それは、パルパティーンがレイに銀河の中で孤独を感じさせて、抵抗させないようにする試みだ(ウーキーでさえあのトランプに言及されるだろう)。また、Xウイングのドッグファイトやライトセーバーでの決闘、仲間の絆などかつて描かれたものに対してエイブラムスが感じている熱狂的なファンの畏怖の念には議論の余地はない。ルーカスは最近、『フォースの覚醒』が基本的には1977年の『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』のリメイクでしかないと失望を表明した。また、ジョンソン監督が『最後のジェダイ』でルークを『地獄の黙示録』に出てくるような狂気の虚無主義者に変えたことを決して許すことがない人もいることだろう。だが、これからも論争をしていく。『スカイウォーカーの夜明け』は、欠点も含めてすべて我々の映画史の一部分であり、レイとカイロがスクリーンいっぱいにその姿を占めた時に、我々の心の中の消えることのない一部分になる。

★★★☆(星3つ半)
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