「10代のスタジオミュージシャン」と「20代のプロデューサー」、出会いは70年代初頭の六本木

日本が誇るギタリスト、Charさん。取材は立川直樹さんがプロデュースした、セルリアンタワー渋谷に2019年11月にオープンしたシガー&ロックバー「R261」で行われた。(Photo by Keisuke Nagoshi)
Char : 立川さんに初めてお会いしたのは随分昔だなあ。まだデビューしていな高校生の頃に、六本木で会った気がする。
立川直樹(以下 : 立川) : じゃあそれはウチの事務所だ。たぶん1972、3年かな。僕が1970年に、田園コロシアムでザ・タイガースがメインで出るコンサートの舞台美術をやって、「天才舞台美術家」とか言われていたのが21歳(笑)。その2年後くらいに会ったってことは、もう45年以上の間柄になるんだね。
Char : その頃オレ、バンドを掛け持ちしていたんだよ。キングレコードのスタジオの仕事とかもしていて。
立川 : すごいよね。10代でスタジオミュージシャンだから。こんな人いないって(笑)。
Char : 当時のフォークの人って、次第にロックの音を求め始めていたんだよね。でもその頃はまだロックな音を弾けるギタリストは少なくて。ひとつ上の世代の人はみんなジャズのギターだったから。
立川 : 僕も結構若い時に仕事始めちゃったし、Charも「早熟」って言われていたけどさ、やっぱり早いヤツって得だと思わない?
Char : そうだね。しかもオレの場合、いい時代に青春期があったと思う。でも当時は割とみんなが早熟だったよね。俺は音楽に対して早熟だったし、学校でも悪い方面やエロい方面で早熟なやつはいた。「大人びる」とか、みんな全体的に「背伸びの文化」。へんなヤツも多かったし。
立川 : 今は「何やっちゃいけない、これやっちゃいけない」っていうことが多くて、どんどん本質からズレて来ている感じのする時代だけど、あの当時から現在について、Charと一回話したかったんだ。
少年Char、ギターとの出会い

Photo by Keisuke Nagoshi
立川 : そもそもCharが最初にロックを、ギターをやろうって思ったきっかけは何だったの?
Char : 俺より5コ上の兄貴の影響。親父もレコードは聴いていたけど、親父の世代は『第3の男』みたいな映画音楽だった。でもその中で意外と(エルヴィス・)プレスリーも映画音楽をやっていて、『アカプルコの海』のシングル盤のジャケットでプレスリーがギターを持っていたのは衝撃で、今でも忘れない。当時はギターを持って写真に写っている人なんていなかったからさ。
立川 : 確かにそれまではそうだったよね。
Char : ギターっていうとバタヤン(※ 田端義夫)みたいな(笑)。その直後にベンチャーズが出てきて、当然兄貴はそのシングル盤を買うわけ。それを一緒に聴きはじめて。
立川 : ギターはいつ頃手に入れたの?
Char : 小3の時。ウチの母が「ブルーチップ(※ベルマークのようなシールスタンプ。集めると景品に交換できる)」のシールを何万枚も貯めてたんだ。
立川 : (笑)
”ウチの親父の世代は、終戦後に民主主義と自由を謳歌したんだよね”(Char)

Photo by Keisuke Nagoshi
Char : 竹中家にギターが伝来したことで、兄貴はどんどんロック少年になっていって。兄貴はもうバイトもできたからアルバムだって買えるわけよ。でもオレも同じ部屋にいても、ステレオは触らせてくれないわ、ラジオもチャンネルを変えちゃいけない。
立川 : いわゆる兄貴シフトね(笑)。その頃お兄さんはFEN(※ 「Far East Network」。米軍が放送していたラジオ)を聴いてた?
Char : FENは親父が聴いてたよ。いつも枕元にトランジスタラジオがあって、英語が聞こえて。
立川 : あの頃のFEN(視聴可能エリア)って広かったよねえ!
Char : 横浜、広島の呉とか。
立川 : 青森とか佐世保も。あのFENが入ったエリアはなんか”別枠”だった。
Char : ウチの親父は外国に戦争に行って敗戦して帰国してきたから、帰ってからはたぶん民主主義と自由を謳歌したんだよね。おふくろとは新橋のダンスホールで出会ったらしいし。映画も音楽もそうだけど、みんなそれまで禁止された英語の、洋モノの方に一気に行ったんだと思う。
立川 : あの頃ってたぶんハンフリー・ボガードとか、ジェームス・ディーンのくわえのタバコとかの写真に憧れた時代だよね。
Char : そうそう! 洋モクね。でも親父たちの世代に一番衝撃だったのはマッカーサーかもしれない。
立川 : だろうね。コーンパイプくわえて飛行機から降りてきたんだもん。
Char : そのせいかウチの親父はずっとパイプだった。だから俺が高校の頃にロンドンに行くことになった時も、「お前ロンドンに行くんだったら、買ってきてもらいたい形のパイプがあるんだ」と。
70年代のロンドンの空気感が生んだ文化

対談のホスト役を努めたのは伝説のプロデューサー、立川直樹さん。Charさんとは旧知の間柄で、イベントなどでも協業多数。(Photo by Keisuke Nagoshi)
立川 : その「高校の時にロンドン」というのは何だったの?
Char : 卒業する時に、友達がソ連経由の安いチケットでロンドンに行くというから、俺も便乗して一緒に行こうと。ずっとロンドンには行きたかったし。
立川 : Charが高校生の頃だから1972、3年だよね。ロンドンが熱い頃だ。
Char : そう。やっぱり俺らの時代ってアメリカよりもロンドンだったから。音楽的にも。
立川 : 当時は絶対的にそうだったね。
Char : ただ「『Speak Easy』(※ 当時ロンドンにあった有名クラブ)に行けばジミー・ペイジが飲んでる」とか、キース(・リチャード)がいる、みたいな時代は終わってた。しかもロンドンってそういうスポットが”隠れて”いるからさ。
立川 : カムデン(※ ロンドンのファッション雑貨の多い街。パンク時代に隆盛した)に行けば何か見つかる、みたいなことじゃないよね。その辺がロスとは違う。
Char : だからその時はロクにコンサートも観れず。キング・クリムゾンが解散するみたいなコンサートがあったみたいなんだけど、とにかく場所が分からないわけよ!
立川 : 全然親切じゃないんだよね、あの街は。
”ロンドンは閉鎖的な街だからこそ、若者が持っている鬱々としたものを音楽だとかファッションとかで表現していたんだなって”(Char)

Char : でも、それは良く言えば「大人の文化」だから、子供には発見できないんだよね。いまだにそうだけど、ロンドンはピカデリー(・サーカス ※ロンドンの中心繁華街)のあたりを歩いてても、夜はガキがいないしね。
立川 : 日本にいた僕らからすれば、「Speak Easy」なんて憧れの場所だったけど、実際行ってみると拍子抜けするぐらい普通なんだよね。それでもあの独特の空気感は何だったんだろう。
Char : 俺が始めてロンドンに行った時にびっくりしたのは、ヒースロー(空港)を降りてみたら、まだ街がビクトリア時代みたいな感じなんだよ。レンガとかそのままで、全然”大都会”じゃない。オレはテレビとかでアメリカのことは見ていて、外国なんてアメリカみたいな感じだろうと思っていたら全然違った。
立川 : そしてロンドンは、いい感じで”くすんで”いるんだよね。
Char : そう。でも、それこそストーンズだ、ビートルズだ、あとはファッションではツイッギーとか、なんでこんな閉鎖的なところからあんなものが生まれたんだろうって不思議だった。でもよく考えたら、「あ、閉鎖的だからだ」と。若者が持っている鬱々としたものを、音楽だとかファッションとかで表現していたんだなって分かった。
”やっぱり「霧の街」からそういう文化って生まれるのかもね”(立川)

立川 : アメリカの自由さとは違う、独特の”くすみ感”が、僕らがイギリス好きな原点なのかもね。
Char : あとはアメリカよりも人種差別が少ない国だったから。今考えると(エリック・)クラプトンやジミー・ペイジ、ジェフ・ベックが10代の時にブルースを聴いてギターを始めているという感じもイギリスならではなんだよね。オレもお兄貴がヤードバーズのレコードを買ってきた時に、「なんかベンチャーズとは違うぞ。なんだこの奏法は?」って思ったもん。
立川: それに中学生で気付いちゃったの?
Char : いや、小学生だった(笑)。あとアメリカ音楽で言うとビーチ・ボーイズとかもまあいいんだけど、憧れはしなかった。でも、「ジェファーソン・エアプレインだけは何か違う」とかね。
立川: あれは多分サンフランシスコの、アメリカの中でもヨーロッパっぽい文化から生まれたからなんだよ。やっぱり「霧の街」からそういう文化って生まれるのかもね。
Char : 当時アメリカの音楽の中心地はサンフランシスコだったから。ニューヨークでもLAでもない。ただしオレも「これはアメリカのバンドで、これはブリティッシュ・ロック」、というのもよく分かっていないトシだから。当時はクラプトンが「ブルースっていうギターを始めた」と勘違いしていたし。
立川 : 僕もブルース好きになったのは、最初にアニマルズを聴いた時だったな。アニマルズがジョン・B・フッカーとかをカバーしていたので、なんだろうと思って入っていったんだよ。
Char : 立川さんはその頃すでに情報をいっぱい持っていたと思うけど、俺は情報がなかったんだよ。せいぜい『ミュージック・ライフ』と『ミュージック・マガジン』くらい。情報がないから自分で探しに行くしかないと思ってLAも行ったし、ロンドンにも行ったんだ。
東京・渋谷の今昔”今みたいな時代でも、もっと自由に遊んで欲しい”(立川)

Photo by Keisuke Nagoshi
立川 : 当時Charは東京ではどんなところで遊んでいたの?
Char : やっぱり渋谷だね。当時明治通りに「メイド」って呼んでたロックをデカい音で聞かせる店とか、百軒店のところには「ブラックホーク」って店があったり。高校生が遊んで酒飲んでモクモクやってても、とがめる店長もいない時代だった(笑)。
立川 : まさに「SMOKY (※Charデビュー当時の代表曲のひとつ)」だ(笑)。渋谷と新宿のロック喫茶は、結構違うんだよね。たかだか山手線で数駅のところなのに。
Char : まったく違った! 新宿の方は渋谷より「雑な音楽」(笑)。新宿ってやっぱり中央線文化なんだよ。中央線で大学とかに通っているお兄ちゃんお姉ちゃんがいっぱいいて、ジャズだったり、ブルースが主流。あと高校生にとって新宿は広すぎるし、面倒臭かったのね。だから結局渋谷の道玄坂に集まってた。あと渋谷だと「BYG(ビグ)」ね。あそこには結構危ないことやってる連中がいっぱいいて面白かったな。
”ロック、もしくは音楽が持っているのは、規制とかっていうものを超越したチカラだと思うんだよね”(Char)

Photo by Keisuke Nagoshi
立川 : そういう店はなくなっちゃったし、渋谷も変わったよね。今回この店(セルリアンタワー東急ホテルのシガー&ロックバー「R261」)を僕がプロデュースのお手伝いすることになったのもさ、やっぱり今みたいな時代でも、この街でもっと自由に遊んで欲しいという気持ちがあって。僕らくらいの歳の人間がこういうのを次の世代に伝えておかないと、その面白さをわかる人がいなくなっちゃう。多少文句言う人はいっぱいいるけど、やっぱりやる方が楽しいよ。
Char : 今の日本はいろいろセンシティブになっているところはあるけど、まあでもいつの世の中もそうでさ。だからそこにロックンロールの存在意義があると思って。別に何でも反発するつもりはないんだけど、ロック、もしくは音楽が持っているのは、そういう規制とかっていうものを超越したチカラだと思うんだよね。
立川 : うん。感じられることだよね。
Char : 何がすごいかって、日本人に限らず地球にいる人間が、音で何かを共感できるんだよ。英語で何言ってるのか分かんないのに、この曲は寂しいとか楽しいとか感じて、時には踊りたくもなれる。それって本来我々が持っているナチュラルな才能だと思うから、オレもそれを音楽を通してやりたいと思っているし。
立川 : 僕がCharをリスペクトしているのは、こういう時代の中で今もそれをやっている人だから。そういう人がやっぱり好きなんだよな。
Char : 日本の場合は他のアジア諸国と違って、早いうちからオンタイムで外の文化を取り入れて来たじゃん。でもいざ「オリジナリティ」っていうと、やれ歌舞伎だ何だっていつも伝統芸能ばかり出てくる。でもさ、そろそろ自分たちのオリジナリティをドーン!って出すタイミングかなって。俺はもうこの歳にはなってしまったけれど、そこの感性というかアンテナは常に立ててるし、「こんくらいでいいんじゃないの」っていう風にはなりたくないよね。やっぱどこか尖っていたいんだよ。

Photo by Keisuke Nagoshi
Char
1955 年東京生まれ。本名・竹中尚人(たけなか ひさと)。ZICCA REDORDS 主宰。8 歳でギターをはじめ、10 代からバックギタリストのキャリアを重ねる。1976 年『Navy Blue』でデビュー以降、『Smoky』『気絶するほど悩ましい』『闘牛士』等を発表。2009 年にはWEB を主体としたインディペンデントレーベル「ZICCA RECORDS」を設立し、自身が影響を受けたギタリストのカバー、TRADROCK シリーズ(DVD/CD) 全7タイトルを発表。『ギターマガジン』誌による、プロギタリストを中心とした音楽関係者へのアンケート投票「ニッポンの偉大なギタリスト100」にて、1 位に選ばれる。2018 年、Fender Custom Shop にて日本人初のプロファイルドモデルを発表。オリジナル楽器ラインZICCA AX も展開中。
立川直樹
1949年東京都生まれ。20代前半からロックコンサートのプロデュースやロックバー経営、舞台美術制作などを行う。音楽、映画、美術、舞台などプロデューサー / ディレクターとして活躍。そのフィールドは、ロック、ジャズ、クラシック、映画音楽、アート、舞台美術など多岐にわたり、音楽評論家・エッセイストとしても活動。著書に『シャングリラの予言』(正・続、森永博志氏との共著)、『セルジュ・ゲンズブールとの一週間』、『父から子へ伝える名ロック100』、『TOKYO1969』、『ライナーノーツ』など。
撮影協力 : シガーバー 「R261 CIGAR & ROCK」(セルリアンタワー東急ホテル)
渋谷・セルリアンタワー東急ホテル2Fに2019年11月にオープンしたシガーバー。レコードによるロックミュージックと、極上の酒、シガーが楽しめる渋谷のニュースポット。
撮影 : 名越啓介
PHOTOGRAPHY _ Keisuke Nagoshi
編集・文 : 武井幸久
EDIT & TEXT_ Yukihisa Takei(HIGHVISION)