他の誰もがそうであるように、アラニス・モリセットが2020年に用意していた大きな計画はうまくいかないままだ。年が明けると共に始まった『ジャグド・リトル・ピル』のミュージカルが好調のさなか、彼女は8年ぶりのアルバムを5月にリリースする予定だった。痛みに満ちた『サッチ・プリティ・フォークス・イン・ザ・ロード』だ。リリースの次は、デビュー25周年のツアーも予定されていた(編注:日本でも今年4月に『ジャグド・リトル・ピル』25周年記念公演が開催される予定だったが延期となった)。ニューアルバムは変わらずリリースされる予定ではあるが(発売日は7月31日に変更)、それ以外はみんな消え去ってしまった。「ありがちな苦痛の道のりね」とモリセットは語る。前作から10年近く経ってしまったことについては、単純にもほどがある説明で答え、彼女は笑った。「正直に言えば、3人も子供ができたからね」
ー新作は内省的で、この時勢にぴったりだと感じます。春からリリースを遅らせたことについて、どう考えていましたか。
アラニス:直感的に、いまはリリースするときじゃないと感じただけ。ひとりの女性に訪れた危機を描いたレコードを、パンデミックの最中にリリースしていいのかな、と。
ーあなたは20歳のときこう歌ってますよね。「今はまだ全部理解しきってるわけじゃない」。このアルバムのなかには、歳をとってまだ同じように感じていたとしても問題はないんだよ、というメッセージが含まれているように感じます。
アラニス:そうですね。それに関してはお決まりのスピリチュアルなジョークがあって、エゴのレベルで物を理解しようとしている限り、絶対に理解できることはないんです。つまり、私が消費しようとしているものとか、あるいは私が会おうとしている人、結婚しようとしている人でもいいですが、そういうものや人によって理解しようとしている限り、こうした痛み、飢えがついてまわる。
ー(最新アルバム収録の)「Reasons I Drink」は依存に関するとても誠実な曲だと思います。どんなことを考えていましたか?
アラニス:依存の悪循環に陥ってしまう人びとを、恥ずかしくないのかと責めたり裁いたりする風潮がありますよね。でも、依存の中心にいるのは、私を含めて、ただ調節不全を元に戻そうとしているだけの人びとです。私たちのように本当に中毒に陥ってしまうと、はじめは助けになってくれていたものが、ついには命を奪うものに姿を変えてしまう。仕事、セックス、アルコール、さまざまなドラッグなど、なんであれ中毒に陥っている人に凄く共感するんです。こうした人びとは回復しようともがいているだけでなく、他人から裁かれることにも苦しんでいますから。
ー「Losing the Plot」では不眠症について歌っています。あなたにとって不眠症は大きな問題なんでしょうか。
アラニス:私は気分の面でまわりから凄く影響を受けやすいんです。つまり、誰かがなにか考え込んでいるかもしれないとなると、私も目が覚めてしまう。特に8カ月くらいの子どもと一緒にいるとそうなりますよ。一晩中世話をしてますから。その後に迎える状況のことを、私は一般産後活動と呼んでます。最初の2回は、もっと抑うつ症状みたいな感じでした。今回は多分うつが1%くらい。残りは単なる不安と、典型的な、ぞっとするようなPPD(産後うつ)の症状。でも、そうですね、睡眠はあんまりとれていません。眠れるときにはとにかく寝ますけど、たくさん寝られるわけではないです。
自分に時間の余裕がなかったら、絶対に寝られません。雑音が私を叩き起こして「ねえ、あれについて書こうよ!」って言うんです。なにかやり残したことがあって、しかもそれが自分にとって凄く大事なことだったら、寝ようとは思いません。(夜は)みんな寝静まっているから、一番クリエイティブな時間なんです。母親としての役割を降りることができる。そういうときにこそ私のミューズに従うことができるし、やってくるものをなんでも受け止める広い心を用意することができる。歌詞とか、アイデアとか、何か編集するとか、アートワークとか、なにかデザインするとか、なんでもです。
代表作『ジャグド・リトル・ピル』を振り返る
ー『ジャグド・リトル・ピル』のミュージカルは、「Ironic」の歌詞を揶揄するみたいに巧みにショウの中に組み込んでいます。「アイロニーという割に、別にアイロニックじゃない」という(1995年当時からの)指摘にとどめを刺したみたいで、ほっとしたんじゃないですか?
アラニス:ええ、次の世代が私をぶっ飛ばしたくなるまでは大丈夫でしょう。批判の大群がまた襲ってくるまではね。ディアブロ・コーディ(ミュージカルの脚本家/ 映画『JUNO/ジュノ』『ジェニファーズ・ボディ』などの脚本家として知られる)がうまくやってくれたんですよ。
ーもうひとつミュージカルについて、ローレン・パッテンが演じるキャラクターが「You Oughta Know」に新しい文脈を付け加え、クイア・アンセムとでも呼べそうな一曲に変貌させています。自分のもっとも有名な曲がこのように力強く姿を変えるのを見て、どんな気分でしたか?
アラニス:ええと、私があの曲について好きだったのは、自分の個人的なストーリーを共有するのをある程度までにとどめていることなんです。復讐する妄想は好きだけれども、実際に復讐をしようというつもりはありません。あの曲は自分のなかから復讐心を解き放つために書きました。私はカナダ人で、自分のなかに怒りを溜め込むたちなものですから。エクササイズしたり、友人たちと愚痴ったり、曲を書いたりして発散できるんだったら、健康でいるためにもそうすることが自分にとっての責任というものです。レコードが完成さえすれば、あとはみんなと分かち合って、もう自分だけのものではなくなります。
それで、あの曲が『ジャグド・リトル・ピル』というミュージカルの中心になる曲に選ばれて、ああいうふうにローレンが演じたことはーー20枚ものレイヤーをあの曲にさらに重ねたんだと思う。彼女にとてつもない苦痛をもたらした関係性を、実際に理解させてくれたわけだから。対して私の経験については、話すつもりはまったくないのだけれど。だから私にとっては、聴衆に混じって座って、あの曲を本当に理解する機会でもあった。つまり、あの曲がいかに打ちひしがれたものかを。たくさんの人がただ怒りについて考えてる。私は怒りに生きてるんですよ。怒りに任せた破壊的な行動のことじゃなくて、怒りを愛している。怒りは世界を動かす。怒りは境界線をひく手助けをしてくれるし、物事を変える助けにもなる。でも、そうだな、「You Oughta Know」を見た時は、正直言って、ただこう思ったんです。「わあ、この曲がこんなにも複層的に生き生きとして聴こえるなんて」って。心があたたまる体験でした。
ミュージカル『ジャグド・リトル・ピル』出演者が歌う「Head Over Feet」
ーミュージカルを手がけるなかで、いわば19歳とか20歳のころの自分とコラボレートしなくてはいけなかったわけですよね。もしできることなら、当時の自分にどんな言葉をかけますか?
アラニス:もう何人かまわりにいてほしかったな、っていう思いだけ、伝えます。すごく孤独だった。当時は、どんなフェスに参加しても、72組の男ばかりのバンドにひとりだけアラニス・モリセット、っていう(笑)。そんなことだから、彼らの大半も私にどう接していいかわからなかったみたいで。「ええと、オーケー、おれたちは彼女とセックスするわけではない。デートするわけでもない。じゃあどうしたらいいんだ?」私の答えは、「別になにも! ただ一緒に話してくれたらいい。ファラフェル一緒に食べない?」たくさん友達をつくろうとがんばったけれど、うまくいきませんでした。こんなふつうじゃない状況ではね。名声にすっかり惑わされてしまう人もいる。私がたくさんスペースをあけておくものだから、最初はみんな困惑するんです。でも、もしそれに耐えきれなかったら、友情というには脆すぎる。公衆の目に晒されて、そのせいでいわば隔離されてしまっても平気な人物になるためには、払わなければならない対価がそれはもういろいろ、たくさんあります。私はまがいものをつかまされたんですよね。名声を目前とした人に、この惑星全体が売りつけてるやつだと思うんですけどーーこれがあればあなたの問題は全部解決です、孤独になることはありません、とか言ってね。でも、そうはならなかった。

アラニス・モリセット、1995年撮影(Photo by Al Seib/Los Angeles Times/Getty Images)
ー新曲の「Nemesis」では幻覚剤について歌ってますよね?
アラニス:ええ。私は神の存在を感じるためにいろんな門を叩いてきました。そのなかには、一時的にではあるけれど、窓を開け放ってくれたものもあります。私は好奇心の強い女の子だから、たいていのものは試してみる。エゴが消え去る体験はとてもパワフルなものだったって言う友達もたくさんいるけれど、ただ私はほんの少し、心配性な鳥みたいなところもあって。(頭の中は)いつも情報でいっぱいで、それ自体エゴが消え去るみたいな感じなんですよ。瞑想なんてしていないときでもね。だから、そういう場所にたどり着くためになにか助けを必要としたりは絶対しないですね。
アラニス独自の歌声はどこから生まれたのか?
ーもともとこの夏は、リズ・フェアーとのツアーに費やすはずでしたよね。彼女は時折、アラニスみたいなキャリアを歩みたかったんじゃないかと思わせる時があります。逆にあなたはリズ・フェアーみたいなタイプのキャリアを歩みたかったなんて思ったことはありますか?
アラニス:ぜんぜん考えたこともなかったです。だってそうするには自分であることを捨てないといけないじゃないですか。もしかしたら、ある並行宇宙では、耐えられる程度の名声で済んでいるかもしれないですね。でも22歳ではもう遅すぎたんですーー「箱を開けてしまったからにはもう元には戻せないぞ」って感じで。しばらくすると、名声も収まりました。私は無知だったので、名声がどんな軌跡をたどるかもわからなかった。それだから、「ああ、神様、これって永遠に続くんですか? もう嫌だ!」と思ってしまうほどで。でも、もちろん、状況は変わっていきます。うれしかった。また息ができるようになりました。
ーニューアルバムを聴いて、あなたの声が持つ力とユニークさを再確認しました。あなたのアラニスらしい歌声は、最も高い音域では付加倍音が聞こえる気がしますが、どこからやってきたんでしょうか。ずっとああだったんですか?
アラニス:ずっとああでしたよ! 私の息子の声にも同じものが聞こえます。息子が私と一緒に歌ってハモると、音色がぴったり一緒なんです。しかも、彼はマライア・キャリーくらいの音域が出せる。天性のものだったと思いますね。私が絶対やりたくなかったのは、意味もなく人に見せつけるためにボーカリゼーションを装飾することでした。一番大事なのは語られているストーリーですから。だからもしストーリーが1オクターブ以内で語られる必要があるなら、高い音域で歌うチャンスに恵まれなくとも、そのまま1オクターブ以内で表現しないといけない。楽曲が求めているのはそれだけなんです。ナラティブとストーリーが優先、ボーカルの楽しみはその後です。こういうことを言って自分に返ってこないようにしないといけないんですが、私はずっと、歳をとったら音域が狭くなると思ってました。でも本当のところはその反対なんです。私の音域は実際どんどん広くなってる。低い音域も、実は高いのとちょうと同じくらい楽しい。どこまで低い音が出せるだろう?みたいに。声帯っていうのは絵筆みたいなものですね。ビロードのように柔らかいこともあれば、がさがさで傷つきやすいこともありますから。
ー『ジャグド・リトル・ピル』の前にあなたが制作していた愉快なカナダ産のダンス・ポップもいまやネットで簡単に聴くことができます。1991年のシングル「トゥー・ホット」なんかをたまたま耳にすることがあったら、どう思います?
アラニス:私はずっといろんなジャンルに惹かれてました。ニューシングル「Smiling」のビデオが完成したところなんですけど、そこではたくさん踊ってます。6歳の頃から、自分は作家でありダンサーなんだと思ってたんですよ(笑)。その頃はループとエレクトリックギターが欲しかったんですーーつまり、ダンスとロックですね。私がコラボレートしていた人たちは、当たり前ではあるんですが、すごくはっきりと「いや、これかあれか、どっちかにして」という意見で。私の人生ずっと、こういうことを言われてきました。でも16とか17のときは、美しいアジェンダを持ち、素晴らしい音楽をつくる人たちと仕事をしていたんです。あと、正直言って、まだ自伝的なことを歌う準備はできてなかった。15歳ですよ、そんなの怖すぎでしょ。
ーいま本を書いているそうですね。まず、執筆の調子はどうですか? なにか伝えたいストーリーがあるんだと思いますが、出てくる名前を挙げてもらえますか?
アラニス:ええと、1300ページくらい書き上げていて、そのなかでは、あらゆる名前を出しました。でも、(完成版では)名前は出さないつもりです。つまり、多分ここそこから許可がもらえたら出すかもしれないんですが、でも「You Oughta Know」のときと似た感じで、復讐してやろうみたいなつもりで書いてるわけではないので。皮肉なのは、私は別に自分のストーリーが大事とは思ってないんです。あんまり自分を大事にしないから、自分をいたわるために人を雇ったこともあるくらいで。他の人たちのストーリーを聞くとわくわくする理由はそれですね。25人の生活を1分で台無しにするみたいな暴露本を書きたいわけじゃないんですよ。
From Rolling Stone US.

アラニス・モリセット
『サッチ・プリティ・フォークス・イン・ザ・ロード』
2020年7月31日リリース
https://alanis.lnk.to/suchprettyforksintheroad