7月25日、ピーター・グリーンの訃報という悲しいニュースが飛び込んできた。グリーンがフリートウッド・マックに在籍したのはわずか3年だったが、その間に彼は「マン・オブ・ザ・ワールド」「ストップ・メッシン・アラウンド」「Oh Well」「ブラック・マジック・ウーマン」などの名曲を数多く作り上げた。バンドは彼の脱退後も活動を続け、1975年にリンジー・バッキンガムとスティーヴィー・ニックスが加わると大成功を収めたわけだが、多くのマック純粋主義者たちは、彼らがグリーン時代の楽曲を超えることはできなかったと考えている。
ドラッグ中毒やメンタルヘルスの問題を抱えていたため、グリーンは長らく公の目から遠ざかっていたが、彼は90年代後半にピーター・グリーン・スプリンター・グループを結成し、2004年に解散するまでの数年間ギグを行った。彼らのショーは「Little Red Rooster」や「Im a Steady Rollin Man」のようなブルース・スタンダードに重きを置いていたが、「アイ・ビリーヴ・マイ・タイム・エイント・ロング」や「グリーン・マナリシ」といったフリートウッド・マック時代の人気曲も披露していた。
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グリーンはまた、1998年にフリートウッド・マックがロックンロールの殿堂入りを果たした時も同席していた。「僕のスピーチが長くなりすぎる前に、1967年にフリートウッド・マックを結成してくれたピーター・グリーンに感謝したい」とミック・フリートウッドはその夜、バンド全体を代表してスピーチした。「ありがとう、ピーター。彼は今日まで続くステージを我々に残してくれた」
当日のステージでは「ランズライド」「ビッグ・ラブ」「セイ・ユー・ラブ・ミー」といった曲が披露されたが、どれもグリーンがバンドを去ってから録音されたもので、彼がバンドに加わって演奏する意味はほとんどなかっただろう。しかし幸運なことに、サンタナもこの年に殿堂入りを果たしていた。「ブラック・マジック・ウーマン」はサンタナにとっても代表曲であり、ついにこの夜、彼らは一緒に演奏することになった。
この夜の殿堂セレモニーはグリーンが姿を現した最後のイベントの一つだった。