どうしようもないほどキャッチーで、有無を言わせぬほどノリが軽くてセクシー。本人たちもそれを十分自覚している――あらゆる音楽形態の中でも、ボーイズバンドはもっとも華やかな即席グループだ。事前に仕込まれていたTVの”企画モノ”ザ・モンキーズから、普通っぽい感じがチャーミングなワン・ダイレクションに至るまで、彼らを表紙にするような中学生のノートがある限り、混じりけのない純然たるポップスペクタクルを世に送り出すグループはつねに存在し続ける。
【写真ギャラリー】KAT-TUNも掲載、歴史的ボーイズバンドの秘蔵ショット

左上から時計回りにBTS、ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック、モンキーズ、フランキー・ライモン&ザ・ティーンエイジャーズ(Photo by Rich Fury_Getty Images, Larry Busacca_WireImage_Getty Images, Michael Ochs Archives/Getty Images, GAB Archive_Redferns_Getty Images)
音楽の発展とともに、ボーイズバンドも進化を遂げてきた。いつの世もポップ界にはボーイズバンドが存在するが、その定義はつねに曖昧だ。ダンスをすることもあれば、しないこともあるし、全く赤の他人同士ということもあれば、生まれたときからの顔なじみというケースもある。自ら作詞作曲した曲を歌うこともあれば、他の人が書いた曲を歌うこともある。文字通り少年もいれば、少年のような魅力を備えた20代もいる。だが他の芸術形態と同じく、一目見ればボーイズバンドであることは明白だ。決定的な要因は何か? 会場を黄色い悲鳴で埋め尽くし、ボーイズバンドを時代の産物へと変えるファン――みな若く、大半は女の子だ。彼女たちの存在がボーイズバンドを時代の産物へと変える。やむを得ず解散、あるいは「活動休止」した後も、憧れのまなざしと大合唱を集めてしかるべき存在に。
今もなお続く影響力と圧倒的人気に敬意を表し、悲鳴をあげるに値するボーイズバンドの甘いポップチューンを見ていこう。
75位 イースト17「ハウス・オブ・ラブ」(1992年)
74位 Marshall Dyllon「Live It Up」(2002年)
73位 ブロックハンプトン「Sugar」(2019年)
72位 ブロス「フェイマス」(原題:When Will I Be Famous? 1987年)
71位 ドリーム・ストリート「It Happens Everytime」(2001年)
70位 ホワイ・ドント・ウィー「トラスト・ファンド・ベイビー」(2018年)
69位 JLS「Beat Again」(2009年)
68位 エンブレム3「Chloe (Youre the One I Want)」(2013年)
67位 5ive「When The Lights Go Out」(1998年)
66位 デジュー「Back Door Lover」(2001年)
65位 Linear「TLC」(1992年)
64位 マインドレス・ビヘイヴィア「My Girl」(2010年)
63位 BBMAK「バック・ヒア」(1999年)
62 B2K feat. P・ディディ「Bump, Bump, Bump」(2002年)
61位 モンキーズ「アイム・ア・ビリーヴァー(恋に生きよう)」(1967年)
60位 KAT-TUN「Real Face」(2006年)

Ten Asia/Multi-Bits/Getty Images
日本のボーイズバンドKAT-TUNのデビューシングルは、国内チャートを制するなどデビュー曲とは思えぬ話題性を生み出し、出だしから成功を収めた。4つ打ちダンスビートからいきなり騒々しいヘヴィメタルへ飛び移るこの曲を筆頭に、このJ-POPグループはその後もNo.1ヒット曲を次々繰り出した――年間総合チャート1位という伝統は、メンバー2人が脱退した後も10年近く続いた。
59位 ジョナス・ブラザーズ「バーニン・アップ」(2008年)
58位 オズモンズ「クレイジー・ホース」(1972年)
57位 プリティマッチ&CNCO「メ・ネセシータ」(2019年)
56位 BTS「Fake Love」(2018年)
55位 INFINITE「The Chaser」(2012年)
54位 2gether「U + Me = Us (Calculus)」(2000年)
53位 ワン・ダイレクション「ワン・シング」(2011年)
52位 バックストリート・ボーイズ「ザ・コール」(2001年)
51位 All-4-One「アイ・スウェア)」(1994年)
50位 ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック「ハンギン・タフ」(1989年)
49位 ファイヴ・セカンズ・オブ・サマー「シー・ルックス・ソー・パーフェクト」(2014年)
48位 イン・シンク「ポップ」(2001年)
47位 ビッグ・タイム・ラッシュ feat. スヌープ・ドッグ「ボーイフレンド」(2011年)
46位 ザ・ウォンテッド「グラッド・ユー・ケイム」(2011年)
45位 98ディグリーズ「ギヴ・ミー・ジャスト・ワン・ナイト(ウナ・ノーチェ)」(2000年)
44位 112「ピーチーズ&クリーム」(2001年)
43位 ソテジ・ワ・アイドゥル(Seo Taiji and Boys)「Nan Arayo (I Know)」(1992年)
42位 アナザー・バッド・クリエイション「Iesha」(1990年)
41位 オズモンズ「レイジー・リヴァー」(原題:Down By The Lazy River)(1972)
40位 メヌード「Hold Me」(1985年)
39位 東方神起「Mirotic」(2008年)
38位 ミント・コンディション「ブレイキン・マイ・ハート」
37位 イン・シンク「ゴーン」(2001年)
36位 ラズベリーズ「レッツ・プリテンド」(1974年)
35位 ブライター・サイド・オブ・ダークネス「ラヴ・ジョーンズ」(1972年)
34位 BTS「Euphoria」(2018年)
33位 ワン・ダイレクション「ベスト・ソング・エヴァー」(2013年)
32位 O-Town「オール・オア・ナッシング」(2001年)
31位 BIGBANG「Fantastic Baby」(2012年)
30位 ニュー・エディション「クール・イット・ナウ」(1984年)
29位 ベイ・シティ・ローラーズ「サタデー・ナイト」(1975年)
28位 ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック「プリーズ・ドント・ゴー・ガール」(1988年)
27位 O-Zone「恋のマイアヒ」(原題:Dragostea Din Tei 2003年)
26位 バックストリート・ボーイズ「クィット・プレイング・ゲームズ」(1996年)
25位 ジョナス・ブラザーズ「サッカー」(2019年)
24位 ミュージカル・ユース「パス・ザ・ダッチー」(1982年)
23位 フランキー・ライモン&ザ・ティーンエイジャーズ「恋は曲者」(原題:Why Do Fools Fall in Love 1956年)
22位 ジャクソン5「ABC」(1970年)
21位 モンキーズ「デイドリーム・ビリーバー」(1967年)
20位 バックストリート・ボーイズ「エヴリバディ」(1997年)

Brian Rasic/Getty Images
マックス・マーティンが舵を取った「エヴリバディ」は、90年代後期に爆発的人気を博したポップグループの代表曲のひとつだ――壮大さはマイケル・ベイ監督作品のごとく、ニュー・キッズよりもやや年長向け――世界を完全制圧してみせるというグループ(そしてムーブメント)の意思をずばり表明している。ホラー映画風のわざとらしいミュージックビデオとみだらなシンセのエフェクトで、BSBはポップ界の新たな貴公子としてはもちろん、時代を代表するセックスシンボルになった。最年少のニック・カーターが「僕ってそそられる?」と、はにかみ気味に尋ねる。
19位 BTS「Spring Day」(2017年)

YouTube
当然ボーイズバンドが胸を激しく打つことはある。だが、恋患いや失恋の痛み以外の歌詞で彼らが実力を発揮するのはごく稀だ。BTSの「Spring Day」は、圧倒的なパワーバラードという形式で悲哀と憧憬を深く掘り下げ、こうした通説に異を唱えた。メロウな1曲は随所に雪のイメージと(ポン・ジュノ監督の『スノーピアサー』を思わせる場面もある)痛ましいほどリアルな歌詞が随所に盛り込まれ、喪失感と悲しみをさまざまな形で表現している。「全部わかってるだろう/君は僕の一番の友達/陽はまたきっと昇る」と少年たちは歌う。「どんな闇も、どんな季節も/永遠には続かない」BTS同様、この思いもまた時代を超える。
18位 ワン・ダイレクション「ストーリー・オブ・マイ・ライフ」(2013年)

YouTube
「ストーリー・オブ・マイ・ライフ」は、『Xファクター』から華々しく登場したメンバーの音楽性を変えた。彼らは2013年の3rdアルバム『ミッドナイト・メモリーズ』で曲を共同制作したのみならず、デフ・レパード流のヘアメタルや、大物スター風のパワーポップ、マムフォード&サンズに影響を受けたフォーク・ロックなど、新境地を開拓した。その中でも「ストーリー・オブ・マイ・ライフ」はひときわ輝いている。アダルトポップなギターリフと、成熟して大人の階段を優雅に歩み始めたメンバーののびやかな声が特徴的だ。「彼らと演奏したデモは、今よりもずっとフォーク色が強かったんだ」と、共同作曲家のジェイミー・スコットはMTVに語っている。「そこが彼らの声のすごいところさ――たちまち自分たちのサウンドにしてしまうんだから」
17位 イン・シンク「イッツ・ゴナ・ビー・ミー」(2000年)

YouTube
イン・シンクの他のヒット曲ほど記憶に残るわけでも、ダンサブルなわけでもない。にもかかわらず、「イッツ・ゴナ・ビー・ミー」は完璧なタイミングのおかげで成功した。この曲は世間を揺るがす大成功を収めた『ノー・ストリングス・ツアー』の開始直後にリリースされ、今日現在までグループ唯一のシングルチャートNo.1ソングとなっている。マックス・マーティン、アンドレアス・カールソン、ラミ・ヤコブらスウェーデンのヒットメーカー軍団が手がけた歌詞は、恋人のためらいと、彼女を喜ばせたい青年の心意気を並べ立て、JC・シャゼイとジャスティン・ティンバーレイクの2人がそれを歌う。その物語はシュールな映像を盛り込んだミュージックビデオで描かれる。ビデオを手がけた大御所ウェイン・アイシャム監督は、メンバーを動く人形として描いた。「今まで手がけた中で一番大がかりな作品だ」と、彼はMTVに語った。
16位 ボーイズIIメン「モータウンフィリー」(1991年)

Michel Linssen/Redferns
1991年、『クーリーハイハーモニー』で世に出たボーイズIIメンの4人組は、しゃれた衣装と愛嬌に、フィラデルフィア・ソウルとニュー・ジャック・スウィングのサウンドを盛り込んで、粋な現代版モータウン・ドゥワップ・グループとして売り込んだ。後に登場する白人中心のボーイズグループとは違い、「モータウンフィリー」は故郷の誇りを堂々と示している点で他とは一線を画している。2013年、TVドラマ『フィラデルフィアは今日も晴れ』で、ボーカルグループThe GangがボーイズIIメンのオープニングアクトを募集するコンテストで歌ったのがきっかけで、このシングルは思わぬ形で再び脚光を浴びた。
15位 テイク・ザット「バック・フォー・グッド」(1995年)

YouTube
1995年、ティーンアイドルだったテイク・ザットをイギリスの宝へ、さらに国際的スターへと押し上げるには、ありふれた失恋を歌ったシンプルな物語ひとつで十分だった。ジャケット写真もヴェルサーチのスーツでびしっときめ、音楽的にも成熟したバンドの新棚一面を示した曲だったが、TTの原点である古風なディスコサウンドを好んだファンには不評だった――NMEは「お上品すぎる」と評した。だが「バック・フォー・グッド」がなかったら、2006年のテイク・ザット再結成もあそこまで成功したかどうか怪しいものだ。青春真っ盛りだったファンが大人になった時に備えて、この曲がいわばお膳立てをしたのだ。この曲でついにソングライターの才能を開花したゲイリー・バーロウは、のちに「バック・フォー・グッド」は15分で書いた、と豪語した。「ささっと書いた時ほど、いい曲ができるようだね」と、伝記作家のジャスティン・ルイスに語っている。UKを代表する鉄板ソングとなった今、さんざん酔っ払ってカラーコーンを被ったラガーマンですら、溢れる涙をぬぐいながら「僕が言うこと、僕がすること――全部本気だよ!」と熱唱する。
14位 SHINee「Sherlock」(2012年)

YouTube
「Sherlock」は完全なオリジナル曲ではない。
13位 ジャクソン5「アイル・ビー・ゼア」(1970年)

Michael Ochs Archives/Getty Images
「僕らにとって「アイル・ビー・ゼア」は、本当の意味で扉を開けた曲だった」この曲のデモ収録で実際に耳にするまでハープシコードが何かも分からなかったマイケル・ジャクソンは、自伝の中でこう書いている。「この道でやっていくんだ、と確信できた曲だった」このバラードの中で幼いシンガーはうっとり高らかに歌いあげ、兄のジャーメインにバトンを渡し、幼少期最高のパフォーマンスを披露している。1970年の夏に収録された「アイル・ビー・ゼア」は、秋を迎えるころにはシングルチャートNo.1を達成。ジャクソン5にとってその年4枚目のシングルNo.1ソングとなっただけでなく、モータウン歴代最高セールスも記録した。
12位 ジョナス・ブラザーズ「S.O.S.」(2007年)

YouTube
「ハグはやりすぎだよ、F.Y.I.(一応言っておくけど)」 ニック・ジョナスは「S.O.S.」の中でこうささやいた後、元カノにハイファイブする。ジョナス・ブラザーズはポップグループいちの純真無垢――その点にかけてはオズモンド・ブラザーズ級だ――携帯メールやメッセンジャーでのやり取りでウダウダ言うぐらいなのだから。だが、ディズニー好みの純情ジョナス・ブラザーズはキャッチーなポップロック・チューンの使い手だった。ワン・ダイレクションが3枚目・4枚目のアルバムでやり始めるずっと以前から、ロックの本物志向を上手く取り入れた。兄弟バンドとしての時代は一度終わりを迎えたものの、ニックとジョーのソロ活動からも、ポップ界での束の間の栄光が決してまぐれ当たりではなかったことは証明済みだ。
11位 ハイ・ファイブ「アイ・ライク・ザ・ウェイ」(1991年)

Raymond Boyd/Michael Ochs Archives/Getty Images
90年代初頭、ニュー・エディションはすでに正式に解散していたが、ポップミュージック界における影響力はいまだ健在だった。その証拠が1991年、シングルチャートNo.1に輝いた「アイ・ライク・ザ・ウェイ」で一気に花開いたハイ・ファイブだ。テキサス州ウェーコー出身のグループは、いわば南部版ニュー・エディション。15歳のトニー・トンプソンがラルフ・トレスヴァントばりに高音域でささやく。続いてシングルチャートTOP10入りを果たした「アイ・キャント・ウェイト・アナザー・ミニット」は、どこをとっても狂おしい。ハイ・ファイブはその後2年間、「ジャスト・アナザー・ガールフレンド」「アイ・キャント・ハンドル・イット」「シーズ・プレイング・ハード・トゥ・ゲット」と、超ホットな曲を立て続けにリリースした。デビューアルバムでは、若かりしころのモブ・ディープのプロディジーもラップを披露。残念ながら、後年は悲劇が相次いだ。2007年、トニー・トンプソンは薬物の過剰摂取により31歳で他界した。
10位 LFO「Summer Girls」(1999年)

YouTube
LFO、またの名をLyte Funkie Ones(軽くてファンキーな奴ら)。爆発的ヒットとなった「Summer Girls」は、ボーイズバンド史上最大のまぐれ当たりのひとつだ。アダム・サンドラーがポップのヒット曲をパロッたかのようなこの曲は、意味をなさないフレーズの山をAbercrombie & Fitchで無理やりつなぎ合わせたかのようだ。
9位 ハンソン「キラメキ☆MMMBop」(原題:MMMBop 1997年)

YouTube
90年代中期から後期にかけてそこはかとなく漂っていたポスト・グランジの余韻は、オクラホマ州出身のブロンドの3人兄弟が1997年にリリースした「キラメキ☆MMMBop」でついに払拭された。彼らの音楽人生のスタートを飾り、ポップの新時代を呼び込んだアンセムソングは、イン・シンクやバックストリート・ボーイズの基盤を作った。至福に満ちたコーラスに騙されてはいけない。「キラメキ☆MMMBop」は「歳を取って、髪が抜け始める前に」可能なうちにチャンスをつかめ、という曲なのだ(前年にリリースされたスローテンポのオリジナルバージョンでは、このメッセージがたっぷり強調されている)。「僕もいまや三十路だよ」2018年、アイザック・ハンソンはこう語った。「今もこの曲には共感する。自分でも誇りに思うよ。この曲のおかげでこれだけ長い間、自分の好きなことをやっていられるんだから。僕らは一生少年のままだね」
8位 ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック「ユー・ゴット・イット(ライト・スタッフ)」(1988年)

YouTube
空気よりも軽いバブルガムソングは、ニュー・キッズの『ハンギン・タフ』からの2ndシングル。R&Bのスタイルを体現するジョーダン・ナイトの力量を存分に発揮した1曲だ。あまりにも音がスカスカなことを考えると、予想外のヒットだ――ベースとドラムがビートを刻み、シンセは必要最低限なところだけ。そこへたっぷり感じとエネルギーの波に乗って、ナイトの声がすべてを包み込む(ボストンの街を駆け巡るビデオの中で、彼が来ているバウハウスのTシャツもポイント)。だがこの曲は、学校の廊下に鳴り響くことになる「オ、オ、オーオーオー」の掛け声を加えたことで、昔も今も存在感を放っている。
7位 Aventura「Obsesion」(2002年)

Giuseppe Cacace/Getty Images
ソロとしてヤンキースタジアムの連日公演をソールドアウトする以前から、キング・オブ・バチャータことロメオ・サントスはAventuraというバンドでスタジアムコンサートを満員御礼にしていた。彼らの2枚目のアルバム『We Broke the Rules』は、10年後にサントスがソロでやったことと全く同じ。アメリカのR&Bの要素を、手加減することなくバチャータに盛り込んだ。Aventuraのシングル「Obsesion」は、次の世代を――デビューアルバムのタイトルも『Generation Next』だ――ラテンミュージックに駆り立てた。現在バンドとしては活動を休止し、サントスがマーケットを独占しているが、2014年にはヤンキースタジアムで再結成を果たしている。
6位 ワン・ダイレクション「ホワット・メイクス・ユー・ビューティフル」(2011年)

YouTube
2010年、サイモン・コーウェルは『Xファクター』ソロ部門のオーディションを受けた5人のティーンエイジャーたちから可能性を見出した。彼は5人を個別にオーディションに進ませる代わりに、新たなグループ、ワン・ダイレクションを結成することにした。関係者全員にとってこれがラッキーな決断だったことは、のちに証明された。5人組の最終順位は3位だったが、あまりの人気ゆえ、コーウェルが運営するSycoレーベルから契約オファーを受けた。その後1年余りで「ホワット・メイクス・ユー・ビューティフル」がリリースされ、バンドの音楽人生は大躍進で幕を開けることになる。ヒット間違いなしのポップソングは、正統派ボーイズバンドらしからぬポップロック・サウンドに、正統派ボーイズバンドらしさをちりばめた1曲だ。この曲と、海辺を舞台にしたビデオ――シングルがYouTubeで公式にリリースされる1カ月前に公開された――にすっかり魅了されたファンは、まだ見ぬシングルをラジオ局にリクエストした。非の打ちどころのない秀作なので、メンバーのハリー・スタイルズはバンド解散後の2017年、ソロアーティストとして初のツアーで、この曲をセットリストに加えるというボーイズバンド最大のタブーを犯してしまった。
5位 BTS「Moon」(2020年)

Astrid Stawiarz/Getty Images
今や世界最大のグループへと成長したBTSだが、彼らは独自のやり方――音楽ビジネスの従来のやり方にことごとく抗って、ここまでたどり着いた。全米制覇を成し遂げるために、K-POPのヒーローたちは自分たちのサウンドやアイデアを曲げなかった。陳腐なクロスオーバーソングを英語で歌う、ということもしなかった。彼らはただひたすら、自分らしくあり続けた。「Moon」はそんなBTSの最新ヒットアルバム『Map of the Soul: 7』からの1曲。ボーイズバンドの定石、つまり彼らなりのファンへのラブソングだ。スペイシーなギターポップにのせてJinが歌う。オーディエンスが地球なら、僕はその周りを回る月。軌道に沿って公転し、明るく照らす。彼はファンへの忠誠を誓い、「All I see is You」「All for you」のパートはあえて英語で歌っている。「Moon」にはBTSの爆発的人気の理由がすべて凝縮されている。彼らの物語はまだ始まったばかりだ。
4位 バックストリート・ボーイズ「アイ・ウォント・イット・ザット・ウェイ」(1999年)

YouTube
「You are my fire/ The one desire」という最初の2節が浮かんだとき、スウェーデンの作曲家アンドレアス・カールソンとマックス・マーティンはなおも自分たちの英語と格闘していた。「とくに深い意味はなかったんだ」と、前者は最終的にこう認めた。「レコード会社からは『この部分は、別の作詞家を呼んで手を借りる必要があるかもね』と言われたよ」Jiveは編集作業のためにデフ・レパードとシャナイア・トゥエインのプロデューサー、マット・ランジをストックホルムのシャイロンスタジオに送り込んだが、バックストリート・ボーイズのメンバーは元のままがいいと言って、「アイ・ウォント・イット・ザット・ウェイ」というタイトルのまま収録した。その後2人の作曲家は最後の仕上げをした。「最後に加えたのは、(オープニングのギターのフレーズ)バードゥドゥ・バードゥドゥドゥという、メタリカっぽいギターリフ――あの当時、ボーイズバンドではご法度だったんだよ」
3位 ニュー・エディション「キャンディー・ガール」(1983年)

Michael Ochs Archives/Getty Images
ボストンのドーチェスター地区のタレント・ショウでリッキー・ベル、マイケル・ビヴンス、ボビー・ブラウン、ロニー・デヴォー、ラルフ・トレスヴァントを見たモーリス・スターは直感的にこう思った……次のジャクソン5を見つけた、と。ジャクソン5の「ABC」をさらに甘くし、現代風にアップデートした「キャンディー・ガール」で、ニュー・エディションは最初の名声を手にする。トレスヴァントの甘い高音はまさにジャクソン5のマイケルそっくり。だがつなぎの部分――少年たちがそれぞれ意中の相手に思いのたけをラップするパート――は、この曲を全米R&BチャートNO.1に押し上げるには十分エッジをきかせていた。
2位 イン・シンク「バイ・バイ・バイ」(2000年)

YouTube
「このアルバムはちょっとばかりエッヂが利いていて、ちょっと荒っぽい」 2000年、『ノー・ストリングス』のリリース直前にジャスティン・ティンバーレイクはローリングストーン誌にこう語っている。アルバムのリリース差し止め訴訟についてはこう冗談を飛ばした。「みんな頭にきてるよ――それが事実。僕らはしかるべき敬意を払ってもらえなかった、怒れる白人の少年たちさ」アルバムの冒頭を飾る「バイ・バイ・バイ」は、イギリスのテイク・ザットから足蹴にされたスウェーデンのシャイロンスタジオへの決別の曲でもあった。壮大なメロディ、きっちりまとめられたハーモニー、巧妙に隠されたメッセージが炸裂する4分間の曲は、今もイン・シンクの代表作に挙げられる。
1位 ジャクソン5「帰ってほしいの」(原題: I Want You Back 1969年)

Michael Ochs Archives/Getty Images
確かに、ジャクソン5初のモータウンシングルに流れる高鳴るメロディは、無邪気な小学1年生のスキップのように軽快だ。底に流れるベースラインは、ポップの中でももっとも心臓の鼓動に近い。だが「帰ってほしいの」の真のヒーローはマイケル・ジャクソンだ。まだ10代にもならないというのに、天使のような声と歌詞を解釈する能力で、何とかしてヨリを戻したいという思いを(もともとはグラディス・ナイトかダイアナ・ロスを想定して作られた)感情的で歓喜あふれる曲に変身させた。1オクターブを自在に操るジャクソンの度量は、45回転シングルがリリースされるのとほぼ同時に、一夜にして彼をスターの座に押し上げた。