試合に臨む弱小チームや、素質を証明しようと最後の力を振り絞る往年のスター選手——。
ボクシングがテーマのヒューマンドラマ、ボウリングを描いたコメディ作品、サーフィンのドキュメンタリー、アイスホッケーリンクで繰り広げられるダメ人間対気取り屋のバトル、汚い言葉や挑発で相手選手の心理面を揺さぶる作戦”トラッシュ・トーク”が飛び交うバスケの試合、9回目を迎えた試合のこう着状態など、ローリングストーン誌が史上最高のスポーツ映画ベスト30を独自にセレクト。今回はランキングから外れてしまったアメフト選手のジム・ソープとクヌート・ロックニー、女子野球チームのロックフォード・ピーチズ、スケートボーダーグループのZボーイズ、架空の大リーガーのシュガーことミゲル・サントス、競走馬のシービスケットをはじめ、いままで私たちの胸を熱くしてくれたすべての銀幕のアスリート、コーチ、トレーナーに心から謝りたい。いつかベスト50を紹介する機会があれば、その時に登場していただこう。
・史上最高の「スポーツ映画」14位から1位はこちら
[編集者注:本記事は2015年8月に米ローリングストーン誌に掲載されたものです]
30位『No No: A Dockumentary(原題)』(2014)
ドック・エリスといえば、LSDをキメた状態でノーヒット・ノーランを達成したビッツバーグ・パイレーツの投手としてもっともよく知られている人物だ。そんなエリスの生涯を描いた『No No: A Dockumentary(原題)』でジェフ・ラディーチェ監督は、エリスのキャリアがかなり際立ったものであったことを明確に描いている。彼のキャリアは、野球がもっともワイルドだった10年と重なるのだ。舞台はアフロとアストロターフ(訳注:スポーツ用人工芝)の時代。
29位『ティン・カップ』(1996)
ケビン・コスナーと『さよならゲーム』(1988)の脚本家・監督のロン・シェルトンがふたたびタッグを組んだ、ゴルフがテーマのラブコメディ『ティン・カップ』。コスナー扮する挫折したゴルファー、ティン・カップことロイ・マカヴォイが愛する女性(レネ・ルッソ)のために全米オープンで彼女のボーイフレンド(ドン・ジョンソン)に挑戦するというストーリーだ。日焼けした肌と、お気楽でありながらも哲学的なオーラが特徴の主人公ロイは、シェルトン監督のゴルフに対するロマンチシズムを見事に体現している。女性の気を引く時であれ、ゴルフボールを打つ時であれ、どちらの場合も無意識で完璧に決められる時もあれば、うっかりシャンクしてラフに入れてしまう時もあることを理解しながら、両者のつながりを見つけていくロイの姿が描かれている。NM
28位『ミラクル』(2004)
アスリートを称える際、彼らはエネルギーあふれるびっくり人間では必ずしもない、ということを私たちは忘れてしまう。キャビン・オコナー監督の『ミラクル』のなかでもとびきり素晴らしいキャラクターは、ぶっきらぼうなコーチのアーブ・ブルックス(カート・ラッセル)だ。ブルックスは、当時弱小だったアイスホッケーのアメリカ代表チームを1980年の冬季オリンピックで金メダルへと導いた監督で、感傷とは一切無縁の男だった。カート・ラッセル扮するブルックスは情け容赦ない親方的存在で、強敵ソ連との決勝戦に向けて若い選手たちを鍛え抜く。ラッセルの恐ろしいほど冷酷な演技が光っているから、あるいは私たちが衝撃的な結末を知っているからといって同作の魅力は少しも色あせない。こうした要素のおかげで、チームが勝利した時のラッセルの姿に一層感動させられるのだ。
27位『炎のランナー』(1981)
『炎のランナー』といえば、作曲家ヴァンゲリスによるシンセサイザー主体のドラマチックなテーマ曲と、海辺を走るオリンピック選手たちのスローモーション映像がいまでももっとも有名だ。だが、第54回アカデミー賞(1982)作品賞に輝いたヒュー・ハドソン監督のスポーツドラマの魅力はこれだけに尽きない。1920年代初頭の2人のイギリス人陸上選手(ひとりは敬虔なキリスト教徒で、もうひとりはユダヤ人)の実話にもとづいた同作は、1924年のパリ・オリンピックに向かってストーリーが展開するものの、勝者のひとり勝ちの描写とは無縁だ。むしろ、2人の青年と当時の社会的風潮、そして競技につきものの栄光と悲劇に焦点を当てている。その結果、大戦間のヨーロッパを描いた明るくも哀愁を帯びた作品に仕上がっただけでなく、イギリスのランナーたちの不屈の精神にオマージュを捧げる作品となった。NM
26位『ルディ/涙のウイニング・ラン』(1993)
『ルディ/涙のウイニング・ラン』が都合よく見過ごしているいくつかのディテール(映画を象徴するジャージのシーンは、なんとフィクション!)と主人公のフットボール選手ルディ・ルティガーが現実の世界では2011年に証券詐欺罪で告発されたことはさておき、すべての偉大な神話がそうであるように、このスポーツ映画の内容を鵜呑みにしてはいけない。それでも、広いハートを持つ努力家ルディがさまざまな困難(失読症、体格の問題、コーチのダン・ディバイン)を乗り越えて1975年のホームでの決勝戦に挑むのを観ていると、こうした事実なんてどうでもよくなってくる。『勝利への旅立ち』(1986)でタッグを組んだデヴィッド・アンスポー監督と脚本家のアンジェロ・ピッツォは、負け犬が主人公の物語のなかでも最高傑作と呼べる作品を創り、ノートルダム大学のアメフト部から新たなヒーローを生み出した(たとえ強豪校ノートルダム大には、そんな人物は山ほどいたとしても)。もちろん、ノートルダム・ファイティングアイリッシュのライバルはあきれたと言わんばかりに目玉をぐるりとするかもしれないが、ルディが夢を実現していく姿はスリリングだ。それに、アメフト選手ロン・ポウラスの伝記よりはるかに良い。JM
25位『ハード・チェック』(1994)
原題:BLUE CHIPS/ 別題:栄光なきシュート/全米カレッジ・バスケの罠 (JSB)
バスケットボールマニアのウィリアム・フリードキン監督がロン・シェルトンを脚本家に起用した『ハード・チェック』は、ラリー・バード、ボブ・ナイト、ディック・ヴィターレ、ボブ・クージー、そしてシャキール・オニールといった有名選手が本人役として、または米西海岸の大学の架空のキャラクターとして登場する、アマチュアスポーツ界の腐敗をテーマにした作品だ。ニック・ノルティが演じているのは、買収という手を使って才能ある新人選手を獲得しようとする伝説的な熱血コーチ、ピート・ベル。
24位『エニイ・ギブン・サンデー』(1999)
かつてはアメリカ映画界屈指の社会派監督と目されたオリバー・ストーンは、スケールの大きなアメフト映画向きの監督とは程遠い存在だと思うだろう。でも、それは間違っている。奮闘するアメフトチーム”マイアミ・シャークス”の波乱に満ちたシーズンを描いた『エニイ・ギブン・サンデー』では、エピックドラマを得意とするストーン監督の天賦の才能がいかんなく発揮されている。もちろん、キャラクターが持つ独特の絶望感も健在だ。同作の登場人物は、全員何らかの岐路に立たされている。孤独でボロボロのヘッドコーチを演じるアル・パチーノ、故障中のベテラン・クオーターバックを演じるデニス・クエイド、一躍スターとなってのぼせ上がる新人クオーターバックを演じるジェイミー・フォックス(コメディ俳優としてお馴染みの俳優)、そしてアメフト名門一家のひとり娘で冷酷なチームオーナーを演じるキャメロン・ディアス。彼らが醸し出す不安と絶望感があったからこそ、クライマックスでパチーノがチームに向けて語る「人生は、一歩を競うゲームだ」という言葉が史上最高のスポーツ映画のセリフとしていまも輝いているのだ。BE
23位『ベッカムに恋して』(2002)
しきたりを重んじるインド人家族の旧世界と、移住先のイギリスという新世界のあいだで板挟み状態のインド系2世のティーンエイジャー、ジェスことジェスミンダー・バームラには叶えたい夢があった。それは、大好きなデビッド・ベッカムのように祖国の代表チームでサッカーをプレイすること。そんなジェスの前には、いくつかの障害が立ちはだかる。そのなかでももっとも大きな障害が、サッカーという乱暴なスポーツをプレイすることを決して許さない母親の存在だ。
22位『ビンゴ・ロング・トラベリング・オールスターズ&モーター・キングス(原題)』(1976)
モータウン・レコードの創設者ベリー・ゴーディが共同プロデューサーを務め、ジョン・バダム(『サタデー・ナイト・フィーバー』を手がける前)が監督を務めた『ビンゴ・ロング・トラベリング・オールスターズ&モーター・キングス(原題)』。この時代物の野球コメディは、プロのアスリートたちが地方の町や都市を巡業しながら収入を補填するバーンストーミングの時代を思い出させてくれる。シニカルなビジネスマンを演じたビリー・ディー・ウィリアムズをはじめ、確固たる信念を持つ活動家役のジェームズ・アール・ジョーンズ、キューバ人になりすまそうとする詐欺師役のリチャード・プライヤーといった超一流キャストが名を連ねる。同作は黒人リーグ時代をパロディ化する一方、働くすべての人に生まれつき与えられた尊厳といういまも重要な問題を提起している。当然ながら、野球で金を稼ぐ人々にだって尊厳はあるのだ。NM
21位『勝利への脱出』(1981)
ハンガリー映画『地獄のハーフタイム』(1963)にインスパイアされたジョン・ヒューストン監督のB級映画『勝利への脱出』では、マイケル・ケイン、シルベスター・スタローン、そしてブラジルのスーパースター、ペレがドイツ・チームとのサッカー試合を利用して脱走を図る連合軍の捕虜を演じている。しかしながら、準備万端というところで捕虜たちはいっそのことピッチでナチスを打ち負かしてはどうかと考えはじめる。サッカーの知識ゼロのスタローンは、「美しいゲーム」と称えられたサッカーを1980年代初頭から学びはじめたアメリカ国民を象徴しているのかもしれない。でも、伝説的プレイヤーのペレがピッチでフットワークを披露する姿(なんというオーバーヘッドキック!)を観ていると、ペレのようなサッカーの神様なら、たったひとりでヒトラーの軍隊の進撃を止められたかもしれないと思えてくる。NM
20位『ビッグ・リボウスキ』(1998)
米作家レイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説にインスパイアされた、無職の中年男デュードが主人公のジョエル&イーサン・コーエン監督作『ビッグ・リボウスキ』。
19位『ナチュラル』(1984)
時に映画は、多くを語らずに野球への敬意を表現する。だが、米作家バーナード・マラマッドの原作にインスパイアされた映画『ナチュラル』のように、野球の試合がこれほど見事な荘厳さとともに描かれた作品はいままでなかった。ロバート・レッドフォードが演じるのは、かつて天才と称賛された野球選手ロイ・ホッブス。ホッブスは、30代半ばで謎の理由で野球の表舞台から姿を消したあと、遅咲きのルーキーとして復活を遂げた人物だ。マラマッドの1952年の同名の原作は、煩悩に屈することの危険を描いた啓蒙的な小説である。その一方、レッドフォードとバリー・レビンソン監督の映画版は、神から授けられた才能へのオマージュであり、そこにシンガーソングライターのランディ・ニューマンの感動的なスコアが加わることで、クライマックスに向けていまでも観る人をゾクゾクさせてくれる。同作は、現実を明らかにするリアリズムとはかけ離れている。なぜなら、人間という死ぬ運命にある存在が繰り出す超人的な技を目の当たりにした時の私たちの感動を強調することに、同作は重点を置いているのだから。
18位『レスラー』(2008)
プロのレスラーはアスリートではないと思っている人は、ダーレン・アロノフスキー監督作『レスラー』でミッキー・ロークが演じたランディ・”ザ・ラム”・ロビンソンの姿を観てほしい。かつてランディは、チャンスあるごとに徹底的に相手を打ちのめして観客を魅了した人気レスラーだった。アロノフスキー監督が手がけた同作には、レスリング特有の煽動的なディテールが散りばめられている(わざとナイフを使って生々しさを演出しようとするパフォーマーなど)。それに加え、ランディのカラフルな衣装と、寒い米ニュージャージー州郊外で最低賃金を稼ぎながら朽ち果てそうなトレーラーハウスで暮らす、リングの外の厳しい生活がコントラストを描く。現役時代に体を酷使し続けた人々が昔の自分の抜け殻になり果ててしまうことを同作は教えてくれる。ラストの強烈な栄光でさえ、こうした寂りょう感を拭えない。NM
17位『ノース・ダラス40』(1979)
米テキサス州のNFLチーム”ダラス・カウボーイズ”から着想を得たチームの選手と経営陣を描いたテッド・コッチェフ監督作『ノース・ダラス40』。ドラッグ、セックス、裏切り、無能な経営陣といったアメフト界にはびこる腐敗に迫った同作は、反骨的映画としてのみならず、広義の風刺としての役割を果たしている。当時のスポーツ映画は、観る人に感動とインスピレーションをもたらすのが一般的だった。だが、同作はこうしたすべてを吹き飛ばし、70年代のロッカールーム特有のアメリカ流男性優位主義を称えながらも、そこに疑問を投げかけている。学生時代に人気アメフト選手として活躍したニック・ノルティ——38歳という年齢にもかかわらず若々しい——が主役の故障したベテランのワイドレシーバーを見事に演じている。BE
16位『エンドレス・サマー/終わりなき夏』(1966)
サーフィン映画の最高傑作と呼ばれる『エンドレス・サマー/終わりなき夏』。カウンターカルチャー時代の人類学研究のような控えめな同作は、人々から大絶賛された。その結果、世界中の若者がサーフボードを購入し、完璧なバレルを求めてカリフォルニアの海岸へと向かった。表面上は永遠の夏を追い求めて世界中を旅する2人のサーファー(マイケル・ハインソンとローバート・オーガスト)の物語だが、サーフィン用語とおそろしくも見事なチューブ波の映像が散りばめられた『エンドレス・サマー/終わりなき夏』は、サーフィン小史でもある。ブルース・ブラウン監督自身による緩急あるナレーションが功を奏し、劇中で最後の夕日が暮れる頃には、誰もがサーフィンに挑戦したくなるのだ。NM
15位『ゴングなき戦い』(1972)
どん底生活を送るアル中ボクサーのタリー(ステイシー・キーチ)と彼にカムバックを決意させる前途有望な若手ボクサーのアーニー(ジェフ・ブリッジス)の関係と、どうにもならない運命を描いたジョン・ヒューストン監督作『ゴングなき戦い』。同作では、汗、煙、ウイスキーのにおいが暗雲のように垂れ込めている。同作は、リング上のバトルよりも試合の合間の試練や苦境により重点を置いた作品である。米カリフォルニア州北部のストックトンというかつてのドヤ街の跡地で撮影された同作では、薄汚れた酒場や落ちぶれた主人公が家と呼ぶ安宿が映し出される。それは、リングの王者となった新星でさえも、かなりの確率でいつかはそこに行き着くという運命の象徴なのだ。観終わったらすぐにシャワーを浴びてスッキリしたくなるような映画だ。KP
14位『マーダーボール』(2005)
車いすに乗ったアスリートたちが戦いのスリルを通じて目標を見出していく姿を描いた『マーダーボール』は、観る人に元気を与えてくれるドキュメンタリーと呼ぶにふさわしい作品だ。だが、元は”マーダー(殺人)ボール”と呼ばれていた荒々しい車いすラグビーからタイトルをとった同作の優れた点は、感傷的なくだらない要素をすべて排除し、アメリカ代表チームとカナダ代表チームの熾烈なライバル関係を時系列順に描いていることだ。ヘンリー=アレックス・ルビンとダナ・アダム・シャピーロの両監督は、自らを現代のグラディエーターと称する屈強な選手たちにカメラを向ける。勝って(たくさん)セックスすることはもちろん、自らの人生を行きたいと願う彼らは、まさに戦士なのだ。もし同作がハリウッドの手に渡っていたなら、選手たちを鼓舞するスピーチや感動的なモンタージュ映像が散りばめられていたかもしれない。実際の『マーダーボール』は、当然のようにすべてを余すところなく映し出している。勝利と栄光、そして女の子たちのために車いすに乗って奮闘する勇敢な男たちの姿そのものなのだ。JM
13位『勝利への旅立ち』(1986)
ドラマチックなトーン? それとも複雑な感情表現? そんなものはどうでもいい。誰だって理屈抜きで感動したい時はあるのだから。そんな時にぴったりなのが『勝利への旅立ち』だ。観る人を爽快な気分にしてくれるこのスポーツ映画では、問題を抱えたコーチ(ジーン・ハックマン)が50年代の米インディアナ州の高校生たちに基礎に忠実であれと叩き込み、生涯最高のバスケをプレイするよう鼓舞する。テレビ映画の監督としてキャリアを積んだデビッド・アンスポーの長編映画デビュー作をノスタルジックすぎると非難するのは、お門違いだ。なぜなら『勝利への旅立ち』は、巨人ゴリアテを倒すにはダビデが精一杯努力をすれば十分だったように、過ぎし日の純真さに対する感動的で誇り高いオマージュなのだから。控えめながらも筋金入りの品の良さを醸し出すベテラン俳優ハックマンの完璧な演技が詰まった寓話的作品だ。TG
12位『打撃王』(1942)
一塁手でパワフルなヒッターでもあったヘンリー・ルイス・"ルー"・ゲーリッグ。ニューヨーク・ヤンキース屈指の選手のひとりであり、”鉄の馬”と称された彼の黄金期を描いた『打撃王』を観た世代は、ゲーリッグと聞けば同作でゲーリッグ役を演じたゲイリー・クーパーを思い浮かべる。スポーツ選手の伝記映画のほとんどがそうであるように、ゲーリッグの生涯、野球選手としてのキャリア、そして筋萎縮性側索硬化症(ALS、別名”ルー・ゲーリッグ病”)による死をたどる同作はひどくセンチメンタルだが、極めて感動的で、試合だけでなく選手本人を伝説化することに焦点を当てている。当然ながら同作には本物のベーブ・ルース、ボブ・ミューゼル、ビル・ディッキーといったピンストライプのユニフォームでお馴染みのヤンキースのチームメイトが数多く登場する一方、スポーツ史上もっともアイコニックな場面のひとつである背番号4の引退スピーチのクーパーによる再現シーンも収められている。どんな野球ファンも、ゲーリッグが自らを「世界でもっとも幸福な男」と語った瞬間を観れば号泣必須だ。DF
11位『ハードプレイ』(1992)
飛び交う悪口とスラムダンクを称える、一見騒々しい『ハードプレイ』。同作は、脚本と監督を手がけたロン・シェルトンが大人になりきれないバスケマニアたちの姿を愛情あふれる眼差しで明敏にとらえた作品だ。実生活でも仲の良いウッディ・ハレルソンとウェズリー・スナイプスという切れ味抜群のお笑いコンビのような2人が演じるのは、米カリフォルニア州のベニスビーチの金に困ったストリートボール選手。2人は地元の大会で優勝するため、しぶしぶコンビを組むのだ。公開から20年以上が経ったいまでも、ハレルソンとスナイプスの機敏な言葉選びとエネルギッシュなギブアンドゴー(訳注:ボールを持っている選手が味方にパスを出し、そのあとに走ってディフェンスを振りきってもう一度パスを受けること)は観ているだけで楽しい気分になる。こうした要素があるからこそ、『ハードプレイ』が醸し出す哀愁が際立つ——やがては大人の社会的責任が彼らのバスケの夢を奪ってしまうのだから。TG
10位『プライド 栄光への絆』(2004)
米テキサス州オデッサの高校アメフトチームのシーズンを追ったジャーナリスト、バズ・ビッシンガーのノンフィクション作品の映像化はかなり難しいだろうと思われていた。スポーツ映画につきもののドラマを失わずにリアルなガッツとジャーナリズム特有のディテールをすべて表現する方法は? 『プライド 栄光への絆』のピーター・バーグ監督は、ドキュメンタリーから着想を得た手持ちカメラとフィールド内外での選手の高まる感情描写のバランスを保つことで答えを見出した。そこに高給取りのコーチを演じるビリー・ボブ・ソーントンの手堅い演技を加えて盤石な基礎を築いたのだ。いまでは映画よりも2006年のテレビドラマ『Friday Night Lights(原題)』のほうが人気かもしれないが、「澄んだ目と胸いっぱいの感動」という詩的なセリフでお馴染みのテレビドラマ版ができるずっと前から同作は人間関係、田舎町特有の熱狂的なスポーツ愛、手に汗握るドラマというテレビドラマを成功へと導いた要素をすでに確立していた。KP
9位『アイルトン・セナ~音速の彼方へ』(2010)
1994年のF1サンマリノグランプリの事故で命を落とす前から、ブラジル生まれのレーシングドライバー、アイルトン・セナは国民的英雄として崇められ、1980~1990年代のF1を象徴する存在になっていた。アシフ・カパディア監督は『アイルトン・セナ~音速の彼方へ』を手がけるにあたり、おもにホームビデオ映像、記者会見、インタビューのオフショット、コックピット映像をつなぎ合わせて波乱に満ちたF1チャンピオンのキャリアを描いた。そこにはもちろん、フランス人ドライバーで当時はマクラーレンのチームメイトだったアラン・プロストとの激しいライバル関係も含まれる。同作でセナは、カリスマ的で類稀なる技術を持ち、レースをこよなく愛する人物として描かれている。そんなセナの愛は、安全よりもスリルを重視する運営団体から必ずしも報われることはなかった。カパディア監督はアスリートの行動と功績だけを頼りにその生涯をとらえ、偉大な人物をただ称えるための映画以上の作品に仕上げた。スリルに満ちたセナの勝利を詳細に描いたドキュメンタリーだ。KP
8位『モハメド・アリ かけがえのない日々』(1996)
1974年、レオン・ギャスト監督は”キンシャサの奇跡”と呼ばれたモハメド・アリとジョージ・フォアマンの試合をカメラに収めるため、ザイール(現コンゴ)に向かった。そして財政上の困難を乗り越え、20年以上をかけて『モハメド・アリ かけがえのない日々』を完成させた。そんな監督の苦労は報われた。20年という歳月がもたらしてくれた広い視野のおかげもあり、第69回アカデミー賞(1997)長編ドキュメンタリー賞を受賞した同作は、伝説の試合の決定版と呼ぶにふさわしい作品に仕上がった。さらに同作には、作家ノーマン・メイラーやジャーナリストのジョージ・プリンプトンといった著名人のインタビュー、トレーニング映像、さらには”グレーテスト”がチャンピオンベルトを奪還した瞬間をとらえた映像も収録されている。試合当時、無敗のヘビー級チャンピオンと対戦するアリに勝ち目はないと人々は思っていた。狂気じみた対決と思う者もいれば、最終的には虐殺に終わってしまうのではと心配する人々もいた。だが、子どもたちがアリの名を叫ぶなか、カリスマ的なボクサーがアフリカの混雑した通りを走る姿を観ると、人々に愛されたチャンピオンはそう簡単に倒されることはないと突然気づかされる。原題『When We Were Kings(俺たちが王様だった頃)』には、すべてが込められているのだ。NM
7位『スラップ・ショット』(1977)
脚本家ナンシー・ダウドは、アイスホッケーのマイナーリーグで活躍していた弟の経験をもとに、失われてしまったスポーツの大義にオマージュを捧げると同時に冒涜的な痛快スポーツコメディ『スラップ・ショット』を生み出した。主演のポール・ニューマン扮する選手兼コーチは、破綻状態の鉄鋼の町の英雄的存在である地元チーム”チャールズタウン・チーフス”を再生させようと、しばしば暴力的で問題のある作戦を用いる。ジョージ・ロイ・ヒル監督はエネルギッシュにアイスホッケーリンク上のカオスを描いているが、同作が心に響く本当の理由は、全体に漂っている徒労感のおかげだ。たとえチームが勝ったとしても、彼らは生まれながらの負け犬であることを絶えず思い知らされる。とんでもないラフプレーを連発するハンソン3兄弟に拍手。KP
6位『さよならゲーム』(1988)
マイナーリーグの中年キャッチャー、”クラッシュ”・デイヴィス(ケヴィン・コスナー)にとってもはや野球は、勝つことよりも我慢することのほうが多いものになっていた——いまでは、こうした考え方は気高いというよりも愚かだと思われるだろう。そんなクラッシュは、才能ある風変わりな若手ピッチャー、”ニューク”・ラルーシュ(ティム・ロビンス)の教育係に任命される。教育係といえば聞こえが良いが、実際には子どものおもりのような仕事だ。だが、これを機にクラッシュはアニー(スーザン・サランドン)と出会う。アニーは”チャーチ・オブ・ベースボール”という組織を自ら立ち上げ、個人的なプロジェクトとして毎年有望な若手選手の世話をする熱狂的な野球ファンだ。『さよならゲーム』は、たとえ自らがスポットライトを浴びることがなくても野球を愛する人々へのトリビュート作品である。同作は、爽やかな恋愛映画であると同時に華やかとはいえない野球の側面を浮き彫りにしている。そして歳を重ねることと妥協の必然性を教えてくれる——過去にすがるよりは、そのほうが良いのだから。KP
5位『ボールズ・ボールズ』(1980)
『ボールズ・ボールズ』は史上最高のゴルフ映画なんかじゃないとあなたは言うかもしれない。でもそれは違う。引用したくなる名言満載のリピート必須の同作は、1980年の夏に劇場で公開されて以来、かなり多くの熱狂的なファンを集めてきた。その理由は明白だ。ティーグラウンドからプロゴルファーのジョーダン・スピースばりの勢いでジョークを飛ばす不動産成金のアル(ロドニー・デンジャーフィールド)、宿敵のモグラと全面対決中の開いた口がトレードマークのグリーンキーパー、カール・スパックラー(ビル・マーレイ)、テッド・ナイト扮する悪辣なジャッジ・スメイルズ、チェヴィ・チェイス扮するぶっきらぼうな皮肉屋のタイ・ウェッブなど、たとえゴルフが嫌いな人でも、お気に入りのキャラクターが見つかるはず。公開から35年が経ったいまでも『ボールズ・ボールズ』がクレイジーな脱力系スポーツ映画の金字塔であり、『ビッグ・リボウスキ』のような作品の心の祖先的作品であり続けているのは、意外なことでもなんでもない。最低最悪の続編『ボールズ・ボールズ2/成金ゴルフマッチ』(1988)のことは忘れて、芝生が美しく、モグラが無敵で、最終的には全員がセックスして終わるシンプルな時代を思い出すようにしよう。まさにシンデレラ・ストーリーのような作品だ。JM
4位『レイジング・ブル』(1980)
マーティン・スコセッシ監督は前に一度「ボクシングのことは何ひとつわかっていなかった」と告白した。『レイジング・ブル』がボクシングというスポーツをここまで残酷かつロマンチシズムとは一切無縁に、そして魅力に欠けながらも説得力に満ちた実在のボクサー、ジェイク・ラモッタ(ロバート・デニーロ)を描いた理由はここにあるのかもしれない。モノクロで撮影し、ありのままの暴力を際立たせる革新的なファイトシーンを取り入れながら、スコセッシ監督は単なるボクシング映画を創っていたわけではなく、いままでの作品の連続として、男らしさが関わるすべての人を毒していく方法を探求した。伝記映画というよりは、リングに立つ(そしてその時の殺人本能を持ったまま家に帰る)男の心理学検査である同作は、アンチ・ロッキー作品でもある。道徳上の勝利もなければ、主人公は意中の女性を手に入れることもできないのだ。TG
3位『がんばれ! ベアーズ』(1976)
誰もがマイク・トラウトのような野球選手になれるとは限らない。私たちのほとんどはベンチの二軍選手として少年野球時代を過ごす——スコアよりも試合後のピザ・パーティを楽しみにしながら。たとえ酒飲みの独身男を演じるウォルター・マッソーが鍵っ子たちに「そうだ、いまは間違いなく1970年代なんだ」と叫ぶシーンがあるとしても、『がんばれ! ベアーズ』に時代を超えた魅力がある理由は、まさにこうした点にある。脚本家のビル・ランカスターと監督のマイケル・リッチーは、スポーツよりもほかのことで頭がいっぱいの子どもたちにプレッシャーをかける大人たちの姿をとらえている。だが、勝ち負けなんてどうでもいいと思っていた子どもたちとのあいだに芽生える絆もしっかり描いている。だからこそ、完璧なエンディングに仕上がっているのだ。不良少年ケリー・リーク(ジャッキー・アール・ヘイリー)よ、永遠なれ。NM
2位『ロッキー』(1976)
人々にとってロッキー・バルボアがレーガン時代の好戦的愛国主義を象徴するマヌケ野郎ではなく、労働者階級出身の哀愁漂う無名ボクサーの象徴だった時のことを覚えているだろうか? 『ロッキー』が第49回アカデミー賞(1977)で作品賞を受賞したのには、理由がある。その理由は次のとおりだ。『ロッキー』は、勝てる見込みがほとんどない、名優カール・ウェザース扮するヘビー級の世界チャンピオンのアポロ・クリード(敵といえども、心はある)相手に最後の勝負に挑む満身創痍のボクサーを描いた、驚くほどリアルで感性豊かな作品だからだ。あの情けない目と肉感的な唇、前のめりの姿勢、さらにはあの独特な話し方など、こうしたすべてから人間くさいボクサーの気高さが感じられる。第49回アカデミー賞で脚本賞にもノミネートされた当時無名のスタローンは、センセーションを巻き起こしたことだろう。それにスポーツ映画のシンボルを探しているなら、星条旗カラーをまとったアポロに何度も立ち向かう決意に満ちたロッキーの姿にまさるものはない。シジフォスの神話をアメリカンドリーム風に描いた瞬間だ。BE
1位『フープ・ドリームス』(1994)
製作者のスティーブ・ジェームズ、ピーター・ギルバート、フレデリック・マルクスのバスケ愛から生まれた『フープ・ドリームス』。当初、同作はストリートボールをプレイする少年たちを題材にした30分の短編ドキュメンタリーとして企画されていた。それがNBA選手を目指すウィリアム・ゲイツとアーサー・エイジーという2人の高校生の姿を追った3時間近い長編に仕上がった。ジェームズ、ギルバート、マルクスの3人の愛の結晶とも呼べるアメリカのドキュメンタリー史の金字塔である同作は、コートでのアクションとサスペンスが満載だ(映画史においてこれほどドキドキハラハラさせられるフリースローシーンは存在しないだろう)。それ以上に『フープ・ドリームス』は貧困、人種差別、思春期という、時にはスポーツが忘れさせてくれる日常的な苦しみに迫ったパワフルな作品でもある。TG
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