今年2月に2ndアルバム『Terra Firma』を発表したタッシュ・サルタナ。彼女が表紙を飾ったローリングストーン誌オーストラリア版のカバーストーリーを前後編でお届けする。
ここでは前編をお届け。自らの運命を果敢に切り拓いてきた彼女だが、その過程には多くの痛みが伴った。天才シンガー・ソングライターの知られざる葛藤とは?

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タッシュ・サルタナはツアー先でホテルにチェックインする時、宿泊者カードの敬称欄は「Dr」または「Professor」のどちらかを選択するようにしている。フロントからそう呼ばれると気分がいいからという理由だが、サルタナにとってそれは重要な意味を持っている。

「ジェンダーフルイドであることを、昔からずっと貫いてる」。サルタナは自身の性についてそう話す。「ミスター、ミス、ミセス……そんな風に人を定義づけることに、すごく違和感を覚える。男性はそうじゃないのに、既婚かどうかによって女性だけ敬称が変わるのは理解できない」

取材の前日、サルタナは完売となったシドニーのHordern Pavilionでの公演を成功させていた。公演の5週間前から続けていたスタミナ構築リハーサル(6時間ノンストップ)によって、サルタナが喉頭炎を発症し、開演前には普通に話すことさえ困難だったことを、会場にいたオーディエンスは知る由もないだろう。マネジメントチームは昨年11月に行われたショーのチケットを手にした幸運な1000人のファンに対し、公演中止のニュースをどう伝えるかについて議論していた。タッシュ・サルタナは普段なら3倍の規模の会場を完売させるが、COVID-19の感染予防対策として動員数が制限されていたこともあり、限られた枠を必死の思いで確保したファンは、当日のショーを心待ちにしていた。

黒のパンツと丈の長いオーバーサイズの黒のTシャツという服装だったサルタナが体調不良について告白したのは、公演中止の決定期限となる時刻をとうに過ぎてからだった。
ざらついたロングヘアをなびかせながら、サルタナはステージを駆け巡り、サイケロックやローファイなブルースなど、様々なジャンルを飲み込んだプレイスタイルを圧倒的なテクニックとともに見せつける。抑制などできるはずもないと言わんばかりに、サルタナは次々と楽器を持ち替えては4チャンネルのループペダルを駆使し、ステージライザーに飛び乗ってスタジアム級のギターソロを繰り出す。

メルボルンから貨物列車で運搬された総重量2トンに及ぶ楽器はすべて、計算され尽くした方法でサルタナのループステーションに繋がれている(そのセッティングの確立には2年を要した)。ショーの4週間前に、サルタナは同公演が(最近では聞き飽きた感もある)「1人バンド」という形態での最後のライブになることを発表した。今年発表された新作のパフォーマンスはこれまでとは大きく異なり、各公演の半分がパース出身のバンドメンバー3名を加えたバンドセットになるという。つまり、同公演はひとつの節目だった。

常につきまとったジェンダーの問題

その翌日、取材現場となったクッジーにあるマネージャーのDavid Ashの自宅の一室に、サルタナは声を発することなく足を踏み入れた。すでに圧倒的な存在感を放っているサルタナの隣で、フィアンセであるJaimieが腰を下ろした。「Know Your Rights」のプリントが施されたBrixtonのキャップ、Hard Rock Cafe Orlandoのランニングシャツ、ロング丈のライトデニムに白のレースアップシューズという出で立ちのサルタナは、筆者との対面から1分と経たないうちに、マネージャーの所有物であるカプリオレンジのテレキャスターを手に取った。

しばらくして、話題がボウリングに及んだ際に、サルタナは父親がプレイの最中に後ろにひっくり返った時のことを話し始めた。右腕を突き出して振り上げ、指が穴から抜けなくなっている彼の様子を真似てみせる。

話題が山火事とパンデミック一色となった1年の終わりが迫りつつあったその日、大きな一軒家の庭のパティオに腰を下ろしていた我々の頭上では、灼熱の太陽が照りつけていた。
当日は11月としてはシドニーにおける観測史上最高の気温を記録したが、サルタナはまるで気に留めていない様子だった。現在の話題は、常につきまとったジェンダーの問題に自分がどう向き合ってきたかということだ。

「(性別を区別しない)theyやthemっていう表現は気にならないけど、MissとかMaam、Queen、あるいはWomanって形容されるのは嫌だ。自分は単に『人間』だって感じてるから。ただそれだけ」。サルタナはそう話す。「他人に対しても同じ見方をしているつもり。誰もが同じだけの能力を持ち合わせてるということ」

約5年前、サルタナは自身のジェンダーに関する内容をFacebookに投稿したが、そのポストはほどなくして削除された。ファンだけでなく、自分のことを知らない人々とそのテーマについて議論するために必要な覚悟は、そう簡単に養われるものではない。「パーソナルなことは、ソーシャルメディアで共有する必要なんてない」サルタナはそう話す。

服装やメイクは、サルタナにとってアイデンティティの肯定手段の一つだ。メイクは気の向いた時にだけしているというが、当日はそうではなかったようだ。
2019年に、サルタナは正式にTaj Hendrix Sultanaに改名している。先日行われたZoomインタビューの際にも、画面にはその名前が表示されていた。

誰もが天才と認める音楽の申し子、タッシュ・サルタナの知られざる葛藤

タッシュ・サルタナが表紙を飾った、ローリングストーン誌オーストラリア版(Cover photo by Giulia Giannini McGauran (AKA GG McG) for Rolling Stone Australia)

「社会は人々を型に押し込めようとする」短く乱暴なハンドジェスチャーで、サルタナは苛立ちを表現してみせる。「それは人々に政治や宗教をめぐる議論を促し、一部の人々を疎外することもある。それってすごく馬鹿げてると思う、生まれ持った生物学上の性に典型的な服を着たくない人だっているんだから。気が向いたらそういう服を着るかもしれないし、何も着たくない時だってあるかもしれない。そういうシステムはもう時代遅れだし、くだらないと思う」

タッシュ・サルタナの意見は的を射ている。近年では、ジェンダーに対する偏見が存在する旧態然とした社会構造の見直しが必要だと考える人が増え続けている。多くの人々が、その明確な線引きは今日の社会に不要だと主張し、過去の狭義な価値観に縛られて苦しんでいる人々の存在について強調している。

いずれにせよ、外見はタッシュ・サルタナにとって重要ではない。自身の体を神聖なものとして扱うサルタナはステージに立つ前に、ウォーターセラピーやスチーミング、ライトセラピー、瞑想、エッセンシャルオイル、漢方薬草などを用いた3時間におよぶ儀式を欠かさず行っている。当日も漢方薬草のハーブティーが入った、再利用可能なステンレススチールの水筒を持参していた。
サルタナにとって肉体は大地との物理的接点であり、それ以上でも以下でもない。

「自分のことが信じられなくなっていた」

サルタナは今、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだ。楽曲のストリーミング回数は10億回を超え、世界中で行われるショーは軒並みソールドアウトだ。だが、ブレイクのきっかけとなった2017年発表のシングル「ジャングル」(2017年)、そして『Notion EP』(2016年)というダブルプラチナを記録した2作を発表する前から、サルタナは時に自信を喪失してしまいそうになると告白していた。完売となったシドニーでの公演を成功させたばかりの今日でさえ、サルタナは昨夜のオーディエンスがショーを楽しんでいたかどうかを、筆者に再三尋ねていた。彼らがソーシャルディスタンスを保ちつつ、席から何度も立ち上がって体を揺らしていたことを伝えると、サルタナは真剣な眼差しを向けてきた。

昨年の2月以来初めてのライブだったことを考えれば(13歳の時以来、それほど長いブランクを経験したことは一度もなかったという)、公演に対する反響を何度か確かめたくなるのはごく自然なことだろう。しかしサルタナは、何カ月も続いたCOVIDに起因する自身喪失の恐怖を克服したようだった。過酷なツアースケジュールから解放されたことに、サルタナは安堵さえ覚えているように見えた。過去4年間、スタジオでのレコーディングを除けば、スケジュールはツアー日程で埋め尽くされていた。それが突然白紙となり、影響がないはずはなかった。

「地中深くに堕ちていくように感じてた。
延々と続くツアーで疲れ切っていて、何もかもに対して敏感になり、悲しみを覚えてた」サルタナはそう話す。「自分の内面と向き合うのを怠っていたことに、その時初めて気がついた。自分のことが信じられなくなっていると感じた」

自己否定とも取れるその脆さは、先月リリースされた2ndアルバム『Terra Firma』のテーマでもある。「メイビー・ユーヴ・チェンジド」では、サルタナは弱さを曝け出している。胸を打つメロディーに乗せて紡がれる、「なぜもう信じてくれないのか」という言葉には思わず鳥肌が立つ。複数のシンクマネージャーが関心を示した同曲は、キャリアにおけるターニングポイントとなった。サルタナは、自分を信じなくなったのはファンではなく、自分自身であることに気付いた。

「自分のことが信じられなくなっていた」サルタナはそう告白する。「すべてを敵に回し、誰もが自分を憎んでいるように感じていて、自分には勝ち目がないと思った。でも、自分を嫌っていたのは自分自身だった。不可避な変化に気づいていながら、それに抗い続けてた」

誰もが天才と認める音楽の申し子、タッシュ・サルタナの知られざる葛藤

コロラド州レッドロック野外劇場でのタッシュ・サルタナ、2019年9月25日撮影(Photo by Dara Munnis)

サルタナは今でも、時には無意識のうちに、自身の脆さと痛みに向き合っている。「ついこないだ、夢の中で祖父に会った」サルタナはそう話すと、椅子にもたれかかった。
話に続きがあるのだろうかと考えていると、サルタナはこう続けた。「変な夢でさ。サソリと雪豹、それに黒豹が出てきた。サソリは自己嫌悪のモチーフで、自分の暗い部分を象徴してる。2匹の豹は陰と陽だよ」

「雪豹は自分にもっと優しくなる必要があることを示していて、黒豹はその逆のことを意味してる。この1年のせいで、持っていたはずの自信が失われてしまったことを指してるんだと思う。そこに祖父も出てきたんだ。昨日のショーの前に、そういう夢を見た」

成功が約束されていた「圧倒的才能」

普段の会話で耳にするサルタナの声は、歌っている時のトーンとは異なる。そばにある何かしらの物体に反射してから届くようなその声はフレンドリーで、典型的なオーストラリア英語だ。一方でサルタナの歌声は、まるで水のように聴き手の体に浸透していく。

タッシュ・サルタナの音楽は、必ずしも大衆向けだとは言えない。2018年発表のシングル「ブラックバード」はほぼインストゥルメンタルであり、「ジャングル」では冒頭から2分の時点まで歌が入らない。それでも、10億回以上の再生回数とコーチェラへの出演は、その音楽がメインストリーム級の成功を収めていることを示している。サルタナの目的は世界的に有名なることではなく、ただミュージシャンとして生計を立てていくことだったが、自分が才能に恵まれていることはどこかで自覚していた。サルタナの友人で盟友でもあるジョシュ・キャッシュマンは、初めて会った時にその圧倒的な才能に驚かされたという。

「The Espyでのタッシュのパフォーマンスを観た瞬間から、素晴らしい未来が待っていることを確信してた。世界がタッシュに魅了される日が来るであろうことを、僕は信じて疑わなかった」ビクトリア州ギップスランドにある自宅から、筆者とのZoomインタビューに応じてくれたキャッシュマンはそう話す。「周囲の人々と同じように、タッシュ自身もそう感じていたと思うよ」

キャッシュマンとサルタナは、2014年にメルボルンのセント・キルダで出会った。The Espyで毎週火曜の夜に行われていたイベント「Brightside」では、20ドルのギャラと半額で提供されるステーキを条件に、毎回5組のアーティストが出演していた。そのパフォーマンスを観たキャッシュマンは、サルタナにハグをせずにはいられなかった。「言葉にならなかったんだよ」彼は笑顔を浮かべてそう話す。深く物事を考える点が共通していたサルタナとキャッシュマンは、すぐに良き友人同士となった。サーフィンやスケート、ジャムセッションに興じていた両者は、一緒にツアーを回ったこともある。2人は現在でも、週に1度は必ず話しているという。

誰もが天才と認める音楽の申し子、タッシュ・サルタナの知られざる葛藤

RBC Echo Beach Torontoでのタッシュ・サルタナ、2019年5月31日撮影(Photo by Dara Munnis)

「タッシュは成功を収めてからも、それを鼻にかけるようなことはなかった」キャッシュマンはそう話す。「人は有名になるとエゴイスティックになりがちで、『誰に向かって口を聞いてるんだ?』なんて言ったりする。でも時間が経つにつれて、タッシュはむしろ謙虚になってる」

キャッシュマンとサルタナは、2014年に「More Than I Should」を共作し、YouTubeで公開した。パートナーとの別れをテーマとしていた同曲を、サルタナは『Terra Firma』のセッションでアレンジし直し、それぞれマイクを手に持った2人は向かい合う形でハーモニーをレコーディングした。2人で話し合った結果、同曲は「ドリーム・マイ・ライフ・アウェイ」に改題された。

※後編に続く

From Rolling Stone au.

誰もが天才と認める音楽の申し子、タッシュ・サルタナの知られざる葛藤

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