「マイナーなピクサー」とは、少しばかり含みが過ぎるフレーズかもしれない。ピクサーはこれまで何度もアニメーション映画の存在を進化させてきた。そして過去四半世紀に渡って、アニメ作品の映画としてのポジションを高め、物語の感情を深めながら、最高傑作を数多く排出してきたわけだ(シリーズ化された映画『カーズ』もピクサー作品で、誰もが不完全で、慈悲深い神は神話というのがコンセプトだ)。ピクサー最新作『あの夏のルカ』はこれまでの作品とは一線を画している。イタリア版リトル・マーメイドとも言えるこの作品、『インサイド・ヘッド』ほどの大きなイマジネーションはなく、『トイストーリー』の子供らしい純真さの終焉の重要性を説くこともなく、『ファインディング・ニモ』ほどのウィットと物悲しさもない。これらの作品に比べて、描かれている出来事も格段に控えめで、監督エンリコ・カサローザにとって非常に私的な友情物語でありながらも、海辺でゆったりと過ごす午後の雰囲気に似た作品である。良いのか、悪いのか分からないって? この最新のおとぎ話に関しては同じような感想を聞く機会が増えることと思う。
喜びに溢れた青春の謳歌、未知の世界への憧れ、ホームメイドのタリアテッレをたらふく食べたあとで石を敷き詰めた裏道をベスパで疾走するめくるめくスリルを、単純に「アニメーション映画の巨匠が手掛ける二流作品だから」と片付けるのは間違いだろう。この映画は斬新さを排除した中に物悲しさが存在する。これは偉大なピクサー作品すべての真髄とも言える「何かを求める痛み」と同質で、そのまま絵葉書に使えるほど明るい風景と相反する筋書きの裏側で、微かな音を立てながら存在を示している。この作品を見る側は、憧れが溢れ出したときのあの感覚を実感するために、過保護な両親の監視のもとで暮らしているルカほど大人である必要はない。その後の人生を一変する夏の日も要らないし、知らないことを教えてくれる年上の子どもとの出会いも必要ないし、いじめっ子の象徴エルコール・ヴィスコンティにいたぶられて苦しむ必要だってない。
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そう、ルカはシー・モンスター。イタリアのある漁村のすぐ近くの海中に住むウロコのある魚族のコミュニティの一員だ。陸で生活する人間は、船に乗っていると横を泳いで通り過ぎるシー・モンスターをときどき目撃する。一方、人間と対峙するときに備えてシー・モンスターの多くがモリを持ち歩いている。そんな状況でも、ルカはアメリカのいとこ?「リトル・マーメイド」アリエル同様に、人間世界を経験してみたい。ある日、偶然ルカは仲間のシー・モンスターが陸に向かって泳いでいくのを見てしまう。そのシー・モンスターはいきなり海中から飛び出し、陸に着地すると魔法のように人間の少年へと姿を変えるのだ。そのシー・モンスターは、アルベルト。ルカは自分もその魔法が使えることに気づき、海と陸の境界線を超えると人間の少年へと変身できると知る。さらに、変身の先輩であるアルベルトは、人間らしく振る舞うコツや、小石でガタつく丘から自家製スクーターで駆け下りて、崖から海へ飛び降りるスリルも教えてくれる。すぐに二人は近隣のポルトロッソという港町に向かい、レースでの優勝を狙うのだが、ここでアルベルトの夢、本物のベスパを持つことがあらわになる。
これらの要素の多くが衝突し合い、寛容さへの口実が数多く語られ、特定の観光地の宣伝のようなシーンが続くため、この作品は大なり小なり物語の網目に絡まってしまいがちだ。しかし、物語の焦点がシー・モンスターの少年二人の友情に当たった瞬間、そんな些末な事実はすべて消え去ってしまう。そして、この少年二人がともに過ごす時間と彼らの友情の儚さに夢中になり、この作品のストーリーの真髄を感じ取り、結果として静かに悲しむことになる。
カサローザ監督のオスカーノミネート作品『少年と月』を見たことのある読者なら、この監督が子供らしい不思議さが同居する絵本的なイメージ作りに長けていると知っているだろう。彼のその手腕はここでも発揮されており、あざだらけの地中海の夜明けから始まり、さまざまな種族が一同に介して食事をする温かいシーンでクライマックスを迎える。しかしながら、ロマンス映画の王道を、優しく、優雅に、そして効果的に織り込みながら物語のクライマックスへと導くカサローザの手腕は何にも増して素晴らしい。断続的な高揚感とがっかりする既視感というアップダウンに翻弄される90分間を過ごしたのち、突然、この友情物語が、実はほろ苦く斬新なおとぎ話だと気づく瞬間が訪れる。そしてこの瞬間、この映画はマイナーではなくなるのだ。
『あの夏のルカ』

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配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
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