LOW IQ 01の青春時代「音楽人生の中で一番熱い1992年」
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LOW IQ 01のインタビュー連載企画「イッチャンの青春時代」。1991年を振り返った前回に続き、第10回は「1991年編」。イッチャンが過ごした1992年とは? 当時の世相とともに語り尽くします。

ー第10回目は1992年です。何か印象的な出来事はありましたか?

92年って結構いろいろなことがあって大事な年なんだよね。毎回「この年が今の原点である」って言ってきたけど、1992年はかなりでかい。APLLOSには先に入ったアイゴンに誘われて参加していて、自分のバンドという感じでもないし、当時最年少だった。前回話したように、ちょうどミクスチャーブームでAPLLOSのやりたい方向性が変わってきちゃって、メンバーが全員抜けたんだよね。解散はしなくて、ボーカルはそのままAPLLOSを続けて、後にSUPER STUPIDのジャッキーが入ったことで、知り合いになったわけなんだけど。92年はAPLLOSを辞めて、新しいバンドを組んだ。それがアクロバットバンチだったんです。

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ーイチさんにとって、SUPER STUPID序章の年だったんですね。

アクロバットバンチは当時21歳の勢いがある時に、アイゴンとかと「新しいことやらない?」って言って、「ミクスチャーの天下とろう!」みたいな熱い感じで結成したんだよね。92年に初めてアクロバットバンチで『SHAK A MOVE』というオムニバスアルバムに「烏合の衆」という曲で参加して。COOL ACID SUCKERSやABNORMALSだったり、4人時代のHi-STANDARDも参加していて、それがきっかけで知り合った。アクロバットバンチの初ライブが92年の5月で、正式メンバーが4人なんだけど、最初の頃は6人いて。それこそ、EL-MALOの柚木さんがが最初はトロンボーンで参加してた。ベーシストもちゃんといて、俺は結成した当初はボーカルとサックスで。それで、柚木(隆一郎)さん的に俺たちの音楽があまりにも激しすぎたんだろうね。1回目のライブで脱退した。ベースは自分のバンドをやるから辞めて、メンバーがちょっとソリッドになったから、そこで俺がベース・ボーカルをやるんです。