関連記事:Broken Kangarooが語る、”架空のサントラ”からスタートした生きるための音楽制作
ー1994は、日野ハイリさんと金井さんが宅録プロジェクトとして活動開始したそうですね。
2021年3月に始めたんですけど、僕も日野も全然DTMがわからない状態から、使い方を学びながら最初に作ったのが「夜歩く」なんです。作曲もそのときに初めて挑戦したんですけど、時間をかけて完成させることができたので、せっかくならMVを作ろうと思って、自分たちの持っている一眼レフで撮影してYouTubeに投稿しました。
ー1曲作ってすぐにMVを作ったわけですか。
そうなんです。というのも、曲を作ってライブをやったとしても、その後にみんなが聴けるものがないといけないなと思って。有名なライブハウスに出るとしても、名刺代わりにMVが1つあれば話が早いなと思ったんです。
ーボーカルの日野さんとは社会人のバンドサークルで出会ったそうですが、一緒にやろうと思った決め手はどこにありましたか。
日野はオリジナル曲のバンドが未経験だったんですけど、初めて会ったときにサークルのみんなでカラオケに行ったらものすごく歌が上手くて。僕らは今、きのこ帝国とか羊文学に影響を受けてやっているんですけど、そっちのジャンルでやれば、彼女のトータルバランスを考えたらウケそうだなと思って、声をかけたんです。
ーそこから、2人でDTMを覚えつつ曲作りをしていったんですね。2021年3月からということはコロナ禍の真っ只中ですよね。
そうなんですよ。ライブをやることにも賛否両論があったので、DTMで曲作りをするのが一番誰の反感も買わずに、自分たちのスキルアップにもつながると思って、リモートとか直接会って話したりしながら、進めて行きました。僕は作詞と歌のメロディが作れないんですけど、日野はメロディと歌詞が作れたので、お互いができないことを補い合いながら作っていきました。最初の2曲は、日野がメロディとコードだけを持ってきて、僕がインスピレーションで組み立てていく感じで作り直したりしていました。
ーその2曲が「夜歩く」と「深呼吸」ですね。「深呼吸」もMVがありますけど、もともと映像も詳しかったんですか。
僕が、自分たちで映像を撮っているバンドが好きだったんです。詳しくはないんですけど、「夜歩く」みたいな曲だったら、カメラがブレているのもエモい感じになるかなと思って(笑)。試しに1曲撮ってみたのが最初です。
ー「深呼吸」のMVがKANA-BOON の谷口鮪さんにTwitterでつぶやかれたそうですね。
そうですね。鮪さんにリプライしたら拾ってくださって。それでKANA-BOONのファンの方やバンドをやっている方とかの目に留まってくれたみたいです。
ーその頃は、2曲以外にも曲があったのでしょうか。
いや、2曲だけです(笑)。そこでライブのオファーがめっちゃ来るようになっちゃって、「あ、ヤバい!」って焦りました。ライブは結成半年後ぐらいに下北沢 BASEMENTBARでやったんですけど、なんとか出れるようにしたくてそこで急遽3曲作ったんです。「深呼吸」を作っている段階で、仲の良かったベース(桶)とドラム(安藤嘉基)に聴いてもらってアドバイスしてもらったりしていたんですけど、改めて声をかけて加入してもらいました。
ーそこから1994というバンドになったんですね。バンド名の由来とか数字の意味を教えてもらえますか。
僕と日野が同い年で、1994年生まれなんです。バンド名を決めるときに、単純に数字ってライブハウスで目立つかなと思って。
ー海外にも発信したいということですね。曲を聴くと、ノイズ、シューゲイザー的な要素もありますけど、これは金井さん自身の好きな音楽が反映されているんですか。
そっち寄りの曲を作っていこうと思ったんですけど、実験としてのEPにしたかったというか。僕ら自身、これからどういう音楽をやっていくかわからない部分もあるんです。どういう曲がお客さんに一番ウケるかなと思って、ある程度いろんなジャンルを入れたつもりではあります。リスナーの方の反応を見て、「じゃあこのジャンルで攻めよう」って考えて作ったEPです。
ーEPのタイトル『陽が沈んで、夜が明けて』を見ると、その間にある夜に思ったことを描いている曲たちなのかなと思ったのですが、そこはいかがですか。
歌詞は日野が書いているんですけど、人生とか自分が普段考えていることを歌詞に表現したいということをずっと言っていて。例えば「深呼吸」の曲調は結構明るいんですけど、歌詞だけ見るとあんまり明るくなくて。たぶん、彼女が生きる上での苦しさとかが全部入ってるんだと思います。歌詞に関しては、彼女の心のままに書いてもらっています。
ー「深呼吸」はわりと淡々と歌っている中で、〈私だって悲しみの中で生きていたいわけじゃない〉という箇所でちょっと強めに自己を出してくるところがすごく耳に残りました。こういう日野さんの世界観というのが、金井さんが魅力を感じたところなんでしょうか。
日野は普段、明るい感じなんですけど、仲良くなってくると、結構苦しいこともあるんだろうなということがわかってきて。僕も最初、そこの歌詞が引っかかっていて、「ここは本当にこれでいいの?」って訊いちゃったことがあるんですよ。でもこれでいきたいと言うので。そこの部分が、「深呼吸」で彼女が一番伝えたかった部分かもしれないですね。
ーそういう日野さんが作る歌詞やメロディが、金井さんに影響を与えているところはありますか。
悲しく聴こえる歌詞でも、「でもなんとか立ち上がろう」という風に感じたので、僕は包み込むような、歌詞に寄り添ってあげるようなリフやサウンドにしてあげたいなとは思っています。
ー1曲目の「澱み」は、通して聴いたときに「あ、これを1曲目にしたんだ」っていうインパクトがあるというか、世界観が徐々に破綻していくような印象も受けたんですけど。
ははははは(笑)。EPには6曲入れようと思って作っていたんですけど、6曲目がまったくできなくて。もう何も考えずに好き勝手やって僕が目立つ曲にしちゃおうとして、「澱み」ができたんです。
ーその分、印象には残りますね(笑)。もともと「mother」を1曲目にしようと思っていたのは、ライブでオープニング曲にしたかったんですか?
そうなんです。最初は、手嶌葵さんの「テルーの唄」(『ゲド戦記』挿入歌)みたいな曲にしたくて。最初にアカペラで始まるんですけど、すごく綺麗で大好きな曲なんですよ。どんなジャンルのアーティストと対バンで勝負しても、こういう曲を一番最初にやれば自分たちの世界観に持っていけるだろうなと思っていて。それで作ったのが「mother」なんです。
ー「mother」もそうですけど、すごく空気感を大事にした6曲だと思います。そこは日野さんの歌を最大限に活かすことを考えた結果、こうなっているんですよね。
やはり歌を一番念頭に置いています。あんまり難しいことをやるのはこのバンドのやることじゃないかなと思っていて。 曲を作ることを考えたら、別に無理してリフを弾かなくても、コードだけでいいんじゃないかなって思っています。その分、ギターでもエフェクターを駆使して音作りにこだわっています。
ー「開花」は、アコースティックギターに単音のフレーズが乗ったアレンジで、EPの中では一番、金井さんのギタリストとしての志向も見える気がします。
たしかにそうですね(笑)。「開花」はもともと最後の曲にしようと思っていて、ライブの最後みたいな空気を出したかったんです。アコギのサウンドが一番ハマった感じで、全体的にも新しい風が吹くかなと思って作ってみました。
ーEPが完成して、どんなことを感じていますか。
お客さんに聴いてもらったら、みんな好きな曲がバラけていて、良い意味で思っていたのとは違った反応があったんです。今はVaundyみたいな、いろんな曲を作れる人がウケていると思っていて。今後はそういう音楽ができないとダメなんじゃないかなと僕は思っているんです。そういう意味で、今回の6曲はそれぞれ違った曲が出来たと思っています。
ー多くのバンドが活動している中で、1994として今後はどんな活動を目指したいですか。
1994はみんなの意見で動いているので、長い目で見たらどうなっていくかわからないですいけど、僕は一生音楽をやりたいですし、メジャーで活動することを目指していきたいです。
<リリース情報>

1994
1st EP『陽が沈んで、夜が明けて』
発売中
=収録曲=
1. 澱み
2. utp
3. 夜歩く
4. 深呼吸
5. 開花
6. mother
『陽が沈んで、夜が明けて』配信ストアリンク:https://linkcloud.mu/2caa983f
1994 公式Twitter:https://twitter.com/1994_band