【写真を見る】「オルタモントの悲劇」で観客を叩きのめす瞬間
ヘルズ・エンジェルスは50年代後半から60年代中期にかけて、当時は麻薬の密輸に深く関わり、警察官から反戦デモ隊まであらゆる人々とひと悶着起こすことで有名だった。社会のはみ出し者としてスタートしたが、ハンター・S・トンプソンのゴンゾー・ジャーナリズム処女作『ヘルズ・エンジェルス』が1967年に出版されると、世間の注目を集めた。
「ハンターは俺たちの仲間としてふるまおうとしたわけじゃないと思う。奴には俺たちと住む世界が違うことがつねにわかっていた。中には俺たちの仲間だと勘違いする奴もいるが、そういう奴に限ってトラブルに巻き込まれる」。2007年にローリングストーン誌とのインタビューでバーガー氏はこう語った。
通称「ソニー」ことラルフ・ハバート・バーガー氏は、本の中でも大きく取り上げられた。トンプソンが1年にわたってバイク乗りと過ごした経験を記録したこの本は、暴力沙汰や性的暴行の描写もありながら、ならず者のバイカー軍団の生活を「魅力的」に描ききっていた――「奴は俺たちを、実際の姿よりも美化した」と、バーガー氏はローリングストーン誌に語った。
だが、文化的な人気は短命に終わった。1969年12月6日、ヘルズ・エンジェルスは暴力事件の渦中に立たされた。ローリング・ストーンズ主催のオルタモント・フリー・コンサートで、コンサートの非公式な警備係を務めていたヘルズ・エンジェルスのメンバーと観客が衝突し、観客の1人メレデス・ハンターさんが刺し殺されたのだ。ハンターさんはヘルズ・エンジェルスのメンバーの1人に銃を突きつけた、とバーガー氏は主張した。事件の様子はローリング・ストーンズのドキュメンタリー『ギミー・シェルター』にも収められた。
バーガー氏は、悲劇が起きたのは観客がクラブのバイクを破壊し始めた後だったと言い張った。「俺だってやりたくはないが、根が乱暴者なんでね」とバーガー氏。「俺は警官じゃないし、取り締まるつもりは毛頭もない。ただ言われた通り、ステージの前に座って、ビールを飲みながら楽しくやってただけだ。だが、あいつらが俺たちのバイクを蹴り始めたもんだから、おっ始まったんだ」
「ミック・ジャガーは俺たちをカモにしやがった」と、事件の後バーガー氏は不平を漏らした。「俺が知る限り、俺たちはあの間抜け野郎に誰よりも心底のぼせていた」
「俺は自分が生きたい世界に生きる」
ほどなく司法の手がヘルズ・エンジェルスに伸び始めた。
出所したバーガー氏はヘルズ・エンジェルスのトップに舞い戻ったが、その後も法的なトラブルは続いた。1987年には13人のメンバーとともに、麻薬、武器、共謀、爆発物所持の罪で逮捕され、さらに4年間服役した後、1992年に出所した。
ここ数十年はヘルズ・エンジェルスとの関わりを続けつつ、相変わらず法的トラブルで世間を賑わせていたが、作家としても話題を集めた。大作『Hells Angel: The Life and Times of Sonny Barger and the Hells Angels Motorcycle Club(原題)』をはじめ、バイクをテーマにした本を少なくとも6冊出版し、アウトローなバイク軍団の偉業をもとにしたTVシリーズ『サンズ・オブ・アナーキー』にも度々出演した。
「前にも言ったが、あらためて言わせてもらおう」 ヘルズ・エンジェルスの裁判沙汰にメスを入れたローリングストーン誌の1972年の記事によれば、バーガー氏は記者に対してこう語っていた。「俺は自分が生きたい世界に生きる。世の中の連中は誇れるようなことを何もしやしない。とっ散らかした状態にするばかりだ」
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