数多の疑惑やバッシングにも関わらず、米人気プロデューサーのドクター・ルークはなぜトップの座に返り咲くことができたのか?

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2014年7月、大物ソングライター兼プロデューサーとして知られるドクター・ルークことルーカス・ゴットワルドは、お気に入りの職場のひとつであるハリウッドのコンウェイ・レコーディング・スタジオの廊下を行ったり来たりしながら、プレッシャーとの闘いと成功について思いを巡らせた。本人の言うところによると、アーティストを陰で支えるヒットメーカーとして、アーティストよりもそうしたプレッシャーに多くさらされてきたという。
当時ゴットワルドは、本誌のインタビューの未公開部分で「アーティストは何かとプレッシャーについて語りたがるけど、私はソングライター兼プロデューサーとして、日常的にプレッシャーにさらされている。毎日が『よし、この曲はヒットした。次はどうやってこれを超えよう?』の連続なんだ。失敗と破滅への恐怖に押しつぶされそうになるよ。でも、これは特別なことではない。創作プロセスの一環だから」と語っていた。
その背後では、米人気オーディション番組『アメリカン・アイドル』の初代優勝者ケリー・クラークソンの「Since U Been Gone」(2004年)にはじまる、10年にわたるヒット曲のオンパレードが、あるスキャンダルによって終わりを告げようとしていた。

ゴットワルドの独創的な才能と並外れた粘り強さを疑う人はほとんどいない。だが、その人となりとなると、どうやら話は別のようだ。インタビューの数カ月後、ゴットワルドは激しいバッシングの真っただ中にいた。かつての秘蔵っ子シンガーのケシャに訴えられたのだ。ケシャは、2005年に自身のプロデューサーを務めていたゴットワルドに薬物を飲まされレイプされたとして、2014年10月にゴットワルドを提訴した。
さらには体型批判によって重度の摂食障害になったとも主張したが、ケシャにとって不利な一連の判決が下されたことで2018年に裁判はこう着状態に。性的暴行疑惑の真偽が明らかになることはなかった。対するゴットワルドは名誉毀損でケシャを訴え、契約解除のために性的暴行という嘘をでっち上げたと主張した(その後、事態はさらにエスカレートし、ケシャはゴットワルドがケイティ・ペリーをレイプしたというメールをレディー・ガガに送ったと主張。最終的には、ゴットワルドに対する名誉毀損が認められた)。それからさらに月日は流れ、今年の6月27日に9年にわたる法廷闘争は示談というかたちでようやく幕を下ろした。

ふたりが合同でSNSに発表した「示談の声明」でケシャは、「あの夜何が起きたかは、神だけが知っています。
以前から言い続けてきたように、あの夜に起きたことを何から何まで細かく説明することはできませんから」と綴った。対するゴットワルド側の弁護士のクリスティーヌ・レペラは、この声明によって「ゴットワルド氏にかけられた性的暴行疑惑が晴らされた」と報道陣にコメント。ケシャの声明に続いてゴットワルド本人は「私は、あの夜に何もなかったという絶対的な確信を持っています。ケシャに薬を飲ませたり暴行を加えたりしたことは一度もありませんし、誰に対してもそんなことはしません」と添えた。示談に持ち込まれた要因としては、ゴットワルドが社会的な影響力を持つ公人と判断され、それが裁判に不利に働くと本人側が予想したことが考えられる。だが、判決文の言い回しからはゴットワルド寄りの判決(長期的な交渉によってゴットワルドが勝ち取ったものであることは明白)が下されたことは誰が見ても明らかだ、と弁護士のスーザン・クルミラーは指摘した(クルミラー弁護士は本件には関わっていない)。


「催眠術で人を操るスヴェンガリとヒロイン」

貪欲にヒット曲を消費し続けるポップ・ミュージック界では、どんなスキャンダルもすぐに忘れられてしまう。それを示すかのように、事実上の勝利判決よりもはるか前に、ゴットワルドはポップ・ミュージック界の中心的人物として返り咲いていた。性的暴行疑惑をはじめとする複数の疑いにも関わらず、新たな成功をつかんでいたのだ。ケシャの体型を批判したこと(ゴットワルド本人は否定)に加えて、アーティストを束縛するという噂は絶えず、「誰に対してもサイテーな人間だった」と某売れっ子ソングライターが言ったように、ゴットワルドの評判は決して良いものではなかったようだ。それでも「彼は勝ち続けた」と、さまざまなプロデューサーやソングライターと仕事をする某エグゼクティブ(本記事でインタビューしたほかの情報提供者同様、この人物もゴットワルドの権力と影響力を恐れて匿名を希望)は指摘し、「信じられないことにね」と言い足した。

昨年だけでもゴットワルドの活躍は目覚ましいものだった。
ソングライター兼プロデューサーのひとりとして参加したニッキー・ミナージュの「Super Freaky Girl」は、ビルボードのシングルチャートの1位にランクインしてスマッシュヒットを記録。ラトーの「Big Energy」は3位に輝き、複数回にわたってドージャ・キャットのプロデューサーを務めた。これらのヒット曲とその他数多の成功により、5月には米国作曲家作詞家出版者協会(ASCAP)より「ポップ・ミュージック・ソングライター・オブ・ザ・イヤー」を受賞。この賞はグラミー賞のように主観が反映されるのではなく、楽曲の総再生数によって受賞者が決まる。要するに、ゴットワルドは2022年でもっとも再生された楽曲を手がけたソングライターだったのだ。

ケシャの訴えによってゴットワルドに対する世間の怒りがピークに達した2016年、彼のメインストリームへの復帰は難しいだろうと誰もが思った。
彼と交わした契約のせいで他のプロデューサーと自由に仕事ができないというケシャの主張は世間から支持され、ケシャの経験は「催眠術で人を操るスヴェンガリとヒロイン」に象徴される、薄気味悪い搾取の構図のシンボルとして同情を誘った。アデルはブリット・アワードのスピーチでケシャに言及し、レディー・ガガ、フィオナ・アップル、ジャック・アントノフもネット上で支持を表明した。テイラー・スウィフトに至っては、支援金として25万ドル(約3660万円)を贈った。まさに「#freekesha」の時代だった。

ピンクは、2017年にニューヨーク・タイムズ紙に「ドクター・ルークがケシャに性的暴行を加えたかどうかはさておき、自業自得だと思う。あの人は善人じゃないから、こんなことになったの」と語った。誰よりも声を大にしてケシャを支持するケリー・クラークソンは、ゴットワルドは「尊大で人を見下す」と2017年に法廷で証言している。さらにクラークソンは「私が知る限り、彼のことが好きな人はひとりもいません」と言い足し、自身がかつて所属していたレコード会社、RCAレコードの社員から「女性社員はみんな、あの人と仕事をするのを嫌がっている」と聞かされたことを明かした。2018年に本誌のポッドキャスト番組『Rolling Stone Music Now』に出演した際は、2009年にゴットワルドと再タッグを組む可能性が浮上するや否や、「電話口でマネージャーに嫌だと泣き叫んだ」と告白した(これについてクラークソンの代理人はノーコメント)。

2015年から2018年にかけてバッシングの嵐が吹き荒れるなか、ソングライター兼プロデューサーとしてのゴットワルドのキャリアは終わったかのように思えた。スキャンダル前の2013年だけを見ると、ゴットワルドはブリトニー・スピアーズや長年のコラボレーターであるケイティ・ペリーをはじめ、シャキーラ、ニッキー・ミナージュ、マルーン5などのそうそうたるアーティストと仕事をしてきた。だが、提訴された2014年以降はジェニファー・ロペスやファーギー、ミナージュとの数曲を除いて、女性のトップアーティストを手がけていない(レコーディング当時、ロペスはゴットワルドが関わっていることを知らなかった。ファーギーとの仕事は提訴される前だった)。ゴットワルドはペリーの「I Kissed a Girl」(2008年)から「Teenage Dream」(2010年)に至るまでのヒット曲の共同プロデューサーを務めたが、2013年以降のアルバムのクレジットにその名前はない(これについてペリーの代理人はノーコメント)。

自ら築き上げた巨大ビジネスで成功

ゴットワルドを心よく思っていないのは、ピンクやクラークソンだけではない。「彼が負けるところを見たいかと訊かれると、ぜひ見てみたい」と、先ほどの売れっ子ソングライターは言った(本誌はドクター・ルークの代理人に何度かコメントを求めたが、返信は得られなかった。ドージャ・キャットの代理人もノーコメント)。

ゴットワルドは、ソングライター兼プロデューサーとしては異例の知名度——『アメリカン・アイドル』の審査員になりかけたほど——を誇っていたが、裁判沙汰によって表舞台を降りることになった。だが、第一線から退いたあとも自ら築き上げた巨大ビジネスは回り続けた。ゴットワルドが立ち上げた音楽出版社、Prescription Songsは「トップライナー」と呼ばれるメロディメイカー、プロデューサー、ビートメイカー、アーティスト、「ヴァイブスの担い手」なる多彩なソングライターたちと契約を交わし続けたのだ。また、ソニーがディストリビューションを担うレコード会社、Kemosabeの所有者であることに変わりはなく、Tyson TraxやMade in China名義でプロデューサー業を続けた。

性的暴行疑惑のヒットメーカー、米音楽業界での輝かしい実績と「黒い噂」

6月27日にドクター・ルークとケシャの間で示談が成立。ふたりはSNSに共同声明を投稿した。MARIO ANZUONI/REUTERS/REDUX

裁判中もゴットワルドの音楽出版社は伸び続け、いまでは業界屈指のポップソング工場へと成長した。ビルボードのチャート入りを果たした楽曲をもとに音楽出版社をランキングする「2022 Year End Hot 100 Publishing Corporations」の7位にランクインするほどの盛況ぶりだ。デュア・リパやリゾ、ザ・ウィークエンド、セレーナ・ゴメス、イギー・アゼリア、トロイ・シヴァンをはじめ、数多の人気アーティストの楽曲には、ゴットワルドがクレジットされている。現代のポップソングづくりにおいては、複数のソングライターやプロデューサーが一度も顔を合わさずにひとつの楽曲に携わるのはよくあることで、その中の誰かがPrescription Songsに所属している可能性は高い。「この世界では、Prescription Songsと契約していない人と仕事をするのは不可能です」とロサンゼルスが拠点の某ソングライターは言う。「石を投げれば当たると言えるくらい、Prescription Songsのソングライターやプロデューサーは至るところにいますから」。ゴットワルドとも仕事をしたことのあるこの人物は、「合体ロボのようにソングライターやプロデューサーを集めてチームを作る」というビジネスモデルの確立者のひとりがゴットワルドであると指摘し、「それは暴力的なまでに商業的なレンズを通したクリエイティブプロセスでもある」と語った。

プライベートでは、ゴットワルドは世間からの逆風に対して無関心な様子だった。これについて某ソングライターは「自信に満ちあふれた印象を受けた」と語る。「心配していないというか、そんなことには興味がないといった感じですね。弁護士もたくさんいますし。自分は無敵だと思っているのではないでしょうか。実際、今回のことで彼の名声には大きな傷がつきましたが、『それでも自分が音楽業界を回しているんだ』と思っている気がします」

ゴットワルドの自信満々な態度を裏打ちしているのが、その莫大な財産だ。ソングライター兼プロデューサーの道を歩みはじめて10年が経った2011年初頭には、「一生分稼いだ」と語っていたほどだ。ゴットワルドの弁護士によると、ロイヤリティによって稼いだ金額は7780万ドル(約114億円)だ。2015年にはハワイに豪邸を購入し、そこにアーティストやソングライターを招いている。2018年には、共同創業者である飲料会社、CORE Nutritionを大手飲料会社のキューリグ・ドクター・ペッパーに5億2500ドル(約770億円)で売却。「『ハワイには豪邸があるし、プライベートジェットで移動できる身だ』とでも思っているのでしょう」と某ソングライターは言った。

スキャンダルによって名だたる女性アーティストから避けられる存在となったゴットワルドは、新しいアーティストとの仕事を増やしていった。Prescription SongsとKemosabeというふたつのレコード会社と各々のスカウトチームは、新人アーティストを引き込むための強力なツールとなった。「そもそもソングライターやプロデューサーは裏方の仕事ですから、人知れず復帰することは大いに可能だと思います」と、さまざまなプロデューサーやソングライターと仕事をする某エグゼクティブは指摘した。

ヒップホップとR&Bに再注目

干され状態となったゴットワルドは、ヒップホップとR&Bに再注目した。ポップスよりも厳しい目にさらされずに済むと思ったからではないか、と某エグゼクティブは推測する。「ヒップホップは、彼にとっての安全地帯でした」とその人物は指摘し、一部のZ世代アーティストの記憶からケシャとの件が薄れつつあったことも有利に働いたと言い添えた。2020年には、Too Shortのサンプリングをドロップしたスウィーティーの「Tap In」を単独プロデュース。シングルチャートの20位にランクインした。その後スウィーティーは、制作中はドクター・ルークが何者かまったく知らなかったと主張した。「私はまだ未熟者だから」とVulture誌に語り、「未熟さは、諸刃の刃のようなもの。スタジオ入りしても、そこにいるのは知らない人たちばかり。あの人の功績や疑惑を知ったのは、2回ほどセッションを重ねてからだった」と明かした。

同年、ジュース・ワールドの遺作となったアルバム『Legends Never Die』に収録されたシングル「Wishing Well」が5位にランクインした。これもドクター・ルークの作品だ(もうひとりのプロデューサーはChopsquad DJ)。過去10年間にゴットワルドと仕事をした経験のある某ソングライター兼プロデューサーは、「彼は、何らかの方法でいつも時代を先回りする。だからこそ、あそこまで多作なんです」と語った(本誌の2011年のインタビューの未公開部分でゴットワルドは「同じことは絶対に繰り返してはいけない(中略)同じトリックは2回使えないから、必然的に変化を迫られるんだ」と語っていた)。

ゴットワルドは「雇われヒットメーカー」で満足するような人物ではなかった。本当のねらいは、アーティストを支配することだった。確かに、ケイティ・ペリーの成功の立役者のひとりとしてデビュー当初から彼女を支えてきたが、自力で生み出した最初のスーパースターはケシャだった。そこに14歳のベッキー・Gが続くはずだったが、ゴットワルドの庇護下の7年間でシングルを数枚リリースしたにも関わらず、リリースしたアルバムはたった1枚とブレイクに時間がかかった。「ゴットワルドがアーティストを自分の所有物であるかのように扱うのは有名な話です」と某シンガーソングライターは言った。

2012年にゴットワルドは、リリースを控えていたケシャの2ndアルバム『Warrior』に対する意気込みを次のように本誌に語っていた。「このアルバムには、ケシャと同じくらい強い思い入れがある。このプロジェクト全体に愛着を感じているんだ。だから私はケシャをがっかりさせたくないし、自分自身を失望させたくもない」(未公開部分より)。裁判所に提出された文書によると、その年の6月にゴットワルドはジュースクレンズをしているはずのケシャが「ターキーを食べ、ダイエットコーラを飲んでいる」のを目撃。これについてゴットワルドは、その場で「もっと食生活に気をつけなければいけない」という内容の「話し合い」を行なったと弁明した。ケシャは泣きながらその場を去り、マネージャーから苦情が入るとゴットワルドは「ケシャが食事制限を守らないと、みんなが不安になる。私たちは、彼女が何度もそれを破ってきたのを見ている。それに、トップレベルのソングライターやプロデューサーがケシャの体型を理由に楽曲を提供しなくなるという懸念もある」と反論した。ゴットワルドの弁護士は、メールの文脈が無視して解釈され、ケシャ「本人の体型に関する悩みを気遣ってのことだった」と主張した。

その後、ケシャは重度の摂食障害にかかり——本人は「死にかけた」と言う——2014年にリハビリ施設に入院した。2017年に本誌の表紙を飾った際、インタビューで「当時は、何も食べてはいけないと思っていた」と明かした。「だから、食べてしまった時は、後悔のあまり食べたものを吐き出していたの。『食事をするなんて、信じられない。私には何かを食べる資格なんてないのに、本当に恥ずかしい』という気持ちでいっぱいだったから」

「彼はすべての人に心理戦を仕掛けます」

ケシャほど注目されなかったが、ベッキー・G(本名:レベッカ・ゴメス)も2018年にゴットワルドを提訴している。具体的には、ゴットワルドの飲料会社、CORE Nutritionのプロモーションを強要され続けたと言って同社を訴えたのだ。これについてベッキー・Gは、「アーティストとしてではなく、歩いて歌う広告塔のように扱われた」と主張。訴状には「ドクター・ルークは、ゴメス氏のアーティストとしての今後のキャリアはCORE Nutritionのプロモーション活動を続けるかどうかにかかっている、と直接的かつ暗黙的に言いました」と綴られていた。最終的にCORE Nutritionはすべてを否定し、2019年にベッキー・Gは訴えを取り下げた(これについてベッキー・Gの代理人はノーコメント)。

「ゴットワルドには、アーティストを発掘してブレイクさせる天賦の才能があります。また、才能豊かなソングライターやプロデューサーを集めることもできます」と某ソングライターは言う。「ですが、彼はすべての人に心理戦を仕掛けます——たとえ相手が男性でも。彼と長年仕事をしてきたプロデューサーやソングライターが口を揃えて言うには、お気に入りを作って他の人たちの嫉妬心をあおるそうです。結果、誰もがドクター・ルーク大先生の気を引こうと躍起になる(中略)私は、ゴットワルドのことをよく知っている人たちと働いたことがありますが、誰もが遅かれ早かれ、モラハラまたは精神的な虐待のせいで自信をなくすそうです。ある時、ソングライターのひとりが震えながらゴットワルドに何かを尋ねているのを見たことがあります。彼は天才ですが、人を操るのが恐ろしく上手い。仕事相手としては最悪です」

2011年に本誌がゴットワルドに初めてインタビューした際、彼は自分のことを思いやりのあるメンターにたとえ、「アーティストに多くのことを教えているような気がする」と語った(未公開部分より)。また、「駆け出しの頃は考えてもいなかったし、気づきもしなかったけれど、誰かの人生を大きく変えられることのありがたさを心から感じられるようになったのは素晴らしいことだと思う。それだけでなく、他の人からいろんなことを学べている。そのおかげで、もう少し長くがんばれる気がするんだ」と言った。

性的暴行疑惑のヒットメーカー、米音楽業界での輝かしい実績と「黒い噂」

近年ドクター・ルークと仕事をした(写真左から)ドージャ・キャット、キム・ペトラス、スウィーティー。ドージャ・キャットは「もう二度と一緒に働かない」と宣言するいっぽう、スウィーティーは「疑惑のことは知らなかった」と主張した。TAYLOR HILL/FILMMAGIC; KEVIN WINTER/GETTY IMAGES; AMY SUSSMAN/GETTY IMAGES

ルーカス・ゴットワルドは、ニューヨーク州マンハッタンで幼少期を過ごした。音楽に関しては幼い頃から天才性を発揮したが勉強には無関心で、ティーンエイジャー時代はドラッグの売人をしていた。2011年のインタビューの未公開部分でゴットワルドは「いろんなトラブルに巻き込まれた」とティーンエイジャー時代を振り返る。「ビジネスとしては上々だった。私は15歳で、ポケットに現金1万5000ドル(約220万円)を入れて街を歩き回っていた。馬鹿だよな、地下鉄の改札口を飛び越えて、バックパックに数ポンドのドラッグと大金を入れていたなんて。でも、15歳のガキなんてそんなものだ。自分は無敵だと思っていた(中略)25ポンド(約11キロ)のドラッグを毎週運んでいたんだ」

ドラッグから足を洗い、本格的に音楽家としての道を進むようにと諭したのは、ゴットワルドのギターの教師だった。だが、自身にドラッグを売っていた売人がブレイクのきっかけを作ってくれた。その人のつてで米人気番組『サタデー・ナイト・ライブ』のバンドのギタリストになったのだ。この仕事を10年ほど続けるかたわら、ヒップホップレーベルのRawkusレコーズで働く友人に頼まれてラップのリミックスを手がけるようになった。また、副業としてクラブのDJをはじめ、それを機に伝説的なソングライターのマックス・マーティンと彼の同僚であるラミ・ジャフィーと知り合った。

本誌の2011年のインタビューでゴットワルドは「私たちの最初または2番目の作品が『Since U Been Gone』だった。当時、みんなでザ・ハイヴスとザ・ストロークスを聴いていたところ、マックスが『コイツらは、どうしてヒットするサビが書けないんだろう?』と言ったので、それをやってみたんだ」。「Since U Been Gone」のギターリフはゴットワルドが手がけたものだ(ちなみに、マイリー・サイラスの「Party in the U.S.A.」のオープニングのリフもゴットワルド作と思われる)。

完全復帰はこれから?

ケシャに提訴されてからたった3年後にゴットワルドの新しい「秘蔵っ子」が音楽シーンに躍り出た。2017年8月にキム・ペトラスが1stシングル「I Dont Want It At All」をリリースしたのだ。これはゴットワルドとペトラスの数多の共作のはじまりでもあった。

ペトラスと緊密に仕事をしたことのある某クリエイティブディレクターは、ゴットワルドが「音楽やビジュアルをはじめ、ありとあらゆること」に干渉したと明かした。「ゴットワルドはとても細かくて、支配欲が強いです。でも、いままで数多くのポップスターを生み出してきた実績があります。ですから、見方によっては、自分が何をしているかわかっているのです」。久しぶりに「スヴェンガリ・モード」全開のゴットワルドが戻ってきたのだ。

ペトラスもゴットワルドとの共作によって多方面から非難されたが、それでもやめなかった。2022年には、「500万人があの人と仕事をしてるのに、どうして私だけが非難されないといけないの? 私は何とも思ってないし、後ろめたくも何ともない。だから放っておいてよ」とSNSに投稿(のちに削除)。6月23日にリリースされたペトラスのデビューアルバム『Feed The Beast』には、ゴットワルドの楽曲が多数収録されている(これについてペトラスの代理人はノーコメント)。

だが、ゴットワルドの復帰の道筋をつけたもうひとりのアーティストがいた。2014年ごろに契約を交わしたドージャ・キャットだ。ドージャ・キャットのブレイクのきっかけとなった2019年のシングル「Say So」は、Tyson Trax名義でゴットワルドが単独で手がけた作品だった。この曲の大ヒットにより、ゴットワルドは2014年ぶりにグラミー賞にノミネートされた。そのいっぽう、2012年の本誌のインタビューでドージャ・キャットは、ゴットワルドとはもう仕事をしないと宣言している。

ゴットワルドが態度を改めたことも復帰を後押しした。これについて某エグゼクティブは「メジャーレーベル相手に真っ向から喧嘩をふっかけるような奴とは、とてもじゃないけど働けない、という噂が絶えませんでしたが、最近はまともになったようです(中略)とても感じがよかったです。少し態度を改めなければいけないことに気づいたのかもしれません」と言った。

Prescription Songsにおいてもゴットワルドは裏方に徹し、エグゼクティブ(全員が女性)に運営を任せている。「正直なところ、Prescription Songsの社員のほとんどは素晴らしい人たちです。ゴットワルドと会社の緩衝材のような役割を果たしてくれます」と某ソングライターは語る。

とあるアーティストのマネージャーは、示談が成立する前から一部のアーティストが良心の呵責を感じずにゴットワルドと仕事をするには、その一連の輝かしい成功だけで十分だったと指摘する。「やや高級でサービスも悪いのに客が絶えない近所のレストランのようなものです」と彼は語る。「ゴットワルドがやった恐ろしいことに目をつぶるわけではありませんが、トランプ元大統領の支援ステッカーが窓に貼ってあるからと言って、お気に入りのレストランを避ける人はいません」

今回の示談によってゴットワルドの汚名が完全にすすがれたかどうかを判断するのは時期尚早かもしれない。

「それでも、一部の人は彼と働きたがらないと思います」と某ソングライターは言った。「そのいっぽう、彼と働くことに何の抵抗も感じない人もいるでしょう」

ゴットワルドが本当の意味で復帰できたかどうかは、トップクラスのポップスターが彼と再びタッグを組むかどうかによって証明されるだろう。かつてのコラボレーターのケイティ・ペリーのニューアルバムに参加するかどうかも注目したいところだ。いずれにしても、ゴットワルド自身が決めるまでは、誰も彼のキャリアに終止符を打つことはできない。これについては本人が2011年のインタビューで次のように語っている。「私は、この仕事が大好きだ。そう思えなくなった時がやめどきだと思う」

※本記事の追加ルポルタージュはエズラ・マーカス、シェイエン・ラウンドツリー、ギャヴィン・エドワーズが行いました。

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