このヒートシーカーズ・チャートで1位に輝き、すでにアメリカだけでも30万枚以上を売り上げているのがバッド・オーメンズ(Bad Omens)の第3作『THE DEATH OF PEACE OF MIND』だ。2022年2月に発売されたこの作品の魅力は、ここ日本においては残念ながら今のところまだ充分に認知されているとはいいがたい状況にある。ただ、去る8月7日、日本限定で登場した特別仕様のアイテムがこの状況を変えることになるのを筆者は期待している。これは『THE DEATH OF PEACE OF MIND』と、去る5月に欧米で配信リリースされた最新作『CONCRETE JUNGLE [THE OST]』を組み合わせたボリューム満点の2枚組CDで、『CONCRETE JUNGLE [THE OST]』が”盤”という形態では発売されていない欧米のファンにとっても垂涎のアイテムとなっている。
この日本独自企画盤の発売に際し、今回はこのバンドのフロントマンでプログラミングなども手掛けるノア・セバスチャンがインタビューに応えてくれた。ふたつの作品について改めて浮き彫りにするとともに、このバンドの音楽の構造についても探ってみたい。
―今回、この2作品をこうした形でリリースすることが可能なのは、作品同士の関連性が強いからこそであるはずです。『CONCRETE JUNGLE [THE OST]』はあなた方が制作したコミックのサウンドトラックという特殊な性質の作品であると同時に、いわば『THE DEATH OF PEACE OF MIND』から派生した進化的な副産物でもありますよね。まずは両アルバムの関連性、そして、そもそもコミックを制作してそのサウンドトラックまで作るという発想に至った経緯を教えてください。
ノア:コミックを作るなんて野心は持ったことがなかったけど、Sumerian(アメリカでの発売元)がコミック・ブック会社を買収した時に話があったんだ。
サントラに関しては、自分たちでは気に入ってはいたものの、次のフル・アルバムに入れるには理に適っていないように思われる音楽やアイディアを、いわば楽しみながら実験していただけのものなんだ。サウンドトラックという呼び方をして、リミックスやライブ・トラックを追加して、ビジュアル的にも音楽的にも『The Concrete Jungle』というコンセプト上のホームを与える方が、アルバムに新曲やリミックスを足して再発するだけのありがちなデラックス・エディションとかよりずっとエキサイティングだと思えた。それから、俺たちが次のアルバムに取り組み続けている間に聴けるもの、あるいはライブでやれるような新しい何かをファンに提供したかったというのもある。自分の背中をポンと叩いて「すべて計画通りだ」とでも言えばカッコいいのかもしれないけど(笑)、プロセスの大部分はそうじゃなく、機会やアイディアがひとりでに現れて一列になったときに、閃きにまかせてやっていることなんだ。
―第3作『THE DEATH OF PEACE OF MIND』の発売から約2年半が経過しています。今ならば完成当時よりも客観的に同作について振り返ることができるのではないかと思いますが、たとえばあなた自身がWikipediaか何かにこの作品の紹介記事を書き込むとしたら、どんなふうに書きますか?
ノア:ふふっ。『THE DEATH OF PEACE OF MIND』はバッド・オーメンズの3作目のフルレングス・アルバムである。幅広いジャンルのインストゥルメンテーションとプロダクションの要素を、ドラマティックで、官能的で、感情のこもったキャッチーなボーカルのフックと織り交ぜている。
―あのアルバムでの音楽的変化について説明しようとする時、それ以前の2作と比較しながら「メタルコアからの脱却」「オリジナリティの確立」といったことが言われがちです。あなた自身はそうした見解についてどう考えますか? あなた方が実際に当時目指していたのもそういったことだったのでしょうか?
ノア:「メタルコアからの脱却」という言い方は、文脈によって褒め言葉にもなれば、批判にもなり得るよね(笑)。まあ、いずれにせよ、みんなそういうことを考えすぎだ。アーティスティックな表現や消費の邪魔だと思う。そんなに深いものじゃない。時にはメタルコア的な特徴をエレクトロニックな曲に織り交ぜることもあるし、エレクトロニックな曲の特徴をメタルコアの曲に織り込むこともある。炭酸飲料の缶を開けるときの音をサンプリングすることもあるしね。『CONCRETE JUNGLE [THE OST]』にはディジェリドゥとコヨーテの鳴き声が使われているんだ。俺たちにとっては、クールな響きで何か感じさせるものであれば、シンプルに本能に従って、音楽的なツールや自分たちが共有しているバックグラウンドを使う。そこから様子を見るんだ。
―あなた方の音楽について形容する際、メタルコア、オルタナティブ・メタル、ニュー・ウェイブ・オブ・ニューメタル、インダストリアルといったさまざまな言葉が使われてきました。あなた自身の言葉で自らの音楽に似つかわしいカテゴリー名を作るとしたら、どんな名称になりますか?
ノア:センシティブ・メタルコア、かな。
Photo by Jonathan Weiner
―なるほど。『THE DEATH OF PEACE OF MIND』や『CONCRETE JUNGLE [THE OST]』を聴いていて感じさせられるのは、シネマティックとでもいうべきか、聴いていて情景が浮かぶような性質が強まっていることです。それに拍車をかけているのはシンセの多用だと思いますが、これは「情景描写を目的としながら、その手段としてシンセを多用するようになった」のでしょうか、それとも「シンセの導入により音楽的な広がりを求めた結果、情景描写の幅が広がった」のでしょうか?
ノア:俺は曲を書く時、大抵の場合シンセとキーボードから始めるんだ。とは言いつつも、俺たちのプロセスはちょっと双極的なんだけどね、書きながらプロデュースしたり、プロデュースしながら書いたりもするから。常に曲作りとプロデュースする作業の間を行ったり来たりしている。ただ『The Concrete Jungle』 については多分、今までの中でもいちばん一体感があったんじゃないかな。少なくとも自分たちが使っていたトリックやサウンドに関してはね。これは意図してやったことなんだ。あの作品はサウンドトラックという形をとったこともあって、これまで俺たちが作ってきた中でもいちばんコンセプト・アルバムに近いものになったからね。ただ、さっきも言ったけど、ただただ閃きに任せて即興でやっている部分があまりに大きいんだ。
特に「V.A.N」は、ビジュアル面でのリファレンスを使ったことによって本当にユニークな形で発展していった曲だった。コンセプトなのかサウンド・デザインなのか、何が最初だったかは憶えていないけど、その頃俺はPortalというゲームを紐解いて、GLaDOS(Portalに登場する人工知能を持ったキャラクターの名称)に使われていた声に改めて気づいたんだ。話し声がクロマティック・スケールの中で任意っぽい音に無理矢理チューニングされているような感じで、他の効果音の中で、人間の声みたいな抑揚を作っているように感じられた。というわけで、それを再現しながら、なおかつより音楽的になるようなキーやスケールを使うというのがアイディアだった。ボーカルを過度に人間っぽくしたくはなかったし、少なくとも完全に人間的なものに聴こえるのは避けたかったから、本物の人間の声をソースにしたAIのボーカルによる曲を作って、GLaDOSみたいな感じにするというのは、本質的に楽しいチャレンジだったよ。
ブリング・ミー・ザ・ホライズンへの共感と日本への想い
―あなた自身の発想な根源はどんなところにあるんでしょうか? 映画やアニメ、コミック、小説などなんでも構いませんが、このバンドに影響をもたらしていると思われるものがあればいくつか具体的に教えてください。
ノア:今、君が言ったようなものはすべてそうだし、他にもいろいろある。意味のあるアートというのは、おそらく自分がこれまで消費してきたり経験してきたりしたあらゆるものから影響を受けているんじゃないかな。唯一の違いは、その人それぞれのアクセスする力、そしてそれらの物事をユニークでパワフルな形で表現する能力なんだ。それらに対する自分なりの解釈を作品として完結させる力。
―『THE DEATH OF PEACE OF MIND』がこのバンドの進化を体現したものだとすれば、『CONCRETE JUNGLE [THE OST]』はそのさらなる発展形といえるはずです。この作品から感じ取ることのできる未来志向の変化は、この次のオリジナル・アルバムでの変化の予兆ともいえるものなのでしょうか? 実際、この先に自分たちのどのような音楽的変化を見据えていますか?
ノア:あまり種明かしはしたくないし、正直なところ、それについては自分でも完全な答えがまだないんだ。新作はまだ完成していないからね。ただ、『CONCRETE JUNGLE [THE OST]』がプロデューサーとしての自分にとって、いい練習になったとはいえる。あのアルバムを作っている間に学んだこと、生まれたものがたくさんあるんだ。音楽を作るうえでプロセスに刺激を与える手助けになってくれた。
―あなた方の音楽の進化の過程を見ていると、かつてブリング・ミー・ザ・ホライズンが経てきた音楽的変遷を思い起こさせられる部分があります。過去には彼らとのツアー経験もあるあなた方ですが、彼らについてはどう見ていますか?
ノア:実際のサウンドより、アプローチ面で比較されるようになったことについては嬉しく思っているよ。音楽的に進化して新しいもの、少なくともメタルコア・バンドとして新しいものにトライし続けるという努力を同時進行でやってきたところはお互いに共通する点だと思う。キャリアの初期によく彼らと比べられていたのは周知の事実だし、俺たちが音的に似ていたことがあったのも否定しない。俺たちはいつだって、彼らをスペシャルなことをやるバンドとして見てきたし、アーティストとしてまだ自分のアイデンティティや自信が確立できていない段階で、他の誰かからインスパイアされ過ぎてしまわないようにするのも難しいからね。ただ、今では自分たちなりのものを確立できているし、似ている面があるとすれば実際の作品そのものよりも、ものの考え方の方ということになるんじゃないかな。とはいえ、彼らの思考のあり方を完全に把握できているわけじゃないけど(笑)。アーティストにとって、表面的な部分ではなく、より深いところで本当の意味でインスピレーションを受けるということがどんなことかを学ぶことは、ものすごく大きなターニングポイントに繋がるものなんだ。
Photo by Jonathan Weiner
―ええ、とても納得できます。ところであなた方は2018年に来日し、その際にはライブハウスでプレイしています。その際のことで特に印象に残っているのはどんなことでしょうか?
ノア:カルチャーを吸収しまくっていたよ。なにしろ俺たちがそれ以前に経験していたどんなものとも違っていたからね。建築、食べ物、ライフスタイル、自然……何もかもがとにかく素敵だった。今度そっちに行った際にはもっと時間をかけて、ちゃんと日本文化を体験することを楽しみにしているんだ。すごく具体的なことを言うと、奈良公園がとてもクールだった。自然や生き物たちと心地よく絡み合った気分だった。仙台市を散策したのもとてもクールだった。大阪城についてもそう。表面をなぞるのがやっとの旅だったから、正直な話、パフォーマンスよりも散策だけしにまた行きたい気持ちが強いくらいなんだ(笑)。
―それからすでに6年が経過していて、日本のファンは大きな会場での再会を心待ちにしています。その機会が近いうちに訪れるのを期待していて良さそうでしょうか?
ノア:そうなったらいいね。多分、次のアルバムが完成して、また新たなツアーが始まってからの話ということになるだろう。前回プレイしてからあまりに時間が経ってしまったからね。あの時は100人ぐらいしかお客さんがいなかったけど、今の俺たちが日本でやったらどうなるのかにも興味があるよ。だから、どうか待っていてくれ。早くまたそっちに行きたくてたまらないんだ。
バッド・オーメンズ
『THE DEATH OF PEACE OF MIND+CONCRETE JUNGLE [THE OST]』
発売中
日本独自企画盤/2枚組SHM-CD/デジパック仕様
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