【画像】焼け跡に立つ馬たち
チャ・チャ・ジェイゴ・レヴィンソンさんはウィル・ロジャース公園で乗馬をして育った――敷地内に大きな牧場と厩舎を所有していたハリウッドの人気者、「カウボーイの哲学者」ことウィル・ロジャースにちなんで名づけられたこの場所は、彼女にとってロサンゼルスの憩いの場所だった。幼少期の70年代、脚本監修の仕事をしていたシングルマザーの母親は、家族を養うために仕事で家を空けることが多く、名付け親のもとで暮らしていたレヴィンソンさんはよく州立公園の乗馬レッスンにつれていってもらった。母親は出張に出る際、レヴィンソンさんに動物と毎日過ごすよう言い聞かせていた。「馬があなたのお守り役よ、と母はよく言っていました」とレヴィンソンさんは振り返る。「ウィル・ロジャースは私が心から安心できる、最高の場所になりました」。
それから年月が経ち、夫に先立たれたレヴィンソンさんはわずかばかりの生命保険料で農場の入札に参加した。「ロジャースはずっと私にとって大事な場所でしたから、12月に公園娯楽管理局で賃貸の話が持ち上がった時、一大事業になるとは分かっていましたが……引き受けました」とレヴィンソンさん。これまでの貯蓄もつぎ込んだそうだ。「私の生きがい、私の救済でした」。
2020年、ジグソー農場はウィル・ロジャース公園内に乗馬会社を設立する契約にこぎつけ、レヴィンソンさんとスタッフはただちに仕事に取り掛かった。
運営企画担当者のステファニー・ホーグさんによると、当初スタッフは少人数だったものの、全員が農場の再建に全力を注いだ。厩舎の掃除、馬の調教、巨大なスプリンクラーを引きずっては野原に種をまき、フェンスを修繕・塗装し、競技アリーナには新たに200トンの御影石を入れ、古い馬場を新しい土と入れ替えた。「修復作業で私が気づいた最高の出来事は、自然が戻って来たことです」とホーグさんは振り返る。「鹿が戻ってきて、馬と一緒に牧場で草を食んでいました。馬が寝そべる小さな池には、ウズラやカエルが集まり出しました」。
翌年、ジグソー農場は正式に開業。少しずつ生徒数も増え、馬の数も増やしていった。中には、捨てられていたのをレヴィンソンさんが引き取った馬もいた。
ジグソー農場で調教師をするホリデイ・クリーゲルさんは、かつて放置された農場が「夢のような場所に生まれ変わって、喜びと幸せがあふれていた」と語る。

ロサンゼルスの山火事が発生する以前にジグソー農場で草をはむ馬たち(左)と、パリセーズの山火事が発生した直後
2025年1月7日――丹精込めて復活させたジグソー農場は、パシフィック・パリセーズを炎に包んだロサンゼルスの山火事で牧草地も、馬小屋も、競技アリーナも消えてしまった。
その日の正午、ポロ競技場の裏にいる馬たちには危害が及ばないように思えた。パリセーズの山火事で煙が山の尾根に立ち上っていたが、ジグソー農場は太陽の温かい光に包まれ、山火事ははるか遠くの出来事に見えた。
「念には念をと思って、馬をすべて移動させました」とレヴィンソンさん。ジグソー農場から野原に続く坂道はウィル・ロジャース州立公園のふもとにある。1マイルほどの坂道を、54頭の馬を1頭ずつ先導していかなければならなかった。
野原に着くと混乱状態だった。辺り一帯は消防隊員の集結地と様変わりしていたのだ。ヘリコプターが着陸し、給油して、また離陸する。真っ赤な消防トラックが非常ライトを点滅させながら行き来していた。消防隊員が車両の間を奔走する中、ヘリの風で土が煽られ、宙に舞っていた。一瞬、ジグソー農場のスタッフは驚いて言葉も出なかった。
「消防士が『どこか安全な場所を探しているなら、ここがいい。我々の集結地だから』と言っていたのを覚えています」と振り返るのは、農場で馬とのふれあい学習を担当するブラッド・ランゲンバーグさんだ。
トラックやヘリコプターがあわただしく立ち去って、ようやくジグソー牧場のスタッフは「想像していた以上に状況は深刻なことが分かりました」とレヴィンソンさん。
サンタ・アナからの風がパリセーズを時速100マイルで吹き抜ける中、かつてオアシスだった州立公園も、もはや安全でないことは明らかだった。
風の勢いが強まり、馬やジグソー農場のスタッフはまっすぐ立っていることもままならなくなった。トレーラーの数が限られていたため、1度に4頭ずつしか退避できなかった。
レヴィンソンさんはスタッフとともに、近隣住民や友人に余っているトレーラーはないか聞いて回った。煙が青空に立ち上る中、トレーラーを乗り付けた人々が馬の搬入を手伝った。突然の変化を察したのか、馬も暴れ始めた。馬の先導役にとっては冷静さを保つことが必須だった。「馬は感情的な動物ですから、環境に敏感に反応します。
馬の心身の健康状態を日々管理する厩舎係、調教師、友人、隣人らと力を合わせ、レヴィンソンさんは馬をトレーラーに乗せて、5マイルほど先にあるブレントウッドのサリヴァン・キャニオンの姉妹農場へと移動した。
最後の1頭がウィル・ロジャース公園を後にしてから1時間後には、炎が辺りを包み込んだ。ジグソー農場は歴史のあるウィル・ロジャースの農場や主厩舎とともに、2万4000エーカー近く燃え広がる炎に焼き尽くされてしまった。
夕暮れ時、火の手がサリヴァン・キャニオンにも迫る中、一行はブレントウッドを出なければならなくなった。レヴィンソンさんの息子で避難活動にも加わっていたヘンリーさんによると、車で立ち去る間「空がオレンジ色に染まり、灰が地面に舞い降りていました」。深夜になるころには、54頭すべてがバーバンクのロサンゼルス馬事センターに移動していた。そこは災害時の大型動物用シェルターと化していた。

チャ・チャ・ジェイゴ・レヴィンソンさん(中央)と、ジグソー農場のスタッフの尽力でパシフィック・パリセーズの山火事から命拾いした馬 現在は54頭すべて、ロサンゼルス馬事センターで避難生活を送っている(Gilles Mingasson)
12時間のうちにジグソー農場の馬とスタッフは、対岸の火事だと思って安心していた状態から、住まいと生計が断たれた状態へと陥り、またもや新たな環境に放り出された。今では他の家畜たちとともに避難生活を送る身だ――所有者の番号がスプレーで書かれたロバが、隅っこでたむろしている。
同センターで事業開発と広報を担当するジェニー・ネヴィン氏は、「ここは全米最大の市営馬事センターです」とローリングストーン誌に語った。グリフィス公園内にある同施設は、平常時は馬術ショーや貸し切りイベント、コンサート会場として使われ、災害時にはシェルターの役割も果たす。「200~300頭を収容することはざらです」とネヴィン氏。「すぐに活動できるボランティアが、多い時には50~100人ほどいます。馬小屋の清掃とか、餌やりとか、馬の散歩や運動を手伝ってもらっています」。
ロサンゼルスの山火事発生から数日間、ジグソー農場のインストラクターのもとには子どもたちから電話やメールが相次いだ。大好きな馬が大丈夫かどうか知りたがっていた。「私の生徒のほとんどは家や学校が火事で焼けてしまいました」とクリーゲルさん。「教え子1人1人に連絡を取りました。FaceTimeで話をしたり、写真を送ったりして、大好きな仔馬は大丈夫だよ、ちゃんとお世話してもらってハッピーだよ、と知らせています。
ジグソー農場では乗馬学校の他に、学習プログラムも実施している。またウィル・ロジャース公園、マッカーサー公園、シックス・アベニュー、フレッチャー・ドライブなど、ロサンゼルス全土の小学校と提携も結んでいる。「私たちのミッションはL.A.の住民の誰もが馬と親しめるようにすることです」とレヴィンソンさん。「それはウィル・ロジャース公園で掲げた目標の一つでした。自然と親しめる、本当に大好きな街でした」。
別の調教師アメリア・ゴールドマンさんは、そうした課外活動のことを楽しそうに振り返った。「バスから降りた子どもたちを出迎えると、みんな大はしゃぎ。ほら、子どもってそうでしょう」と彼女は微笑んだ。「馬の方に近づくやいなや、みんな大人しくなるんです」とゴールドマンさんは続け、ジグソー農場の訪問者やスタッフが口を揃えて言う言葉を繰り返した。「本当に魔法のようです」。
ゴールドマンさんから乗馬を習った8歳の息子エイヴリーくんも、同じ意見だ。「ウィル・ロジャースでの体験はまさにそうだよ――大きなお楽しみ箱みたいだ」とエイヴリーくんははっきり言った。
都心部の近くに位置しつつ、山に囲まれているウィル・ロジャース公園は、馬のセラピーには格好の場所だった。トラウマや虐待の経験者を対象に治療を行う身体療法士のクランシー・コーネルさんも、農場でセッションを行ったことがある。公共の公園という交通の便の良さと、乗馬を幅広く楽しめる場所にしたいというレヴィンソンさんの思いが、ジグソー農場を「特別」な存在にしているとコーネルさんは言う。
「ロサンゼルスでは緑が限られています。馬のいる場所は非公開のケースが多く、家族経営の農家か、会員登録が必要な馬術センターのどちらかです」とコーネルさんは指摘する。「チャ・チャさんは(ウィル・ロジャース公園で)独自経営をして、ファシリエーターとのコラボレーションにも積極的です――厩舎のオーナーが全員こうとは限りません」。
ランゲンバーグさんも、麻薬やアルコール中毒に苦しむ患者をメインに治療している。本人も依存症経験者だ。いわく、ウィル・ロジャース公園は「初めて全身がリラックスできると感じられた」場所だそうだ。
「更生はとにかくつながりに尽きます。ウィル・ロジャース公園で私もそれを目の当たりしました。誰もがゆっくりしたペースなので、最終的につながり合い、今この瞬間に落ち着くことができる」とランゲンバーグさんは付け加えた。公園とは数十年もなじみがある。ジグソー農場に導かれた時のことを振り返り、「チャ・チャさんのすごいところは、自分が知らなかった公園の魅力を知っていることです」。

2025年1月9日、ロサンゼルスのウィル・ロジャース州立公園にて パリセーズの山火事で焼け焦げた樹々の周りに集まる鹿の家族(Apu Gomes/Getty Images)
南カリフォルニア最大級の災害となった今回の山火事で、消防隊は鎮火に奔走し、20万人が家を追われ、住宅、店舗、学校、集落が焼け落ちた。
山火事発生から2週間が経過して、またもや火事が発生した。今回はキャスティーク近郊。ヒューズ地区の火事は2時間で5000エーカー以上に燃え広がった。加速する異常気象が原因で、カリフォルニアの「極端な天候被害」は激化している。高い気温と乾燥した空気が炎を助長し、5万7000エーカー以上が炎に包まれ、少なくとも28人が死亡した。ロサンゼルス住民の未来はどうなるのか、彼らの心のよりどころはどうなるのか、誰も分からない。
ロサンゼルス馬事センターでチャ・チャさんとジグソー農場のスタッフを取材した際、固いきずなで結ばれた一行には誇りと喪失感、そして純然たる粘り強さが感じられた。家を追われた友人や家族に向けられたあふれんばかりの同情の念、そしてお互いへのねぎらいの気持ちに支えられ、目の前の状況にもくもくと対処していた。干し草の束、動物の薬、餌、その他支援物資がシェルターに次々運び込まれる。ジグソー農場再建に向けたGoFundMeページも立ち上がった。
先行き不透明な中、新たな環境の中で、ジグソー農場の面々は互いを気遣い、馬に必要な者はないか、水やサンドイッチ、コーヒー、休息がほしい人はいないか、家族は無事かと聞いて回っている。農場の今後についてレヴィンソンさんに尋ねると、「戻れる場所があるかどうかも分からない」が、子どもたちと馬が安全に戻れる場所を作ることが最優先だと答えた。
「みな前向きに考えるようにしています」と言うのは、厩舎係のフランシスコ・サンタナさん。父親と叔父もレヴィンソンさんの農場で働いている。「僕らは大丈夫。僕らには仕事がある。馬も幸せです。無事で、健康です。それが一番です」。
これで終わりじゃない、とゴールドマンさんは誓う。「カリフォルニアは逞しい。草木のように再び芽を出し、美しい姿で戻ってきます。何が起こるか分かりませんが、期待は持ち続けています」。
当面、レヴィンソンさんは目の前の作業に集中するという。「馬たちの命を救ってくれたスタッフにも、救済が必要です」と彼女は言う。「この場所にはものすごく思い入れがあります。完璧な姿に戻してやるのは一筋縄ではいかないでしょうが、好きでやっている仕事ですから、たやすいものですよ」。
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