一Zepp新宿公演も直前ということで、新宿とイースタンユースについてお話を聞かせてもらえればと思います。吉野さんが東京に来たのは1990年ごろですよね。
吉野:正確なことは忘れたんですけど……今56歳で、来たのが23歳の時なので、30何年か前になりますね。
一札幌から大移動のように多くのバンドが上京した時期。
吉野:そうですね。一年くらいの間で次々と。みんな西荻窪に固まって住んでたんですけど、僕はひと駅ずらして荻窪に部屋を探しました。
一当時、ワクワクしてました?
吉野:ワクワク……案外してましたね。東京はいろいろな人がいますので、僕にとっては暮らしやすそうな街というイメージでした。札幌も都会ですけど、全然規模が違うので。パンクのような格好をしていると、札幌ではちょっと目立ったんですよ。「あんまりじろじろ見るな」って思うことも多かったんですけど、東京ではまったく目立たたない。そこがよかったですね。素敵だなぁと思って。
一荻窪だと、まず出かける大きな街が新宿になりますよね。
吉野:そうですね。東京=新宿みたいな感じですね。僕の中では東京のド真ん中、中心が新宿でした。渋谷でもないし、もちろん銀座とかあのへんでもないし、池袋もちょっと違う。
一よく行ったのはどのあたりですか。
吉野:ビニールっていう輸入レコード屋とか、あとは小滝橋通りにあった、昔の新宿ロフトですかね。それとアンチノック。僕らが一番最初に東京でライブをしたのがアンチノックでした。まだイースタンユースになる前です。

吉野寿
一スキャナーズですか。
吉野:そうです。その頃に一度呼んでいただいて、アンチノックでやったんですけど、いっぱいいるんですよ、仲間みたいな人たちが。シャッフルっていうバンドが対バンだったんですけど、丸坊主の人たちがバンドだけじゃなくお客さんにもいっぱいいて。札幌では自分だけだったんです。「スキンズ」ではなかったんですよ。
一ひとり(笑)。
吉野:でもここではちゃんと「スキンズ」なんだ、と思いました。
一シーンというものが東京にはあったんですね。
吉野:ありました。だから驚いたわけですよ。うわぁ、こんなに沢山いるんだ!って。丸坊主でサスペンダーしたような人たちとパンクの人たちが入り混じっていて、うれしい!って感じでしたね。その時は10代でしたから。
一引っ越した23歳以降はどうですか。
吉野:ライターの中込智子さんの妹と我々は仲がよかったので、中込さんにはいろいろとお世話になりましたね。中込さんが繋いでくれて、東京のスキンズシーン、パンクシーンと少しずつ混じっていく感じだったですね。
一イースタンユースはスキンズの一員だという意識は持っていました?
吉野:最初の頃はそうでした。そうなろうと頑張ったところもあったように思いますね。
一その気持ちはどんなふうに変化していくんでしょう。
吉野:やっぱり時間が経つにつれて……仲間内で話されていることとか、自分が日々感じていることへの齟齬が生じたり。音楽的にも「グループのみんなが喜ぶためにギターを弾いてるわけではないんだぞ」と思うことが多くなっていきましたね。なんて言うんだろう、休日の憂さ晴らしみたいなものではないぞ、というような。道はこれしかないわけだから、食えても食えなくても、俺はこれで生きていくしかないと思って東京に出てきたわけだし、だんだんとシーンというものからも外れていくんですよね。もっと自分の表現したいことをまっすぐやっていかなきゃダメだなって。もともと群れの中にいること自体、自分にとっては不自然な状態だったので、自分の足で進んでいかなきゃいけないんだなって思いましたね。
一当時、1994年に始めたのが自主企画「極東最前線」です。
吉野:それまでは仲間内で誘ってもらうのを待ってるわけですよ。「こういうライヴがあるから出る?」と言われるのを、ただ出演者として待つばかりで。
一初めて聞きますけど、この名前はどう決めたんですか?
吉野:ダジャレです。昔「特捜最前線」っていうドラマがあって。
一……あぁ! はい。
吉野:語呂がいいじゃないですか。僕もドラマ自体は見てなかったんですけど(笑)。でも、なんか語呂がいいなと。
一極東を当てはめた。
吉野:そう。語呂合わせです。

イースタンユース(Photo by Keiko Hirakawa)
一第一回は、雷矢、怒髪天などが出ています。
吉野:あとはワントラップっていうバンドと、KGSっていうハードコアバンドでした。そしてワントラップは来ませんでしたね。
一え?
吉野:いつまで経っても会場に来ないなと思って、電話したら家にいたんですよ(笑)。だから結局は4バンドでやったんですけど。その4バンドも、その頃のシーンを考えてみれば違和感のあるバンドばかりでした。KGSはアメリカンハードコア的な変拍子を使ったりして、面白い具合に浮いた感じだったですし、ワントラップも、ちょっとブラック・フラッグみたいなアプローチの変わったバンドで。まぁ怒髪天は知り合いだったし、昔からあの感じだったです。
一最初と第二回は高円寺20000V、そして第三回目には新宿ロフトになりますね。共演はブッチャーズ、ファウル、ゴッズ・ガッツ。
吉野:4バンドだったような気がします。
一ロフトにはやっぱり思い入れが?
吉野:そうですね。小滝橋のロフトは僕の中では「ザ・東京の中心地」という感じでしたね。独特な雰囲気がありました。その頃の札幌にはライブハウスがなくて、貸しホールしかなかったんですけど、ロフトはバースペースがあって、大きい飲み屋みたいな感じで「これがライブハウスか、すごい」って思いましたね。あとは「楽屋、汚ねぇなぁー!」と思いました(笑)。「うわー!ゴキブリがいるよ!」みたいな。それがまた東京、新宿って感じがして。
一まぁ、新宿はもともと戦後の闇市ですからね。
吉野:汚ないし、ごちゃごちゃしてるし、何でもアリというか。そういうところがよかったですね。『闇のカーニバル』っていう山本政志監督の昔の映画が好きなんですけど、新宿が舞台なんですよね。音楽がコクシネルだったり、ミチロウさんが出たり、ロフトもチラッと出てきたりして、すごく良い映画なんですけど、そのイメージがそのまま自分の中の新宿だったし、ロフトはそれを象徴していたと思います。
一汚くてごちゃごちゃしたものと、それが好ましいという感覚は、吉野さんの中で自然に繋がるんですか?
吉野:そうですね。あらゆるものが全てごちゃまぜになっている事にエネルギーを感じます。何でもあって、いろんな人がいて、喜びも悲しみも全部凝縮したような。名誉とかお金とか、野望とか野心とか、堕落とか失敗とか、全部同居しているように思いますね。
一たとえば渋谷だと、汚いものはだんだん排除されていくじゃないですか。少なくとも見えないように行政が働きかけていて。
吉野:近年、特に再開発で変わりましたよね。渋谷だって、池袋だって、どこだって本当は同じだと思うけど、渋谷はだいぶ変わってしまいました。渋谷にももっと人くさい街の景色って、僕が東京に来た頃はまだたくさんあったように思いますけど。
一でも新宿は今も変わらない。誰がいてもいいし、それが男だろうが女だろうがアウトローだろうが関係ない。
吉野:そうですね。そして地獄の口が開いている(笑)。そういう感じがします。

(Photo by Keiko Hirakawa)
一あれは何が違うんですかね?
吉野:集まりやすいんでしょうかね。洗練されない何かが集まってくる、そういう気風があるんでしょうね。若い頃はタクシーで帰るお金もないので、靖国通りの地下にあった、24時間営業の養老の滝なんかに行くわけですよ。そこに始発までいるんですけど、朝、外に出るとタイガーさんが自転車に乗ってるのを見たりしましたね。
一ああいう人がいる街、あんまりないですよね(笑)。
吉野:新宿らしいですよね。直接的なヤバさで言えば、ススキノのほうが緊張感があった気がしますけど、新宿のほうがもっと懐が深い感じがします。区役所通りに清瀧っていう居酒屋があって、なんかぐちゃぐちゃな感じだったんですけど、ハードコアの連中は出入り禁止の店が多いから、断られるたびに「ダメだ、清龍行くか」とか言って、みんなでぞろぞろ清龍に行くんです。清龍が終わったら「しょうがねぇ、始発まで養瀧だな」っていう。
一ふふふ。今も新宿で飲みますか?
吉野:全然行かなくなりましたね。面倒くさくなっちゃって(笑)。なかなか新宿と四つに組むっていうのは馬力がいりますよ。いるだけでエネルギーを吸い取られていきますから。自分の気力が吸い取られるぶん、充電されるみたいに「新宿」が体内に満たされていく、みたいなところもありますけど(笑)。
一20年前に比べると、今の歌舞伎町の風景の様変わりっぷりはすごい。
吉野:ホストクラブだらけになりましたよね。こんなにはなかったと思います。この間、久しぶりにロフトに来て、自分の車で搬出入をやったんですけど、それで歌舞伎町の裏通りをぐるぐる回ったりして、「こんなんなってんのか!」と思って。ここ数年は来てなかったし「歌舞伎町、もう勘弁してくれ」なんて思ってたんですけど……そうやって車で回ってる時の景色がなかなかよかったんですよ。サファリパークみたいにノロノロと細い路地に入って行くんですけど、ホストとかゴスロリみたいな女の子とかがギチギチにいる中で「すまん、通してくれ、通してくれ」って進んでいくと、ちゃんと通してくれるんですよね。そこにはなんというか、秩序というか、独特なイケてなさ、イモくささみたいなものがあるというか。
一イモくささ(笑)。
吉野:いろんな種類の人がいて、ビジュアル系みたいなホストとか、あとはオタクみたいな人たちとか、ヤンキーみたいな人たちとかもいるんだけど、なんかちょっとずつ、街の一員として譲り合っているように思えましたね。変な連帯感はないんだろうけど。
一ちょっとわかります。バラバラに見えるんだけど実は同じ振る舞いができるというか。
吉野:それは昔から新宿に感じていましたし、自分だってイモ野郎の一員として新宿が好きだったから。「あぁ、今でもあるな、懐かしいな、いい街だぞ新宿」って改めて思ったんですよ。
一トー横キッズとか、話で聞くとゾッとする反面、実際見ると「ここに居たくているんだな」ってわかりますもんね。実はライブハウスと似た機能なのかもしれない。
吉野:「なんかこっち側だな」とは思いますね。やっぱり吹き溜まりみたいな感じなのかなと思います。行き場のないやつらがはみ出して、水が低いところに流れていくような感覚で、そこに居場所を見出していく。だからお互い共通する何かっていうのはどこかにあって、それが新宿くささなのかな、と思います。
一吉野さん、東京のいろんなところを歩かれるじゃないですか。
吉野:歩きますね。
一それでも、新宿には新宿にしかないものがあると思いますか。
吉野:絶対にあると思いますね。仕事柄いろんな街に行きますし、いろんな盛り場もウロウロしましたし、アメリカの街をいろいろと移動したこともありますけど、新宿には新宿にしかないものがあると思います。世界的に見ても新宿にしかない何かが明らかにあるんだと思います。そしてそれを受け入れる深さが新宿にはあるんだろうと思います。

取材後、老舗焼き鳥屋で「新宿」を満たす吉野
一ちなみに、Zepp新宿は吹き溜まりの真下に位置するハコです。どんなライブになりそうでしょうか?
吉野:一生懸命いつもどおり、新宿に恥ずかしくないようにやろうと思ってます。新宿っぽいセットリストっていうことは考えてませんけども、僕らは存在自体が新宿くささを持っていると思ってますので、そのままやれば新宿になるんじゃないでしょうか。
一いつものワンマンとは何かが違いそうですか?
吉野:わかりませんけどね。でもお越しになるみなさんは、新宿の街を通ってその場に来るわけですから、必然的に新宿を体感するわけですよね。歌舞伎町ド真ん中、新宿に足を踏み入れた時からライブは始まっていると思ってください。あの街を感じていただきたいし、その中の一部として我々も存在できればいいなと思っています。そして、終わって帰って家に着くまでが「新宿」です。
一ははは。心得ておきます。
吉野:朝起きて、夜寝るまでが新宿、ということですよ。来ればわかります。ライブが終わって外に出れば、どこを見ても「うわー、新宿だあ」って絶対思うはずなので。そこが一番の醍醐味だと思う。
<ライブ情報>

eastern youth 単独公演2025・新宿歌舞伎町
2025年5月31日(土)東京・Zepp Shinjuku
開場17:00 開演18:00
一般 ¥6000 / 学割 ¥4000(+ドリンク)
e+: https://eplus.jp/easternyouth
チケットぴあ: https://w.pia.jp/t/easternyouth
ローソン: https://l-tike.com/easternyouth
お問い合わせ:SMASH